クリスマスの夜に
街の至るところで、クリスマスソングが流れる中、俺は肩を落として歩いていた。
街はどこか浮わついたざわめきと喧騒を奏で、道行く人々も幸せそうに微笑んでいる。
今日はクリスマス・イブ、恋人達は愛を囁き甘いひと時を過ごし、家庭のある者は家族と暖かい温もりを感じているだろう。
だが俺の心の中にはぽっかりと大きな穴があき、空っ風が寒風となって吹き抜けていく。
道行く人々は、真っ赤なバラの花束を抱えて憂鬱そうに歩く俺を見て、怪訝な面持ちで通り過ぎていく。
途中で寒さしのぎに自販機でホットコーヒーを買うと、カイロがわりにコートのポケットに突っ込み空を見上げた。
この寒さだと、夜更けすぎには雪が降りそうだな。
俺は黄昏ていく空を見上げてひとつ溜息を漏らすと、目的地の緑地公園へとゆっくりと歩き出した。
緑地公園の中に一歩足を踏み入れると、日が落ちたのと相まって、様々なイルミネーションが色とりどりに輝き、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
毎年12月の恒例となった公園内の各所に飾られた、幾何学模様の光の洪水は顕在だった。
今年は開催が危ぶまれたが、どうやら普通に開催されているようだな。
公園内では歓声をあげるアベックや、楽しげな家族連れの人達が大勢いた。
俺も去年までは……。
そんな人達を横目に見ながら、公園の中央にある広場へと歩いて行く。
広場には中央に噴水があり、その周りを幻想的に飾り立てる光のファンタジーは、まるで妖精の国に迷い込んだかのような感がある。
しかし、その噴水前には献花台が置かれ、数枚の遺影の前には、沢山の献花が捧げられていた。
俺は一枚の遺影の前に立つと、持っていた赤いバラを置いた。
赤いバラは献花にしては場違いな気もするが、彼女の好きな花だった。
いつも情熱の赤いバラだと言って、笑っていたな。
遺影を眺めると、彼女は時が止まったように、微笑み続けていた。
俺の目からは涙がこぼれ落ちる。
去年のイブに起きた理不尽な事件を思いだし、俺は久しぶりに怒りに震える。
彼女とは学生の時からの付き合い、そして毎年イブの日は、この噴水の前で待ち合わせるのが恒例になっていた。
しかし去年は、仕事にミスがあり、その後片付けに時間を取られて、気が付くと待ち合わせの時間を過ぎていた。
俺は慌てて彼女に謝りの連絡を入れると、大急ぎで待ち合わせの場所に向かった。
俺が公園に駆けつけると、何故か警察の車両や救急車が多数集まり、さながら戦場のような騒ぎになっていた。
驚きつつも胸騒ぎを覚えて、警察官の制止を振り切って、広場に駆け込むと彼女は、物言わぬ亡骸となっていた。
後で知った事だが、将来に絶望した若い男が刃物を振り回して、次々と広場にいた人達を襲ったようだった。
当時は、イブに起きた惨劇と大々的にニュースとなり、テレビでも連日のように流されていた。
あの時の俺は、怒りと悲しみに気が狂わんばかりになっていたが、一年も立つとすっかりと落ち着いた。
しかし何か心にぽっかりと穴が空いたようで、感情に乏しくなったようだ。
どうしても、彼女の事が忘れられない。
俺は少し離れた所にあるベンチに座ると、時たま訪れる献花を捧げる人達を、ぼんやりと眺めていた。
今晩は、ここで過ごすのもいいだろう。
俺がそう思って、微笑む彼女の遺影に視線を向けていると、上空から小さな白い雪がふわふわと降ってくる。
風を受けてふわふわと舞う雪は、幻想的な光に輝き、まるで小さな雪の妖精が舞い踊っているようだった。
ホワイトクリスマスか、そういえばホワイトクリスマスの時に、ここで願い事をすれば叶うと、彼女がよく言っていたな。
俺は幻想的な雰囲気に触発されたのか、上空を見上げると思わず願い事をしていた。
「神様か、サンタさんか知らないが、聞いているなら叶えて欲しい。もう一度、彼女と会って話がしたい」
俺は思わず口からこぼれ落ちた願い事に、ひとり苦笑しながら、先ほど買った缶コーヒーに口をつけた。 すっかりと冷めてしまったコーヒーは、俺の心まで凍らせるようだ。
その時、胸のポケットに入れていた携帯が、ブーンブーンと振動した。
俺が何気なく電話にでると、
「ちょっとー、遅いわよ! 何してるのよ。まさか、約束の時間を忘れたとかじゃないでしょうねー」
