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 世界の意思である、という声が、聞こえたのは、ジョセフィンが十歳の時だった。まだ幼く、世間ともほとんど触れずに生活してきた貴族の娘だった彼女は、その声のもつ雰囲気の怖ろしさに驚き、泣いた。駆けつけてきた侍女に訴えたが、声なぞしないと言う。両親に怖い夢を見たのだと優しく慰められ、そうかもしれない、と思った。

 だが、声は再び聞こえた。十二歳の夜だ。跡取り教育の始まっていたジョセフィンは、その声がかつて聞いたものだと気付き、怖ろしさに泣きたいのをぐっとこらえた。


『我は世界の意思を叶える。お前はその意思を体現することが出来る』


 子どものジョセフィンには、『彼』の言うことが難しすぎて分からなかったが、自分が何かに選ばれたことは分かった。震える声を押し隠し、声の出どころを探しながら、


「せ、世界の意思とは、なんですの?」

『獣の殲滅だ。人らが魔獣と呼ぶあれは、世界の魔術の滓が溜まり生まれる。世界には器がある。滓がそこに溜まる。器からこぼれた上澄みだけが獣になる。人はそれを屠る』

「うつわ?」


 声は少し沈黙する。声が遠くなったり近くなったりしているのは、ジョセフィン側にそれを安定させる力がないからだろう。


『桶、のような』

「おけ……」


 言葉を探してひねり出したような『彼』により、ジョセフィンの中に桶のイメージが出来た。すると、そこに微かに何かが溜まるのを感じる。


『お前の中に今注いだ、それ(・・)は魔力だ。人らのものとは異なる。人らの魔力は、大気から、土から、水から取り込むものである。お前に与えたそれは、我のもの。根源が違う。組成が違う。人らでは造り出せぬものが出来る』

「あなたさまは、何をさせたいのですか。私に何をせよとおっしゃるの?」

『我ではない。世界の意思だ。世界が強く望むものを我は与える』


 『彼』のいう世界とは、おそらく人々のことなのだろう、と見当をつける。つまり、人々が求めるものを与えようというのだ。では、彼は人ではない。


「神様なの?」

『否。我の名はシュヴァルツ。人の子の意思をくみ取る者』

「私たちは、獣がいなくなることを望んでいますの?」

『初め、人らは獣から逃げることを望んだ。だから、滓を森に集めた』


 ほんのわずかに魔力を与えられたせいか、声が安定している。それとも、名を与えられたからか。名を持つことは、存在を認めることだ。その時、物事は初めて現れるといってもいい。名を持たぬものは無いも同じ、名は存在そのものだ。


『次に人は、獣の強さを嘆いた。だから、歌姫を与えた』

「えっ。歌姫様は、シュヴァルツが造ったの?」

『否。人の子らより器を持てるものを選び、我の魔力を与えた。その声が清めの光を呼び、魔獣より強さの源たる魔力を奪えるよう陣を組成した』


 初めて歌姫が現れてから、数百年が経っていると聞く。人の生は短く、時に、魔獣の発生に遭わないまま次代に力を引き継いだ姫もいる。その引き継がれてきた力というのが、『彼』の与えた魔力と言うことだろう。

 そうして今。新たに人々は望む。

 魔獣と言う存在そのものが消え去ることを。


「私にどうせよと……おっしゃるの」

『我の魔力を与えよう。陣を与えよう。破壊の陣だ。それは魔獣を焼き払い、同時に、溜まった滓をも消失させる。

 いずれまた、滓は溜まろう。だが、器より溢れるまで数千年の時間がかかる。少なくともその間、人らは獣の脅威より守られる』


 怖ろしい、ととっさに感じた。魔獣を見たこともなければ、その強さも実際には知らない。だが、それらを全て破壊する力と言うのがどれほどのものか、本能的に怯えるほど強大であることは分かった。


 また少し、身体の中に魔力が与えられた気配がする。桶の底にほんの少し。それなのに、右手に陣が現れた。かすかに温かいそれは、赤の光を帯びている。人の魔力は瞳の色に準じた陣を持つと言う。菫色の目をしたジョセフィンならば、赤のはずがない。魔力が人のそれとは根本を異にすることが、それだけで分かった。


『選ぶのだ、子よ。我を受け入れるか、否か』

「こ、断ることもできますの?」

『出来る。人らの意思を人の子が受け入れぬのならば、それもまた、人らの意思である』


 それはずるい、と子どもながらに思う。選択権があるように見せているが、ジョセフィンの意思が人らの代表のように受け取られるのだから、自分の気持ちで決めていいものではないことくらい分かる。

 めまいがする。嫌な予感だ。ジョセフィンの予感はよく当たる。


「何か、悪いことがありますのね? いいことばかりのはず、ありませんわ。

 魔獣をやっつけて、それで終わりには、なりませんのね?」


 ゆらりと陣の光が揺れる。


『敏い子よ、人の子よ。世界は常に、均衡を保つよう出来ている。我の魔力は強い。ゆえに、放たれれば均衡が崩れる。だからそれは戻る。自身に。術者に』

「……破壊の、陣、が戻る……?」

『今在る歌姫の陣は白い。白き姫の術は守りの術。人々を守るために歌われ放たれた魔力は、白姫を守るために返ってくる。ゆえに白姫は誰にも傷つけられない。

 お前に与える陣は赤。破壊の陣は、歌とともに獣を破壊し、返ってくる。破壊を伴って。

 これは世界の理だ。人らが望み、我が与えるそのことと、均衡の理は別のもの。だが切り離すことはならぬ』


 つまり自分は死ぬのだ、と悟った。

 だが、悩むことは許されない。人として、領主としての教育を施されたジョセフィンの中には、幼いからこそ揺るがない倫理観が存在する。怯えと恐れは拒否を選べと訴えかけるが、その声に従うことは出来なかった。


