第九十四話 一つの空席~祈りと動揺とうわの空~
※今回は前話と同じ時間上での話です。
キーンコーンカーンコーン
時は始まる。
それは本来当たり前のこと。そもそも始まるという表現は普通なら間違っている。時は常にこの世界の中でリズムを狂さず、ずっと流れ続けている。だから始まることも、終わることも、本来あるはずのない事実。
「起立、礼!」
でも、それは気付いていないだけ。本当は知らない間に時が止まったり、その止まった世界で生死をかけた戦いが繰り広げられたり、想いと想いのぶつかり合いがあったり・・・
誰にも知られることのない場所、時間、想い。その全てはそこにいた存在の中だけで共有され、それ以外の大多数の存在には気付かれぬまま、記憶として生き続ける。
「着席!」
だけどどんなことをしようがなにをしようが、誰にも知られないんだから無駄なことのようにも思える。苦労して苦労して、そしてやっと手に入れたものが普通の日常へと繋がる道。ただマイナスからゼロにまでもっていっただけだ。
だけど、そこであった出来事はプラスになろうがマイナスにあろうが確実に、それ以外の存在が手に入れることのできない「変化」を手にすることができる。以前の自分と、その後の自分では確実になにかが変わったはずだ。
それができるということは、もしかしたらとても恵まれたことなのかもしれない。
たとえそれが悪い変化であっても、良い変化であったとしても・・・
「ん~?一之瀬は今日はお休みか?」
先生の一言で教室中の視線が一つの席へとそそがれる。
教室の中に埋もれるその席には誰もおらず、ガランと閑散とした空間が生まれていた。机の上にはなにも置かれておらず、横にも鞄等はかけられていない。
私と健の一つ前で、優菜の隣のこの席の持ち主といえば・・・言わなくてもわかるよね。
「あ、先生!蓮・・・じゃなかった一之瀬君は具合が悪くなったとかで早退しました」
私はすかさず手を挙げて先生にそう伝える。昼休みの途中で、蓮君は急に体調を崩して保健室に行ったけどやっぱり無理で早退した。まあこれが、私たちが作りだした勝手な設定、ということはよい子のみんなは言わなくてもわかるよね?
そもそも今の状況を説明してなかったっけ。じゃあ少しだけおさらいしておこう。
まずあの戦闘の後、もちろんまだ時は止まってる時の話。あのブラックドラゴンが黒い羽となって消えていった後、そこには普段の、いつもの人間としての蓮君の姿がそこにあった。だけど完全に気を失っていて、ゆすっても声をかけても目を覚ます気配はまるでなかった。
「蓮君っ、蓮君!!」
「無駄ですよ。今彼の意識は我々の手の届かないところにある。だからいくら声をかけても反応を示すことはありません」
無情にも響き渡る私の声。そんな中、その声に割り込むように口を開く工藤君。その姿はまだ地面にうつ伏せになったままだった(本当はというと私が地面に放り投げたんだけど)。
「じゃあどうすればいいの??蓮君は・・・蓮君は大丈夫なの?ちゃんと私たちの元へ戻ってきてくれるよね??」
その時の私は、まるで幼い子供のようにいわばだだをこねていた。今目の前にいる蓮君が、もしかしてこのまま目を覚まさないんじゃないかと、もう二度と会うことができないんじゃないかと、私はそんな不安で一杯になって、一人取り乱していた。
「・・・・・・」
そんな私を見て工藤君は目を細め、それでいて深みのある目を浮かばせながら言った。
「それは誰にもわかりません。これは彼自身の気持ちの問題ですから。彼がこの世界、我々の元へ戻りたいと願えばそうなるでしょうし、もしもうこんな世界に戻りたくないと思えば、彼は二度と目を覚ますことはないでしょう」
「彼の未来は彼が決める。我々がどうこうできる問題ではありません。我々にはただ見守ることしかできないんですよ」
「そんな・・・」
私はガックリとうなだれて肩を下ろす。そして蓮君の顔を見つめる。そんな私の姿が哀れに見えたからか、それとも本心なのかはわからないけど、工藤君はゆっくりと、言葉を繋げた。
「ですが、私個人としては彼には戻ってきてほしいです。まだ彼とは交流が浅いですし、それに彼という人間に、興味もありますしね」
その工藤君の言葉と同時に、健が頷いて私に声をかけてくる。
「さあ、俺達は先に帰ろう。今は蓮を信じて待っててやろうぜ。きっと・・・あいつなら戻ってきてくれるだろうからさ」
そして健はポンと、私の頭の上に優しく手を置いた。
