第百十一話 しろかみちゃんの新しい名前。
「それでさ、父さん」
「何だい?」
「父さんは多分知ってると思うんだ。目が悪い人はどうすればいいか? 生まれつきらしいから、ナタリアさんの治癒では治らないんじゃないかなって」
父さんは、俺の左隣に座ってる、しろかみちゃんを見て、顎に手をやる。
「あぁ、なるほどね。問題はそうだね。近い方が見えないのか、遠い方が見えないのか」
「そうだな。どっちにしても、作るのはかなり時間がかかるだろう」
父さんが悩むと同時に、隣にいたグレインさんも、腕組みをして考え込んでる。
グレインさんの年はいくつか聞いたことがないけれど、飲み仲間であり、ふたりとも仲がいい。
こうして、何か新しいものを考えるときは一緒に話を聞いてくれるんだよね。
「あのっ、わたシ、遠くがよく見えませんでス」
しろかみちゃんは即答した。
やっぱりさ、目が見えないのは切実な問題だったんだろうね。
「なるほどね。それなら、こう」
「あぁ、そうだな。透明度が重要だと思う。それならあれが使えるかもしれんな」
父さんはいちど、こっちにある自分の書斎へ戻ると、一冊の書物を持ってきた。
それを見ながら簡単な図形を紙に描くと、グレインさんも覚えがあるのか、すぐに素材にまで思い至ったようだ。
「そうだマレン」
「なんだい? あんた」
「『あれ』、どうにかなるか?」
「あ、あぁ。『あれ』かい。そうだね、初めて作るけどまぁ、なんとかしてみるさ」
マレンさんはグレインさんが見る先、しろかみちゃんをじっと見てる。
互いに頷き合うと、グレインさんとマレンさんは自分の工房へ向かったみたいだ。
「あの、お館様、若様。その、お願いがございます」
「どうしたんだい? エリオット」
「どうしたんだろう? エリオットさん」
俺と父さんがエリオットさんを見る。
いつもはこういう席だと後ろに控えていて、父さんが何かを問わない限り、彼からこうして言ってくることは少ない。
確かに珍しいと思うよ。
エリオットさんはいつもなら、凜として言い切る感じなのに、歯切れが悪いというか、喉に何かがひっかかるような物言いなんだ。
俺は『何かあったのかな?』というようにルオーラさんを見ても、首を傾げてるし。
「私事で申し訳ないのですが、『しろかみちゃん』でしたか? この子が成人するまでで構いません。わたくしと妻の元に、預からせていただけないでしょうか?」
「エリオットと、フレアーネさんに、かい?」
フレアーネさん?
……え?
エリオットさんって、奥さんいたんですか?
「え? エリオットさんって、奥さんいたんですか?」
『ウェル。心の声がダダ漏れよ……』
いや、だって。
驚いたんだってば。
「はい。長い間連れ添った、フレアーネという家内がおりまして。実は、わたくしたちの間にはその、子がおりませんでしたので」
「あぁ、そうだったね。ウェルが僕とマリサさんの息子になってくれるまで、僕たちも同じだったから。よくわかるよ……」
「そうね。私もクリスエイルさんに会ったばかりのとき、女性としての立ち振る舞いを教わったのよ。ここ最近、お会いしてなかったのですが、お元気になさっていたかしら?」
「はい、奥様。相変わらず元気でございま、……いえ、それだけが取り柄のようなものですから……」
最後、ごにょごにょ何か言ってたけど?
「ウェルちゃん。あなたも知ってる人よ」
「え? 嘘?」
「憶えてないかしら? 背が高くて、……そうね。私より高くて、ウェルちゃんより少し低かったかしらね。もの凄く元気な、侍女長さんがいたでしょう?」
「え? あ、そういえば。『ほら、勇者なんだからしっかり』って、背筋が丸まってると、お尻を思い切り叩かれたっけ?」
「えぇ。私もよく……、それにね。ウェルちゃんとクリスエイルさんの正装も、ナタリアちゃんとデリラちゃんのドレスも、私が着てるこのドレスも、彼女が仕立ててくれてたのよ」
「あ、あぁ。そうだったんだ。うんうん。笑顔が豪快な女性だったのは覚えてる」
「……若様、奥様。その。フレアーネが、色々と申し訳ございません」
父さんより大柄なエリオットさんが、いつになく小さくなってる。
そういや懐かしいな。
コルベリッタさんとも仲が良くて、討伐でボロボロになった服を、翌朝までに直してくれたっけな。
「ご心配なく、毎日こちらへ連れてまいりますので、わたくしではなくその、家内が……」
「ウェル君。フレアーネさんがね、エリオットばかりここへ来るのはずるいと言っているらしいんだ」
「お館様にまでそのようなことを……、本当に申し訳ございません」
気がついたらいつの間にか、俺の膝の上にいたデリラちゃん。
しろかみちゃんに手を伸ばして、彼女もデリラちゃんの手を握って、互いに微笑んでる。
うん、仲良くしてくれそうで何よりだわ。
「食べ物だけでマナの摂取が間に合わないみたいだけど、食べてばかりじゃ身体に悪いだろうし。マナなら俺がいつでもなんとかできるんだし。……俺は別に構わないと思うけど?」
マナを使い切ることは、ほぼないに等しいからね。
「僕もエリオットとフレアーネさんなら構わないと思うよ」
父さんはそう言ってくれる。
「しろかみちゃん、……あ、そうだ。彼女の名前は九年以上仮の名前だって聞いたっけ。それならさ、エリオットさんが名付けをしてくれたらいいと思うんだ」
『わたしもそれがいいと思うわ』
だよね、俺も思ったんだよ。
