第八十話 始まりの布石~悪夢はこれから、怒りは矛先へ~
「う、嘘だろ・・・」
ドクン・・・
心臓を突き刺すような鼓動が波打つ。目の前の景色がボヤケて、ピントがずれたカメラ内の映像のようにゆらゆらと、眼に映る景色は揺れる。
これは夢か、それとも幻覚か、はたまた新手のドッキリか
「っ・・・」
俺は震える手で右目をそっと抑える。プルプルと震える指先が肌に触れて、こそばゆいような感触が肌にうっすらと伝わる。
「・・・・・・」
夢じゃない
「・・・あの工藤が、やられるだなんて」
目の前に広がるのは、白い髪をなびかせ、血がべっとりと付き、先からポタポタと赤い雫が垂れる蒼色の剣を持ったターゲット。
そしてその剣の下には、赤い液体の水たまりを形成し、ぐったりとその水たまりにうつ伏せになって倒れている、工藤の姿。それが工藤だとその場の光景だけでは信じがたいのだが、その工藤の傍には同じように一人さびしく、主と引き離された寂しさが感じられる竜が複雑に絡む深緑の剣が一本。それだけでもそれが工藤だとわかるのだが
なにより、俺達は目の前で見た。工藤の体にターゲットの刃が突き刺さり、血が飛び散り、そして崩れ落ちていく工藤の様を。
まさか・・・まさか本当に工藤は、あのいつもどんな時でも余裕な工藤は、本当に死んじまったのか??
「工藤!!」
バッ!
俺が工藤の元へ駆け寄ろうとすると、伊集院さんがその細い真っ白な腕で、俺の進行を遮る。あれ?伊集院さんはさっきまで俺と健とは反対方向に居たはずじゃ・・・
「彼は死んでいない」
「え・・・?」
伊集院さんは前を向き、手を出したまま一言だけそう言った。
「死んでないって・・・」
俺はもう一度工藤の体を見つめる。うつ伏せになっているから下がどうなっているかはわからないが、背中にはターゲットの剣が貫いた際にできた穴、そしてその周りには赤い液体が滲み出て、まわりの制服や床をその色で汚していた。体はピクリとも動かず、指先一つ動かない。その指先も白くなっていて・・・
とにかく、人はこれを「死んだ」と言うんじゃないのか?少なくとも、無事ではないことは確かだ。
「彼は死んでいない。確かに先程の攻撃で人間的かつ生物的な意味合いでは肉体に対するダメージは生命維持活動の限界を超越している。しかしあくまで肉体的意味合いでの話。彼の体が生命活動ができない状態であっても、彼自身、彼としての存在は生きている。彼の存在自体は消えていない」
「だから彼は死んでいない。たとえそれがこの世界で「死んだ」と比喩されたとしても、我々の観点からすれば彼はまだ「生きて」いる。今は体の生命活動の再構築と再起動の段階に入っていて、全く動けない状態になっているが、じきにそれは回復する」
伊集院さんは、そこになにか解説でもズラーと並んでいるかのようにペラペラと言葉をその小さい口から流し出す。俺はその流れる言葉の一つ一つを耳に入れていくが、その一つ一つは俺の中で構築されず、本当に一つの「文字」でしか構成されなかった。
「と、とにかく・・・工藤は死んで、ないのか?」
俺は自分の中での適当な結論を元に伊集院さんに尋ねる。
「・・・そう」
そして伊集院は、俺の方に顔だけ向けて一言だけそう言った。
「そうか・・・よかった・・・」
俺はその一言で安堵する。たとえあの憎たらしく、いつも嫌味な工藤であっても死んでほしいなんて思ったことは一度もない。そしてこんな目の前で、しかもあっさりと死んでしまうなんてことは考えられなかった。
いや、正確にいえば受け入れられなかったのだ。目の前で仲間が「死んだ」、という事実を。
「だけど問題なのはそこではない」
そう言うと、伊集院さんは俺の前に出していた手を下ろし、その両手に光の剣を出現させる。
「今我々が危惧すべきことはただ一つ。目の前にいるターゲットに関する処理についてのみ」
グラァアア・・・
・・・・・・
あれ?
