1-2.わたしの家に 小象が来たこと
翌朝、わたしの家に小象が来た。
小象と言っても、わたしの背丈の倍近い。ぱぽーなんて鳴いている。
それから昼前に草里が来て、わたしの部屋で休んでいる小象をぺたぺた撫でている。
「なんで? なんで象なの」
「知らないよ」
「これ、あなたが持ち帰ったものじゃないの?」
夕べの夢は、よく思い出せない。
「それかもしかして、つけてきたのじゃない」
夢追いの類か。夕べじゃなく、昨日学園での草里がやばそうだったという昼寝。あれは、深いところまで落ちていた感覚は覚えている。あのとき掴んだのは掴んだのだ。結局雫になって消えてしまったけれど……
「ソラミミ! この子、しっぽがない」
「え」
わたしはわたしの手のひらを見る。あのとき、この子のしっぽを掴んだとか。
「こいつは、害なすものの類じゃないな。むしろ縁起ものだよ。象なんて。宝石を採ってくることはできなくなったけど、あんた新たな才能を見い出したんじゃない? こういうのを連れて帰ってくるって」
草里は小象をぽんぽん叩いて、はしゃいでいる。小象は、ぱぽーなんて鳴いて。
「わたしは、宝石のがいいな……」
「諦めなよ。もう、宝石は無理なんだよ」
「なっ。なんでそんなこと言われなきゃ」
「それよりさ」
草里は小象の顔をぐいってわたしの方に向ける。縁起もの、って顔か?
「この子どうする?」
学園に言えばあなたの価値が上がるかもしれないけれど、象は絶対取り上げられるよ。と草里は言った。
「わたしだったら離さない。こんな可愛い子」
「可愛い……かなあ」
あはは、とわたしは力なく笑った。だけど何となく、自分が連れてきたんだ、というのがしっくり来るようになってて、学園には渡してしまいたくないとも思っているわたしがいる。
「けど草里。大きくなるし、うちでは飼えないでしょ。何かいい方法でもあるの?」
「ねえそこでソラミミ、相談があるの」
草里の目つきが少し変わった。
「この子とパレード潰しをしよう。と思うのだけどあなたはどう? ソラミミ」
パレード潰しですって?
「あんなの……ピエロの数が半端ないやつでしょ? それにパレードって言ったら大抵、象がいるんでしょ。でっかい象。もしかしてその象とこの子を戦わせるって気? 勝てっこないよ」
「いいえ。この子は、特別な象よ。あなたが連れ帰ったのだから……ピエロ斬りの剣を作る宝石みたいに、ピエロを殺す力が備わっている」
「そんな。特別だなんて……えへへそうかなあ」
草里に特別なんて言われると、わたしはつい少し図に乗ってしまう、かも。
「そう。特別な、象よ」
草里は強調した。今の草里の目は真剣そのもの。
そうは言っても、パレード潰しだなんて、考えるだに正気なのかとしか思えない。
ときどき、空の高いとことかをパレードが行くのを見ることがある。わたしたちに直接害をなすものではない。だけど、大きく見れば都合の悪い存在。それを潰すのは確かに、わたしたちの仕事の一つとしてあることは知っている。けど学園を卒業してその道の専門になった人らがやることだし、そうじゃなきゃ、どこか田舎の暴走団が度胸試しでそういうことやって、みたいなことは聞いたことあるけど、危険なものだってのもよく聞かされているわけで。この世界にはそういう危ないことは幾つか存在するけれど……。年頃の女の子がスリルを求めてやろうなんてことじゃ、ないでしょ草里?
「この子、言うことちゃんと聞くかな。ほれ廻れ右」
草里はすでにその気のようで、小象を訓練しようとかしてるし。
わたしが草里と一緒のクラスになったのは、この十六の年からだ。十二から十五までわたしは、同じ手わざ系の子ばかりを集めた少人数の学級にいた。わたしは何も知らなかったから、草里に気兼ねもなく打ち解けたけど、草里はそれまで一緒だった戦系の子らからは、ちょっと近寄り難い存在だったらしい。あまりに腕が立つからとか、怒らせると恐いとか、ちらっと聞いたことはある。まあ、草里はちょっと変わった子だしだいぶ無茶な子と思ってはいたけれど。
「ち、無理か……」廻れ右とかお手とかを繰り返していた草里。「ねえ、この子あんたの言うことなら聞く?」
小象がわたしを見つめている。ええと、廻れ、右? なんて。小象がくるっと右に廻る。言うこと、聞いてる……
「みたい。廻りすぎたけど」
「おお、すごい、すごい」
またはしゃぐ草里。
「ねえ……草里。パレード潰しって、本当に本気? なんでわたしたちだけで。それになんでわたしたちが?」
「あのさあ」
草里はまた真剣な面持ちに。多少の苛立ちも見える。
「学園は、パレードをほったらかしなんだよ? パレードに、どれだけの空や雲の集落が消されていると思っているの。確かに、そこに住んでいるのは人でない人でなしばかりよ。けど、わたしには人でなしにも小さな友達はいたんだ」
草里の表情が今度は少しだけ、曇った。
「そいつも、パレードに食われてしまったよ。もう、ずっとずっと前のことだけど」
「草里……」
草里ってときどき、とても悲しくて、独りなんだこの子は、って思うことがある。
「そいつらだって、人に頼むすべを知っていれば、助けてあげられたかもしれない。だけどそういうすべすら持たないやつらだっているんだ。声すら上げれないやつらだって。今のわたしたちは非力だけど、いつかは……まあその第一歩がこの子」
草里は小象をまたぽんと叩いて、この子は運命の子。と真面目に呟く。
「わかった」
わたしも、パレードは好きじゃない。うるさいし……華やかだし。あんな馬鹿馬鹿しいのがこの世界にのさばっているのは、好きじゃない。
「けど危なくなるようなら、すぐ帰る。草里もだよ」
「まあ、とりあえず、手慣らしよ。この子の力を見てみたいの。でかいのは相手にしない」
「あ、草里。もう帰るの?」
草里は小象のおしりの方へぴょんと飛んで、玄関のドアノブに手を伸ばす。
「準備する。明日ね。部下を二人程連れていくわ。小さめのパレードを狙うのだから、それだけいれば十分」
部下……?
草里はちょっと番長的なところがある、とも耳にしてはいたけど(番長じゃなく委員長なのは本当だけど)、彼女のそういう面についてはこれまであえてあまり知らずにいた。見た目は背の低い、番長なんて威厳には程遠い普通の女の子なのに。
明日も学園は休みで、押入れの掃除をしようと思っていたのだけど。今日しておこう。
「あ、この子は……」
草里はもう行ってしまった。結局、押入れが小象の仮住まいになった。