「そうだね」
「えぇ、いいと思いますわ」
父さんも母さんも賛成してくれた。
「わたシの、名前、ですカ?」
三白眼で重たそうな瞼を、目一杯開いて、俺の方を見てる。
「わたくしで良ければ、……実はですね、若様」
「うん?」
「家内が以前、申しておりました」
「うん」
「男の子が生まれたなら、我が家の開祖より名をいただいて、アルフォンソと」
「うん」
「女の子が生まれたなら、彼女のご先祖様の名をいただいて、オルティアと名付けたいと……」
「うんうん」
「いい名前だと思うよ」
「えぇ」
「オルティアおねえちゃん?」
デリラちゃん、もの凄く賢い。
「なんでしょうカ? 姫様」
「えへーっ」
しろかみちゃん、いや、オルティアから『姫様』って呼ばれて、ちょっと照れてるデリラちゃんが可愛い。
もちろん、若干表情が乏しいけれど、口角が両方少しだけ吊り上がってるオルティアも十分可愛いと思う。
「なかよくしてね? オルティアおねえちゃん」
「はイ、こちらこソ。姫様」
オルティアという名前を受け入れたということは、エリオットさんのところへお世話になってもいいということなんだろうね。
この子もとても、頭のいい子だから。
その後、グレインさんとマレンさんが戻ってきて。
マレンさんなんとあっという間に、オルティアの身体と頭部を固定する装具を作ってきたんだよ。
流石は革製品に精通した職人さんだね。
本体は革で作ってあって、肌に当たる部分を布でどうするか、縫い物が得意なナタリアさんと一緒に、今、調整をしてくれてる。
デリラちゃんが興味ありそうに見てるし、母さんは『こうしたほうが可愛らしいわ』とか意見を出してるみたい。
俺の前には、父さんとグレインさん。
眼鏡という、昔からある視力の矯正器具らしく、本来なら数ヶ月から年単位の時間をかけて、専門の職人さんが作るらしいんだけど。
俺の前に積まれたのは、グレインさんが持ってきた空魔石。
それと、父さんが意見を出したものを、即興でグレインさんが引いた図面。
それにまた二人で、あぁでもない、こうでもないと、調整した物が置かれてるんだ。
「ウェルさんよ」
「おう」
「これを、こう、……作れないかい?」
眼鏡というのは本来、隣の国でも貴族が作らせるくらいに、ものすいごく高価な器具らしいんだけど、グレインさんは俺と父さんの目の前でさ、細い金物でおおよその形を作ってみせたんだよ。
そこに填まる大きさで、図面に円形の線を引いて、薄さも指示してくれたから、俺は作ってみることにしたんだ。
「とりあえずやってみるよ」
空魔石を融合させてから、薄く薄く、それでいてなるべく余裕を持たせる。
その薄さは、宝飾品で知った限界の薄さ、その四倍に留めるとか無理目な注文。
父さんが引いて、グレインさんが意見をした図面の円形に合わせて、形を作っていく。
真面目に、神経が焼き切れるんじゃないかってくらいに、めんどくさい。
気泡をひとつも残しちゃいけないってんだから、泣けてくるよ……。
「とりあえず、こんな感じ?」
「凄いね。ここまでくると、これ自体が宝飾品だよ」
「あぁ。凄いな。だがな」
「ん?」
「これをもう一枚だ」
「まじかー……」
「あははは」
やりましたよ、ええ。
二枚同じ物を作りましたってば。
「お疲れ様」
「お疲れさん」
「うん、結構疲れました……」
これでしろかみちゃん、いや、オルティアの目が見えるようになるんかね?
「さて、ここからが勝負所だ」
「はい?」
「この二枚をだな、こう、片側だけ湾曲させるんだ」
「はい?」
「この部分を中心だとするとね、こう、外側に向かって――」
父さんの説明は、もの凄く丁寧で、出来のよろしくない俺にもわかりやすくしてくれた。
だから泣けた。
もの凄く細かい作業なんだよ。
夕日が見えるくらい、晩ご飯ちょっと前まででやっと仕上がった。
いつもだったら、デリラちゃんが『ばんごはんー』って呼びに来る時間だよ。
「ぱーぱ」
「ん?」
「ばんごはん、だよ?」
「やっぱりそんな時間かー」
「うんっ」
するとね、デリラちゃんの反対側で、夕日を遮るように立ってる人影があるんだ。
「あのね、ぱぱ。ほら、オルティアおねえちゃん」
「お、おう。……あらま、これまたよく作り込んであるな。苦しくはないの?」
布で無理矢理固定していた今日までと違って、革製品で作られた装具をつけている。
なるほどね、マレンさんが作っただけはあるわ。
凄いな、相談する前に気づいてたなんてね。
流石はこの、グレインさんのおかみさんだ。
「はイ。とても心地よいでス」
「そっか。それはよかった」
「よかったね。じゃ、いこっ。オルティアおねえちゃん」
「はイ。姫様」
手をつないで、デリラちゃんが背の高いオルティアを引っ張る。
まだ、一人で歩き回るには、オルティアの目では不便なんだろう。
それでもさ、まるで仲の良い姉妹にも見えなくはないね。
「夕食が終わったら、寝る前に一度、眼鏡を試してもらおうか」
「そうだな。それが終わったらまた調整してもらわなきゃならんけどな」
「もう勘弁して……」
ややあって、
「ウェル様、見えまス。こんなのハ、初めてでス」
そう言ったオルティアの目から、涙が流れてて、俺たち三人、もらい泣きしたのは仕方のないことなんだよね?
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