「・・・そうね。私達にできることは蓮君を信じて待つしかないもんね・・・」
そして私は腕で強引に目からこぼれる涙を拭きとる。そして蓮君を見つめる。意識が無いこと以外なんら変わらないその姿。すぐにでも目を覚まして、いつものように話すことができるような気がして、そんな風景を頭に浮かべていると、また泣きだしそうになったので力を込めてグッとこらえた。
「蓮君、みんな信じてるから。あなたが目を覚まして、またいつもの私たちの時間が流れることを・・・」
今は信じるしかない。そんなことしかできない自分が歯がゆかったけど、それでも私たちは蓮君が帰ってくれることを祈り、そして前を向いた。
その後、有希の魔力の回復を充分に待って(時間は止まってるからどれくらいかはわからないけど結構な時間)、私たちの傷ついた体の治療に入った。今振り返ってみると、この戦闘でのダメージは今までとは比べものにならないものだった。
この戦闘の激しさもそうだけど、戦闘において負ける、すなわち死ぬことも充分あり得るということを、あらためて思い知らされた気がした。
この戦いは、私たちの負けだった。
そして、時間は動き出した・・・
とまあこんな感じで今に至るわけで、あの止まっていた昼休みから時間は動き出し、こうしていつもとなんら変わらない午後の授業が始まっている。ただ一つ違っているとすればそれはここに蓮君がいないことだ。
蓮君が意識を失ったことは何度かあったけど、こんなに前の席が空いていることが、不安に感じたことはなかった。
だから授業中もずっとポケーッとしていて授業の内容なんか耳に入らず、終始前の蓮君の席の机をじーっと眺めていた。
「よ~し今日はここまで。はい号令!」
「起立!」
ガタガタ・・・
号令と共にみんながその場で立ちあがる。いわゆる授業終わりの挨拶というわけなんだけど、私は完全に蓮君の机を見つめたまま意識が飛んじゃってて、完璧にうわのそら状態だった。
「ん~?お~い柳原、号令だぞ。さっさと起立しろ~」
それに気付いた先生は私に声をかける。だけどその声さえも通り過ぎていき、私の耳には届かない。それを見た健がさすがにまずいと思ったのか、私の肩を叩きながら声をかけた。
「おい、玲!何やってんだよ」
「え?」
その健の声と共に途切れていた意識が復活する。そして辺りをキョロキョロと見渡す。
「・・・あっ」
そこには私以外の全員が立ったまま、座り込んでいる私を見つめる光景が広がっていた。それを見て私は慌てて立ちあがろうとする。
しかし
ガンッ!!
立ちあがろうとしたその瞬間、痛々しい音とともに机が大きく揺れる。
「っ・・・!?」
一瞬の間の後、膝のあたりからじわじわと痛みが膨れ上がってくる。周りではおお?という歓声が一部から上がる。
・・・痛い
今にもこの痛さを声にのせて叫びたいところだったが、今のこの状況。そんなことをすれば間違いなく爆笑の渦を形成してしまう。それだけはなんとかさけないと・・・
「・・・・・・」
私はなんとかこらえようと踏ん張る。どんどん波のように押し寄せてくる痛みを必死に耐える。体はプルプルと小刻みに震え、顔は徐々に紅潮してくる。
「・・・大丈夫か?柳原」
だけどその苦労とは裏腹に逆にその姿が目立ってしまった。そしてそれを見て先生がうっすらと笑みを浮かべながら私に声をかけてくる。
「は、はい・・・大丈夫、です」
そして私が頑張って作り笑いを浮かべてそう言うと
ドッ!
教室中のみんなが笑いだし、この教室に不覚にも爆笑の渦が出来上がってしまった。
「玲かわいいー!!」 「がんばれ、玲~」
ところどころから歓声が上がる。だけど私はもうそんなの聞こえないぐらいに動揺して、顔も真っ赤に染まり、いまにもボンッと煙を上げて破裂しそうだった。
「・・・さすがだな玲。慌てて立ちあがろうとして膝を机にぶつけてなおかつそれを我慢しようと必死にこらえてそこで頑張り笑顔。う~ん絵にかいたような美少女系のハプニングだな。お前もとうとう自分のあるべき姿に気付いてくれたんだな。こんな嬉しい事はない!!」
「そんなわけないでしょ!!そんなことよりそんな冷静に解説なんてしないでよ!!そもそもこれが私のあるべき姿ってなによー!!」
結局、その後も健との漫才みたいな会話が続き、終始教室は笑いの渦に包まれ続けた。
(も~うなんなのよ~。え~い、これもみんな全部蓮君のせいよ!そうだそうに違いない!!)
