第六十五話 悲壮の懇願~行きついた先、そして願い~
<6月10日>
特にすることもなく、日々を淡々と過ごしていく毎日。登校して、教室に入って自分の席に座り授業を受けて、昼飯食べてまた授業を受けて。
その繰り返しで時は進み、日付のページは一枚一枚その束から抜け落ちていく。
そんな日々を願ってた。そんな日々を望んでいた。
そしてその日々の中に俺はいる。その自分が望んだ世界に俺はいる、はずだった。
「ふう~・・・」
午前の授業も終わり、昼飯の時間となる。授業という呪縛から解き放たれた一般生徒達は、一斉にわいわいと騒ぎ初め昼飯を持って友達の席に行ったり、違うクラスに行ったり、購買へ食い物を買いに行ったり、一部の奴は中庭にまで遠出をしたりと、それぞれの昼の時間を楽しみ始めていた。
「はあ・・・10パーセントかあ」
強く体を照りつける太陽の光がもろに直撃する。しかしそれを補って、涼しく、暗い心の中のもやもやした感情までも一緒に連れて行ってくれそうな心地よい風が俺の体を通過する。
そんなみんなそれぞれ楽しんでいる中で、俺はなぜか、おそらく暑いだろうということをわかっていながら、しかも教室からかなり離れているいわば「忘れられた空間」である屋上へと、足を運んでいた。
どうしてかはわからない。だけど無性にこの場所に行きたくなった。4時間目の終了のチャイムが鳴ると同時に俺は自然と体がこの場所へと動いていた。
「・・・・・・」
自分以外誰もいない閑散とした屋上。自分が音を立てなければそこには風の音とその風でゆらゆらと揺れる草木の音以外、音を発するものはなかった。つまりここには人の声や機械の音などの人工的な音はなにもない。
だけど、こうしてこの自然の音が奏でる協奏曲に耳を傾けていると、自然と心の中に、蒼く優しい気持ちが満たされていくような気がした。
「あの二人でも敵わないのか・・・」
俺はさっき購買の自販機で買った、今個人的に気に入っているパックのイチゴオ-レを片手にフェンスに寄りかかりながら悶々と、先日の部室で工藤が言った言葉を一人思い起こしていた。
「我々全員が全力で戦って勝てる見込みは10パーセント」
10パーセント
100回やって10回が成功。違う形に変えれば成功の可能性は一割。10回に1回は成功。
一見すればそこそこに成功の確率はあるような気もするが、10パーセントと聞いてそれを多いと感じるものは少ないだろう。
10パーセント、それは成功の確率がかなり、いやめちゃくちゃ低いということを表す。それが今回のターゲットがどれほど強力なのかを表すには、充分事足りていた。
あの、三階建てのビルぐらいのターゲットを一蹴した伊集院さんと工藤がいたとしても、可能性がそれだけしかないという事実は、静かに、そして深く心に恐怖と不安を植え付けていた。
それは俺だけが感じていることなんだろうか。それともみんな感じているんだろうか。
俺は怖くはないと、自信たっぷりに言うことは今の俺には到底できなかった。俺はどれだけビビりなんだ、こんなの何度も体験してきたじゃないか、と、自分に言い聞かせるがそれでも体は正直だった。
イチゴオ-レのパックを持つ手がプルプルと震えている。
どんなに自分に言い聞かせても、体はその感情に素直に従っていた。
そうまでして俺を支配する不安と恐怖。それはターゲットに対する不安だけではなくて・・・
ギイイイ・・・
「・・・!?」
俺が一人考え込んでいた時、突然屋上のドアが開く音がする。
ここは本来だれも来ないはずの「忘れられた空間」。実際、いままでここに来た時も俺達DSK研究部のメンツ以外の人間がここにいたのを見たことがない。
