第六十六話 屋上のPromise~きっと忘れない、今日という日を~
「今、なんて・・・蓮君」
二人の時間。今思えばそれはかなり貴重な時間だったのかもしれない。こんな風に、玲と二人で過ごし、語り合う事なんてそういえば今まで一度もなかったかもしれない。
普通そういうときって、こうなんというかもっと朗らかな、もっと学園生活らしいほのぼのした時間が過ぎ去っていくものだけど、確かにその時間は一瞬だけ訪れたかもしれない、だけどその一時は俺の手によって破壊、粉砕され、二人の間に再び流れることはなかった。
「だから・・・もし俺が俺でなくなって、玲達を傷つけようとしたら、俺を、殺して欲しい・・・」
蒼く優しい空気が流れる屋上。この屋上で俺は、その優しい空気を真っ二つに切り裂くようなひと言を玲に告げる。
それがどれだけ相手に強く、そして深く刻印を押すような言葉であるかはわかっていたけど、だけどそれが、次のターゲットのことを聞かされてから俺が考え、悩み、そして積もりに積もった想いから導き出された答え。
ただの思い過ごしかもしれない、ただの考えすぎかもしれない。脳裏によぎったことがそのままそっくり現実になるとは限らない。いやむしろならない方が普通だ。
だけど、なってからじゃ遅いんだ。もしそうなったら、俺は自分という存在をとめることができない。
あるところに、もしかすると危険が及ぶかもしれない一つの存在があるとする。
危険があるとわかっていたけど、その可能性は著しく低い。それならと一緒に連れて行こうとする。
本来なら結局何も起きないまま時は過ぎてゆき、「な~んだ、結局なにもなかったね」と、笑い話として過去の存在と化し、忘れ去られてゆくものだが
だけどもし、本当にそうなったらどうする。
それももし起きれば必ずと言っていいほど命の危機につながるとしたら。
もしそんなことが起きれば、冗談ではすまない。笑い話どころか、その後の幾重にも重なるであろうその人の日々、人生そのもの自体が闇へと消えるのだから。
じゃあどうすればいい?
そこにある脅威を確実に、正確に無くすためにはどうしたらいい?
答えは簡単だ。
殺せばいいんだ。
その存在そのものをその場から消してやればいい。脅威どころか存在そのものが無くなるんだからなにも心配することはない。こんなに確実で、正確で、そして必ず脅威を消せる方法はほかにはない。なんて素晴らしい方法なんだろうか。
「死」
それで全てが解決する。全ての災いがその瞬間完全に「ゼロ」となる。全てがリセットされる。
その方法がどんなに残酷で、どんなに卑劣だと言われても、それが一番良い方法じゃないか。
それでみんなを、仲間を傷つけなくて済むなら自分のちっさい命ぐらい犠牲にしたっていいじゃないか。
「・・・嫌」
「えっ・・・」
俺の言葉を聞いて、一度は俺の目を真っ直ぐ見つめるも、それでも玲を見続ける俺の姿を前にしてその視線を下に向けていた玲が、一言だけ、そう呟いた。
一度は気のせいかとも思ったが、次の瞬間、それは現実であることが判明する。
「そんなの嫌・・・絶対に嫌!!」
「れ、玲・・・?」
一言目は声を押し殺して、そして次の言葉は真っ直ぐ俺を見つめて強く、俺に叩きつけるように玲は叫んだ。
その眼は鋭く、強いものだった。見つめる先のものを貫き通すような、そんな強烈な視線を俺に浴びせていた。
一見すれば怒りの眼。だけどその時の玲の眼はそんな風に一言で表せるものではなかった。
「私は・・・私は絶対あなたを殺さない・・・なにがあったとしても私は殺さない!!」
俺の眼を真っ直ぐ見つめる玲。よくみると、玲の体は小刻みにプルプルと震えていた。その姿に俺は思わずたじろいてしまう。だけど・・・
「だ、だけど玲。もし本当にそんな場面になっちまったら俺は自分の体を、意識を制御できないんだ。それに・・・俺の力は自分でも計り知れないくらい強い・・・」
俺だってこんなこと言いたくないさ。自分から俺を殺してくれなんて言うバカな奴なんていないさ。
だけど・・・だけど俺の力は自分でも恐ろしいほどに強いんだよ。冗談じゃないほどに強すぎるんだよ。
わからないけど、多分工藤や伊集院さんでも止められない。なぜだかわからないけど俺にはわかる。俺の力は凶悪なほどに強い。それも伊集院さんのように良い方向にではなく完全に悪い方向に。しかも自分で制御出来ないんだなんてそれはとんでもない爆弾だ。
目の前に居る玲、そしてみんなを失いたくない。守るべき存在を、逆に奪うなんてことになりたくない。
「嫌、私はそれでもあなたを殺さない。たとえあなたが私たちを殺そうとしても、私はあなたを殺さない。必ず解決策を見つけて助けてみせる!」
「玲・・・」
どれだけ俺がなにを言っても、揺るがないその意志。その意志を曲げる事なんておそらく誰にもできないのだろう。
できるなら俺だって曲げたくない・・・
「もしあなたを殺したとして、それでなにが解決できるっていうの・・・?」
「・・・・・・」
俺は俯いた。無意識に視線は下へと向けられていった。
本来なら、ここで玲の意見を受け入れ、みんな一致団結して物事へ取り組む、ってのがセオリーなんだけど。俺だってそうなることを望んでいるんだけど。
だけど違うんだ玲。今回ばっかりはそうじゃないんだ。
俺にはそんな輝かしい展開を与えられることはないんだ。前を向きたい、前を向いて歩きたい、走りたい。みんなと一緒に一緒の道を歩んでいきたい。それが俺の一番の願いだ。
