魔法のサングラス
ノイルは、私の車に乗せてほしいと言った。そして私も、その方が良いと思った。
「祥子さん、この辺りは田んぼ道でぬかるみが多いから気をつけて運転してください。」
ノイルの気配は猫とは思えない。
まるで紳士的な人間その物だ。
「ノイル~。ひとつ聞いても良いですか?ノイルもスズメ親分を知っているの?」
ノイルは平然と‥そして淡々と答えてくれた。
「勿論、知っていいますよ。」
「そうですか。それでは、もうひとつ聞いても良いですか?
スズメ親分から預かったリュックの中には、もうひとつの宝物‥サングラスが入っています。
ノイルはサングラスの秘密を知ってるの?」
私は、急にサングラスのことが気になり始めた。
黒猫ノイルは、またもや暫く沈黙していたが、おもむろに頭をかきむしりながらこう言った。
「祥子さん~そんなに気になるなら、今かけてみたら❗」
たぶんノイルは私がその様な要求をすることを察していたのだろう。うっすらと笑みを浮かべて、自慢そうに白い髭をピンと立てた。
「いいのですか?」
「はい。そのかわり何が見えても驚かないで下さいよ❗」
(何が見えても? いったい、何が見えるのだろう。)
祥子は占い師である。霊感などないが、長いことこんな仕事をしていると、普通の人なら到底見えないであろう物も見えそうになる。
人は皆、見えざる物を見ようとし、聞こえざる物を聞こうとする生き物である。目の前の視界に入るものをしっかり見つめれば、見えなきものも見えるようになる。
運命は、自分の命をどう運ぶかによって作られてゆく。
先のことなど決して決まっているものではない。どうにでも、変わってゆくのだ。
占い師になって悟ったことは、数多く計り知れない。
その経験とともに度肝も座ってくる。私は、世間でいう
(怖いもの無し)という女になりつつあった。
でも‥いま私の目の前にあるサングラスを覗いた先に、この私が驚く様な‥なにが見えるというのだろうか。
私はウインカーを出して静かに車を左端に停めた。
鳥達も蝶々達も何処かへいなくなってしまった。既に夕陽は沈み夜の扉を静かに開けんとする黒猫と人間の奇妙なコンビ。
「では、かけさせてもらいます❗」
私は、言い渡すようにハッキリと告げた。
黒猫ノイルは、私のその言葉を飲み込むように頷いた。
瞳をギラギラと輝かせて、私をじっと見つめている。
その青く光る眼球に吸い込まれそうになりながら、私は覚悟を決めた。
そっと‥覗いてみた。
暗闇でなにも見えない。車の外は静寂たる別世界だ。
サングラスをかけたが、先程となんら変わりはない。もう既に鳴くものもいない。もう少し季節が先だったなら、カエルやら蝉やら‥声と認識するの音が聞こえるのだろうが‥。
あいにく中途半端なこの季節に、鳴くものなどいる筈もない。
その時、ノイルが私を呼んだ❗
「祥子さん、こっちを向いて❗」
「えっ?」
しばらくの間、私は自分の意識を‥いえ、頭を疑った。
黒猫ノイルなど、どこにもいない。
私はいま、夢を見ているのだろうか。
そもそも、ここにこうして自分が存在していること事態、まともなことではない。
もしかしたら、私はもうすぐ、テルメという温泉の露天風呂の寝湯で眼を覚ますかも知れないのだ。
(あっ‥うたた寝をしてしまった‥)と。
しかし、かん高い声は私に語りかける。
「祥子さん、しっかり僕を見て下さい❗」
私も、つかさず高い音調の声で返した。
「ノイル‥ノイルはどこに行ったのですか?
そして‥あなたは誰です?」
私の目の前で優しそうな眼差しで見つめるその瞳は、しかしながら黒猫ノイルと魂を同化するものに違いなかった。
「僕はノイルですよ。
だから驚かないでって言ったじゃないですか。」
「あなたがノイル?」
私の目の前にいて今、これ以上の愛情表現はないと言わんばかりに私を熱く見つめているその男性は、年の頃から言えば30歳少し前くらいの‥私と同じくらいの‥かなりのイケメンだった。
なにかしらのスポーツをしていそうな体格の良い品のある、スマートで爽やかな人間だったのだ。
呆気にとられて言葉を失う私に、ノイルは又もや驚きの言葉を浴びせた。
「祥子さん~
もうおわかりでしょう?
このサングラスをかけると、見た先に映るものの前世が見えるのです❗
僕は、ついこの間まで人間でしたぁ。(笑)
さあ、急ぎましょう❗
その鍵で早くドアを開けてもらいたいのです、早く確認したいことがあるのです❗」
疑うすべもなく、サングラスをかけたまま車の外にもう一度目をやると、そこには、前世はかなりの大木であったと思われる可憐なアザミの花が、季節はずれの花を咲かして揺れていた。