第九十八話 ナタリアさんと一緒に、グリフォン族の里へ その2
俺はナタリアさんを横抱きに抱き上げると、そのままテラスから飛び降りる。
千くらいの高さはあるけど、これくらいは大したことない。
これで怪我をするくらいなら、とうの昔にどうにかなってるし。
ナタリアさんも、この程度の高さなら平気そうにしてたもんな。
そのまま膝をうまく使ってふわりと着地。
ナタリアさんを驚かさないようにする。
地面に降りて、ゆっくりとナタリアさんを立たせる。
「あなた」
「ん?」
「ここ、とても静かなんですね」
ていうかナタリアさん、飛び降りたことは関して、何も突っ込みが入らない。
やっぱりこの程度って、強力を使う鬼人族には普通なんだなと、改めて思うよ。
あぁ、歩いてる人がいないからじゃないかな?
そう説明しようとしたんだけど、とりあえずエルシーの出方をみることにした。
……あれ?
エルシーが何も言わないんだけど。
『わたしだって、たまには遠慮するわよ』
あ、そうなのね。
んじゃ、俺が説明させてもらうとしますか。
「ほら、ナタリアさん」
俺は、ちょっと上の方を指差す。
するとそこには、クレイテンベルグでもたまに見る光景が広がっていた。
「……あ、そういうことなのですね」
「うん。そういうこと」
空を縦横無尽に飛び回る、グリフォン族の人々。
ここは人よりグリフォンさんたちのが多いんだ、……というより、歩いてる人は俺たちしかいない。
彼らの飛ぶ速さは、俺たちが歩くよりも上。
だから家々も、テラスが入り口なんだろうね。
そんな説明をしてたときに、
『ウェル様と、ナタリア様ですね。こんにちは』
少しばかり風切りの音をさせながら、すぅっと低く飛んできて、挨拶してくれる女性の声。
その声に気づいてか、たくさんの人が同じように挨拶をしてくれる。
あれ?
俺たちの名前って、結構知れ渡ってるのかな?
「初めまして、こんにちは。お邪魔してます」
ルオーラさんたちを見慣れてるからといって、慌てず騒がず、いつもの通り。
丁寧に挨拶を返すナタリアさん。
このあたりは流石だなと思うよ、うんうん。
「──んーっ。やっぱりここは、マナが濃いわね。気持ちいいわぁ」
気がついたら、俺たちの後ろからエルシーの声。
いつの間にか、人の姿になってるし。
右肩に左手を伸ばして、背伸びをしてる。
大太刀のときや、頭に直接話しかけてくるときみたいな、少し違った響きの声じゃなく、俺やエルシーの声と同じように、耳に入ってくるエルシーの声。
「そうですね。エルシー様のおっしゃる通り、確かに濃いと思います」
一つ大きく呼吸をすると、ナタリアさんはエルシーにそう答える。
「そうよね? やっぱりそうよね? よかったわぁ。わたしだけじゃないのね。そう感じるのって」
「はい。普通にわかりますよ」
え?
あれ?
普通にって?
俺、全然、違いがわからないんだけど……。
「あら? ウェルには、難しかったかしらね?」
「あなた。そうなんですか?」
「いや、その。……はい、ごめんなさい」
なぜか謝っちゃった。
そんな俺を見て、ナタリアさんもエルシーも笑ってるし。
仕方ないじゃないのさ?
わかんないものは、わかんないんだから。
あれ?
気がついたら沢山の人が、俺たちの周りでその場に座り込んで、頭を下げてる。
皆さん目を瞑ってるわけじゃなく、何か期待感の込められた眼差しで見上げてるんだよ。
軽く、四、五十人はいるかな?
