第三十話 初めての感情~そして俺達は走り出す~
「んん、ふ~ん・・・」
目を開けると、その先には白い天井。なにも汚されていない純白の天井。この天井を、俺は知っている。
「て、またか・・・」
俺はベットに寝ころびながら呟く。そうここはなにを隠そう保健室だ。純白の天井、落ち着く色の白いカーテン、棚の薬瓶。目を開けて、この光景を見るのは、もう三回目だ。さすがにもう慣れてくる。
保健室で目覚めることに慣れるということは、いささか問題があるような気がするが、そんなことは今はどうでもいい。今重要なのはなぜ俺はここで寝ていたのか、ということだ。
俺はまた、自分の記憶を辿り、なぜ自分はここで寝ていたのかを考えてみる。
ガチャリ
必死に記憶を辿っていく中、ドアの開く音がする。
「あ、起きた?蓮君」
「たくっ、いつまで寝てんだよ」
入ってきたのは玲と健だった。しかし俺はその光景を見て、思わず首をかしげてしまう。
(あれ、玲の雰囲気がいつもの玲の雰囲気に戻ってる・・・)
完全に戻ったかといわれればそうではないのだが、確実にいつもの玲に戻りつつある。前まであんなに魂が抜けたかのような感じだったのに。
(・・・あ!)
そして俺は、玲の姿を見て昨夜の出来事を思いだす。そうだ、あの時アビシオンと戦って。そしてアビシオンからの波動を受けて体が動かなくなって。・・・あれ?
そこからの記憶がない。そこだけポッカリと穴が空いているような感じだ。この感じ、前にも一度あったような・・・
確かにあの時、俺達は絶体絶命のピンチだったはず。俺は負傷、玲は戦意喪失、そして体の硬直。無事な状態であっても勝てる見込みは少ないのにそんな最悪な状況で俺達はどうやってそのピンチを抜け出したのだろう。
俺は再び二人の方に視線を向ける。確かに二人はそこにいる。俺もここにいる。これは夢でも、あの世でもない。現実だ。確かにここに存在している。
そんな一人考え込む俺の姿を見て健が話しかけてくる。
「なに俺達が来るなり考え込んでるんだ?」
俺はおもわずはっとなったが、一度態勢を立て直した後、真実を聞くために二人に尋ねる。
「どうやってあのピンチから俺達は抜け出したんだ?伊集院さんや工藤が助けにきてくれたのか?」
俺の一言に、玲と健は思わず顔を見合わせる。そしてなにかを納得したかのように、こちらに視線を戻して玲が声を上げる。
「そっか、蓮君はあの時の記憶がないんだったんだよね」
そう言って玲は、その長い金色のツインテールの髪を手でかき分け、ふうと一息ついてから俺に話す。
「あなたはあの時、ウィスパーの時と同じように覚醒したの。そして私たちを守ってくれた。こうして私たちがここに立っていられるのもあなたのおかげよ」
そう言って玲は一度俺から目を離した後、またもう一度こちらに視線を戻す。先ほどとは違いなにか顔がほんのりと赤くなっているような気がした。
「改めてお礼を言わして。守ってくれて本当にありがとう。感謝するにもし切れないほど感謝してるわ」
「え・・・?」
俺はおもわずそう口にしてしまう。突然玲に感謝されたからだ。俺は突然の展開についていけなかった。でも一つ、心に芽生えたのは嬉しいという気持ち。なんだかよくわからないけど玲を守れたこと、玲がいつもの玲に戻ってくれたこと、そして・・・
初めて人に、感謝されたことに俺は喜びを感じていた。
今まで味わったことのないこの感触。パアーと胸の中でまるで澄み切った青空が晴れ渡るようなすがすがしい色で輝くこの感触。そうか、これが嬉しいという感情なのか・・・
俺は今、初めて嬉しいという感情を知ったんだ。
今までなにも考えずに生活してきた。ただその時の流れに乗っていき、そして今度はその身を戦いの渦に巻き込まれていき、そして死と触れ合って生きてきた。もちろんそこに嬉しいなどという感情が芽生えることはない。冷たく、そして暗い色が、常に俺の心の中を染めていた。だけど今、初めて俺の心の中に明るい光が差し込んだ。そして晴れやかな気持ちになった。これが嬉しいという感情、そして喜びなんだ。
俺はそっと胸に手をあてて目をつむった。心臓の鼓動が聞こえる。その音も、いつもよりも穏やかに感じた。
「どうしたんだ蓮。傷が痛むのか?」
健の一言に俺は現実に戻される。嬉しいという感情に浸っていたなんて恥ずかしくてとてもじゃないけど言えない。このことは心の奥にしまっておこう、俺はそう思った。
「いや、別になんてことはないんだけど」
実際、俺の体には傷一つなかった。前にも思ったけどこれって竜族の中では普通のことなのかな?