ドアの方向に自然と視線がいった。無意識に俺はドアの前に立つ人影を食い入るように見つめていた。
「う~ん・・・風が気持ちいい~」
「れ、玲・・・なんでここに・・・」
そこに現れたのは金色のツインテールを風にふわりとなびかせる一人の少女。そのツインテールが揺れる度に、キラキラと星屑のようなものが光り輝いているような気がした。
そこにいたのは紛れもない、友達であり、そして仲間である柳原 玲だった。
「う~ん・・・なんでって言われたらそうねえ・・・なんとなく、かな」
「なんとなく・・・」
俺は唖然とその光景をただただ見つめていた。玲が来たことに驚いているというのもある。だけどそれ以上に、その時の玲の姿は眩しく、可憐で・・・奇麗だった。
俺はおもわずその光景にドキッとしてしまった。そして今まで悩んでいたことが吹き飛んだかのように、俺は玲を見つめ続けていた。
「で、それで蓮君はなんでこんなところに一人でいるの?」
「え・・・」
玲に声をかけられ思わずビクッとする。俺はその一言でようやくその光景から自分の意識を連れ戻し、いつもの状態へと持っていくことができた。
まあ、それでもまだドキドキは続いているけど・・・
「えっと・・・その・・・俺もなんとなくかな」
思わず玲と同じことを言ってしまった。しかし今の俺の思考回路の状態では、それが精一杯だった。
「ふ~ん、なら私と同じだね。隣、いい??」
「え、あ、どうぞ・・・」
玲は俺の言葉を聞くとニッコリと微笑み、その金色のツインテールをゆらゆらと揺らしながら俺の元へ歩み寄ってきた。
そして玲も俺と同じように、フェンスにゆっくりともたれかかった。玲の背中がフェンスに接すると同時に、フェンスがギシッという音と共にゆっくりと沈む。
・・・・・・
やばい。
胸のドキドキが止まらない。隣の玲に聞こえちゃうんじゃないかと思えるほどに強く、そして速く鼓動は波打っていた。
なんでだろ。隣にいるのは確かにいつも同じ時を過ごしている玲なのに、いつものように接することができない。直視ができない。
なにか違うわけでもない。だけど俺は必要以上に玲を意識していた。
なぜだ?さっきの光景がまだ脳裏に残っているからか?わからない・・・
二人の間に、奇妙な沈黙の時が流れた。なにか話すわけでもなく、ただ一緒にその場でここの空気を感じていた。別に話したくないわけじゃない。話す事なんていくらでもあるだろう。だけど、今続いているこの時間が、なぜかとても満足、というか充実しているように感じた。この時間が、ずっと続いてほしい、そう思うほどにこの時間が幸せに感じていた。
風が俺達に吹きつける度に、玲の髪がふわ~と風に乗ってなびく。それと同時になにかほんのりと良いにおいがふわりと俺の鼻をくすぐる。
いかん、なにか話さないと。これ以上この空気に浸っていたらなんだか自分がおかしくなっちゃいそうだ。
「あ、あのさ玲・・・」
俺がそう言いかけると
「蓮君は今度のターゲットのこと、どう思ってる?」
俺が言う前に玲が俺に問いかけてきた。
「どうって・・・そりゃあ物凄く強いんじゃないかなあって・・・」
「そうじゃなくて、その強いターゲットに対してどう感じてる?ってこと」
玲は俺の言葉を聞くと同時にまた聞き返してくる。だけど、その玲の言葉が俺の心の中の水面に一つの雫を垂らした。
次のターゲット
工藤や伊集院さんでも勝てるかわからない。いや勝つ可能性は低い。ましてや俺たちなら絶対に敵いそうにない相手。
まだ会ってもないのに、こんなにも俺を恐怖で支配する相手。こんな奴、今までいただろうか?
