スズメ親分の出現
暫くどんよりとした沈黙がつづく〰。
と、突然
「あ~熱い熱い❗」
その老婆が叫ぶように言葉を発した。私の下向き加減の角度がますます急降下する。
(この老婆は危険人物だ❗)私の脳が私に指令を出す‥。間もなく老婆の奇声とも聞こえる次の言葉が私の頭上を飛び交った。
「いたたたたたぁ‥痛い痛い」
薄目を開けて様子を伺うと、その老婆が腰と左足太もも辺りをさすりながら踞ろうとしている。座ることも出来ないのか、又ヨロヨロと立ち上がり、サウナ室の隅に立て掛けた杖を取ろうとしている。さらに声はその音量をアップさせて、けたたましくサウナ室内に鳴り響いた。
「いたたたたたぁ‥痛いいたたたたたぁ‥」
(さすがにここで無視したら鬼でしょうね)
すると、私の中の「エンジェル祥子」が囁き始めた。
「さあ~早く声をかけてあげて❗」
(え~、でも‥)
「早く!お婆さん、心臓が弱そうよ。早く助けてあげないと。」
ヨロヨロしている割にはリアクションが大きいこの手の人間にはいつも私は騙される。でも、杖を取ろうとしている‥しかも転倒しそうだ。
(サウナ室の中では絶対に誰とも話さない)
私の中のこの掟は破られた。
今、目が覚めたふり。今、老婆の存在に気づいたふり。
(このまま滑って頭でも打たれたらもっと面倒くさいことになるのはまちがいない‥)
仕方がない。
「あっ、お婆さん❗大丈夫ですか。杖、お取りしましょうか」
老婆は、待ってましたとばかりに、醜くて死にそうな猛獣の鳴き声のような言葉を放った。
「お嬢さん、ありがとよ~。もう腰も手も足もどこもかしこも痛くてよ~、自由にはならないやね」
「はい、チョッと待って下さいね。いまお取りしますから動かないで。」
私は老婆の身体を支えてイスに座らせ、杖に手を伸ばした。
だが、次の瞬間、サウナ室の重たいドアがギギィーと開いて、物凄くお喋りの好きそうなオバサンが
「今日はやけに暑いね~まだ4月だってのに」文句を言いながら入って来た。
(なんというタイミングの悪さ‥あと少し我慢してればこの苦手なオバサン達と関わらなくて済んだのに❗)
「お嬢さん、どっから来たんだい?あんまり見かけない顔だねえ。
今時の若いもんは他人の事なんかどうでも良くて携帯電話ばっかりいじって、どうしょもねえやねえ~。でも、あんたは偉い。
学生さん?」
「いえ、違います。もう仕事してます。
そんなに若くはないんですよ」
その会話に文句をつけたそうなオバサンが口を挟んでくる。
「あぁ~お姉さん、たまに来てるよね、私は何度か会ってるね」
老婆は急に水を得た魚のようにイキイキと眼をギラギラさせた。
「そうなのかい?あたしゃ昔はこのサウナの主だったんだよ~。最近はこんなボロボロの身体になっちまってね。情けないもんさ。まだ所帯を持たない息子がいるけど、息子なんてつまんないね。全くあてになんかなりゃしないよ~。
あたしゃ、こうしていつも一人だよ‥。」
私の中の(デビル祥子)が尽かさず囁いた。
(だから言ったじゃない。相手にしちゃ駄目なんだよ~どんな状況でも‥。お情けが欲しいだけの汚い人間に関わったらどんな目に合うか、おまえ知ってるだろう‥)
そして、ダラダラと‥老婆と私とオバサンの会話が続いた。
(何処かで逃げ出さないと❗)
ここのサウナ室には窓がある。
私が唯一気にいっている理由はそこだ。
息苦しい。呼吸を整える為に、窓の外にふと目をやると、スズメが3羽、こちらをじっと見つめているのがボンヤリ見えた。
満開の時期を過ぎて既に葉桜になろうとしているその木の枝に、スズメが3羽とまって揺られている。
外はかなりの強風のようだ。風に飛ばされないようには羽をぎゅっと縮めて寄り添っているのがわかる。
何か相談をしているかのように、ひそひそこちらの様子を伺っている。3羽のうちの真ん中のスズメだけが、やけに大きい。
次の瞬間、何か空耳のような声が聞こえた。
「おい。チョッと外へ出てこい❗」
一瞬、耳を疑う私。でも、確かに野太いその声は、窓ガラスの向こうにいるスズメ達から聞こえてくるように思えた。耳を澄ますと、また聞こえた。
「早く出て来なさい❗スズメ親分があなたにお話ししたい事があると言っております。」
(はっ?スズメ親分?)私の心の中を見透かすように、声は答えてきた。
「そうです。スズメ親分です。今日はあなたの為にわざわざお越しくださっているのです。早く外の露天風呂に、さっさと移動してきなさい。」
見ると、真ん中のやけに顔も大きくて濃ゆい赤茶けたスズメがキリッと眼を見開いて、こちらを見つめていだ。
(なに~この展開‥)
不思議な不思議な出来事は、ここから始まった。