第百十四話 オルティアとデリラちゃん その3
オルティアは、生まれたばかりのときに羊魔族の皆さんに預けられてから、俺たちと出会うまでおおよそ九年の間。
慢性的なマナ不足と、遠くが見えづらいという目を持ってしまったがために、一人で出歩くことが難しく、寝て過ごすことが多かったそうだ。
その反動だろうか?
『とにかく人の面倒を見るのが楽しくて仕方がない』
『ありがとう』と言ってもらえるのが嬉しくて仕方がない』
そう、家では話してくれると、エリオットさんから教えてもらったんだ。
あれから毎日のように姿を見せてくれているオルティアは、俺たちと一緒に住んでるわけではない。
彼女は領都にある、父さんの城の敷地にある小さな家に、エリオットさん、フレアーネさんと三人で暮らしている。
小さな家といっても、鬼人族の集落にあった、屋敷より大きいんだよね。
昔俺も、一度だけ見に行ったことがあるからさ。
毎朝、ナタリアさんが目を覚ます前に、馬車に乗せられてフレアーネさんと一緒に王都へ来る。
だからうちで一番朝の早いはずなナタリアさんが、目を覚ましたときにはもうオルティアはいるんだそうだ。
それどころか、フレアーネさんとオルティアが、朝食の仕込みをしてることが多く、ほぼ終わっていた場合は、がっくりとうなだれて戻ってきたことが何度かあったみたい。
そういえば確かに、こちらの城へ父さんと母さんが滞在することが多くなったからか、フレアーネさんがいてもおかしくはないらしいんだ。
台所の争いに敗れたナタリアさんは、すぐにわかるってば。
なんせ俺が目を覚ますとさ、いつもならいるはずのない彼女が、『おはようございます、あなた』って声を掛けてくれるんだ。
やることがなくなったから、俺の世話をやこうと、待ってるらしいんだよ。
それで理由を聞いたら、我が家の台所事情だったらしいんだ。
ナタリアさんは、父さんと母さんの治癒のあと、王都と領都の皆さんへ治癒活動の奉仕を毎日してる。
いくらマナを使い切るのが目的とはいえ、朝昼晩の料理、部屋の掃除、衣類のつくろいから、洗濯。
俺やデリラちゃん、父さん、母さん、エルシー、イライザさんの世話焼きまでこなす。
ある意味俺なんかより、『お化け』度合いが高いと思ってしまうほどだった。
オルティアは、デリラちゃんから教わっていたからか、こちらの読み書きに関していえば、ほぼマスターしてるんだって。
……ってことはさ、デリラちゃんも読み書きは完璧だってことでしょう?
凄いようちのデリラちゃん。
俺なんて、六歳のときは、読み書き完璧じゃなかったもんな。
やっと料理ナイフの使い方を教わってた時期だったし。
そりゃ多少は教わってたよ、買い出しをするときは、最低限の算術は必要だし。
算術にはさ、多少の読み書きが必要だったからね。
さておき、……だから毎朝の食事が終わると、デリラちゃんと一緒に、父さんから色々なことを教わってるようだ。
父さんとのお勉強が終わると、オルティアは台所へ。
デリラちゃんは城内探検を始めて、昼前になったら俺を呼びに工房へ来るってわけだね。
ちなみに、デリラちゃんがお昼寝をしてるときは、オルティアが側についていてくれるらしい。
デリラちゃんがお昼寝から復帰すると、オルティアは城の掃除を手伝ってるってさ。
実に働き者だよ、まるで小さなナタリアさんみたいだわ。
暇なときは常に、デリラちゃんの側にいてくれて、話し相手になってくれる。
ときおりデリラちゃんの側にいないときがあるようだけど、気がついたらまた戻っているとのこと。
おそらくは、誰かの世話をやきに行ってるんだろうね。
