音で繋がる
トントトントトンットントントントンットントトントントンットントトントントットトトントントトッ……。
机を指先で叩く音が後ろから微かに聞こえる。
なんら法則性を感じない歪なリズム。
その音を発しているのは僕の後ろの席に座るクラスメイト。出世番号23番、続亜実。
席替えが少し前に行われ僕がこの席になってまだ一週間と少し。そして彼女のこのクセを発見したのが三日前だ。
授業中、ふと耳を澄ますと聴こえてくるトントンという音。始めそれは貧乏ゆすりの指バージョンみたいなものかと思ったけどそうではない。普通貧乏ゆすりは連続的に一定のリズムを刻むものだがそうではない。かといってバンドのドラムの様に決まったパターンを刻むものでもない。あくまで断続的な音だった。
いつもやってるその音はなに? などと気軽に質問できる性格ではなかった。僕はまあ、有体に言いえば人見知りだった。
しかし、人見知りの僕でなくても彼女に話しかける者はこのクラスにはあまり……、ほとんど……、いやもはや皆無と言っていいほどいない。
クラス替えが行われ、学習研修という名の遠足へ行き、夏休みが終わり、運動会が先週終わった。
このクラスになってこれほどの時を過ごしても未だかつて、続さんが楽しげに友達と話している風景は見た事がない。というより一人でいるところしか見ていない気がする。
別にこのクラス全員でグルになって続さんを無視しているわけではない。こう言っては何だが、彼女の正確に問題があるのだと思う。実際、僕は彼女と言葉を話したことがないので内面がどうとかは分からない。
トントトントトンットントントントンットントトントントンットントトントントットトトントントトッ……。
このクラスになりたての頃、初めこそ皆様子見でぎこちない雰囲気だったがどのクラスにも陽気な奴、積極的な奴、所謂ムードメーカーが数人いるものである。
そんな奴が親睦会を開こうなどと提案してクラス全員をカラオケなどに誘うのである。
僕は断る理由もなく、去年一緒のクラスだった友人もいたこともあって普通に参加して、なんとか初対面の人とも喋るように努力した。
そんなこともあって多少人見知りな僕でもほとんどのクラスメイトとは難なく話せるようになり、普段一緒に過ごす友人もできた。
しかし彼女、続さんは最初の親睦会にも一人だけ来なかったし、女生徒の何人かが仲良くしようとアプローチをかけても気のない返事をした、らしかった。
このクラスになり一月ぐらい経ってから僕は続さんがなんだか浮いているなと気付いたし、もうその頃には彼女に話しかけようというクラスメイトはいなくて、彼女のポジション、キャラクターは決まってしまっていた。
トントトントトンットトトントトンットントントトントットトンッ……
だけど今日この頃、続さんの前の席になり、あの奇妙なリズムのせいもあって、少し彼女を意識し始めた。
こっそりと首を左に傾けて窓に映った続さんの顔を盗み見た。彼女の前髪は長く顔の半分は覆われていて表情を窺う事はできなかった。だけど暫く眺めていたら彼女の髪が揺れて、その間から切れ長の綺麗な目が表れた。
そして窓に映った僕と、窓に映った続さんの目があった。
一瞬睨まれかと思うとすぐにまた髪を揺らしその瞳を隠した。僕はそれで眺めるのを断念した。
