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 エメリアは、ウェスティンの駆る馬が視界から消えると同時に、自室の目印に魔力を設定して呪を唱えた。

 一瞬のうちに、見慣れた部屋に戻る。どうやら家人には気付かれていないようだ。ほっと息をつく。


 歌姫の資質を見出されてから十年、養子として迎えられたこの家で、ずっと孤独と寄り添ってきた。養父母と話したことは数えるほどしかない。それは構わない。孤児として見てきた世界に比べれば、いないものとして扱われるほうがずっとマシだ。


 ウェスティンには、初めて脅迫状が来たかのように相談したが、実のところ、あの手の脅しは手を変え品を変え、幾度もエメリアを悩ませてきた。歌姫の存在は、国家の安全のために必要不可欠。ゆえに、屋敷にも、そして外出時も、いつだって警護がついている。表立っていかにもという人物ではない。これは、古来から、塔に入らねばならない歌姫が、それまでをせめて普通に暮らすべし、という王の恩情だ。

 その目をかいくぐって、エメリアの心を折ろうとする輩は後を絶たない。ほとんどは他国の諜報員だろうが、時に、武力があれば歌など要らぬ、という武人集団がいたこともあった。


 慣れ、とは怖ろしい。脅しも、懐柔も、他国への誘いも、右から左に流すようになった。けれどある日、エメリアは気付いた。届いた脅迫状から、自分の魔力の気配がする、と。


 他人の魔力を感じられる人間はほとんどいない。だが、自分のものであれば話は別だ。自分の魔力だけは、どんな魔力持ちも嗅ぎ分けられる。歌姫を降りろ、というその文字が書かれた紙から、間違いようもなくはっきりと自分の魔力の気配がした。

 おそらく、祈りの練習か、電気を点けるくらいの簡単な力。陣が発動した時に近くにあった紙に、魔力の残滓がついたのだろう。だが、エメリアは魔力を家の中でしか使わない。つまり、この脅迫状を出した人間は、この家の中にいる。


 ぞくりとした。自分の寝室だけは、誰も入らないようにとずっと独立性を死守してきたが、他の場所は女中や召使い、警護の人間などがひっきりなしに出入りしている。家の中とて安全ではない。

 そう気付いた時、何もかもが本当に嫌になった。自分はなんのためにここにいるのか。人の目にさらされ、好意よりも遠巻きにするような好奇の視線に耐えながら、家の中ですら誰にも心を許せない。そんな人生を送らねばならないような、どんな罪を働いたというのか。いっそ、脅迫者の望むまま死んでやろうかと思ったことさえある。歌姫が死ねば、その力はまた新たにどこかで生まれる命に宿る。なんの問題もない。そう、エメリアでなくとも構わないのだ。


 自分を見失い、絶望とともに毎日を沈み暮らした。そんなある日のことだ。白姫の天啓を受けたあの日以来の、竜の声がした。

 エメリアは、『彼』を見たことはない。だが、歴代の歌姫たちはそれが竜だと知っていた。


『新たなる歌姫の現れを告げる』


 竜はそう言った。一瞬、自分はお役御免か、と思ったのだが、竜はそれを否定し、紅姫の力を説明してくれた。


「……っ、しかしシュヴァルツ、竜の魔力は自分に跳ね返ってくる、と……!」

『明察である』


 エメリアは呆然とした。自分とは性質の違う歌姫の存在と、陣の持つ例外のない反作用について、感情が処理しきれなかった。打てば死ぬ、そんな魔力を誰が一体使うと言うのか。少なくとも、エメリアの周りにそんな人間はいない。自己犠牲など、物語の中のご都合主義にしか過ぎない。人は、自分以外を自分よりも愛することなど、ない。


「シュヴァルツ、あなたは言ってくれました。私に授かったこの力は、使うも使わないも自由なのだと。赤も同じですか?」

『我は与えるのみ。与えたものをどう使うか、それは人らの自由である』


 そう言って、竜はふいっと消えてしまった。

 エメリアは考えた。生まれて十七年のエメリアにとって、世界は自分の周囲だけ。飢えと争い、そこから抜け出して得たきらびやかな生活と孤独。頼れる大人はいない。幼いとも言える思索は、まず真っ先にこう思いついた。


