第四十三話 及川の追憶Ⅰ~親愛なる息子、及川直人へ~
※今回は及川の過去の話です。
私立第一城南中学校。この地一帯で屈指の進学校であり、この学校の生徒になったのなら、勉強以外に努力することはないといっても過言ではないというぐらいの進学校。ただひたすら成績で上を目指す、という典型的な進学校である。
僕の名は及川 直人。この学校に来てもう一年が経つ。つまり今は中学校二年だ。
僕のいるクラスはSクラス。いわゆる成績トップ人たちが集まる、いわばエリートクラスだ。
この第一城南クラスにはS~Bの三クラスに分かれている。そのクラスの分け方はもちろん成績順。成績トップから40番までがSクラス。41から60までがAクラス・・・とまあこんな感じで、いわばピラミッド式にクラス分けされている。そして僕のいるこのSクラスは、この屈指の進学校である第一城南中学校の中でもトップ集団が集まる、いわばエリートクラスだ。
もちろんBクラスでも充分に頭はいい。ほかの学校ならすぐにトップになれるだろう。だけど、こんなクラスという肩書きに対して、僕たちはみんなが思っている以上に、そのクラスのことを気にしていた。
Sクラス、選ばれた40人だけが入ることのできるクラス、ただ成績が少し高いというだけなのに、皆、必死になってそのクラスを目指した。
この学校にいる自分以外の人間全てが、ライバル・・・いや敵だった。
この屈指の進学校である城南中学校でトップクラスの成績を取るということは、この地域一帯でもトップであるということ。その高みに、皆こぞって目指した。そして憧れていた。
その先に、なにかあるというわけでもないのに、大人がつくった成績というただ人間を計るものさしに、僕たちはこだわっていた。
もちろん、こんな学校でも友達やクラスメイトはいる。普通に会話もする。外から見れば普通の学校生活。だけど、それは上っ面だけの友情、関係。皆、心から分かち合える、そんな関係には程遠いものだった。
どんなに仲が良くても、どんなに良い奴でも、結局そいつも自分にとって邪魔な存在、敵なのだ。
僕たちは、大人たちが作った成績というものさしの上で踊らされていた。その先になにもないことを知っていても、ここにいれば、そんな気持ちはどこかにいってしまう。
成績こそ全て、それがこの学校の本質だ。
そんな、はたから見れば楽しくもなんともないこの冷え切った学校になぜ僕は入学したのかというと・・・
ただ勉強して良い成績を取る、そんな単純なことで自分の居場所を確保できるからだ。
僕が小学生の時、僕はとても地味な存在だった。
僕がいた小学校は一般にいう普通の小学校どこにでもある、普通の小学校だ。
当時の僕は、勉強はできるけど運動はイマイチ。まあそこまで運動が苦手というわけではなかったんだんだけど、運動というその存在を忘れるぐらいに僕は頭が良かった。
テストではいつも満点。成績でもトップ。親譲りの目の悪さから、メガネをつけるようになると、みんなこぞって僕のことを「ガリ勉」とののしった。
小学生の時って、自分にはないものを誰かが持っている時、その真実を素直に受け入れることができず、それが相手をからかうという方向に向いてしまうものだ。
だけど僕は、どれだけガリ勉と言われようと、それに対してなにかを感じることはなかった。
僕の父親はとても厳しい人だった。
僕は幼いころに母親を亡くしていた。父親はそんな僕を、男手一つで育ててくれた。
父は、国にかかわる仕事上、なにに対しても厳しい人だった。生まれてこの方、僕は父親に褒められる、ということを体験したことがなかった。
ただひたすら、なんでもいい、とにかく誰よりも優れるものを身につけろ、そう僕は言われ続けた。それが父の口癖だった。
そんな中、僕はひたすら勉強に打ち込んでいた。誰よりも優れるもの、今の僕には勉強しかない、僕はそう思ってひたすら勉強に打ち込んだ。
普通、小学生といったらあまり勉強にとらわれず、のびのびと生活するものかもしれないが、そんなみんなをよそ目に、僕はひたすら勉強をした。
授業中も、休み時間も、そして放課後も。
小学生の時に、そこまで勉強する必要は全くないだろっとツッコミを入れたくなるほど僕は勉強した。そのため、僕に交友関係なんてできるわけがなかった。
なぜそこまでするのか?そう聞かれれば、僕はいつもこう答えた。
「一番に・・・なりたいから・・・」
一番になりたい、その言葉が本当の理由ではないことを、たぶんその時の僕は知っていただろう。
僕が勉強していた本当の理由、それは
父親に・・・褒めてもらいたかった。
一度でもいい、僕は父さんに褒めてもらいたかった。人からみればそんなことでと言われるかもしれないけど、僕は褒められたいという一心で、勉強に打ち込んでいた。いつしか、それが僕の生きがいとなっていた。勉強してそして一番になって、そして・・・父親に自分という存在を認めてもらう、それが僕の生きがいだった。だから僕は、交友関係を犠牲にしてまで勉強に打ち込んだ。
だけど
突然、その生きがいは目の前から消え去った。
父の死