トントトントトンットントントントンットントトントントンットントトントントットトトントントトッ……。
昼休み、僕は友人と食堂にて昼食を摂っていた。僕は大抵一番安い素うどんである。
友人の蜷川は豪華にも定食メニューである。素うどんの倍の値段だったはずだ。
値段が高いだけあってボリュームも結構ある。僕は既に汁まで飲み干してしまい手持無沙汰になっていた。
ふと視線を下に移すと蜷川の足が上下に小刻みに揺れている。これが正真正銘の貧乏ゆすりだ。僕はなんとなくそれをずっと眺めていた。
「小銭でも落ちてたか?」
食べ終わった蜷川が訝しげな顔でそう言った。
僕は首を横に振り尋ねた。
「貧乏ゆすりって。癖?」
いきなりの変な質問に蜷川は首をかしげた。
「ん? まあ、癖だな」
「どんなときにする?」
「どんな時って、特に意識してねえよ。それが癖ってもんだろ?」
確かにそれはそうだ。
そう、癖とは無意識のうちにしてしまうもの、しかし続さんのあれは余りに変則的リズムで、無意識下でやるのは困難に思えた。
実際に自分でもやってみた。
余り意識せずに指先で机をトントンと叩く。できるだけ法則性、規則性を持たせず変則なリズムで。
結果、やってやれない事もなかった。いや、無意識を努めたが実際は意識していたのかもしれない。
自分は何を真剣に考察しているのだろうと一瞬ばかばかしく思えた。そんな馬鹿な事をやっているうちに最後の授業が終わり、放課後になった。
続さんは身支度を済ませると迷うことなく教室を出て行った。
そんな僕も帰宅部であとは真っすぐ家に帰るだけなのだが、
「岸野、本屋よってこうぜ」
と同じく帰宅部の蜷川に大抵何処かにいこうと誘われるのでそれに付き合っている。
トントトントトンットトトントトンットントントトントットトンッ……
続さんは大抵授業が始まる直前に来る。
このクラスは余り真面目な方じゃないので先生が来る前に準備を整え皆机にきちんと坐っているということはまずない。先生が来てやっと騒ぐのをやめ急いで準備をするのである。
そんな騒がしいクラスの中、続さんはそっと後ろのドアを開いて入ってくる。続さんが来た事に気付く者はいても声を掛ける者はいない。彼女はそっと席について窓の外を眺めるのである。
昼休みにはいつも独りで弁当を食べている、そして残りの昼休みはいつもふらりといなくなってしまう。何処に行っているのかはわからない。もしかしたら他のクラスには仲のいい友達がいるのかもしれない。そうであって欲しいと微かに願っていた。
そして学校が終わると誰にさよならも言われずにそっと帰る。
今日一日、続さんを見ていて思った。
あまりにも悲しすぎではないだろうか。
誰とも口をきかずに一日を過ごす。
皆が笑顔で過ごしているその中で一人、独りで過ごす。
それは、あんまりだ。
皆はきっと続さんの今の在り方がもう自然になりすぎてその残酷さに気付いていない。斯くいう僕も今の今で気付いてあげられなかった。
気付いた僕はどうすればいい?
勇気をもって話しかけるか? しかしそれを彼女は取り合ってくれるだろうか。それ以前に彼女は今のこの状況をどう思っているだろう? 僕が勝手に残酷だ、可愛そうだと決めつけるのは勝手じゃないだろうか? むしろ独りが好きで今の状況こそ彼女が望んだ状況ではないか?