 紅姫の存在を、決して誰にも知られてはならない。


 国家の守護があってなお、脅迫と命の危険からは逃れられない。ならば、いまだ国家に認められていない彼女の存在は、ともすれば一瞬で消えてしまいかねない。

 私が守る。そう思った。


 それから次に、白姫として受けた教えが、なんとかして赤の歌を歌ってもらわねばならない、という使命感に変わる。犠牲者を出さずに魔獣を一掃出来る力は、使うべきだ。もちろん、そうすれば自分は塔に入らずに済む、という気持ちもあった。どちらの気持ちが強いか――それはおそらく本人にも分からない。心の均衡の危うい年頃には、はっきりと白黒つけられることのほうが少ない。


 まずはなんとかして彼女に近づかなければならなかった。しかも、家人には気付かれずに。脅迫者の一部は身内にいる。絶対に知られてはならなかった。

 幸いなことに社交シーズンだったため、エメリアはとあるお茶会で初めて彼女――ジョセフィンの姿を見た。美しく、聡明で、恵まれた家柄の娘。今の生活を投げ出して命と引き換えに歌ったりするだろうか。否。そうとしか思えなかった。


 なんとかして彼女に近づこうと、竜の魔力を流してみた。だが、それに気付いたのは、ジョセフィンの婚約者の方だった。魔力を感じられるごく稀な人間なのだろう。優しげなジョセフィンは、そろりと差し出してみた脅迫状の話に、斜め上の反応を示してしまった。すなわち、婚約者のウェスティンに相談するべきだ、と。

 自分の婚約者と他の女を橋渡しするような真似をするなんて、おかしな話だ。しかもあんなに――明らかに彼を愛しているようだったのに。ウェスティンもまた、彼女の愛には気付かないまま、エメリアを熱心に助けてくれる。怖ろしくすれ違っているこの二人に、なんとかうまく関係を築いてほしい。そうすれば、ジョセフィンは彼のために歌を歌うだろう。

 しかし、上手くはいかない。だから最終手段として、直接彼女に話をしようと考えた。だが、堂々と会いに行くことはできない。どんな時も護衛は離れずついてくるし、ウェスティンに相談を持ちかける時すら彼らは外に出ることを拒んだ。誰が敵かもわからないうちに、竜の話など出来なかった。


 機会は、自室に一人いる時しかない。転移を使って飛び、家人に知られず戻ってくるしかなかった。だが、エメリアは目印がなければ飛べない。小鳥の文鎮に目印をまとわせてウェスティンに託したのは、そういう意味だった。



 今、エメリアは、ジョセフィンの真意など分かってはいない。だが、ウェスティンのために歌を歌おうとしていることだけは分かる。

 湧き出る魔獣を全て焼き払うには、おそらく丸一日はかかるだろう。ウェスティンがそこにたどり着くのと、どちらが早いか。


「……間に合って……!」


 思わず祈った時、寝室のドアがノックされた。


「白姫様。塔よりお迎えが参りました」


 背筋を伸ばす。一つ息をついて呼吸を整え、エメリアは可愛らしく何も知らない小娘の顔を作った。


「はい、いま行きますね」


 外では隊列を組み、いよいよ入塔する守護柱を警護するべく、騎士達が集まっていた。

















 暗い森に一人、ぽんと放り出されてどうしろと言うのか。生粋の箱入り娘だったジョセフィンは、そもそも土の上すら歩いたことはなかった。高いかかとが沈み込む地面をおっかなびっくり歩き、ようやく、見張りのためらしい高い櫓を見つけた。

 ぐるりと一周、周囲を回ってみる。二十歩ほどで回り切れる程度の大きさで、どうやら登るにははしごしかないようだ。

 ふう、と息をついてから、ぽんぽんと靴を脱ぎ捨てる。当然、はしごなど登ったことはないし、子どもの頃の木登りだって経験はない。四苦八苦しながらなんとか登り切った頃には、手足が震えていた。


「初めからここに送ってくださらない?」


 せっかくドレスと揃えた靴が台無し、と憤慨しながら文句を言ってみるが、応えるものはなかった。代わりに、遠く、眼下に広がる森の中から魔獣のものらしきうめき声が聞こえる。くるりと真逆を向けば、砦の方から騎士達がここを目指しているような気配がした。