前にある空席、それを見つめて私は一人、心の中で叫んでいた。
「ねえねえ、そういえば一之瀬君が急に体調崩したって本当?」
休み時間。私はさっきの自分の醜態を思い浮かべながら一人ため息を連発していた。そんな中、前にいた優菜が振り向いて私に尋ねてくる。
「えっと・・・まあ私も急でびっくりしたけどまあ辛そうだったから仕方ないんじゃない?」
私はなんとか答えるが、ずいぶんと曖昧な返事になってしまった。大体そのこと自体(まあたしかに具合が悪いのは事実だけど程度がね)適当に作ったいいわけなのであって、それに合わせてつじつまを合わせるのもなかなか難しい。
「いや~俺もびっくりだったけどあいついきなり「やべ~もう無理」とか言って保健室に走っていったもんな~。あれは相当重傷だな(笑)」
そんな苦し紛れの私を健がフォローしてくれる。こういうアドリブ能力の高さは素直にすごいなあと思うんだけど、なんにせよそれがいつも正しい(?)使い方に使わないから役に立たないんだよな~。
「それにしても急だね。昼休みに入るまでは比較的ふつうだったのに」
そこでいきなりずいっと、どこからともなく及川君が現れる。相変わらず度の強い眼鏡が眩しくキラリと輝く。まあ簡単に説明しようとすれば、健とは正反対の人間だ。
「お、いきなり出たなMR.GB」
「だからその名で呼ぶなって言ったろ!・・・ふむ、まあいい。しっかし、一之瀬君は今日の昼休み、僕と話していたはずなんだが・・・いつのまに保健室に行ったんだい??」
「・・・!!」
・・・あれ?もしかしてこれはまずいのかな??
「そう言えば私も、それは見たかも。その時は全然様子は普通だったよね?」
(うぐっ!)
まさか優菜までもが。だけどあの純粋無垢な目をされると、嘘をつくのがすっごく辛くなるのよねえ・・・
「ああそれは・・・」
「そういえばMR.GB。お前昼休み入るまでは~とか言ってるけど、いやに蓮のこと観察してんだな??」
その時、いきなり健が及川君に話題をふっかける。
「えっ?ああいや!それはその~・・・なんだ。まあたまたま目に入ったというかね・・・」
「お~?なんか怪しいなあ~。もしかしてお前、蓮のことが気になるとか??」
(!!)
な、なにその展開!?
「なっ!?」
ってその及川君の反応もなに!?
「な、なにバカなことを言ってるんだい!?そんなわけがないだろう!僕が愛するのはただ一人。いじゅ・・・」
その瞬間、教室の空気が死んだ。というよりみんなが及川君に注目した。
「いじゅ?」
健がそう言うと、及川君はハッとしたように周りを見渡し、自分のおかれている状況を把握する。
「あ~・・・えっとまあとにかく、一之瀬君が心配だなあ~ということだよ!うん、そういうことで僕は・・・これで失礼する!!」
そう言った瞬間、及川君は物凄いスピードでこの場から消えた。
「なんだったんだろうな、あいつ?」
「・・・はあ~」
一つわかったことがある・・・
それは、蓮君がいないとツッコミ役が足りないってことだ。
蓮君がいないだけでこんな話にまで発展するなんて、ボケしかいないとここまで恐ろしいことになることを、私はこの身で知った。
後もう一つ
蓮君がいないと、なんとなく、寂しい・・・
「まあいっか。さて次の授業はっと・・・」
「・・・・・・」
その時、ふと健の顔をみて思った。
(・・・あれ?)
あの昼休みの途中から今に至るまであんなに大変なことがあったのに、いやに健は落ち着いている。別段取り乱すわけでもなく、いつもとなんら変わらない姿を見せている。
あれ?そう思うとあの戦闘の時も、結構落ち着いていたような・・・
私はあの時のことを一つ一つ思い出しながら疑問を募らせていく。
(あの戦闘の時、よくよく考えてみたら取り乱してたのって私だけじゃなかった??)
色んなことがありすぎてパニックになっていた私。しかし健は逆にそんな私を落ち着かせたり励ましたり慰めたり・・・
・・・なにかが違う
今目の前にいる健、そしてあの時の健。その両方は私が知っている健と、少しばかり違っているような気がした。
(・・・まあ、気のせいかな)
だけどそれは限りなく些細なこと。無視してもいいレベルだった。
(今は私も落ち着いて、いつもの私に戻ることに専念しよ)
そして、私は机の中から教科書を取りだし、誰もいない教壇の方へ視線を向けた。