第5話 始まりへのカウントダウン
長らくお待たせしました。土下座。
書きたい事が上手く表せなくて―――poison。って感じですが、何とか形になりました。
この大陸には季節というものが殆ど無い。
人々が知る季節というモノは、白髪の者達が唄として語り、或いは絵画などで表現した、情報や知識としての代物でしか無かった。
と、言うのも。この大陸において季節と言えば雨季と乾季の2つがあるだけで、その違いも風が東から吹くか、逆の西から吹くか程度の違いでしか無かったからだ。
海から吹く水気を帯びた西風が山脈にぶつかる事で雨が降りやすいのが雨季。
そして逆に、山脈にぶつかった風が水気を魔の領域に雨としてバラ撒き、乾いた風として東から吹いてくる、それが乾季だ。
今の時期はこの乾季の丁度真ん中あたりだった。
季節感が無く、ほぼ年中通して似たような自然が広がり、目を楽しませる季節感が無い世界ではあるものの、しかしこの気候によって、この大陸は水に恵まれていた。
東西の違いはあれど、山脈には年中雨が降る。故に、山脈を中心に巨大な地下水脈が形成され、湧き出す冷水が大陸全土を潤わせる。
乾季だとしても水に困らない生活が出来る。当然の様に思っている環境だが、住み易さとしては格別の気候だった。
魔獣蔓延る魔の領域との境界線でもある山脈。
その意味通り、魔境山脈と呼ばれる其は、多量の魔獣が溢れる事を抑えると同時に、人魔問わず水という自然の恩恵を容易に得る事が出来ていた。
そして、朝早くからこの豊富な水の恵みを味わう者が居る。
白く湯煙が広がる浴室、浴槽に肩まで浸かりつつ、縁に顎をのせるようにもたれ掛かり、銀糸を水面に散らす少女―――イヴ・ステッラだ。
「きゅうじゅういーち、きゅうじゅにー」
浴室に声を響かせ、数える。
かすかな水音と共に、石造りの水源から溢れて浴槽へと注がれるのは加熱された地下水で、魔力で動作する加熱炉は、小型のモノならばどこの家庭にもある、一般的な装置だ―――ただ、温度調整に難があるのだが。
故に、沸騰こそしていないが触れると軽い火傷を負いそうな程に加熱された地下水は、浴槽に注がれるまでの間に一度、元の冷たい湧き水と混ぜられてから浴槽へと流れ込む。
この段階構造(イヴはこれを温度調節槽と呼んでいる)に溜まった湯は、身体を洗う際の―――つまり、掛け湯用でもある。つい先程、ソフィアがイヴの頭から湯を被せた際の湯も、これを用いている。
「ひゃくー………はふぅ~」
早朝訓練の疲れが抜けて行くなんとも言えない心地よさに、思わず声が漏れた。
リラックス効果のある香りを放つ薬草や花弁が散りばめられた浴槽に肩まで浸かり、縁に顎をのせるようにもたれ掛かる。
朝風呂というのはあまり実行した事の無いイヴだが、日に一度、夕飯後から就寝までの間に入浴している。この温水に身体を浸ける“入浴”という文化を、彼女はとても気に入っていた。より正確に表現するならば「毎日の習慣である事が普通」だと感じていた。恐らくは、水面に揺れる白銀の髪―――賢人を由来とする知識の影響だろう、と当たりをつけていた。
そもそも、この入浴という文化も、遥か大昔に白髪の者が広めたと聞いている。
入浴、またはシャワーという文化が世間に広まるまでは―――それこそ、最早文献などを探しても見つかるかどうか、という程に過去の話となるのだが、川や泉の水で身を清めるか、もしくは、何もせず放置していたとか。
かつて、井戸で汲み上げたばかりの身を刺す程に冷たい水を浴びてみたり、真冬の川に身を入れてみたりと、無駄に冷水に対して挑戦をした経験を持っている少女は、だからこそ暖かい湯を浴びるという文化を好んでいた。いっそ愛していると言っても良いかもしれない。
のんびりと過ごしていると、ふと思い出した様に空腹感がじわじわとやって来た。
……そういえば、朝食まだ食べてなかったっけ。お兄様も待たせてたなぁ。
ふぅ、と熱い息を吐いて、立ち上がる。ちょっとフラ付いたが、縁に手を付けていた為に転びはしなかった。
ちょっと長湯し過ぎたかな……と考えながら少女は、ざばざばと水を脚で押し退けながら、湯の注ぎ口まで近付いた。
埃や水滴が中に入らないように、逆さまに置いてあった樹脂性のカップを手に取って溢れる湧き水を掬い、口へ運ぶ。
こくり、こくりと音を立て、喉を通して火照った身体へと冷水が流し込まれる。心地よい冷たさを感じながら、カップを持ったままのイヴは出口へと向かう……かしゃん、と軽い音を立てて扉を開くと、そこは当然、脱衣所だ。
開いた扉の隙間から暖気が抜け出し、代わりに冷気が流れ込む。