だけど今回は・・・今回は本当にやばいんだ。なんでかはわからない、だけどこのまま進めば必ずといっていいほど俺とみんなの間になにかが起きるような気がしてならない。
その気配は、もはや気配ではなく、現実といってもいいほどにリアルなものだった。
だから・・・俺はけじめが欲しかったんだ。
俺がみんなと一緒に居る事を許してくれるなら、共に戦うことを許してくれるなら、それなら俺とみんなの間に確かな手応えが欲しかったんだ。
何か起きても、みんなが傷つくことはないという保証が欲しかったんだ・・・
「・・・・・・」
俺は眼をつむった。そして静かにみんなの姿を思い描いた。
「私たちのことをもっと信じてよ、蓮君・・・」
玲の言葉が俺の心の闇の中で、少しずつ、ゆっくりとその波動を感じながら響いていった。
(もう、迷ってる場合じゃないか・・・)
相手がここまで覚悟を見せてくれているのに、その当の本人が黙っているわけにはいかない。
今ここでなにもしなかったら、そりゃただの最低野郎だ。クズだ。最低のゴミ野郎だ。
「・・・わかった」
俺は俯いていた顔をくっと上げ、ずっと俺の姿を見つめていた玲の顔を逆にじっと見つめる。突然動いた事態に、玲は一瞬戸惑う。
「え・・・?」
いきなり向けられた鋭い視線に、玲は驚いた。それもそうだろう、今の話の流れからして普通入らないだろうルートのようなものに普通に入っているんだから。
覚悟を見せられたのなら、こちらもそれに見合う覚悟を見せなければならない。
「玲の気持ちは痛いほどにわかった。だから俺も信じる。玲を、そしてみんなを。だからその代わりに・・・一つ約束してほしい」
そう言って俺は一度眼をつむる。次に言うであろう、俺の本当の気持ち、願いを思い描いて。
「ターゲットとの戦闘でももちろんそうだが、もし俺がみんなに危害を加えることになっても、絶対に、絶対に死ぬなんてことがないようにしてくれ。俺が正気に戻った時、その結末に玲、そしてみんなの死が待っている、なんてことがないようにしてくれ。頼む、お願いだ玲・・・」
はたから見れば他人任せのような発言。だけど、どう足掻いたって俺は多分もしそんな状況になったら自分の意志を保っている自信がない。今まで何度か覚醒してきたけど、そのどれもが俺とは違う意志が完全に俺という存在を支配していた。できるなら俺もなんとかしたい。だけどできなかった時、そこに血が流れないことを、俺は約束してほしかった。
フッ・・・カッコ悪いなあ俺って。つくづくそう思うよ。
俺が殺してくれと言って玲がそれを拒むことはわかっていた。それをわかっていながら俺はわざとふっかけた。
これから起きるであろう、ターゲットとの戦いにおいてもし俺がおかしくなってしまっても、それで絶対に玲達が死なないという約束がないといられないなんて・・・どこまで俺は情けない奴なんだろうか。
俺には、仲間の「死」に耐えうる精神力はない。俺は本当にもろい存在だ。
「・・・わかった、約束する。なにがあっても私達は死なない。蓮君になにがあっても、それで私達は死なないことを約束する。だから蓮君も私達を信じて、そして蓮君も絶対死なないで・・・」
「わかってる。もちろん信じるよ、みんなのこと。そして俺も約束する。絶対死なないって」
なにもかもをわかっていた。だけど理屈だけじゃ納得できなかった。目の前に確かに具現化されたなにかが必要だった。だけどそれも、当たり前のように玲は俺に見せてくれた。
俺が悩む必要はなかったんだ。みんなならやってくれる。みんながいればどうにでもなる、そんな当たり前のことを、俺は再認識したかったんだ。
「ごめんな。なんか他人任せみたいな言い方して」
「ううん。でも良かった。蓮君の本当の気持ちをターゲットとの戦闘の前に知ることができて」
俺が死んで解決するんじゃない、そんなことを考える暇があったらそうならないように努力するべきだったんだ。そんなわかりきったことを、戦闘の前に知れたのは確実にプラスになるはずだ。
「じゃあ・・・はい!」
「・・・?」
玲は俺の前にスッと右手を差し出す。
「ほら、約束の握手」
ハツラツとした表情で俺に向かって手を差し出す玲。その手はしっかりと、力強く俺の手元へと伸びていた。
ギュッ
しっかりと強く、俺は玲の手を握った。その白い手はとてもやわらかく、温かくて、包まれるような優しさが確かに伝わってきた。すーっと、胸の中の不安や恐怖などが消えていくようだった。
「あ、もうこんな時間」
「ん?」
玲は屋上にある時計を見て言った。それにつられて俺もそちらに視線がいく。
時刻は昼休み終了7分前をさしていた。教室から遠いこの場所なら、そろそろ動きだしてもいい時間だ。
「さあ、行こう。蓮君。午後の授業始まるよ」
そう言って玲は俺の手を握ったまま走り出す。
「ちょ、このままはまずいだろさすがに」
「なにが?」
一応俺としては羞恥心があるんだけど。しかし玲はそんなことは微塵も感じていないようだった。
あれ?俺が意識しすぎなのか?
「ほら行くよ。次の授業は移動しないといけないから少し急がないと」
「あ、ああ・・・」
結局、俺は玲に半ば引っ張れる形で教室を目指すことになった。結構廊下での視線は気になったけど、前をずんずん歩く玲を見ていると、そんな気持ちはどうでもよくなった。
あの屋上での約束、そして手の温もり。これから待ち受ける、悲痛な運命に翻弄されていく中で、今日という日があったことを俺は本当に良かったと思うだろう。
俺はきっと忘れないだろう。今日、屋上であったことを。そして、この玲の手の温もりを・・・