再会の夜
中坊のちょっぴり頑張った話
ピリピリするような緊張感に憧れてしまう、大人への入口に立った時の恥ずかしい物語。
再開の夜
2008.08
20…年…?
…21年…?
古い記憶が甦って懐かしい景色にまた出会うことができた。
昨晩、何故か無性に家に帰りたくなっなので仕事が終わってから車で走り出した。
いつもなら浅草から浅草橋~浜町~茅場町~八丁堀~築地を抜けて、海岸通りで平和島まで行ってから国道15号に入るのだが、昨日の夜は何故だか昔の走り方で行きたくなった。
上野から昭和通りで新橋まで行き、左に折れて15号に入り大門~三田~品川と抜けて北品川からは2車線になる。
そのまま平和島~蒲田~多摩川大橋を抜けて川崎へ。
また道が広くなる。
昔はゴチャゴチャしてたよなぁ…などと考えていると鶴見川からまた2車線になった。
この辺りから頭の中でモヤモヤとした景色が現れては消えていく。
何だろう…?
と思いながら走っていると目の前の景色と古い記憶の景色とがだぶりだした。
来たことがある。
もちろん毎週2往復しているのだから来たことはあるのだけれど、もっと昔の忘れている時代に来ている…と言うか通っている。
不思議な記憶をたよりに、明らかに景色が変わっていて気にも掛かっていなかった交差点を左に曲がる。
この辺りは川崎から続く大手会社のコンビナートや倉庫しか無いはず…だけど…
交差点を曲がってもまだどこへ向かっているのか自分でも分からない。記憶を頼りに体が車を動かしている。
周りは大型のトレーラーが朝を待つために道端に停めてあるばかりで乗用車はいない。
まぁ場所が場所で時間も深夜だから仕方がないのだが、だんだん不安になってくる。
海に向かって真っ直ぐのびる道の先にかなり明るい光源が見える。
この先に何があるんだ?
そう思いながら進んで行くと、光源の手前に橋が架かっているのが見えた。
光源が強くて分からなかったがアーチ状の橋だ。
橋の手前にはこれ見よがしに進入禁止や立ち入り禁止の看板が並んでいる。
あっ…あーっ!
あーあーっ!
運転しながら叫んでいた。
来たことがあるはずだ。
ここは米軍基地施設だ!
強烈な光源は基地内のサーチライトだったのだ。
川崎にも施設があるが、川崎は油(燃料)の備蓄場。
こっちは弾薬庫だ(確か?)
山手の山の上にもまだあったよな…。
そうだよ、そうだよ。来てたよなぁ~!
初めて来たのは14歳の時だ。
当時14歳の自分にとっては、この目の前にある橋を渡ると、そこはもうアメリカ合衆国という外国なんだ!っていう不思議な場所だった。
橋の手前には立ち入り禁止の看板が並び、橋の向こう側にはゲートがあり兵士がマシンガンを持って立っている。
向こうさんにとっちゃ当たり前なのかもしれないが、こっちにとっては一大事である。
あちらさんのご機嫌が悪くて、マシンガンを構えて人差し指をチョイチョイと動かされたら、あっ!っと言う間に命が無くなってしまう…可能性所がある場所。
間違いなく目の前に外国がある。
子供にとってはかなりのショックだった。
けど…その頃ってのはそんな危険な香りがねぇ~…頭のてっぺんからつま先までビンビンする様な空気がたまらなく好奇心をくすぐってしまうお年頃!
通ってしまうことになってしまうのだ。
その好奇心をもっと煽ってくれたのが、橋の手前側、立ち入り禁止の看板のすぐ脇にあったBARだった。
橋の向こうにあるゲートからわずか50mしか離れていない。
しかも当時は真っ暗で何にもない一本道の突き当たりにポツンとネオン看板が光っているお店があった。
任務が終わった兵士達がゲートを出て橋を渡ると吸い込まれるように入って行く。
小さな窓から中を覗くとそこにはTVで見るアメリカの酒場の景色が広がっていた。
大きなジュークボックスから音楽が流れて、カウンターではバドワイザーを瓶のまま飲んでいる。
ゲートや兵士達と共に何とも妖しい空気をかもし出しているこのBARは、実は二軒並んで建っている。
基地に近い方から
POLE STAR
そして
STAR DUST
基地から出てくる兵士達が多いのは基地寄りのPOLESTARの方だったな。
STARDUSTの方は米軍兵士と日本人(かなりやんちゃな感じの)が半々位だったろうか。
当然POLESTARに入りたくなるのだが、試しに入ってみると
「出ていけ!」
と言われて慌てて飛び出した。
じゃあ隣。と言うわけでそのまま隣に入ると
「帰んな!」
と言われてまた飛び出す。
その時はTシャツの上にチェックの半袖シャツ・Gパンにスニーカー。そして頭は長めの坊ちゃん刈り。
見た目バリバリの中坊!
まぁ入れてくれる訳ないよな。
橋のたもとでウロウロして、ゲートやBARのネオン看板をしばらく眺めてその日は帰った。
同じ頃に人生初のエンジン付き、50ccのスクーターを手に入れた。
何だか自分が無敵になったような気分で、どこまでも走って行けると本気でそう感じたものだった。
これならいける!
何をどうしたらこんな自信が生まれて来るのか解らないが当時は無敵状態(気持ちだけ)だったので横浜に向かうことにする。
「今度は中に入る!」
無敵にしては志が低かった。
当時はまだ50ccはヘルメットをかぶらなくても違反にならない時代だったのだが、諸事情によりキッチリとフルフェースのヘルメットをかぶり15号を南下して行く。
翔ぶが如く!
