第百十三話 オルティアとデリラちゃん その2
「あのね、ぱぱ」
「ん?」
オルティアの目も、デリラちゃんを追う。
その変化の少ない表情も、実は慣れてくると目元などの違いでわかってくる。
日々、お世話になってるグリフォン族のルオーラさんたちもまた、声と目元で表情の変化を読んでいたから。
そんなオルティアの目にもまた、期待の色が乗っているかのように思えてくるんだ。
「おててかして」
「は、どうぞ」
俺はデリラちゃんが言われるまま、両手のひらを上にして、そろえてデリラちゃんの前に差し出す。
「あーん、あむっ」
するとデリラちゃんは、俺の右手を手に取って、人差し指をパクっと口に含んだ。
「ほうひはらほう?」
デリラちゃんは、俺の人差し指を咥えたまま、喋るもんだから。
「うひゃっ、くすぐったい」
多分『こうしたらどう?』と言ってるだと思うんだけど、舌が動いてるもんだから、ひたすらくすぐったいんだ。
「こう、でございますカ?」
デリラちゃんを真似て、オルティアも大きく口を開けようとするもんだから。
「いやいやいや、俺は別にかまわないけど、オルティア的にはどうなのよそれ?」
いざ口に含もうとしたとき、彼女ははたと気づいたんだろう。
口を開けたまま、俺とデリラちゃんを見てる大きな瞳が行ったり来たりしてる。
すると、青白い肌の頰が徐々に、赤く染まってくる。
「あ、そノ……」
デリラちゃんは、俺が買ってくる甘いお菓子を、指先ごとぱくりと食べることが多いから、あまり抵抗を感じないのかもだけど。
それにオルティアは、デリラちゃんより四つ年上の十歳のお姉さんだ。
さすがに恥ずかしくなったんだろうね。
「だめ?」
俺の手を持ったまま指から口を離してくれたデリラちゃん。
首を傾げてオルティアを見る。
「いエ、そノ、駄目ではないのですガ、……あ、そうでス」
何かを思いついたのかな?
と思ったとき、
『みょぉおおおおおん』
小さく聞き覚えのある音が、彼女の首元の装具から聞こえてきた。
「みょおおおおおお?」
デリラちゃんにもちゃんと聞こえてるみたいだ。
装具と首の隙間から、黒い見覚えのある霧状というか、液体状というか、そんな『何か』がにじみ出てくる。
あの洞窟のときよりも、はっきりとした不思議な感覚が俺の手を包む。
ゆるく何かが包んでる感触はしっかりとある。
なんとなく、温かいとか、んーどうだろう?
なんとも言いがたい感じがすると、オルティアは言うんだ。
「でハ、いただきまス」
「おぉー……」
デリラちゃんは間近で見るのは初めてだったんだろう。
感嘆の声をもらして、見入っていた。
その瞬間、そうだね。
初めて今のエルシーが宿った大太刀を握ったときのような感覚が、俺の右腕を襲った。
ぞわぞわというか、ジュルジュルというか、そんなふうに吸い出されるかのように、マナが抜けていく感覚があるんだ。
なるほどなるほど、うんうん。
「今、オルティアが俺のマナを食べてるんだね」
こくこくと頷く彼女。
「おいしいの?」
デリラちゃんは聞く。
「はイ、とってもおいしいでス」
「そなの、よかったね」
「はイ」
洞窟のときより遠慮がないというか、意識的に食べられている。
エルシーがまだあの剣やヴェンニルに宿っていたときは、こうして俺や母さんのマナを食べて生きてたんだろうね。
俺やデリラちゃんのような種族と見た目は似てるけど、どちらかというとエルシーのような精霊に近いというのはあながち間違いじゃないのかもしれないね。
黒い何かが俺の手を離れていくと、装具と首との隙間に戻っていった。
「ごちそうさまでしタ」
うん、初めて大太刀姿のエルシーに吸われたときより全然少ないかな?
これくらいなら、今日の作業に支障はまったくないはず。
「いいえ、どういたしまして。じゃ、俺、工房に行ってくるね」
「ぱぱ」
「ん?」
「いってらっしゃい」
「うん」
「若様」
「ん?」
「いってらっしゃいまセ」
「うん」
後からエリオットさんに聞いたんだけど、オルティアにはご飯を沢山食べさせたんだって。
あの身体のどこにそれだけ入るんだろう?