『精霊のエルシー様ですね? お会いできて光栄です』
『エルシー様──』
あ、なるほどね。
そういえば、フォルーラさんも最初はこんな感じだったっけ。
グリフォン族の人にとって、エルシーのような精霊は尊敬以上、それこそ崇拝に近い対象だとか聞いたことがあるんだ。
エルシーも、相変わらず動じない。
笑顔で手を振ってるよ。
「あら嬉しい、ありがとう──でもね、そんなに誉められても何もでないのよ?」
すると、皆さんからどっと笑いがあがる。
こういう冗談って、ここでも同じなんだ。
「あのねナタリアさん──」
俺は、きょとんとしてたナタリアさんに、こっそりと耳打ちする。
グリフォン族には、エルシーのような精霊に対する、尊敬に近い敬い方があるってことを。
「あ、そうだったのですね」
すると、覚えのある気配が降りてくる。
『──皆さん、エルシー様が困っていらっしゃるではありませんか? いつも通りに戻っていただけると、わたくしとしても助かるのですが』
あ、やっぱりルオーラさんだった。
少し低く、それでいて落ち着きのある、遠くまで響くような、滑舌の良い声。
初めてきたときとは、変わったんだよな。
きっと、父さんの執事のエリオットさんに影響されたんだと思うけど。
彼の声を聞いて、皆さん慌てて空へと戻っていく。
目を見ると、まるで苦笑でもしているかのような、そんな感じがするんだよね。
ほんとここは、いい人ばかりだ。
『里の皆が申し訳ございません。ではわたくしは、また所用に戻らせていただきます』
そう言って、ルオーラさんも空へと戻っていった。
「まるで、エリオットさんみたいだね」
「それはそうですよ。子弟の関係だと言ってたではありませんか?」
「うんうん。そっくりだ。父さんもよく言ってたっけ。『気がついたら、そこにいるんだよ』ってさ」
「それだけ、あなたたち二人を、気にかけてくれているのよ」
エルシーはそう言うと、俺たちの背中をぽんと押す。
「ナタリアちゃん。ウェル。ほら。さっさと行かないと」
「あ、そうだった」
「はいっ」
すっかり忘れてた。
デリラちゃんがお邪魔してる、フォルーラさんのいる族長宅へ行く途中だったんだ。
「あ、そうそう。わたしね、先に行ってるから、二人でゆっくりいらっしゃい」
「はい。エルシー様」
「あ、はいよ」
何かを思い出したように、小走りにエルシーは行ってしまった。
ナタリアさんと同じ服着てるから、歩幅も小さいはずだけど。
何あの速さは……?
「あ、もしかしたら」
「えぇ。そうかもしれませんね」
俺とナタリアさんは目を合わせると、互いに笑みが溢れてしまう。
そうなんだ。
あの族長宅には、デリラちゃんだけじゃなくく、エルシーの友達もいるんだよ。
話によるとフォルーラさんは、娘のフォリシアちゃんがいるから、お酒を我慢してるらしいと聞いてる。
だからだろうね、エルシーが急いで行ったのは。
『先に飲んでるからよろしくね、ウェル』
あ、やっぱり。
「当たったみたい。『先に飲んでるからよろしくね』、だってさ」
「そうなのですね。エルシー様にお気になさらずに、と伝えてくださいね」
「うん。わかったよ」
こうして、それなりの距離でも、俺やナタリアさんの声をエルシーに届けることは容易い。
ナタリアさんも『気にしないで』だってさ。
ナタリアさんも、俺とエルシーは声に出さないで会話ができることは知ってるんだ。
『そう。ありがとうって、ナタリアちゃんにも伝えてちょうだい』
「エルシーがありがとう、ってさ」
「はい。あなたもありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして。この程度ならいつでも」
ナタリアさんにとって、この里の景色は珍しいものなんだろう。
俺だって、初めて来たあのときは、あれこれ驚いたくらいだからね。
斜め上を見上げると、まるで俺たちが地面の上を歩くように、グリフォンさんたちが縦横無尽に飛んでる。