湯煙で満たされ暖かかった浴室とは違う、脱衣所の空気がひんやりと肌を撫で…………踏み入れると同時、白い影が正面へ飛び込んで来た。イヴはそれを危なげなく掴み……というよりも、腕に絡ませるようにしてキャッチする、バスタオルだった。
飛んできた方向へと顔を向ければ、そこに居たのは一足先に浴室から出て着替えを取りに行っていたソフィアだ。
「そろそろ出てくる頃だと思っていましたので」
言って、ソフィアは手に持ったモノを持ち上げて見せた。
風に揺れるそれは布だ。風呂場で見せられた布だが、タオルでは無い。いたるところに純白のフリルで装飾が施され、淡い桜色のソレは、どう見ても服だった。それも、ドレスと呼ぶ類のモノだ。
見覚えの無い服だが、心当たりはある。今は此処より北の都市に居るであろう、家族が送って来たに違いなかった。
「―――お姉様、ですよねぇ……」
「はい、姉君です」
想像通りの回答に、やはりと思いつつ、イヴはソフィアと顔を見合わせる。
お互いに、笑みを浮かべながら同じ人物を脳裏に描いていた……引きつった、と形容すべきモノと、僅かに、と形容するように、その笑みには違いがあったが。
イヴには兄と姉が居る。ユスティともう1人、アルクシアの騎士団で活躍する10程歳の離れた兄2人。
そして、アルクシアの北に位置する魔法都市の学院に在籍しているプリムラという17歳の女性が姉だ。
美人と称するに相応しい外見をしてた姉は、目鼻整い、きりりとした細眉も合わさりどこかクールな雰囲気を漂わせていて、所謂カッコイイ女性である。
―――ただ、本人としてはそれが若干不服であり、かわいいと言われてみたいし、そんな服なども着てみたいと常々思っていた。
そして、その感情の捌け口が、イヴである。
「お姉様も、似合わない訳ではないのだから自分で着れば良いのに」
「しかしお嬢様のお方がお似合いですし、せっかく頂いたのですから、せめて一度は着用しなければ申し訳が立たないかと」
嫌そうな顔をするイヴに対し、いけしゃあしゃあと、まるで自分の意向では無いとばかりにフィオナは言っているが―――イヴはその内心を知っている。
……フィオナもお姉様と同じで、私にかわいらしい格好をさせたがるんですよねぇ。
正直、イヴ本人としてはフリルやレースの付いたかわいらしいドレスよりも、動き易いハーフパンツやキュロットスカートなどが好みだ。
普段の生活からして、本などを通して知識を得る事も嫌いでは無いが、どちらかと言うと外に出て動き回る方が性に合っている。故に、彼女のクローゼットに納められた服はそうした活動的な服が多い。
ただ、実際には姉であるプリムラ、さらには母などから時折送られるドレスなどのような、小さく折り畳む訳にもいかない類の衣装が嵩張って場所を食っていて……まあ、本人としてはどれ程場所を食われようとも小さく畳めば収まる量しか服を持たない為、然程困ってはいないのだが。
とは言え、別に煌びやかなドレスで着飾る事が嫌いな訳では無い。
身体を動かす方が好きだから、身体を動かし辛いドレスを着る機会が無いだけだ。
そして今は、そのドレス以外にこの場には服が無い。部屋まで戻ればあるが、其処まで裸で廊下を歩く程のはしたなさは持ち合わせていない。
だから身体を拭き、魔法一発で髪を乾かす。温風で水気を飛ばす魔法は、民間に広く知られる生活魔法のひとつだ。冷風も吹かせることが出来るので、暑い日などにも重宝されていて、何かと便利な魔法である。
きっと、この魔法が突然使えなくなったら、街中で大混乱が起きるんだろうなぁ、などと得体も無い事を考えつつ。渡されたドレスを身に纏い、袖へ両腕を通てから従者へと背中を向けて「お願い」と一言、背中を閉じる為の紐を任せる。背中が大きく開いたこの衣装には、それを絞る為の紐が交差するように取り付けられていたからだ。
頑張って背中に腕を回すか、念動の魔法を使って紐を結べば良いのだろうが、前者は腕が攣りそうだし、後者に至っては触れる感触が無い為にうっかり強く絞りすぎるかもしれない。さらにはそのまま固結びにでもなったら目も当てられない。流石に、試す度胸は無かった。
この、誰かに頼まないと着用が難しいという点でも、気軽に着れない為に着用する意欲が減る事に拍車をかけていた。
ため息をひとつ吐いて、視線を両袖に向けた。
裾へ向かうにつれ広がる形の桜色の布地。縁につけられた装飾である純白のフリルは、よくよく見てみると銀糸による細かい刺繍が施されていた。
明らかに安物では無い。布地の肌触りもやわらかい。
……もったいない。
少々度が過ぎてるのでは、と思わなくも無い量のドレスを送ってくる2人を思い浮かべ、イヴはひとつため息を吐いた。