というくらいに、おおよそ三人分は食べたらしいんだ。
それでも、マナの回復には至らなかった。
飲食による効率の良いマナの回復が確立していない俺たちの国では、これはどうにもならない。
だから、俺にお願いしなさいということになったらしいんだよね。
フレアーネさんは気にすることはないからと言ってたらしいけど、エリオットさんは恐縮しまくってた。
マナくらいなら別に、どうってことないからとは言っておいたよ、もちろんね。
お昼ご飯のあと、お茶を飲んでくつろいでいたとき。
「あらあら、ちょっとみせてごらんなさい」
デリラちゃんが、強力で飛び回っていて、着地に失敗したとのこと。
膝を軽くすりむいただけみたい。
ナタリアさんは、フレアーネさんと競争というかなんというか、台所の覇権争いみたいな状態らしくて、夕食まで出てこないらしいんだ。
「おばーちゃん、ごめんなさい」
しょんぼりしてるデリラちゃん。
心配させてしまったことを、理解してるんだろうね。
「いいのよ。子供はこれくらい元気じゃないとね。さて、と。……んー、……おてて」
そう言うと母さんは、デリラちゃんの足下にしゃがみこむ。
両手を傷口の両側に触れたまま、何やらぶつぶつ呟いてる。
「おぉ、すっげ」
擦り傷を負ってちょっと血が滲んでいたデリラちゃん膝。
それが、ゆっくりと、本当にゆっくりとなんだけど、時間を巻き戻すかのように、傷が塞がっていくのを目の当たりにしたんだよ。
時間にすると、ナタリアさんの十倍以上はかかってるんだろうけど。
これはある意味、感動するよ。
ややあって、額に汗をかいていながらも、やけにすっきりしたような笑顔になった母さん。
「これでいいわ。うん、うん」
「ありがとぉ、おばーちゃん」
デリラちゃんは、母さんに抱きついて頰をすりすり。
「いいえ。どういたしまして」
デリラちゃんはまた、走って戻って行っちゃった。
よく見るとものすごい勢いで、壁を蹴るように走ってるんだけど。
あれじゃ、着地に失敗したら、擦り傷くらいつくるわさ……。
それにしたって、母さんが使った治癒の魔法さ、俺の記憶違いじゃなければ、お隣の元聖女さんより速い。
おそらくだけど、コルベリッタさんくらいにはなってるんじゃないの?
『ウェルの感じ方から察するに、わたしもそう、思うのよ』
だよね。
「母さん、エルシーも言ってるけどさ。コルベリッタさんみたいだって」
「あら? そうかしら」
「うん。勇者だったのに、聖女さんみたいだなんて。正直すごいと思うよ」
「本当? 練習した甲斐があるわ。ナタリアちゃんみたいにはなれなくてもね、あの人の酔い覚ましくらいはやってあげたいもの」
そういや、ナタリアさんも言ってたっけ。
鬼人の家庭では、飲み過ぎた朝、そうしてもらうのが結構当たり前なんだって。
母さんはお酒ほとんど飲まないけど、父さんは好きだからなぁ。
ナタリアさんのおかげで、身体の状態も良くなってるみたいだから、毎晩とまではいかなくても、グレインさんたちと一緒に飲んでるって聞いてる。
「それじゃ俺、また工房に戻るね」
「えぇ。行ってらっしゃいな」
▼▼
喉、乾いたな……。
ふぅ、目がしょぼしょぼする。
目頭を押さえて、首元をとんとんと叩く。
コンコンとドアが鳴る。
「うん、開いてるよ」
「失礼いたしまス」
オルティアの声。
「お茶、いかがですカ?」
「ちょうど欲しかったところなんだ。ありがとう」
「はイ。そんな気がしましたのデ」
お茶を注いでくれてさ。
「少シ、失礼しますネ」
首から肩にかけてまで、優しく揉んでくれるんだ。
「おぉ、そこそこ。悪いね」
「いエ、そんな気がしましたのデ」
ちょっと待って。
どうしてわかったんだ?
「でハ、失礼いたしまス」
ぺこりと会釈、もちろん茶器は黒い『あれ』が持ったまま。
「あ、ありがとう」
「いいエ」
エルシー聞こえる?
『えぇ』
不思議なんだけどさ。
『知ってるわ。ナタリアちゃんからも聞いてるもの』
そうなんだ?
エルシーの話は、俺の予想通りだった。
行く先々で、ナタリアさんやデリラちゃん。
父さん、母さんの先回りをして、世話をやいてくれるんだって。
エリオットさんやフレアーネさんが教えたのか? って思えるほど、絶妙というかなんというか。
確かに父さんから聞いた話だと、エリオットさんがそれに近い動きをするって。
ルオーラさんはちょっと違う感じだけど、ものすごく気を配ってくれてる。
フレアーネさんがよく言ってた『メイドのひみつです』という言葉。
似たようなことをエリオットさんも言うって、父さんから聞いてるし。
ただ、エリオットさんやフレアーネさんの先を行ってるような、気の回し方になりつつあるって、そんな話をエルシーがしてくれたんだ。
『もしかしたらね。わたしみたいなことが、できるのかもしれないわ』
エルシーみたいなって、あ、これか?
いや、でもそれはないと思うけど。
オルティア、聞こえてる?
んなわけないよね。
ややあって、コンコンとドアが鳴るんだ。
「あ、あノ。お呼びでしたカ? そノ、呼ばれたような気がしたのですガ……」
「あ、いや。そのなんだ。お茶をお代わりいいかな?」
「はイ。今お持ちいたしまス」
……まさかね?
『えぇ。まさかと思うわ、本当に……』
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