あなたの父親は仕事上、あることのために自ら命を絶った、ただそれだけ伝えられた。
僕は父がなんの仕事をしているか知らなかった。そんなこと考えてもみなかった。
だけど、父の仕事上の関係者と名乗る人に、僕はそう告げられた。
その時、なにがなんだかわからず立ちつくしていた僕に、その人は一つの手紙を差し出してくれた。
親愛なる息子、及川 直人へ
まず最初に謝らしてくれ。すまない。父さんはお前の成長を見守ることができないようだ。この手紙を読んでいる時、私はもうこの世にはいないのだろう。思えば私はお前に、父親としてなにもしてやれなかったな。本当にすまないと思う。許してくれだなんて言わない。私のやったことは許されることじゃないからな。
だが、決して私がなぜ死んだのかを捜してはいけない。なにがあってもだ。いや、いっそのこと私のことは忘れてくれてもかまわない。私は父親には程遠い存在だ。私のことは忘れて、お前はお前の道をゆけ。
私立城南中学校に入れる手配をしておいた。お前は私とは違って頭が良い。その才能を無駄にしないように努力しろ。お前は私の跡に続くな。私に得られなかったものを、お前はその身で感じ取ってほしい。それが父さんの願いだ。
最後に言わしてくれ
お前は自慢の息子だ。私にはもったいないぐらいの息子だった。私はお前の父親だったことを、誇りに思うだろう。
それではもう時間のようだ。私はお前が幸せに生きてくれることを祈ってる。いつまでも、ずっとな・・・
それじゃあ直人、元気でな。
親愛なる息子へ 父より
「・・・相変わらずだな・・・父さん」
相変わらずそっけない手紙。ぎこちないような文章。真面目すぎる言葉。どことなく、父の性格が滲み出ていた。手に取るように、そこに父さんはいた。
だけど・・・
「なんで・・・なんでこんな紙きれでそんなこと言うんだよ・・・」
その手紙に記された言葉
親愛なる息子へ
俺が・・・どれだけあなたに褒められたい、認められたいと思っていたか・・・
あなたは・・・あなたは知らないでしょう。僕が・・・僕がどれだけあなたに認められるためにここまでやってきたのか・・・
僕が・・・僕が追い求めていたのはこんなものだったのか?
今まで必死にやってきたのはこんなもののためだったのか・・・??
違うだろ・・・違うだろ!!
手紙にぽたりぽたりと水滴が落ちる。書かれているインクがその水滴で滲んでいく。
「僕は・・・僕はあなたに言ってもらいたかったのに・・・よくやったと、よくがんばったと、あなたの口から言われたかったのに・・・」
僕はその手紙をギュッと強く握りしめた。クシャッという音と共にその手紙はくしゃくしゃになった。もう文字を見るのもやっとになるほどに。
だけど・・・それでも手紙を握る僕の手は強くその手紙を握りしめた。僕の中の本当の感情が僕の手に現れていた。
「なんで・・・なんでだよ・・・なんで勝手にいなくなっちゃうんだよ!!!」
なんで・・・なんでなんだよ父さん!!!
「ウワァーーー!!!」
僕は泣いた。その現実をその涙で全て流してしまいたかった。今まで頑張ってきたものの結末、それがこんなものだったなんて。
信じられなかった。いや、信じたくなかった。
「父さん・・・父さん・・・」
僕が泣いていた時、僕の前にいた父親の仕事関係者と名乗る一人の女の人が、僕にそっと近寄る。
「あなたのお父様は偉大な方でした。私たちの希望でした。そしてあなたのお父様は、ある一つの使命のために、その命を捧げてくれました」
そしてその女性は僕の前にスッと一枚の手帳を差し出す。
「これが私立城南中学校の生徒手帳です。お父様はいつも言っていました。あなたはいつか、私なんかよりもずっと偉大な奴になる。必ず自分の幸せをつかみ取ることができると・・・」
そして僕の肩にそっと手を乗せる。
「あなたは、あの方の夢であり、希望なのです。どうか、あの方の想いを無駄にしないでください」
「夢・・・希望・・・?」
僕は涙を流しながらも、声を振り絞って声に出した。
「はい。だから顔を上げてください」
そう言ってその女性は、僕の肩の上に乗せていた手をそっと離すと、今度は僕の前に差し出した。
「僕が・・・僕が勉強で一番になったら・・・父さんは喜んでくれるかな?」
僕は涙を流して赤くなった顔を上げて、今できる最大の笑顔でその女性に尋ねる。
「ええ。もちろんです」
その女性はにっこりと僕に笑顔を向けた。
「わかった。僕はやる。その中学校に行って一番になってやる。そして、父さんの期待に応えてみせる!!」
そして僕は、その女性が差し出した手を強く握りしめた。その手は、とても温かい手だった。
こうして、僕は私立城南中学校に進学した。
そして、僕は一年の最初の模試で1番を獲った。結果の用紙に僕の名前の横で燦然と輝くその「1」という数字。その数字は、確かに僕が目指していたものだった。やっと・・・やっと・・・手に入れた・・・
澄み切った青空の下。僕は頬に垂れる水滴を手で拭きとると、その模試の結果の紙をポケットにねじ込んだ。
そして、二年の春。僕の手には、また一つの模試の結果通達の紙が握られていた。