俺は自分の両眼を手でごしごしとこする。
「あれ、なんで・・・」
こすっていた手を下ろして目を凝らす。しかしその違和感は取れなかった。
さっきも感じた、景色がぼやけ、ゆらゆらと揺れる光景。それはてっきり、工藤のあられもない姿と、仲間の死を感じて動揺したから見えた景色なのかと思っていたけど・・・
工藤が死んでいないとわかった今、それでもなお続くこの現象。なんだ?なんで景色が揺らぐ。そしてなんなんだ、この湧き立つ嫌な予感は。
まるでこれが悪夢の終わりではなくて、これが布石で、今からが始まりのような・・・
「・・・ククク、ププッ、アーハッハッハー!!!」
空間にこだまする甲高い笑い声。その笑い声はこの空間にはびこっていた悲しき静けさを吹き飛ばし、新たな空気を作りだす。
「あ~あ。もっと楽しめると思ってたのに、案外あっけないな~。どんなに掴みどころのない奴でも、結局「雑魚」には違いなかったか~」
エフィーは落胆したようにそういうと、ゆっくりとこちらに顔を向ける。その振り向いた顔には、紫に怪しく光る眼光、不気味に笑みを浮かべた口元、そして頬にべっとりと張りついた赤い血。
「はあ~あ、さてと。まずは一人目だね。さて・・・次の獲物はと・・・」
エフィーはなめるようにぐるりと周りを見渡す。その視線は背筋が凍るほど冷たく、そして不気味なものだった。眼光が紫に光っていることにも不気味さを感じるが、それ以上に、その瞳の奥には暗く、冷たいものが覗いていた。
「くそっ・・・」
俺達はそんなエフィーの姿を、ただみつめていることしかできなかった。目の前で起きた事実、工藤がやられたという事実が俺達の体を縛りつけていた。
それほどに、「あの」工藤がやられたことは、俺達に強烈なインパクトを刻みつけていた。
「おや?そちらの可愛いお嬢さんは足をケガしてるのかな?」
エフィーはじろりと眺める視線を、ある一点で止める。そこには
「玲!!」
そこには、左足にハンカチを巻いた、玲の姿があった。あのハンカチはこの空間に隠れる際に怪我した時に俺が巻いたもの。そのハンカチはその時とは比べ物にならないくらいに赤い染みが滲んでいて、くさしゃくしゃになって原型をとどめていなかった。
(くそっ、やっぱり俺がちゃんと応急処置をしていれば・・・)
もっと俺がちゃんとしていれば、こんな風に傷がまた開いたりしなかっただろう。玲は平然と立っているが、おそらく相当な痛みがそこから走っているはずだ。その痛みの中、必死に玲は戦い、そしてここまで辿りついた。しかしそれが仇となって、一番戦いから避けさせたいと思う玲が、ターゲットの目にとまるなんて・・・
全部俺の責任だ。自分の落とし前は自分でつけなければいけない。
「おい、お前。玲の前に俺が・・・」
「おいターゲットさんよ!!!」
「!?」
俺がターゲットに言いかけた時、それを遮るように健が声を上げる。その声は強く、逞しく、そして燃えたぎる怒りに満ちた声だった。
「なあに?少年。え~と、あなたはたしか・・・」
「俺の名は相川 健人。怪我してる女の子を最初に襲おうとするなんて、魔族ってのはやっぱ、心が汚れてんのかねえ~」
そう言って健はスッと前に出る。床に散らばる工藤の血、そしてそれを足で踏みにじるターゲットの姿を前にしても、健の眼は真っ直ぐにターゲットの眼を見つめていた。
だけど・・・
グラァァア・・・
さらに強まる揺れ、そして募る予感。健の姿がどんどんぼやけて、表情がうかがえなくなっていく。
(ダメだ健。行っちゃだめだ!ターゲットと戦っちゃだめだ!!)
俺は心の中で叫ぶ。しかしそれが口からはき出る事はなく、喉の奥で反射し合って声として出せなかった。手を出して止めようとしても、なにかに縛られたように体が命令を聞かない。
だけど・・・だけどダメなんだ健!頼むから行かないでくれ健!!
しかし無情にもその声に反して、健とターゲットの二人の間に流れる旋律は崩れ落ちていくパズルのように、音を立てながら進んでいく。
「あらっ、この私を前にしても強気なままなのね。それとも女の子を前だからかな~?」
「ま、どっちにしたってあなたみたいなBランクドラゴンになんかに勝ち目はないけどね。Aランクである工藤君がこれだよ~?それ以下の「雑魚中の雑魚」である君に私を倒せるわけが・・・」
「うるせえ!!ちったあ黙ってらんねえのかよ!!!」
健の声が、大きくこの場を揺らした。その声は、エフィーの挑発するような言葉を一気に吹き飛ばし、消し去って一蹴するものだった。
健の銃を握る手はギリリッと音を立て、腕には筋がくっきりと見えるぐらいに力が込もり、震えていた。
俯くその顔は、口元を噛みしめ、今にもギリギリと歯ぎしりが聞こえそうだった。その眼差しは、見るものすべてを恐怖に陥れるような眼で・・・
言うまでもなく、健は怒りに満ちていた。おそらくその怒りの矛先は、自分がBランクドラゴンであるとか、そういう自分に対するものではなくて
「BランクだのAランクだのSランクだの。そんなことはどうでもいい!!何を言われようが、なにをどうしようが、俺がBランクだってことに変わりはない。だがな・・・」
「俺はお前を、仲間を傷つけたお前を、仲間をけなしたお前を、誰が何と言おうと、俺は絶対に許さない!!なにがあったとしても、例えこの身が朽ち果てたとしても・・・」
そして健はその俯いた顔をグッと上げる。
「俺は・・・お前を殺す!!」
ダッ!!
ブウォン・・・
健は走った。両手に持つ銀の二丁銃を炎にまといて、ターゲット目指して走った。
「健!!やめろーーーー!!!」
ようやく口から滑りだした声は、あまりにも出るのが遅すぎた。いや、もしもっと早く言えたとしても、結果はおそらく変わらなかっただろう。
「健!!ダメ、やめて!!!」
今の健を、止められる者はどこにもいない。たとえそれが、あの玲の言葉だったとしても、流れ始めた健の運命を変えることはできない。
「わざわざ死にに来るなんて、やっぱり「竜族」は愚かな種族ね。じゃあそっちがその気なら、こっちも・・・」
「遠慮なく殺させてもらう!!」
チャキーン・・・
走り出した運命はもう止まらない。たとえそれが目の前にあっても、どんなに手の届くところにあっても、一度始まったことを止める事はできない。
崩れ落ちていくパズル、1ピースでも抜ければ保たれたバランスは崩れ、バラバラに、そして粉々になっていく。
ここが悪夢の連鎖トンネルの入り口であり、これからが悪夢の始まりだった・・・