ひよ助と名乗る鳥
(ここはいったい何処なの?)
無我夢中という境涯に、私は久々浸った。時間はさほど経過していない。けれども、無意識の中に車を飛ばして飛ばし続けて、今一休みしているこの場所は、まるで見たことのない外国の田舎町のようにも思えた。
言い知れぬ不安感が少しづつジリジリと私を襲う。
もうすぐ夕陽が沈もうとして、最後の力を振り絞り西から地上を照らし続けるあのジリジリに似ていた。
辺りは畑と水田、そして林が延々と伸びて緩やかな山へと繋がってゆく。ほんのり焦げたカレーの香りが漂ってくる。
しかしながら民家は見あたらない。
この林の中から発生している何かの植物の匂いなのだろう。
ど鳩が夕暮れを知らせる歌のごとく、のどを鳴らし始めた。
その時だった。
私は、はるか遠くからの視線を感じて、ふと空を見上げた。
その視線は、確かに私に向けられているようだ。
私の職業は占い師。
吉祥寺という街で対面の占いをしている。
私には師匠と呼ぶ人はいない。私は人間が嫌いだ。たぶん、誰も私の事をそう思っていない。「占い師」というベールを脱いだ時は目一杯愛想が良いからだ。
小さな頃から私は何かに怯えて育った。父親は普通に優しく、まれに見る子供の理解者であり家庭内はいつも穏やかではあった。
でも、母以外に女性がいた。母は純粋で正直なばかりに、いつも父親ばかりに囚われて苦しんでいた。そのせいか、私はいつも両親の顔色を見ながら育った。
妹「春美」の顔色もいつも伺う癖がついていた。皆が悲しい思いをしないようにと知らず知らず、目色顔色を観察していた。
そのせいなのかは不明だか、いつしか私には不思議な能力が備わっていた。
人の心が読めるのだ‥。
人の心が読める事は、便利なようで大変都合が悪い。
知らなくても良いことを、沢山知らされてしまう。何度ともなく、生きている事が嫌になった。しかし、幸い私の性格は自分の想像をはるかに超えたホジィティブメーカーだったのだ。
「占い師」という職業を選ぶのに、さほど時間は用さなかった。
私の占い師名は「吉祥寺の太陽」。
19歳の頃からこの仕事を初めて9年目の昨年、独立して店舗をかまえ、占いの館「吉祥寺の太陽」を開業した。
吉祥寺という街は好きだ。祥子の「祥」の文字も入っているこの街の名前が先ず好きだ。だから、吉祥寺を拠点に選んだ。
仕事の時は、瞳以外一切顔は出さない。黒いベールを頭からかぶり、目の部分だけを少しだけちらつかせてクライアントと話しをするようにしている。
お客はそこそこついていて、いわゆる安泰の域に入ってはいる。
だから、たまに私は体調不良と称して、テルメの空を仰ぎにいく事にしている。
普通の人間が感じないことを感じるのは、占い師の私にしてみれば当然といえば当然のことではある。
その視線は、真上に聳え立つ一本の大木のてっぺんから感じられた。
「祥子❗聞こえるか?
僕の名前は(ひよ助)。あんたの事が気がかりでずっとつけて来たんだ❗」
バタバタと大袈裟に飛んで、その桜の大木の少し近場の枝までやってきた鳥は、その名前のごとく(ひよどり)なんだろう。
「人間の癖にスズメ親分から頼みごとをされるってスゲェことなんだよ❗あんた‥それわかってる?」
どう答えて良いのか、わからない。
でも、スウェーデンの田舎町のような人里離れたこの地で声をかけてくれる存在は、相手がひよどりであろうが、カエルであろうが、はたまた蛇であっても心強い事は確かだった。
「ひよ助さんですね❗私は祥子と言います。
宜しくね❗」
「そんな事は知ってるよ。
それより、話したいことがあるんだ❗日が暮れる前に、チョッといいかな。」
(ひよ助)と名乗るその鳥は、頭に鶏冠をたてて全身のはねを膨らませ、何か得意気に私を見つめていた。