様々な疑問が飛び交う中、僕が選んだ答えは、現状維持。
選んだ、いや、逃げたと言ってもいい。続さんが本当は皆と話したいと思っているとしても僕の存在は無力だ。彼女に一言話しかける勇気すらないのだから。
トトントントットトトットトンットントンッ
今日も軽快、とは言い難いリズムが後ろから微かに聞こえる。
皆が嫌がっているこの授業の時間。続さんにとってはこの時間こそが学校で唯一安らげる時間なのかもしれない。そう思うと、やはり悲しかった。
ほとんど絶え間なく続さんは音を響かせている。それを聴くことだけが今の僕にできる唯一の事だった。
その日の夜、明日は休日ということもあって僕は少しだけ夜更かしをした。何をしていたかというとテレビとつけていたらたまたま始まった深夜の映画を見ていたのだ。
それは外国の戦争映画だった。タイトルはよく覚えていない。
ベッドに横になりながら見ていたのでやがて眠気が襲ってきた。それほど面白く感じなかったので切り上げて寝てしまおうかと思ったとき、あるワンシーンが目についた。
それはある兵士がモールス信号を使って助けを呼ぶシーンだった。
トトトツーツーツートトトツーツーツー。
この音は聞きおぼえがあった、確かSOSだったはずだ。
そして、ふと在る可能性を思いつき反射的に身体をベッドから起こした。
モールス信号……。
続さんの指先から発するあの音、どこか今しがた聴いたモールス信号のあのリズムに似ていると思った。
まさか、いやしかし……。
一度そう思うと、もうそうとしか思えなかった。
気付くと眠気はどこかへ消え去り、結局映画は最後まで見た。しかし内容はほとんど頭に入ってこなかった。
次の日、モールス信号についてネットで少し調べてみた。
アルファベットだけではなく平仮名、数字、括弧などの記号もモールス信号で表せることがわかった。
SOSを表すトトトツーツーツー。
それの『ト』の部分は短点、『ツー』の部分は長点と呼ぶらしい。長点同士の間は短点一つ分、文字と文字の間は短点三つ分、単語と単語の間は短点七つぶんとのことだ。
平仮名、アルファベットのモールス信号の一覧表が載っていたのでそれをプリントアウトした。
それにしても複雑だ。平仮名だけに着目してみても濁点、半濁点を入れて53種類。それほどの種類の文字を『ト』と『ツー』の二つだけで表わしているので複雑になるのも仕方ないと。
情報の授業で習った二進数の表現に少し似ていると思った。しかし繋がりは余りないようだ。
しかし、もしも続さんのあの音がモールス信号だとしたら彼女はこの複雑なパターンを全て覚えているというのだろうか。そして何を発信しているのだろう。
それを確かめるためにプリントアウトした一覧表を学校の鞄に忍ばせた。
翌日。
授業が始まり、暫くすると後ろの席からいつものあの音聴こえてきた。
トントトントトンットントントントンットントトントントンットントトントントットトトントントトッ……。
それに気付き、僕は鞄に入れておいたモールス信号の一覧表を取り出し、周りに気付かれないようにノートの上に広げた。
耳に意識を集中させなんとか聴きとろうとする。聴きとるだけでなくその音がどの文字に対応しているか確かめなければいけない。
絶え間なく続くその音を全て変換しようなんて、初めてでは到底無理なことだった。それ以前にこの音が果たしてモールス信号なのかさえまだ確信が持てなかった。
まず、これがモールス信号であるか、どうかを確かめることにした。
取り敢えず一つ、一文字を集中して聴きとろう。
トントトントトンッ……
聴きとった音を忘れないようにすぐさまノートに書き込んだ。
『-・-・-』
これは……。
一覧表とノートに書いた点と棒を見比べてみた。
あった、おそらくこれは『さ』だ。
一度だけではまだ確信が得れなかったので今作業をあと数回繰り返した。
トントトントントン……
『-・---』……これは『え』
トトンッ
『・-』……これは『い』
そんな作業を一時間目の授業が終わるまで繰り返した。
そしてどれも一応モールス信号の一覧表にあった文字と一致していたのでやはり彼女のあの音はモールス信号なのだと確信した。
ただ断片的に文字を拾っていただけなので文や単語はできず、彼女が何を伝えたいか、何を言っているのかは分からなかった。
授業の合間の少しの休み時間、神経を使う作業をしていたせいか酷い疲労感を覚えた。それは真剣に授業を受ける以上のものだった。
それにこの作業をするには完全に授業を捨てなければいけない。要領の余り良くない僕は授業を聴いていないと次のテストに影響することになる。
ただ、国語だけは得意なので何とかなる気がした。
国語の授業は明日の三、四時間目だった。
取り敢えず今日は音を聞きとる作業を一時中断し、授業に集中することにした。
それでも後ろから聴こえる音に僕の意識は向かってしまう。続さんはいったい何を伝えようとしているのだろう。
トントトントトンットトトントトンットントントトントットトンッ……
昨日と同じ様にノートの上にモールス信号の一覧表を広げて耳を澄ました。
やがて音が聴こえてくる。しかし早すぎてやはり全ては聴きとれそうもなかった。
それで取り敢えず変換する作業はおいといて、音をメモすることに専念した。
耳に意識を集中させノートに線と棒を書きなぐった。
『-・-・・、----、-・---、-・--・、・・--・・』
まとめてそれだけメモして、変換の作業にかかった。
えーと……『キ、コ、エ、ル、』最後のは……、『?』かな。
『キコエル?』――聴こえる?