これは夢か、携帯から聞こえてきたのは、彼女の声、もう一度聞かせて欲しいと切望していた、かおりの声だった。
「みのる、ちゃんと聞いてるのー!」
やはり、かおりの声に違いない。
「おっ、おぅ、かおり! 今、何処にいるんだ!」
俺は思わず叫んでいた。
「ちょっとー、大きな声を出さないでよ。どこって、私はいつもの広場にいるわよ」
慌てて周りを見渡すが、かおりの姿はない。
「それより、みのるの方こそ何処に……あれっ、またどこかの馬鹿が騒いでるみたい。喧嘩でもしてるのかしら」
かおりの声と共に、叫び声や悲鳴が聞こえてきた。
これはもしかして、
「かおり、今すぐ逃げろ! そこから離れるんだ!」
「えっ、なになに。あっ、あれは、きゃー」
かおりの悲鳴を最後に通話が切れた。
「かおりー!」
俺が絶叫していると、突然誰かがぶつかってきた。
慌てて抱き止めると、それはかおりだった。
「きゃっ、あれ、みのるが、なんでここに」
かおりが驚いて、俺を見上げてくる。
これは一体なにが…… 俺も驚いているが、かおりは周りを見渡すと、更に驚いていた。
そして、噴水前の献花台にある自分の遺影を見つけると、
「きゃっ!?」
短い悲鳴をあげた。
そんなかおりを俺は、その温もりを確かめるように力一杯、抱き締めていた。
暫くして、俺達は近くのベンチに座ると、まだ興奮が冷めないかおりに、飲みかけの缶コーヒーを渡すと、俺は去年起きた事やこの一年にあった事などを、堰を切ったように話続けた。
かおりは黙って缶コーヒーを飲みながら、俺の話を聞いていた。
俺がやっと喋り疲れて、話が途切れた時に、
「ふーん、まだ信じられないけど……」
かおりはそう言って、自分の遺影の写真を見詰めると、おもむろに立ち上がり、俺の手を引き献花台に向かって歩き出す。
献花台前では、ちょうど年老いた女性が、献花を捧げている。
その女性は近付く俺達に気付くと、遺影の写真とかおりを交互に見て、訝しげな顔をすると去っていった。
かおりが立ち去る女性と、目の前にある自分の写真を眺めると、
「なんだか、本当の話のようね。でもこれからどうしよう。私は死んだ事に……」
かおりは小さく呟いた。
俺達はベンチに戻ると、これからの事、今後、どうするかについて話合っていたが、途中からはとりとめない話に変わり、俺にとっては久しぶりに訪れた、楽しい時間が過ぎ去っていく。
俺が笑いながら話しかけていると、突然かおりが、
「みのる、ごめん。やっぱり、私はここにいたら駄目みたい」
俺を見詰めて言った。
「えっ、どういう事」
俺が聞き返していると、かおりの体が透き通るように消えていくのが分かった。
「私はまた、あの時間に戻されるのかな」
そう言うと、かおりが俺に抱きついてきた。
震えるかおりを抱き締めて、
「かおり、行くな! またひとりになるのは耐えられない!」
俺は絶叫した。
かおりは俺の目を見詰めて、
「心配しないで、私は必ずみのるの元に帰ってみせるわ」
かおりはそう言い残すと、俺の腕の中からすり抜けるように消え去った。
俺は暫くの間、呆然と立ち尽くしていたが、おもむろにベンチに力なく腰を降ろした。
そしてふと気付くと、先ほどまで舞っていた小雪が、降り止んでいた。
どれぐらいそうしていたのだろうか。
いつの間にか時刻は深夜となり、イブの日が終り、クリスマスに日付が変わろうとしていた。
あれは夢だったのだろうか、幻を見ていたのだろうか。
そこで俺は気付いた。
あの飲みかけの缶コーヒーも、彼女と一緒に消えている事に。
俺はかおりの遺影の前に立つと、微笑みかけるかおりの写真を見て思った。
もしかすると、過去が変わった別の世界があって、そこではかおりが元気にしてるかもしれないと。
そして、時刻が12時になり日付が変わった時、また上空から雪が、舞いながら降ってきた。
俺はその小雪に誘われるように、上空を見上げた時、
「メリークリスマス! みのる!」
誰かが後ろから俺に抱きついてきた。
この声は……。
俺が驚いて降り向こうと正面を見ると、献花台や、あれほど沢山あった献花がなくなっていた。
そして、何故か俺の捧げた真っ赤なバラだけが、イルミネーションの光に煌めいていた。
終わり
この話は最初は、日付の変わる12時に彼女が消えてしまう、少し切ないラブストーリーでしたが、今日はクリスマスイブ、やっぱり最後はハッピーエンドじゃないとね。
そう思って書き直しました。
それではまた次のお話で、