第百二十三話 閑話 若き勇者たちの日常 その1
『エルシー先生、ありがとうございました』
普段は『エルシー様』と呼ばれることが多い彼女も、午前の鍛錬時にはこう呼ばれているようだ。
エルシーは、前の晩にお酒を飲み過ぎた朝を除いて、ほぼ毎日こうして、若人衆の鍛錬をみてくれている。
彼女は元々、ウェルの剣の師匠でもあるから、こうして若き勇者たちに教えるのは容易いことだった。
「いいのよ。各自、鍛錬を怠らないように、いいわね?」
『はいっ』
「あんなに『お化け』なっちゃったあのウェルでもね、……雨の日も、雪の日も、いまだに毎朝、ほんの短い時間だけどね。あなたたちが呆れるような鍛錬を続けているの」
『…………』
皆、エルシーの話を聞いて、言葉に詰まってしまう。
そんな中、ただ一人だけは違っていた。
「さすがエルシー様がおっしゃる『お化け』っぷりですね」
遠慮のないこの少女は、雑貨屋の一人娘でアレイラ。
「アレイラ、ちょっと」
言い過ぎたと思って仕舞ったアレイラを窘める、宿屋の一人娘でジェミリオ。
「いいのよ。『お化け』なのは、事実なんですもの。あなたたちも機会があったらね、こっそり見てみるといいわ。わたしだって呆れてしまうんだからね」
手を振り、笑顔で踵を返すエルシー。
こうして、勇者たちと、彼らの背中を追う若人衆たちの鍛錬は終了となる。
「エルシー様、商会で、美味しいお茶が入ったんですよ。ご一緒にどうです?」
エルシーを追いかけ、呼び止めて提案をするアレイラ。
「あら。いいわね、ご馳走になろうかしらね」
「アレイラ、一服が終わったら、巡回ですからね?」
「わかってるわよ、ジェミリオちゃん」
鍛錬場所は、王城の裏手。
王城内にある詰め所へ立ち寄る三人。
鍛錬を終えた若人衆たちは、自分たちの家に戻っていく。
そんな中、その場に留まっていた鍛冶屋の息子ライラットと、肉屋の息子ジョーランの二人。
そんな二人のいる場所へ、飛来する二つの大きな影があった。
それはグリフォン族の二人。
『ライラット殿、鍛錬お疲れさん』
「ありがとう、グアールさん」
彼はライラットのパートナー、グリフォン族の若手でグアール。
彼には姉がいて、バラレック商会の新しい従業員として日々忙しく飛び回っている。
『お疲れ、ジョーラン殿』
「ジウーラさんもお疲れ」
『いや、全然疲れてないんだけどね』
「あははは」
彼はジョーランのパートナーで、グアールと同じグリフォン族の若手、ジウーラ。
「じゃ、今日もいっちょ、行きますかねー」
『りょーかい』
「いつもすまない」
『いいって』
お互いのパートナーを背中に乗せて、大空へ舞い上がるグアールとジウーラ。
今日の上空からの巡回当番はライラットとジョーラン、グアールとジウーラの四人。
空へ上がるのは、最初はライラットもジョーランも怖がっていた。
そういう意味では、アレイラとジェミリオ、一歳年上のお姉さんたちの方が順応は早かっただろう。
上空へ上がると、足下には自分たちの国、クレイテンベルグ王国が見える。
手前は王城のある王都、旧クレイテンベルグ領の領都。双方を結ぶ道には、人々が行き交うのが見える。
「それじゃ今日も、あっちから巡回しますか」
「そうだな、ライラット。じゃ、お願い。ジウーラさん」
『りょーかい、ほらグアール、遅れんなよ?』
『わかってる』
実はこの四人、同い年である。
ジョーランとライラットはグアールとジウーラを『殿』付けして呼ぶ。
逆にグアールたちは、二人を『さん』付けで呼ぶ。
その理由はライラットたちが、グアールから聞いた話からきていた。
グアールは、ウェルの執事ルオーラの妻、テトリーラの甥にあたり、ルオーラからウェルとの話を聞いたことがあった。
ルオーラが最初、ウェル殿と、ウェルはルオーラさんと呼んでいて、そうして現在に至るという話をしてもらったらしい。
ライラットたちも、『そう呼び合う』ことで、良好な関係性が保てる。