俺は自分の体を見まわす。やはり傷という傷は見当たらない。
ふと、俺は自分の手に視線が行った。その時突然、俺はあることが頭に浮かんだ。
「また俺、この手で誰かに死を与えたんだな・・・」
誰かを守れたかわりに誰かを死に追いやった。それがたとえターゲットだろうとなんだろうと、その事実には変わりはない。そう思うと、俺はこの自分の手が恐ろしく感じた。この手が与えるのは常に誰かの死、そして絶望。俺の手から希望の光が生み出されることは、やはり決して望んでもできない、不可能なことなんだろうか・・・
そんな俺の姿を見て、二人は一瞬その雰囲気に呑まれそうになるが、二人は顔を合わせてから一度頷き、そしてその後、その暗い雰囲気を切り裂くように玲が声を上げた。
「確かにそうね。だけどあなたのおかげで私たちはこうしてあなたの前に立っていられる。こうしてまた会話することができる。誰かに死を与えたのは事実だけど、その死を、これから自分がどうやって背負っていくのかが重要なんじゃないのかな?」
「死を、背負う・・・」
俺はその言葉が、心に響いていた。死を背負う、そんなこと、考えたこともなかった。死を与えたことにただ悲しみを覚え、そして恐怖を覚え、そしてそのまままた日常に戻って行った。そんな自分の運命を呪っていた。だけど違うんだ。俺は一番大事なことを放棄していたんだ。死を与えたことに対しての責任。そんな最も大切なことに、俺は気付かなかったんだ。
「な~んてね。私がそんな事言える立場じゃないんだけど。でも本当に感謝してる。あなたのおかげで私にも道がみえたから・・・」
「え?最後なんて??」
感謝してる、までは聞き取れたんだけどそこから先の言葉が小さくて聞き取れなかった。
「なんでもないよ。あ~!それよりも早く準備しなきゃ!今日は臨時集会があるんだから!!」
突然玲が大きく声を上げる。
「臨時集会??」
俺は思わず聞き返す。
「今回の件で荒木先生が消えちゃったでしょ。だからそのことについての話よ」
「はあ、なるほど」
そう言えばそうだった。ん?そういえばそのことはどうやって対処するんだろ。
俺が首をかしげているとそれを見て玲が俺をせかす。
「そんなことは今はいいからほら早く早く。遅れちゃうわよ!」
「待って待って。もう少しで準備できるから!」
俺は慌てて制服の上着を着る。幸いにも、制服はどこも傷んでおらず、そのまま登校することができそうだ。
「急げ~早くしないと遅刻するぞ~」
もう既にドアの向こうに立っている健が叫ぶ。
「わかってる。今いくから!!」
そう言って玲は俺の手を握った。
「ほら、いくわよ!!」
そして俺は玲に手を握られたまま教室に向けて走り出した。
「待って待って、そんなに強く手を握らなくても・・・」
俺の手を握る玲の手の力は相当強い力だった。いや、どちらかというと、なにかをかみしめるような、そんな大切な思いがその手に込められていたからかもしれない。
「なにいってんのよ!ほらいくわよ!!」
そして玲はさきほどよりも更に強い力で俺の手を握る。そしてまた走り出す。
(本当にありがとう。蓮君)
朝日の光に照らされた眩しい廊下を、俺達は教室目指して全力で走った。
この回で第一章は終わりです。次回からは第二章と、これからも変わらずどんどん更新していくので、またこれからもよろしくお願いしますm(_ _)m