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婚約してからすぐに社交シーズンに入ったせいか、私とウェスティン様が一緒に出かける先はほとんどが夜会だった。あるいは、数回、顔見せに窺った茶会くらいのもの。
さすがにもう少しきちんと交流をしようと思ったのだろう、彼が当家を訪れてのティータイムは、向こうからの提案だった。それも片手ほどの回数が過ぎる頃、もうすでに社交シーズンは終わりを迎えようとしている。
「街歩きに行かないか」
「えっ……街? 街とは、城下の?」
「嫌か?」
「いいえ、とんでもない! まあ……ええと、今からですの?」
突然のさらなる提案に私は動揺を隠せなかった。なんてことだ。嬉しい。
「いや、急に誘うような野暮ではいけないと教えられている。三日後も休みだ。昼ごろに迎えに来よう」
「お待ちしておりますわ」
約束の前夜から翌日まで、私は持てる美容の技術を活用して準備に余念がなかった。風呂場を占領し、身体から不要物を流すという評判のお茶を飲みながら、蒸気に当たっては流し蒸気にあたっては流して、毛穴と言う毛穴から汚れを追い出した。クリームを塗って艶を保ち、次に髪の毛にとりかかる。
汚れを落とし、オイルにゆっくりと漬けて流し、再び軽くオイルを塗って乾かす。この乾かす作業、魔術が大活躍だった。魔力があって良かった。
お肌のために早寝をして、翌朝はまた肌の手入れと髪の手入れ、丹念でありながら薄く見える化粧と、自然にゆるく波打つ髪を生かして半分だけ結いあげる。まあ結いあげたのはマデリーンだけれど。
着るものは前の日にきちんと決めてある。万が一にも、お迎えに間に合わなかったら大変だ。今日は、街歩きにふさわしいひざ下丈のドレスだ。ウエストが絞ってあり、そこから円形に截ったスカートが広がっている。色は水色。派手すぎず地味すぎないいい色だ。
「お嬢様。ウェスティン様がお着きです」
「はぁい、いま行きます!」
共布のバッグを腕にかけて、最後にくるりと鏡の前で回る。後ろも完璧。
ちょっと浮き立っている自覚があったので、少し止まって深呼吸した。それから、普通の足取りで玄関に向かう。
「お待たせしました」
声をかけながら吹き抜けのホールに入る。
すぐに出かけるつもりなのだろう、玄関扉は開いていた。そこに、ウェスティンが立っている。隣に――エメリアを伴って。
息が止まる。
外からの陽光を背から浴び、黒髪の長身が、白金とも見まがうような真っすぐな金髪の少女を優しく見下ろしている。それはまるで、玄関扉を額縁にした一枚の絵のようだ。
しかも――よく見れば、彼女は水色のひざ下丈のドレスを着ている。急に、この色が若い娘の色のような気がしていた。二十歳にならんとしている自分が着る色ではないのではないか、と。
気付けば手が小刻みに震えていた。はっとして、手を握りあわせそれを隠す。
「……ごめんなさい、お待たせしました」
さっきの声は届かなかったようなので、彼らに近寄りながらもう一度言った。今度こそ二人は一緒に顔をあげ、申し合わせたように笑った。ウェスティンの笑顔は珍しい。こんなときでなければ嬉しいその顔も、今はただ私の心に刺さるだけだ。
そんな内心に関わらず、私の顔は彼らと同じく笑顔を作る。
「ごきげんよう、エメリア様。嬉しい不意打ちですわ、ご一緒してくださるの?」
「ごきげんようジョセフィン様! 私……えっ、不意打ち? まさか、ウェスティン様、私も一緒だとお伝えしていませんでしたの?!」
満面の笑顔から、急に事態を把握したのか、驚いた顔でウェスティン様を問い詰め始めた。彼はといえば、動揺している。
「ああ、その……忘れていた」
「お約束した日から一週間もありましたのに、ずっと忘れていたのですか?!
ああ、ごめんなさい、ジョセフィン様。ほら、ウェスティン様の家の馬車は、王族のそれと同じ職人が造ったと評判でしたので、一度拝見したいと我儘を言いましたの。
そうしたら、快く見せてくださると、なんだったら乗って街までゆこう、と。
まさかお伝えしてなかったなんて……」
なるほど。彼女のほうが先なのだ。二人では出かけられないから、慌てて私を誘ったのだろう。
気付かれないように、細く息を吸う。震えてしまわないよう、しっかりと全身で声を整えた。
「男の方なんてそんなものですわ、エメリア様。私なら全然かまいませんのよ。
さあ、ウェスティン様を怒っている時間がもったいないではありませんか。参りましょう。今日こそクラン・クランのパフェーをいただくと決めておりますの」
「あら、ジョセフィン様もお好きですのね、あのお店!
この時間は混んでいるかもしれませんわ。狙い目は日暮前ですわね」
「まあ、ではお昼はほらあそこ、川沿いのテラスがある……」
「ブラダエニね!」
「あ、一応聞きますけれど、ウェスティン様、お店をどこか予約していたり?」
馬車に乗り込む私とエメリアを手助けしている彼は、圧倒されたように視線が定まらない様子だ。男ばかり三人兄弟で、母親も厳格な彼は、年頃の女たちの集まりにあまりふれこなかったのだろう。
それとも、動揺は、エメリアを引き上げる時に触れた手のせいか。
「いや、その、していない」
「では決まりですわね」
「うふふ、ジョセフィン様、私たち今日、ドレスがおそろいみたい。姉妹と間違われるかしら? だったら嬉しいのに!」
「私こそ光栄ですわ」
無邪気なエメリアと、なぜか満足そうなウェスティンと、笑みを張り付けた私を乗せて馬車は進む。
肌の手入れも、化粧も、何もかも無駄だった。内から輝くようなエメリアの美しさの前で、私の努力などあってないようなものだ。ウェスティンの目が近いから、隣を歩く彼の視線が近いから、そう思って磨いた肌を、彼は見ない。彼は彼女を見ている。
ああ、けれど、その様子は私を揺さぶる。目線の伏せ方も、髪をかき上げる仕草も、ひとつひとつが私の心臓を打つ。
その一方で、悪い私が彼を罵る。ひどい、ひどい人。なぜ黙っていたの、どうして言ってくれなかったの、彼女を誘ったこと。
いいえ、違う、ならばなぜ誘ったの、私を。
本当は答えを知っている。
誘いたかったから彼女を誘い、誘わなければならなかったから私を誘った。
それだけのこと。
「いい天気で良かったですわ、私、今日を楽しみにしていましたの」
「本当に、街歩きには良い日になりましたわ」
ただ、それだけのこと。