始めて単語を聴きとれて軽く身震いした。そして意味を考えた。『聴こえる?』これは、誰に向かって言っているのだろう。この音が聴こえるのはこのクラスではきっと僕しかいない。
人数の関係で六列ある席の一番後ろの席は三人しかいない、後ろの三人は一つ飛ばしで配置されている。だから続さんの席と接しているのは僕しかいないわけである。極めてあの小さな音、僕でさえ集中しないと聴きとれないのだからさらに離れた席の人はおそらく聴きとることはできないだろう。
じゃあ、彼女は僕に向かって『聴こえる?』と言っているのだろうか?
いや、きっと誰にも届くと思っていないだろう。普通の高校生がモールス信号などわかるわけもない。届かないと分かってる、気休めに過ぎない、それでも彼女はずっとそうやって信号を送っていたんだ。
そう思うと切なさに胸が締め付けられた。
続さんは決して届かないと持っているかもしれない。だけど僕は気付いてしまった。彼女の信号に。
もう一度信号を受信してみた。
『-・-・-、・・-・-、--・-・、・-』
『サ、ミ、シ、イ』
サミシイ、さみしい、寂しい。
またも胸が締め付けられた。
やはり、続さんは独りが好きなんてことはなくて、独りは寂しかったんだ。きっと僕以上に人見知りなのかもしれない。不器用なだけなのかもしれない。
今、僕だけが彼女の気持ちを分かっている。彼女の信号は僕にしか届かない。無視することは簡単だ。だけど知ってしまった以上そんな残酷なことはできない。じゃあ、どうする? どうすればいい?
逡巡の後、僕は返信をした。
『-・-・・、----、-・---、-・--・』
『聴こえる』、と。
聴こえ易い様に彼女の様に指ではやくペンの先で机を叩いた。モールス信号を送ってはみたが、なにせ初めてなのでちゃんと伝わるかどうか不安だった。だけど、
僕が送った後、『えっ』彼女が小さくそう洩らすのが聴こえた。そして彼女の音が止んだ。
それと同時にチャイムがなり昼休みになった。
「よし、飯食いに行くか」
「あ、うん」
続さんの様子を窺う暇もなく蜷川に食堂へと連れて行かれた。
素うどんを食べながら考えた。
僕が信号を送った後、彼女に反応があった。あれは明らかに驚いている様子だった。ということは僕の信号はちゃんと伝わったということだろう。
これでもう僕は彼女に関わってしまった。もう逃げることはできない。
「どうした、難しい顔して?」
「いや、なんでもない」
気付くと蜷川は既に食べ終わっていた。残っていた汁を飲みほして僕達は食堂を後にした。
午後の授業が始まった。
続さんと関わってしまったからには最後まで付き合う覚悟を決めた。だから授業は半分捨ててノートの上に一覧表をまた開いた。
しかし、いつまで待ってもその日は音が聴こえてくることはなく、最後の授業を終える鐘が鳴り響いた。
音がなかった事を不審に思って後ろを振り返ったら、彼女も僕を見ていた。一瞬、長い髪の奥に隠された瞳が見えた。
だけどすぐに目は逸らされて、すぐに続さんは教室を出て行った。
次の日も、一覧表を広げて待ち構えていたのだが、一向に音は聞こえてこない。そのまま昼休みになり、続さんは教室から出て行ってしまった。
もしかして、モールス信号のことが僕にばれたからもう発信しないのだろうか。そこまでして他人とかかわりたくないのだろうか。関わるのが怖いのだろうか。
『サミシイ』という気持ちを、届く確率が皆無だったあんな小さな音に乗せて送っているほど、独りが辛いはずなのに。
それとも、僕なんかに届いてもどうにもならないと思っているのだろうか。
午後の授業が始まった。
相変わらず静かだった。