俺が今回のターゲットに感じていること、それは・・・
俺は空を見上げた。空は蒼く、どこまでも澄んで俺という存在を遠くの彼方へと連れ去っていくかのような空だった。
「・・・本当はというと・・・少し怖い、かな」
俺は静かに、そしてなだらかにその言葉を口にした。その言葉がどんな意味で、なにを意味するのかはわかっていたけど、自分の今感じている感情はまさにそれであった。
恐怖、恐れ、不安。今の俺にはそんな感情がぐるぐると渦巻いていた。それがどれだけカッコ悪くて、情けないのかはわかっていたけど、今は強がりを言う余裕は今の俺には無かった。それでも今の言葉には少しばかりの強がりが混じっていた。
「・・・そっか」
俺の言葉を聞いて、玲は空を見上げる。でもその瞳には、空よりももっと向こうの、その先の彼方を見つめているような気がした。
「よかった。私だけが、感じていることじゃなくって・・・」
「私だけが?」
俺は玲に聞き返す。
「いやほらね。工藤君も有希もいつも冷静だし。健もどんなに目の前に怖いものがあってもなんの恐怖も感じそうにないし。だから、怖いと感じているのは私だけなのかな、って思っちゃって。でも蓮君もそう感じてたことを聞いてなんだかホッとしちゃった」
「・・・・・・」
まあ確かに。工藤はどんなに大変な状況に陥ってもいつでも笑ってるし、伊集院さんは常に無表情だし、健に至っては今置かれている状況の危険ささえわかってないかもしれないし。
普通に考えれば、今度のターゲットに対して恐怖を抱くのは普通だ。ましてやどんなに魔法や武器が使えたとしても、玲が女の子であることに変わりはないんだから。
それでも、玲はそれを押し切って戦場に出るんだけど。やっぱり玲は俺なんかよりも強い。俺には無い強い心と意志がある。それは俺とは比較にならないぐらいに強い鋼の意志だ。
そんな彼女は、時に美しく、時に辛くみえる。
「俺も情けないけど怖いよ。本当に。健の図太さを少しわけて欲しいぐらいだ。だけど・・・」
「・・・?」
急に言葉を詰まらせ、俯く俺をみて玲が不思議そうにみつめる。
「どうしたの?蓮君」
この時の俺は、話すか話さないかで迷っていた。そのことを話したい、そのことを知ってほしいと思っていた。だけど、その言葉を口にすれば自分の心の中で感じたことが本当に具現化されそうで、本当に目の前で起きそうで、それが嫌で俺はその言葉が言えないでいた。だけど、隣にいる玲の顔を見て、俺はその言葉を無意識のうちに口からこぼしていた。
「ただターゲットに対してだけに恐怖を覚えているんじゃないんだ。俺は・・・」
一瞬言葉に詰まるが、踏み出した一歩を後ろに下げることはできない。どんなにごまかしても、踏み出した事実に変わりはないのだから。
「俺は、自分が自分じゃいられなくなるような気がするんだ。それは相手が強ければ強いほどに」
「それって・・・いつかのような覚醒のこと??」
玲は尋ねてきた。だけどそれは違っていた。多分、間違いなく。
「いや、そんなものじゃない。それも確かに俺は俺で無くなっているけど、でもそれは形はどうであれ少なからず玲達のことを守っているだろ?だけど、俺が言っているのはそんなんじゃなくて、もっとこう・・・」
「敵も味方も関係なく、全ての存在を闇に葬るような邪悪な存在。そしてそれが、玲達をも傷つけ、苦しめ、そして脅威となるような気がするんだ。それが・・・一番怖い・・・」
俺が感じていた恐怖。それはターゲットに対してだけではなく、なにか俺が居ることでみんなに災いが起こるような気がする、そんな思いが芽生えたからだ。
俺には未来予知なんて言う便利なものはない。だけど、もしそうなったら・・・
俺は仲間を傷つけたくない、苦しめたくない。
俺が一番怖いのは、大切な、かけがえのない仲間を自分のこの手で闇に葬ってしまうことだ。
「わからないんだ。自分が。覚醒だのもう一人の自分だの、俺の中に俺じゃない自分がいることが怖いんだ。それが有益なものならいい、だけどもしそんな悪の化身みたいなものになったら、俺はなにをどうすることもできないんだ。ただ、その後に残る結果だけが俺に与えられるだけなんだ・・・」
「蓮君・・・」
俺は胸の内を全て打ち明けた。それが相手に恐怖を与えるものであってもいい。だけど俺は誰かにこの想いを伝えなきゃ自分という存在が潰れてしまいそうだった。
俺は弱い。どんなに力があろうと、その心はガラスのように弱く、発砲スチロールのようにもろいものだった。
「だから、玲に一つお願いしたいことがある・・・」
そう言って俺は玲の方に体を向ける。そして真っ正面に立って、玲の目を見つめる。玲はその姿を見て何かを悟ったのか、不安そうな面持ちで俺を見つめる。
「もし俺が、玲達を傷つけるような存在になってしまったら・・・俺を、殺して欲しい」
「え・・・?」
その瞬間、俺達を強く、吹き飛ばすような風が襲った。