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結果的に言えば、エメリアの訴えは高閣院には届いていなかった。歌姫の存在は国防にとって大きな意味を持ち、彼女を脅かすということは、国を傾けようとしているも同然だった。つまり、ことはウェスティンの手を離れ、国家としての対応がとられることになる。
「言いにくいのだが、ご両親のことだ」
「はい?」
再び、場所は面会室だった。相変わらず殺風景な部屋で、彼女の存在だけが異質なほど輝きを放っているように見える。
三通目の不審な手紙を持ってやってきたエメリアは、それを衛国院に渡すよう伝えた後のウェスティンの言葉に、こくりと首を傾げた。
三通目には『全てが滅びる』とあった。明確な攻撃の意思に、ますます彼女の警護を増やさなければならなくなるだろう。
「あなたの訴えをまともに受け取らなかったことに、悪意があったとは思わないが、しかし、白姫を危険にさらす可能性を防がなかったという点で、罪に問われる可能性がある」
「なんてこと……。私を育ててくれた大事な両親ですの、どうしましょう、お助けしないと」
おろおろと言う。
前回は、あまり優しい親ではなかったと言っていたように思うが、感じた違和感を払拭するような心痛ぶりに、ウェスティンの心も痛んだ。
「まさか極刑ということはあるまいが、なんらかの罰は与えられるだろう。あなたが一言、恩情を訴えれば、さらに軽くなる可能性もある。気を落とされるな」
エメリアはけなげに頬笑み、
「ありがとうございます、ウェスティン様。あなた様がいらっしゃらなければ、私、どうしていいか分かりませんでしたわ。これからもこうしてご相談してよろしいでしょう?」
「ああ、しかし、あなたには十分な護衛がついている。当国の兵は優秀です、あなたの身の安全は保障されたのだ、安心して生活されよ」
「まあ、身の安全のことではございませんのよ、ウェスティン様にお会いすると、心丈夫ですの。気持ちが強く持てるのですわ。
お話を聞いて下さるだけで良いのです。ご迷惑でしょうか……」
まだ子どもらしさの残る頬の丸みが、不安げに震える。ウェスティンは慌てて、
「そう言うことであれば、いつなりと来られるがいい。ここはそういう場所だ」
「ほんと? 嬉しいわ、両親が危うい今、頼れるのはあなた様だけですわ!」
彼女はいつものようにぱちんと両手を打ち合わせると、いそいそと小さな包みを取り出しこちらに差し出してきた。
「いやそういうあれは」
「うふふ、違いますわ、ジョセフィン様に渡していただきたいのです。先日のお詫びです」
「ふん?」
詫び、と言う言葉に首を傾げる。おそらく、先日の街歩きの際のことだろうが、二人は非常に気の合う様子だった。詫びるようなことなど、思い当らない。
そんなウェスティンの表情を読んだのか、エメリアはかすかにため息のようなものをつき、言う。
「ジョセフィン様ではないけれど、本当、男の方って……。馬車を見たいと、はしたなくもおねだりしたのは私ですけれど、恋人同士のお出かけを邪魔したい気持ちではなかったのですわ。それを、黙って一度にお済ませになるなんて」
「しかし、ジョセフィンも楽しんでいたが」
「でも怒っていらしたわ」
ますます首を傾げる。そんな様子はあっただろうか。
「もちろんご存じでしょうけれど、ジョセフィン様は魔力持ちでらっしゃるでしょう?」
「なぜそれを?」
「あ、ご存知でしたのね、良かった。婚約者ですもの、なんでも知ってらっしゃって当り前ですわよね、私ったら」
照れたようにもじもじする様子を可愛らしく思いつつ、手袋の下の秘密が想起されて、少し心が陰った。
彼女は膝の上の手を頬にあて、すると、眉根を寄せた憂い顔になる。くるくると良く変わる表情は、少女と女性の間を行き来する不安定さにも似て、ウェスティンを楽しませた。
「私自身が魔力を持っていることもあって、多少、他の方の魔力が感じられる体質ですの。あの日、ジョセフィン様はちょっと怒ってらしたわ。お顔はとってもお綺麗に笑っておられたけれど、私には分かりますの。魔力がそう言っていましたもの」
