無言の宴
『 聲の形 』 著 大今良時 講談社
僕は聴覚障害者をテーマに描いたこの漫画が好きで、つい最近DVDがリリースされたので早速レンタルしてきた。
そうしてDVDを見終わったとき、ふと一つの出来事を思い出す。
それは僕がとある居酒屋で働いていた際に出会った聴覚障害者の方たちによる宴会を承ったときのこと。
詳しい情報は伏せますが実際に体験した事実に基づく物語です。
読む人によって賛否両論あるかと思います。
読んで下さった方がどのように思うかは分かりませんが僕が感じたことを率直に書いていきたいと思います。
ある日、宴会予約の電話が僕の働いているお店に入った。
その電話を受けたのが店長だったので幹事様とどんな会話が交わされたかは分からない。
しばらくやり取りをした後、店長からこう言われた。
「宴会予約入ったんだけどそのお客さん、耳に障害を抱えた人たちなんだって」
そのとき僕は一瞬言葉に詰まったと思う。
今までたくさんの宴会を受けてきたがそのようなことは一度も経験がなく、何と言っていいのか分からなかったからだ。
おそらく、「マジっすか」とでも言って濁していただろう。
とりあえずそう言っておけば間がもつ便利な言葉。
店長から詳しい話を聞くと、いつもより開店時間を前倒しして15時から宴会を受けたとのこと。
うちのお店は通常は17時からの営業なのだが、お客様の要望によっては昼から開けたりすることもある。
今回もそうみたいだ。
そうして、迎える準備を整え予約を頂いた当日。
時間通りに来店され御座敷に案内後、宴会がスタートする。
お客様の人数は20人。
事前に打ち合わせした内容通り18名が聴覚障害者で2名が健常者。
電話を下さった方が幹事を務めている。
全員が着席したころ乾杯のドリンクを伺うため僕が注文を取りに行く。
そこで僕は人生で初めて手話を使い意見を交わす人たちを目にすることとなる。
すごかった。
本当はこういうことを書くべきではないと思うが感じたままの意見を書きます。
ただただ凄い、と思った。
衣擦れの音や小さな笑い声が聞こえてくるものの、ほとんど音がない空間。
それでもお互いの意見を交換し会話が成立している。
20人もの人が一堂に会しているにも関わらずBGMとして流している音楽が聞こえてくる。
普段ならまず有り得ない。
こんなことは初めてだった。
もちろん僕に手話など分かるはずもなく、ただせわしなく両手を動かしているだけにしか見えない。
けれどその動き一つ一つにちゃんと意味があり、言葉がある。
本当に凄い光景だった。
内心驚きつつ幹事様から全員分のファーストドリンクを聞き厨房に戻る。
そして出来上がったドリンクをお盆に乗せ、お座敷まで運ぶ。
全員にドリンクが行き渡ると手話を用いて声のない音頭が始まった。
正直、傍に控えて最後まで見ていたかったけれどドリンクを配り終えた店員が意味もなく居続けたら煩わしいだろうと思い厨房へと帰った。
ピンポーン
お客様の御呼びだ。
うちのお店はテーブルに呼び鈴が備え付けてあるタイプなのでボタン一つで店員がやってくる。
「はい、ただいまー」
お店にいるお客様は宴会の人だけなのですぐに向かう。
いつも通りスライド式の扉をノックし、「失礼します」と言ってから襖を開ける。
けれどそこで気付いた。
ノックの音も僕の声も届いてはいないということに。
となると困ったことになる。
僕は手話が分からないので飲み物を伺うことも尋ねることも出来ないではないか。
これから注文を受けるたび毎回幹事様にお願いしなければならないのだろうか?
しかし、僕の気配を察知した壮齢の女性が一枚のメモを手渡してくる。
そこには画線法を用いた数が書かれていた。
ビール 下
梅酒お湯割り 一
ウーロン茶 正
という具合に。
予め店員を呼ぶ前に追加ドリンクを纏めていてくれたのだ。
なんて気遣いだろう。
僕はそのメモを受け取るとすぐさまオーダーを通す。
その女性は幹事様に任せっきりではなく自分たちで飲みたいものを注文する。
当たり前のことを当たり前に行っていたのだ。
そこで目の覚めるようなことに気付く。
いつの間にか僕は勝手にその人達を特別視していた。
何も知らないくせに、何とかしてあげなければと思い上がっていた。
なんて浅ましく恥ずかしい人間なのかと、今これを書きながらそう感じている。
救いはそのことが相手に伝わらなかったということだけ。
他に注文を受ける際も飲み放題メニューを指さし身振り手振りで教えてくれる。
手話が分からなくても想いは伝わると知った。
その後、何往復かしてコース料理を次々運びお客様の胃袋へと消えていく。
聞こえてくるのは食器の擦れる音と控えめな笑い声。
とても静かな宴会だった。
いつもならアルコールの入ったお客様はうるさいくらい元気いっぱい。
ワーワー、キャーキャー騒いでいる。サルかと。
もちろんそれが普通だし宴会なら当然だ。けど、もう少しだけでいいから店員の声も聞いてほしいな。
こっちが声を張り上げないと見向きもしないし、向いたと思えばあっちこっちからドリンクの注文が飛んでくる。
僕は聖徳太子じゃないし手は二本だけだ。
けれどこの時ばかりは違っていた。
なんともスムーズにオーダーを受け提供する。
出来上がったドリンクを提供すると、軽くお辞儀をしたり手話を使っている。
その動きがウルトラマンのスペシウム光線? のポーズみたいだった。手で十字を作るような。
それでも雰囲気で感謝の意を表していることは理解できる。
ちらっと目をやると耳に補聴器を付けていた。
ベージュのような目立たない色の人もいれば、赤色のような一目で分かる人もいる。
おそらくその人の好きな色や性格なんだろう。
補聴器を付けていれば少しは聞こえているのだろうか?
それともほとんど聞こえていないのだろうか?
僕の知らない世界が確かに存在している。
その後、何事もなく宴会は進み宴もたけなわとなったころお会計を済ませた。
主観だがアルコールを飲む人も少なく飲む量も大したものではなかったと思う。
お帰りの際は幾度もお辞儀をして去っていく。
なんとも腰が低く、使用後の宴会場も比較的綺麗に保たれていた。
立つ鳥跡を濁さず。
まさにその言葉を体現したかのよう。
そうして無事に宴会は終了した。
普段、同じ街で暮らしていても接することがない人々。
たとえ街ですれ違ったとしても気付かずに通り過ぎていく。
あの人たちを見て感じたことは、とても謙虚で周りに気を配っているということ。
きっと、色んな経験をしてきたのだろう。
僅かでもその一面を垣間見ることができ、得難い経験となった。
と、ここまで勝手に書いてきたが聴覚障害者だからといって謙虚な人ばかりではないということも理解しているつもりだ。
謙虚な人が多いと思うのは僕がそう感じただけ。
けれど、あの方たちから学ぶことは多いと思う今日このごろ。
聲の形は原作未読の方にこそ読んでもらいたい作品だと思う。