グリフォン族の人が飛ぶ姿は、うちの城下ではやっと、驚かれることはなくなったけど。
ここでは人が歩いてる方のが珍しいんだろうね、きっと。
何年育てばここまで大きくなるのか思えるほど、幹の太い立派な木々があって。
その立派な枝へ沿うように、木製の建材で造られた家が乗ってるんだ。
一つの木に一つの家だったり、複数の家だったり。
まるで二階建や、三階建の家のようにも思えるんだ。
歩くことが少ないからといって、地面が荒れてるわけじゃない。
実に綺麗に掃除されていて、葉が数枚落ちてるだけ。
うちの城下にはここまで木が生えてないから、落ち葉が落ちてないんだけど。
そろそろ冬も近いから、普通ならこうはいかないと思うんだ。
父さんの城がある領都も、あっちの王都も、冬前は落ち葉が多かったから。
正直、凄いなと思ってしまうんだ。
ルオーラさんの家からは近いように見えたけど、思った以上に歩いたみたいだ。
散歩と同じゆっくりとした速度だったとはいえ、歩いても歩いてもなかなか近寄れない不思議な感覚。
その理由はこれだった。
「うわ、でかいな……」
「え、えぇ。これは……」
立派な幹の、立派な枝ぶりの大木。
そこに、乗せられた、赤茶けた色の木材で組まれた家。
俺たちは、二人してそれを見上げた。
前に訪れたときは、直接空からだった。
だからこうして、下から見上げることはなかったから気づかなかった。
家の大きさは、周りより少し大きくて立派な感じだったんだけど。
土台になってた木の方が、とんでもなく大きかったんだ。
そりゃもう、首が痛くなるくらいに、ね。
「あなた、これって」
「うん」
「どうやって、登るのでしょうね?」
「俺もそう思った」
俺とナタリアさん、見つめ合ってつい笑みがこぼれる。
同じように楽しく思ってたんだろうね。
何せ、家のある場所がさ、俺の城の天辺より高い位置にあるんだから。
「……ま、これしかないだろうね」
俺はナタリアさんに向き直って、両腕を広げた。
デリラちゃんを抱き上げるときと同じだから、彼女も察してくれたんだと思う。
少し考えたような表情をしてから、少し諦めたような感じになって、俺に両腕を軽く広げる。
軽く曲げた左腕で、ナタリアさんを抱え上げたまま、俺は大きく太い幹を登り始めた。
ややあって、やっとのことで族長宅前、らしき場所に到着。
ここまで階段があったわけじゃないから、落ちたら大変なんだろな。
そう思えるほどに、かなり高い位置まで登ってきたんだよね。
ナタリアさんは、高いところが苦手じゃないとはいえ、彼女が落ちたら怪我では済まない。
俺だったらわかんないけどね。
気合い入れてたら多分、怪我しないかもしれない。
口が裂けても言えないよ、『お化け』って言われちゃうからね。
「あなた」
「うん。もしかしたらさ、あそこが入り口なのかもね」
更に上がっていった場所に、屋根のように張り出した場所がある。
おそらくはテラスだと思うんだけど。
「空を飛べたのなら、あの場所に降りるのでしょうね」
「うん。俺たちくらいでしょう。こうして、足で登ってきたのはさ」
「えぇ。あ、そうそう」
「ん?」
「あたしたちより先に、エルシー様が来ているはずではありませんか?」
「あ、そうだったよ」
少女のように微笑むナタリアさん。
デリラちゃんの母親なんだな、と思えるほど。
同じくらいに可愛らしい。
「じゃ、さ。しっかり掴まっててね?」
「はいっ」
俺の首元にぎゅっと掴まるナタリアさん。
俺はそのまま、駆け足で登っていった。
テラスの上側が見えるくらいの高さまで幹を走る。
「この辺かな? っと」
そこで思い切り飛んだ。
力任せに飛び降りて、ずしんという音を立てて着地。
やはりここがテラスだったみたいだね。
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