 ジョセフィンは呪を唱え、右手に陣を展開する。それを頭上に差し上げ、薄く広く、騎士達の方に流す。魔力を通じて、ずっと遠くまで声が伝わるように空気を震わせた。


『騎士達よ。新たなる歌姫が命じます。砦まで下がりなさい。これより、森は私の戦場となります』


 信じるかどうか、怪しいところだ、とは思った。しかし、これ自体かなり大きな魔術だ、頭から嘘と断じられるものではないだろう。騎士達は足を止めたようだが、下がる気配はない。広げた魔力を通じて、向こうの言い争うような声が聞こえてきた。隊を率いる数人の人間たちが、判断のための議論をしている。足止めさえ出来れば、それで十分だ。


 ジョセフィンは、森へと向き合った。一度消した陣を再び右手に乗せ、心を静めた。息を吸う。細く、頼りない歌声が喉を震わせた。今の自分の心そのものだ、と思う。遥か遠くに剣山を臨み、壁のようなその西壁の手前に広がる森は、暗く、深く、不気味な黒に塗り潰されている。

 もう一度息を吸う。あの奥に、人々の命を奪おうとする獣がいる。彼らもまた命であろう。けれど、ジョセフィンにとってそれらは幸福の対極だ。だから――破壊する。


 全身を震わせるような強い声で、ジョセフィンは歌った。右手から一直線に天へと赤い光が伸び、天頂から広がって空を覆っていく。森を包むように、巨大な天幕が出来て行く。

 歌の調子が変わる。さらに伸びやかに声は空気を震わせる。すると、天幕の一部が森の東側を凪払うように変化した。まるで刈り取るようなその動きに合わせて、獣の咆哮と、断末魔の悲鳴が上がった。

 歌姫の歌は、記憶そのものだ。だから、歴代の白姫たちは、長く培われた歌い方の記憶をたくさん持っている。だが、生まれたばかりのジョセフィンの歌は、手本を持たない。歌は知っている。けれど、その微妙で実践的な使い方は、自分が模索していくしかない。


 広い森の一部を刈り取っただけで、魔力がごっそりと減ったのが分かる。今地上にいるだけでもおそらく半日、魔獣はしばらく湧き続けることが分かっているため、それらもせん滅することを考えれば、丸一日はかかるだろう。歌うと同時に、自分の中の魔力を安定させ、回復とのバランスをとらなければならない。幸いにして、ジョセフィンの魔力は自然に再蓄積されるように出来ている。

 まだ、大丈夫。一段声を上げ、ジョセフィンはまた、獣の上に魔力を降らせた。
















 エメリアは馬車に乗せられ、そびえたつ白い塔に連れられてきた。塔の中から、弱い魔力を感じる。エメリアが感じることが出来るのは、自分の魔力だけ。つまり、同じ竜の白の魔力しかない。これは、今上柱の魔力だろう。

 エメリアの魔力はほぼ完成に近い。今の白姫に残っているのは、遍照の杖に残っている程度の量だ。その杖を受け継げば、それで真の完成となる。

 塔の中腹あたり、大きな広間で委譲の儀式が行われる。部屋に入ると、白いシンプルなドレスに、深くベールをかぶった女が、壇上の椅子に座っていた。側付きの老婆に促され、その前に跪く。

 儀式は粛々と滞りなく進み、エメリアは杖とともに全ての魔力を手にした。


 事態が切迫しているためか、守護柱となったエメリアはすぐに塔の最上階へと導かれた。そこは、白く冷たい石で全てを覆った、狭い部屋だ。よく見れば、魔力増幅の陣がそれらの石に彫りこまれている。

 エメリアとともに、数人の女が一緒に中に入ろうとするのを、手を振って止めた。


「……白姫様?」

「部屋全体を自分の魔力で覆いたいの。少し外に出て、入り口から離れてくださる?」


 彼女たちも、その後ろにいた女騎士達も、納得したように肯くと言われた通りに前室へ下がっていく。それを確認すると、エメリアは陣を立ちあげ、入り口の扉を音を立てて閉じた。そのまま、外から開けられなように魔力で覆って封じてしまった。


「白姫様?!」


 慌てたように、だがまだ戸惑っているのか、控えめに扉が叩かれる。魔力で弾かれたのだろう、驚いた悲鳴があがり、騒ぎが大きくなる。


「白姫様! どうなさいました、扉を封じたのはなぜですか?!」

「……国王に伝えなさい。辺境の森に、新たな歌姫が現れた、と」

「なん……?! しかし、では……」

「私は歌いません。どうぞ森の事態を把握なされませ。私はしばらく、休みます」


 扉の前では口々に質問や懇願が続いていたが、エメリアはそのまま目を閉じ、杖に触れると、その中に込められた魔力を吸い出し始めた。

















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