このまま、何もなかったことにされてしまうのだろうか。確かに言葉を交わしたわけでもなんでもない。だけど、一度だけ僕等は音で『会話』したはずだった。それは会話と呼べるか怪しいものだけど。なんにせよ、このままなかった事になるのは僕としても寂しかった。
だから、待つのはやめた。
僕は一覧表を睨みつけ、その言葉をノートにメモを取ってまとめた後、ペン先で音を発した。
『-・-・・、----、-・---、-・--・、・・--・・』――『聴こえる?』
静かな教室に僕が鳴らす無機質な音が静かに響いた。
微かな息をのむ音が後ろから聴こえた。
僕は目を閉じてそっと待った。その瞬間僕の中から光と音が消えた。意識を両耳にだけ集中させ、僕は待った。
『-・-・・、----、-・---、-・--・、』
十数秒後その音が聞こえた。
もう覚えてしまった『聴こえる』リズム。
僕は気付かれないようにそっと笑った。
少しあと、またも音が響いた。僕は慌ててその音をノートにメモした。そして一覧表と見比べて変換した。
『・-、・--・、・-・・、・・・、・・--・・』――『イツカラ?』
いつから? その言葉の意味する事がよく解らなかったので僕は『・・--・・』と疑問符だけ打ち返した。
『-・・、・・-、・-・・、----、・・』――『ホウカゴ』
『・・-・・、--・-・、--、・-・・、・-・-・』――『トシヨカン』
初めての二つの単語、それに濁点もあったので変換に少し時間がかかってしまった。
放課後、図書館……。
こんな信号じゃまともな会話などできないと察したのだろう。しかし、人を避けている続さんが直接会おうだなんて以外に思った。
勝手に放課後に図書館で会おうと解釈したがそれでいいのだろうか。いや、それしか考えられない。
『---、-・-』――『OK』
と、短く返信した。
何の気なしにローマ字を使ってしまったが、大丈夫だったろうか?
その後、後ろから音は聴こえてこないまま、放課後になった。
続さんはすぐに教室を出て行った。すぐに後に続くのもどうかと思い、僕はそのまま席に座っていた。
蜷川が帰ろうと言ってきたが、適当にいい訳を付けて先に帰ってもらった。
教室にはもう人が少ない。何もせずに席に座っているだけだと変に思われるかもしれないのでそろそろ席を立った。
気付くとわざわざ図書館へ行くのに遠回りな道を歩んでいた。そして自分が緊張しているんだと気付いた。
僕だってそれなりの人見知りだ、続さんをとはまだ一言も会話をしたことがない。そんな人と二人きりで会うのだ。緊張しないわけがない。
しかし、すぐに図書館にたどり着いた。
入り口で少し立ち止まった後、覚悟を決めて中へと足を踏み出した。
歩みながら辺りに視線を巡らす。図書室の中央辺りまで進んでようやく彼女を見つけた。一番奥の目立たない席で一人本を読んでいた。
「あの」
後ろからそっと、声をかけた。
だけど続さんは身体をびくっと震わせて、おそるおそる僕の方を仰ぎ見た。
「あっ……」
そう、短く洩らしたきり、顔を下げて黙り込んでしまった。
「えっと……」
斯くいう僕も何を話していいのか分からず、視線を明後日の方向に飛ばしてしどろもどろになっている。
このままじゃいけないと思い、意を決して口を開いた。
「あの、『イツカラ?』って言った? というより送った?」
続さんは小さく頷いた。
「それってどういう意味っだたの?」
「……これのこと」そういって彼女は机を指先でトントンと叩いた「いつから知ってたのかなって……」
「モールス信号の事?」
またも続さんは小さく頷いた。
「その音については少し前から気付いてたけど、それがモースル信号だって気付いたのはほんの昨日のことだよ」
「よく、わかったね」