そういうところは、親代わりの二人を見習ってるのかもしれない。
│強力を覚えて少し活発になったデリラちゃんが、よくちょっとした怪我を負うんだって。
そんなときは、母さんのところへ連れて行くんだって。
そうしてほしいって、母さんからお願いされてるんだってさ。
多分、治癒の魔法の練習なんだろうな。
夕食が終わって、デリラちゃんが寝たあと、最近興味を持ってる裁縫を、ナタリアさんから習ってるんだって。
ナタリアさんからの習いごとが終わるころ、フレアーネさんが一息つくんだって。
そうすると、オルティアはフレアーネさんと一緒に家に帰るそうだ。
家でも縫い物を習っていて、とても充実してるって、話してくれたっけね。
オルティアは、外だと二人を『エリオットさん』、『フレアーネさん』と名前で呼ぶんだけど、家に帰ると『お父様』、『お母様』って呼んでくれるって、喜んでたよ。
『お母さん』って呼ばないのはきっと、外にいる彼女と同じ、デュラハンのお母さんのためなんだろうね。
きっとさ。
オルティアは二日に一度、マナの補給をお願いしにくる。
だいたい、夕食が終わったあとだね。
エリオットさんがマナの回復について教えたんだと思う。
四日に一度、交代でナタリアさんがマナをあげるようになった。
なんでも、鬼人族としては大人の彼女は、未だにマナが増えてるらしく、使い切れていないみたいなんだ。
オルティアに聞くと、俺とナタリアさんのマナは味が違うんだって。
どう違うのかは、説明はむずかしいみたいだけどさ。
オルティアが言うところの『マナの味』については、父さんが実に興味深いって言ってた。
彼女が大きくなったら、調べさせてもらうつもりだって。
俺がエルシーたちに『お化け』言われるとさ、父さんもよく笑うんだけど。
父さんだって自覚はないみたいだけど、すでに人間の領域超えてるんじゃないのかな?
だってほら、母さんと同じくらい若々しくなっていて、│クレンラード王国にいるふたりと、比べものにならないほどだからさ。
並んだらきっと、弟だと思われちゃうだろうね。
ぶっちゃけ母さんは、バラレックさんより若く見えるくらいだから。
▼▼
「――ここ、わかるかしら?」
「はイ。温かいのがわかりまス」
ナタリアさんと同じように、『正座』という座り方をしてるオルティア。
彼女の後へ膝立ちになって、脇の下から両腕を前に回して、オルティアのお腹に手のひらをあててるナタリアさん。
鬼人族に伝わる、身体操作法であり、初歩の魔法でもある『強力の魔法』。
それを教わろうとしてるんだね。
オルティアは、常日ごろデリラちゃんが飛び回っているの知ってる。
けれど、どうやってもデリラちゃんに追いつくことは無理だった。
何せほら、デリラちゃんはその勢いで、壁をも走ってしまうくらいだから。
デリラちゃんがどうやっているのか、ナタリアさんに聞いたらしい。
そこで初めて、強力という魔法の存在を知ったんだ。
オルティアは、鬼人族と同じ魔族と思われるデュラハン族。
母さんや父さん、俺みたいな人間ですら、マナを使える人がいるんだ。
強力を覚えることで、マナの作用を理解し、オルティアも更にもっと、マナをうまく活用できるだろう。
彼女も、強力を習いたい、そう言ってたんだって。
鬼人族でも、六歳になると教えることだし、オルティアも十歳だ。
寝たきり気味の生活が多かったとはいえ、体内のマナが足りている今は、普通に動けている。
けれどナタリアさんは悩んだらしい。
だからだろうね、珍しくナタリアさんからその晩、俺に相談があったんだ。
マナの消費が激しいオルティアに、マナを消費する強力を教えていいものかどうか?