当然だが、ドレスはタダでは無い。それもこんな衣装だ。やはりというか当然というか、相当高額な代物だとドレスを自分で買った事が無い少女ですら解る。恐らくは相当に高価な布地を、一流の職人に任せて作らせたのであろうこの衣装は、一着の値段だけで1年間質素な暮らしなら出来てしまうだろう。
かつて一度だけ、イヴは2人に「あまり贈られても着ないのだから、もっと他の事に使ってください」と言った事はあるのだが。その際の回答は「貴族は一流の品や、職人への依頼の様な、そうそう手が出せないモノにお金を使うのもお仕事です」と言われてしまい……それ以来断る事も出来ない。確かに、理屈は通っていたからだ。微妙に納得がいかないが。
「出来ましたよ」
「―――ん、ありがとう、フィオナ」
振り返って、礼を言いながら、軽く腕を回して紐が解けないかを確認する―――どうやら、大丈夫らしい。フィオナを信頼はしているのだが、何かの際に咄嗟に腕を大きく動かしでもして、紐が解けたり千切れたりしたら眼も当てられない。その点から考えて、この結びには動く為の多少の余裕はあるが、肩がずり落ちない程度の締め付けは確保されていた。
流石はフィオナ、と関心しつつ青灰色のブレスレットとアンクレットを付ける。魔鉱石と呼ばれる特殊な金属で作られたソレは、魔法を扱う上で重要な代物だ。先ほどの温風のような魔法ならば道具なしでも発動は可能であり、問題も無い。しかし攻撃用の、火炎や電撃のような魔法を扱うなら話は別だ。と、言うのも魔法は身体の表面から出るからだ。炎や雷などを直接出したら、当然自分自身にも被害が及ぶ。そこで使われるのが魔鉱石と呼ばれる魔力を通し易く“身体の延長”として扱う事が出来る素材だ。コレを用いる事で、魔法を安全に扱う事が出来る。
そして魔鉱石の中でも、青い魔鉱石には特徴がある。
それは、長期間に渡って同一人物の魔力を浴びせると、その魔力を流すに適した状態に……つまり伝導率が上昇する。最終的には抵抗が零となり、文字通り身体の延長として扱えるようになるのだ。
だから、この世界では生まれて間もない赤子に青魔鉱石を身に付けさせ、長い年月―――個人の魔力量や身に付ける青魔鉱石の分量にも拠るが、およそ10年程もの時間を掛けて“最適化”する。イヴのブレスレットとアンクレットもその類に漏れず、物心付く前から身体に付けていたモノだ。
そして、今年。
イヴの両手両足、計4つの青銀環は少女が身に付け始めてから、丁度10年の時を迎えようとしていた。
少女が本格的に魔法を教わり始めるまでの日数は残り僅かしか無い。
しかし、物語は進んでない!
(プロローグだから、許してくださいとしか言いようが無い)
まあ、それはさておき。今回の設定まとめと補足説明。
●魔の領域
城砦都市アルクシアの東に広がる、魔獣がわんさか居るエリア。大体、大陸の半分くらいを占めている
城砦都市はココから時たま出てくる魔獣を抑える事が仕事。
●魔獣
ヒトに害を成す害獣。その中でも、ヒトに直接的危害を加えるレベルのモノを指す。
この世界では生物すべてが魔法を使えるので、魔法が使えるだけの獣は魔獣とは呼ばない。
要するに、弱い獣は魔獣では無い。
●魔境山脈
大陸をド真ん中で縦断している険しい山脈。ヒマラヤ山脈みたいなナニカ。
山頂付近は過酷過ぎて魔獣ですら乗り越える事が不可能と言われる程。
(余談だが、正確には大陸の北から南では無く、北から南南西に掛けて走る山脈)
●魔法
誰でも使えるので、生活に浸透している。
今回イヴが使ったのは、ドライヤー的な魔法。
●白髪の賢者
ヒトは長い年月と共に知識を蓄え、そしてやがて髪が白くなる。
逆に、生まれた時から白い髪を持つならば、それは知識を蓄えた象徴。
―――という超理論。
●冷水を浴びる行為
イヴの“知識”に何故か入っていた修行法(?)のひとつ。
良く解らないが実行した。
●にやにやフィオナ
別に、心の中で忠誠心が溢れてひゃぁぁ!!してる訳では無い。
単に友人的な存在であるイヴを、ちょっと困らせて楽しんでるだけである。
●ブレスレット
手首に付ける飾りの事。
この場合、バングルに近い。
●アンクレット
足首に付ける飾りの事。
やはり、バングルに近い形をしている。
●魔鉱石
マジカル☆素材。
本作屈指のマジカル度数を誇り、事有る毎に登場するであろう存在。
名前が出ていなくとも、マジカルな出来事の影には大体コイツがある。
●伝導率
電気的な意味でのソレとほぼ同義。
ただ、電気は二極であるのに対し、魔力は一極で流れる。
要するに、+と-が無く、回路的に言うと電源から出た線が電源に戻る必要が無い。