「うん。この間みた映画で偶然モールス信号を使ってる場面があってもしかしてって、思って」
「まさか、全部覚えたの」
「はは、まさか。机の上にモールス信号の平仮名、ローマ字の対応一覧表を広げてただけだよ」
「それでも、そんな数日で聴きとれるなんてすごいと思う」
「そんなの、全部覚えてる続さんのほうがすごいじゃないか」
「私は、お父さんが無線とかそういうの好きで、昔から親しんでたから」
「へえ、そうなんだ」
気付くと最初の緊張は消え去り、普通に会話ができていた。
さすがにまだ目と目と合わせて会話できるほどではないけれど、続さんも少し緊張がほぐれたようだ。
「続さんって、人と関わるのが嫌いってわけじゃないんだよね?」
僕は気になっていた疑問を問いかけた。
「……うん」
その答えは半分予想できていた。
「じゃあ、どうして――」
言いかけて気付いた。その問いは残酷ではないか。どうして人と線を引くのかって、そんなの人見知りの僕自身が一番よく分かってる事じゃないか。
「……私、人見知りだから。……極度の」
「僕もどっちかっていうと人見知りな方だけど、でも何かきっかけさえあればすぐ仲良くなれるよ」
「……もう、無理だよ」
「そんな悲観的な……」
「だって、このクラスになって結構経つけど、その間私はずっと独りでいて、それがいきなり馴れ馴れしく話しかけたりしたら絶対変に思われるだろうし、それ以前に話しかける勇気なんてないし……」
確かに『続さんはいつも独りでいる』という教室の固定された空気のなか、彼女がたとえ挨拶一つでもしたら変に思う人もいるだろうし、その空気のなか自ら行動を起こすのは至難に思えた。
「確かに、いきなり皆と仲良くなるのは難しいと思う」
「……うん」
「じゃあさ、まずは僕から仲良くなってよ」
「えっ……」
「僕と仲良くなったら、僕の友達の蜷川とも仲良くなれるかもしれない、蜷川と仲良くなったらその友達と、そうやって段々と増やしていけばいいんじゃない」
「……」
続さんは唖然とした表情で僕を見ていた。思えばこの時初めて正面から彼女を見た。
図書館司書の「後少しで閉めまーす」という声が響いたので今日は帰る事にした。
帰る間際「ありがとう」とどこが泣きそうな声で続さんは言った。
「おはよう」
いつも通り授業開始五分前に登校してきた続さんに僕は軽く挨拶をした。
「……」
だけど続さんは少し僕を見た後、すぐに席に座った。そしてすぐにあの音が聞こえてきた。
『・-・・・、-・・・、--、・・-』
僕は慌てて一覧表を取り出し、訳した。
『オハヨウ』
それを見て僕は少し呆れた。挨拶ぐらい口ですればいいのに。そこまで人まで自分を出す事が恥ずかしいのだろうか。
授業が始まって少しして、また音が響いた。
僕はすぐさま訳した。
『キイテイイ?』
そしてすぐに返信した。
『イイヨ』
『ブカツハ?』と続きさん。
『キタクブ』と僕。
『シユミハ?』
『エイガ オンガク』
『ナニガスキ?』
『キューブリック ブルーハーツ』
など、他愛もないことを話していた。
しかし、なんてまどろっこしい。言葉にすればほんの数秒の会話もモールス信号では数分かかる。続さんはまだ早い方だが全てを覚えていない僕は一度ノートにメモを取るという作業を挟むのでかなり遅い。
まだメールでやり取りした方が早いだろう。
……そうだ。話すのが嫌ならせめてメールでやり取りすればいいじゃないか。
僕はすぐさま机を小突いた。
『メールハダメ?』
少し間が空いて、彼女が答えた。
『イイヨ』
授業が終わると自分のアドレスと電話番号を書いた紙をそっと彼女の机の上においた。
次の授業中にでもすぐにメールが来るかと思ったが中々メールはこなかった。