何より、『なんかかっこいい』と思ったからか、このように呼び合うことになったということ。
領都の上空を過ぎると国境が見えてくる。
領都は元々クレンラード王国の公爵領だったが、ウェルのためにクリスエイルが亡命という力業で領地ごとクレイテンベルグ王国へ。
だが、無条件でクレイテンベルグ王都の民を受け入れるわけにいかないことになり、国境を設けることになった。
国境を一歩過ぎると、そこはもう隣国のクレンラード王国。
クレイテンベルグよりも敷地的には狭い。
ただ、住んでいる人の数は数倍はいるだろう。
「なぁジョーラン」
「ん?」
「これだけの人をさ、ウェルさんは十九年の間、一人で守ってたわけだろう?」
「そうだな」
「俺たちはさ、いつ、追いつけるんだろうな?」
「さぁな。ただ」
「ただ?」
「陛下――いや、ウェルさんは、俺たちに魔獣討伐を任せてくれてるんだ」
「あぁ」
「少しだけ近づくことができる。そう考えるだけでいいじゃないないか?」
「そうだな。どっちにしても、ウェルさんがいなければ、俺たちはここにいなかったんだから」
「あぁ、違いない」
そのまま、クレンラード王国の外側を大きく迂回するように巡回を開始する。
鬼人族の二人にも視認できるように高度を落とす。
ただ巡回するだけでなく、討伐も兼ねているから、見逃すわけにはいかない。
『ライラット殿。なかなか見つからないね』
「そうだね。でもさ」
『うん』
「この状態が、当たり前なんだって、ウェルさんは言ってた。この状態にさ、保ってたんだよ、それも徒歩で」
『それを聞いて、驚いたんだよね』
「あぁ、オレも信じられなかった。ただ、オレは、ウェルさんが目の前で、ほぼ素手で魔獣を倒したのを見ちゃったからなー」
『それは信じるしかないよ。この爪使わないで、倒せと言われても無理』
グアールたちグリフォン族の武器でもある、前足の爪を見て呆れるように言う。
「まったくだね」
こうして巡回していても、全く魔獣が見当たらない日も普通にある。
ただそれは、彼らが必死に守っている証拠でもある。
こうして巡回しているからか、以前、ウェルが勇者だった頃のように、安全が保たれている。
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アレイラとジェミリオ、アレイラのパートナー、グリフォン族の女の子ミレーザと、ジェミリオのパートナー、メアーザの四人は、クレンラード王国との国境、入国管理をしている詰め所に来ていた。
「変わったことはありませんか?」
ジェミリオが様子を訊ねる。
「いえ、これまでのところ、入国許可書を持つ商人だけですので。もし、何かありましたら、姫様へお願いするところでしょうが、ここのところ大人しい感じがしますね」
そう担当官は応える。
入国審査を待つ人たちは皆、荷を乗せた馬車を持つ商人と思われるものばかり。
もし、偽装していたとしても、離れた王城にいるデリラが感づいてしまう。
入国審査の担当官よりも早く、ルオーラあたりが若人衆の詰め所へ指示をし、文字どおり飛んでこちらへ来ることがたまにあった。
「そう。それはよかったわ。もし、悪さをする者がいたとして、この小太刀の錆にするところなんだけど――あ、これは錆びないから、錆にならないわね」
そうコロコロ笑うアレイラだが、入国審査の担当官は笑えていない。
実際、アレイラは人を斬ったことはないのだろう。
だが、自分たちの家族を守るため、あの黒い噂のあった元騎士団長を斬ろうとして、ジェミリオが止めたのは有名な話だった。
鬼人族とはいえ、目の前にいる可愛らしい女の子が、魔獣を倒して自分たち担当官をも守ってくれている。
この場でもし、自分たちの身に危険が及んだ場合、同じように守ってくれる。
それを信じているからこそ、いくつも年下の彼女に尊敬の念を込めて、あたれるというものなのだから。
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