正直、俺だけでは判断しきれないと思ったんだ。
だから俺は次の日、もちろん父さんと母さん、エルシーにも相談することになった。
色々話し合った結果、父さんや母さんのときのように、ナタリアさんがオルティアの身体を調べて、悪いところがないか診たあとに再度考えよう。
そういうことになったんだ。
その日のうちに、ナタリアさんがオルティアの身体を調べた。
結果、マナの滞りや、生まれつきや慢性的な疾患がないことはわかったんだ。
強力を使ってもし、マナが枯渇して倒れたとしても、俺やナタリアさんがいるならなんとかなる。
オルティアが大人になるころには、マナをうまく取り入れる方法が確立されるかもしれない。
少なくとも、父さんは調べるつもりでいるそうだから。
母さん、父さん、エルシーも、大丈夫だろうという判断をくれたんだ。
一番喜んだのは、実はデリラちゃんだった。
走り回っていると、オルティアが追いついてこない。
もしかしたら、デリラちゃんは、自分が悪いことをしてるのかもと思っていたようなんだ。
だから、自分のことのように喜んだんだ。
もちろん、ちょっと前に俺が、オルティアにお腹いっぱいマナを食べさせたから、枯渇するようなことはないと思ってるんだ。
もし、消耗が激しいようだったら、夕方にまた食べさせたらいいんだろうからね。
「――ここがおてて。この順番で、いままで感じていた温かいかたまりを動かすの。今度はマナを流さないで、添えた手だけ動かすから、オルティアちゃんがやってみてね」
「はイ、やってみまス」
オルティアのお腹にナタリアさんの両手のひらが添えられた。
お腹、胸、肩、肘、そこから手首、手へ。
「――おてテ」
その瞬間、彼女の首と装具の隙間から『みょおおおおおおん』という、可愛らしい音が漏れてくる。
それでもあの黒い靄のような『あれ』は溢れてくる感じはない。
元々、手でもない『あれ』で、俺からマナを食べたり、茶器を持ち上げるくらいに不思議な力を持ってるんだ。
デリラちゃんが何かを感じたんだろう。
オルティアの膝の上にちょこんと座るんだよ。
「オルティアおねえちゃん」
「はイ」
なんとまぁ、驚いた。
「おー」
オルティアより少し軽いくらいのデリラちゃんを、軽々と顔の高さまで抱き上げちゃったんだ。
俺が抱き上げるなら気にならない重さだろうけどさ、オルティアにはそうじゃないと思う。
四歳差とはいえ、体格はそれほど変わるわけじゃない。
デリラちゃんと、頭一つぶん大きいわけじゃないんだ。
そんなデリラちゃんを、軽々と表情少なくだよ?
デリラちゃんとナタリアさんのほうが、驚いてるくらいだからね。
「おめでとうございます。オルティアちゃん」
「おめでと、オルティアおねえちゃん」
「あ、ありがとうございまス。若奥様、姫様」
デリラちゃんをそっと、自分の膝の上に戻す。
うん、おめでとう、オルティア。
「ありがとうございまス、若様」
「あれ? 俺、まだ?」
言ってないけど。
「あ、そんな気がしましタ、でス」
……なんだかなぁ。
もしかしたら、本当に――
『もしか、するわね。これに関してはね、わたしも興味があるのよ。もしかしたらね、オルティアはわたしに近い存在かもしれない、からね』
なるほどなぁ。
このあとすぐに、火起こしの魔法を試してもらったナタリアさん。
けれど、使えなかったみたいだね。
まだ、マナの使い方に慣れていないからか、そうでないのかはわからない。
けれど、デリラちゃんがそのときになったら、一緒にもう一度教えてみるつもりだってさ。
「あなた」
「どしたの?」
ナタリアさんは俺に何か言いたげ。
「あの、これですが」
ナタリアさんは俺に手首を見せる。
あぁ、なるほどね。
「そっか。これがあれば強力も、少ないマナで」
「はい。デリラも使いこなしているみたいですから」
「わかったよ。んー、細くて、仕事で邪魔にならない感じに作ればいいかな?」
「そうですね」
前よりも細い魔石加工ができるようになってるし、まぁなんとかなるでしょ。
俺はその日のうちに、デリラちゃんと同じ意匠で、もう少し邪魔にならない感じの腕輪を作ってみた。
使い方は、ナタリアさんとデリラちゃんに丸投げ。
まぁ多少雑に扱ったとしても、壊れたり傷ついたりしないだろうからね。
お読みいただきありがとうございます。
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