結局、授業中にはメールは届かず、音も響かなかった。そして彼女は放課後になるとすぐに教室を後にした。
もしかしてアドレスを写し間違えただろうかと不安になった。それとも、ただ彼女が真面目なだけで授業中に携帯をいじるのはいけないと感じたのだろうか。
しかし、その考えも違ったようだ。今日一日待っていたが結局メールは届かなかった。
翌日の授業中。
『メールオクツタ?』と僕。
『ゴメン マダ』と少しして続さん。
『イツデモイイヨ』
あまり催促するのも良くないと思い、僕はそう送った。
暫く待ったが、依然としてメールは来ない。
そして音も鳴らない。
さすがに心配になってモールス信号を送ろうとペンを取った時、ポケットの中の携帯が震えた。先生にばれないように開くと見た事のないアドレスからメールが届いていた。
同時にチャイムが鳴り響き昼休みになった。
「これ。続さ――」
続さんのアドレスか訊こうと思ったら彼女は逃げるように教室から去って行った。
メールを開いてみると、タイトルも本文もない。空メールだった。
「食堂いこうぜ」
蜷川が財布を持ってそう言ってきた。
「うん」
空メールが届いたままの画面で携帯を閉じ、僕は蜷川に続いて教室をでた。
廊下に出て左右を見渡して見るが既に続さんの姿は見えなかった。
食堂にて、財布の中身が寂しい僕はまた素うどんを、蜷川はその倍以上もするメニューを頼んだ。
数分で食べ終わった僕は携帯を開いた。画面に映るのは無言のメール。
僕はそれに『続きさん?』と返信し携帯を閉じ――ようとした瞬間にメールが届いた。
『うん』
それを確認してようやくそのアドレスを新規にアドレス表に登録した。『続亜実』と。
あの空メールが続さんからだと確認して満足した僕はその日メールもモールス信号も送らなかった。
夜、『おやすみ』と続さんからメールがあった。
僕は『おやすみ』と書き、返信しようと思ったが、ふと思いつき一文付け加えた。
『090-XXXX-XXXX電話番号。一応教えとくね。また明日』
すぐさま返信が来た。
『私も、080-XXXX-XXXX。電話してもいいの?』
『わざわざ訊かなくても、いつでもいいよ』
そう返信して十数分後、もう寝ようかという時に携帯が震えた。
眠気がきていたので確認は明日でいいかと思ったがバイブレーションが長く響いていて、それがメールではなく電話だと気付きすぐに身体を起こした。
続さんからだった。
「もしもし?」
「あ、あの。夜遅くにごめん」
上ずった声、かなり緊張しているようだ。
「ううん、いいよ。それで何かあった?」
「今日のうちに言っておかないと、もう言えないような気がして……」
「うん」
僕は彼女の言葉を待った。
「あの、私と、友だちになってください……」
「……」
僕は一瞬呆気に取られて言葉を失った。
「あの……」
「あ、ごめんごめん。うん、いいよ」
「あ、ありがとう」
心底うれしそうな彼女の声が耳に響いた。
「ていうか、僕はもう友達だと思ってたよ、初めて話した――というより信号を交わしたときから」
「えっと、……うん」
彼女はどう言葉を返していいのか分からないようだった。
「まあでも、改めてよろしくね」
「うん」
「じゃあ、そろそろお休み」
「お休みなさい」
電話を切っても僕は暫く画面を眺めていた。
続さんのあんな嬉しそうな声を初めて聞いた。こんな僕でも少しは彼女を救えた気がした。
でも、これで満足しないで、以前彼女にったように最初は僕、次は蜷川と徐々にクラスに溶け込んでいってくれたらと願う。
だけど、それはそれで少し寂しい気もした。
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