「受け入れ、ます」


 押し出すようにそう応えた途端、桶一杯に魔力が注ぎ込まれ、小さな体と心はそれに耐えきれずすぐに意識を失った。夜明け間近の子ども部屋に、赤い光が満ちて消えるのを、見ているものは『彼』だけだ。

 『彼』は囁きかける。恩情とも言える、次なる選択肢だ。


『賢き子よ。いずれ世界の滓が溢れる。魔獣が現れる。だからお前に陣を与えよう。魔力を与えよう。だが覚えておくがいい。

 それを使うかどうかもまた、お前次第なのだ』


 急激な変化についていけない身体が高熱をだし、朦朧とする中でジョセフィンはその声を聞いた。少しだけ、ほっとしたことを恥じた。


 熱が下がった数日後。両親にそれを打ち明けた。彼らはすぐに信じた。なぜなら、ジョセフィンの右手には、真っ赤な陣が定着していたからだ。まるで焼印のように消えないその陣を、以来、ずっと手袋で隠している。誰に見せるわけにもいかないのは、『彼』の残した最後の選択肢のせいだ。

 両親は最初、一人で判断し一人で魔力を受け入れたジョセフィンを酷く怒った。それが愛ゆえと分かるから、ジョセフィンは反論しない。それが証拠に、一通り怒った後、彼らは崩れ落ちるようにジョセフィンを抱きしめ、泣いたからだ。

 そうして、両親は言った。


「ジョセフィン、受け入れてしまったものは仕方がない。だが、使わないこともできるというのは、残された希望だ」

「陣を隠しなさい。誰にも見せてはいけない。知られれば、あなたはいざという時、自分で判断することができなくなるわ。

 人はあなたに破壊を望むでしょう。それだけの力があると知られれば、望まないはずがない。強制的に魔獣の前に引き出されないとも限らない。

 隠しなさい、決して誰にも見せてはいけない」


 子どものジョセフィンにとって、死はまだ遠い。だが、娘とともに家を守らねばならない両親には、時間の猶予はほとんどなかった。

 まっさきに取り掛かったのは、婿探しだ。条件は極めて厳しい。長子でないこと、誠実な人柄であること、いずれ――ジョセフィンが失われても領地を引き受けられる知識のある者。


 そして、ジョセフィンを愛さない者。


 力を使わない希望、と口にしながら、両親もジョセフィンも、自分たちがそんな選択をしないだろうことを知っていた。白姫の歌は、魔獣の力を一時失わせるだけで、結局は人が戦わねばならない。多くの犠牲が出る。どの時代もそれは変わらなかった。人の命は、その度に失われてきたのだ。

 だが、ジョセフィンの歌は違う。誰一人の犠牲も出さないまま、全てを破壊する。使わない道理がなかった。


 両親は貴族ではあるが、愛ある結婚だった。幼馴染同士、深く思いあっての結婚で、だからこそ、その伴侶が失われる苦しみは想像が出来る。いや、想像だに出来ない、いったほうが良いかもしれない。心の全てを持っていかれる苦しみだ。

 いずれそうなると分かっていながら、ジョセフィンを愛する者を婿にするのは、残酷なことだ。だから、家同士の政略的な結婚を望む婿でなければならなかったのだ。


 幼いころから手袋を外さないちょっと変わった子、という噂がありながら、ジョセフィンの美しさは人を惹きつけた。これは、と思った相手も、次第に心寄せるようになる。成長した娘には、それだけの魅力があったのだ。

 そうしているうちに、間もなく二十歳という年までかかってしまった。もはやぎりぎり、という時期にようやく条件に合う婿として現れたのが、ウェスティンだ。

 彼はジョセフィンの美しさにも仏頂面で応え、親としては悩ましいがしかし、これなら妻を失っても苦しむことはなかろうと彼に決めた。魔力を感じ取ったことも、悪くない。いずれ来るべき日のことを、理解しやすいだろうと思った。

 婿に対して不誠実であることは分かっていたが、やむにやまれぬ方法だ。後は子を成し、跡継ぎを急ぐばかりだった。



 だからジョセフィンは知っていた。

 彼が自分を愛していないこと。


 エメリアの登場まで、本当は少し、期待していた。

 彼に心奪われ、諦めたはずの幸せな結婚を夢見た。

 けれど彼は彼女を見ていた。

 当たり前なのだ、そういう人を探したのだし、そのようにされても仕方がないふるまいをしていたのだから。


 だから隠した。

 彼を愛したこと。


 もしも神がいるのなら、ここに懺悔する。

 魔獣の発生を聞きながら、少し、迷ったこと。

 愛されなくとも側にいたかった。

 ウェスティンの側にいるために、赤の歌を放棄しようと――少しだけ、考えた。

 彼が前線に送られるのは、その罰なのだろう。

 やはり世界は均衡を保つように出来ている。

 子を成す前に滓が溢れたのもまた、この不誠実さへの罰かもしれない。

 家は直系を失う。

 両親の努力を無駄にするようで心痛むが、他家の息子を契約で縛りつけようとした一族の末路としてはふさわしいのかもしれない。



 全ての事実に頭を垂れて、祈りとともに決心する。



 彼を守るため、破壊の歌を歌う。

 自らを壊す、歌を、歌う。








読んでいただいてありがとうございます。

後少し、続きます。

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