「あなたが来ること、やはり事前に言っておくべきだったか」
「んもう、本当に鈍い方ねっ」
エメリアは、焦れたように頬を膨らませる。
「ジョセフィン様は、妬きもちを妬いたのですわ」
「なに?」
「二人でお出かけなさりたかったのよ。もちろん、私ごときの存在がどうということはないと思いますわ、ええ、子どもですもの。でも、それでも、他の女性を伴っていたということが嫌だったのよ、きっと」
言われて思い返してみたが、どうしてもそんな風には思い出せない。
いや、どうだろう。
ウェスティンはあの日のことを思い出そうと記憶をさらってみたが、どうもうまくいかない。浮かぶのは、弾けるように笑っていたエメリアの顔だ。しかし――そう、その横でジョセフィンは微笑んでいる。淑女らしく、いつものように。
「ジョセフィン様は、ウェスティン様のことが本当にお好きなのね!」
夢見るような仕草から、彼女はウェスティンに視線を寄こした。意図せずうっとりとした流し眼のように見えて、どきりとする。
「あなた様を愛しておりますの」
一瞬、呼吸が止まった。
「そんなジョセフィン様のお気持ち、私にはあの日、痛いほど感じられましたのよ。ですから、これはそのお詫び。
直接お尋ねすることは、少し遠すぎて、ついている兵士がいい顔をしませんの。ですからウェスティン様に託します。よろしくお願いしますわね」
翌日、ウェスティンは婚約者の家を訪ねた。恒例のお茶会だ。
ジョセフィンはいつものように優しい魔力をまとって現れ、新しく手に入れたのだと言う花の香りのお茶をふるまってくれた。
「そうだ、これを」
「なんですの?」
「エメリア嬢からだ」
ほんの、気付くか気付かないかの一瞬の間が合ってから、ジョセフィンが、まあ、と驚く。
「なにかしら、開けてみてもよろしくて?」
「もちろん。よく分からんが……先日の詫びだそうだ」
よどみない手つきで開けた小箱からは、小鳥を模したペーパーウェイトが出てきた。まるっこい形が可愛らしい逸品だった。
「お詫びってなんのことかしら。分からないけど嬉しいわ、なんて可愛いの。いつまでも眺めていたいような可愛らしさね」
目を細めて喜ぶ彼女に、ふと、聞いて見たくなった。
「ジョセフィン」
「はい?」
「俺に好意を持っているというのは本当か?」
「……はい?」
珍しく、ぽかんと口を開けている。素の表情でも、美しさは変わらないが、年相応の若さも垣間見えた。彼女は戸惑ったように、
「婚約者ですもの、当然ですわ」
「ああ……そう、俺はこの結婚が、家同士のものだと思っていた。それ以上ではないと。だが、エメリア嬢が」
きゅ、っとジョセフィンの眉が寄る。珍しく頬笑み以外の顔をした彼女に驚きつつも、言葉は止まらなかった。
「君が俺を愛していると」
勢いのままそうつなげると、彼女は全ての表情を消した。笑みも怒りもなく、そこには何もない。
ジョセフィンが立ちあがる。思わずつられて立ち、二人は向かい合った。三歩ばかりの距離だ。
「……それで?」
しばらくして聞こえた平坦な声は、彼女から出たとは思われなかった。そうすると、ついさっきウェスティンを迎えた時の声が弾んでいたことが良く分かる。
「それで、とは」
「ウェスティン様はどう思われますの?」
「だから……俺はてっきり、家同士の、これは」
「契約ですわね」
彼女はかすかに目を伏せた。視線はウェスティンの喉元に下がっている。深呼吸するように、一度深く息をして、ため息のように吐き出した。
「ええ、彼女の言うとおりですわ」
「ジョセフィン」
「私、ウェスティン様をお慕い申しあげております。できれば忘れていだだきたいけれど、そうはいきませんわね」
くるりと背を向けて、彼女は扉へ向かうようだった。ウェスティンは動けない。
「ごめんなさい、体調が良くありませんの、これで失礼しますわ。
婚約の先行きは、ウェスティン様のよきように。思ったものとは違ったようですので。
どのようになっても、双方不利益は発生しないと誓います。お返事はできれば家を通して父に」
扉がぱたりと閉じるとともに、ウェスティンは彼女の魔力から締め出された。