まさに飛んでいる気分で横浜のBARまで2時間近くかけて走って行った。
そのときに走ったのが今夜走った道だった…。
しかし20年以上忘れていたのによく思い出したものだな。
目の前には昔と変わらないネオン看板が並んでいる。
さて、その時スクーターでやって来たものの、そのまま入ったのでは前回と結果は同じになってしまう。
しか~~し!
今夜のオ•イ•ラ•は、ちょっと違っているのさ!
今日のために原宿のクリームソーダで、ポマードとデップのハードタイプを買ってあったのさ!
基地のゲートが見える程度のお店の手前にスクーターを停めてヘルメットをとると、頭にポマードをちょっぴりつけてグシャグシャする。
さらにデップを少しつけたらクシでリーゼントの形を整え、その上からまたデップを塗って固めてバックミラーで出来上がりを確認する。
完璧なトサカの出来上がりだ!
当時は髪もいっぱいあったからなぁ~
[=_=] ふぅ〜⋯
それとGジャンにブーツも履いてきた。
か…完璧で…無敵⋯だ!
いよっし!
行くぞ!
POLE STAR の前に立つと音楽とともに人々の笑い声が聞こえてきた。
は…入るぞ!
キィ~…
音と熱気が一気に襲ってくる。
狭いフロアでは踊っている人もいる。
カウンターではビールを瓶のまま飲んでいる。
ジュークボックスからはダンスナンバーが流れて、テカリのあるベンチシートには女の子を連れた人達が座っていて何か笑いながら話している。
今まさにアメリカがここに、手の届く所にあるんだ。
しかし、ふと我に返ると店の中にいる人が全員こちらを見ていたのだった
……?…
何でみんなこっちを見てるんだ?
俺の格好が何かおかしいのか?
いや!
それはない!
今夜の俺は完璧で無敵なんだから!
カウンターの端が空いているので、店中の注目の中、慎重に席に着く。
「何か飲むのかい?」
今考えれば、このときの疑問形の聞かれ方で全て決まってたのだが…
「はい…え~っと……コーラ」
もうこの注文自体でダメなんだけど…ね。
そんなこんなで出てきたコーラ。
本人的にはウェストサイドストーリーのトニーになったつもりで、出されたグラスを使わず、そのまま瓶を口に持って行った。
(フゥ~…これで大人の仲間入りだ!)
思い込みというのは本当に恐ろしいものだ。
気が付くと店の中は僕が入る前の雰囲気に戻っていた。
踊る人、飲む人、話す人、みんなの中心に大きなジュークボックスから音楽が流れている。
耳に入る音のほとんどが英語だ。
訳が分からないままポ~っとして2本目のコーラを飲む頃には酔ったみたいになっていた。
注文以外の会話もなく、しかも間が持つ訳でもなく、自分的には充分満足な気持ちなので帰ることにする……が……何と言えばいいんだ?
さんざん迷った挙げ句に
「すみません、お勘定お願いします」
出て来たセリフは下町丸出し。
我ながら恥ずかしいなぁとは思った。
でも本当に恥ずかしいのはその後でした。
お釣りを渡しながらお店の人が言った。
「あんた、もう来るんじゃないよ。いいかい」
「え"っ」
(・▽・;)…
何も反応出来ないまま席を立つと、また店中がこちらに注目していた。
完璧で無敵な自分がガラガラと崩れていく。
店を出て扉を閉めると、扉の向こうでは声が上がり盛り上がっていた。
今思えばあれは大爆笑だったに違いない。
見上げたネオン看板の
POLE STAR
の文字がやけに遠く感じる。
崩れ果てた完璧で無敵な僕は頭が真っ白なまま、真っ暗な第一京浜をスクーターを走らせ東京に帰っていったのだった。
懐かしくも情けない記憶。
ひょんなことから思い出したこの場所で、いろんな事を思い出すことができた。
こうしてまた目の前に並ぶ
POLE STAR
STAR DUST
のネオン看板。
気が付けば真っ暗だったこの場所も、すぐそこまで横浜みなとみらいのビル達が迫ってきている。
以前のような妖しい空気はもう無い。
けれど…覗いた限りお店の中は昔のままだった。
今夜は突然だったので、お店に入るような格好ではないから入るのは諦めたが、近いうちに来ようと思う。
あの時、もう来るなと言われたけど、懲りる年頃でもなく、しばらくしてから今度はSTARDUSTに通うことになり、そこで日本人の不良達に脅かされながらも、その後、本牧・横須賀を紹介されていくのだが…、それはもうちょっと先のこと。
何にしても懐かしいお店と記憶との再会の夜だった。
2008.09
今思い出しても懐かしくも恥ずかしい記憶。
当時の少年がキャッシュオンデリバリーなど知るはずもなく、黙って2本のコーラを出してくれたお店の人には感謝である。
この後STARDUSTに通うようになるのだが、当時支払いはドルでも円でもでき、その日のレートがカウンターの壁に書いてあった。
このため、ドルでの支払いの方が半端が出ないので生意気にもわざわざドルを用意して行っていたものだった。
そして銀行での換金はいちいち使用目的などの書類を書かされるので面倒臭く、横浜の街中にあった換金場で手に入れていたなぁ。
今更ながら危ない橋を渡ってたね(笑)
そしてSTARDUSTで知り合った横浜のヤンチャなお兄さん達に脅かされながらも本牧や横須賀を案内されていくことになるのだが、それはもう少し先の話。
機会があったらまた書きたいと思う。
(^_^)