第一話 出発 2-1~俺の名は一之瀬 蓮~
「うん・・・んん・・・」
目蓋が恐ろしく重い。今見えるのはただ真っ暗な世界だけ。
「んん・・・眩、しい・・・」
目蓋を小刻みに揺らしていると、微かにキラキラとした光が差し込んできた。
朝だ、起きなきゃ。ぼやけていた頭の中にそんな意識をしっかりと光は刻みつけていく。
そんな思いに応えるようにやっと目蓋にこもった力がスルリと抜けて、ようやく俺はゆっくりとその目蓋を開いていくことができた。
「う~ん・・・んん?」
目を開けると、そこにはさっきまでの世界とは真逆の色・・・真っ白な光景が飛び込んできた。
よく見れば素っ気ない良い意味で言えばシンプル、悪い意味で言えば地味な白色。どこからか差し込む光が反射して、寝起きで気だるさ感MAXの俺の顔面を精一杯攻撃している。
「ここ、は・・・?」
その白色の正体が天井であることを理解するまでさして時間はかからなかった。
ふわりふわりと頬を心地よく撫でていく風。丁度胸のあたりからかけられている白いふっかふかの布団。ついでに頭の下を優しく支えているふっかふかの枕。
そんな全身を包み込むような数々の感触から、やっと俺はその問いに辿りつく。
ここは、一体どこだ・・・?
「おう、起きたか」
訳も分からず半ば混乱状態になりかけていると、俺の耳に軽い口調ながら低くどっしりとした印象を与える男の声が聞こえてきた。
「お、親父・・・」
そこに居たのは、どこから持ってきたのか木でできた大きなイスに腰掛け、分厚い小説のように見える黒い本に読みふけっている父の姿だった。
(あれ、なんで俺、父親ってわかったんだ・・・?)
小さな衝動に駆られてゆっくりと起き上がる。途端に二日酔いでも起こしたかのように頭がくらくら、全身の血が逆流でもしてるんじゃないかと思うほどに胸がざわついて気分が悪くなる。
最悪の目覚めだ・・・。けど、今悲鳴を上げている暇はないか。
今まで気付かなかった内の傷は痛みさえ感じないが、気付いた瞬間から痛み出すことってあるよな。あれと同じ、一つの疑問が俺の中に芽生えた瞬間、流れを止めていたダムが決壊したかのように一気に疑問と謎で溢れ返った。
俺はどうして横に居るその人物を父親だと理解した。俺はどうして今こうして寝ていた。俺はどうしてこの場所に居る。どうして、どうして、なぜ、なんで、どうして・・・っ!
俺は、一体誰だ?
「俺は、どうして寝ていたんだ?」
なぜ俺は凄まじいスピードで溢れかえる無数の疑問の中で、その質問を一番に選んだのだろうか。
・・・わからない。けれど、その動揺とショックからズタボロになった心では、いきなりの核心はさすがに重荷が強すぎたのかもしれない。
今の俺は、俺には、「記憶」というものがないってこと。
正確に言えばこの体自身にはなにかしらの記憶というか残骸というか、そういう手掛かり的なものが染みついているような気がするんだけど。
けれど俺の頭の中は真っ白、まさしく完全にからっぽな状態だった。
「寝ることに理由なんているのか?」
パタンッと読んでいた本を閉じる父親、らしき人物。やはり俺の疑問をおかしく思ったのか、静かに口元を緩ませ微笑みを浮かべる。
「・・・どのくらい寝てた?俺」
「そうだなあ・・・、ざっと、300年ぐらいか?」
「・・・は?」
その言葉に耳を疑う・・・どころの問題じゃねえよ。
一体どこに300年も寝ていたと言われて「はいそうですか」と受け入れられる奴がいるんだ。信じる信じない以前に、俺の中に最初からセットみたいに付属している常識ってやつがその事実を全力で否定していた。
それともなにか?今の時代は1日のことを300年っていう数字で表すようになったのか?
「まあ今のお前じゃまだ信じられないだろうな」
「えっ、ちょっ・・・」
その重い腰を上げて親父は壁にぽっかりと開いた大きな窓へと寄り添う。
白いさらさらとしたレースのようなカーテンが風に乗せて優雅にゆらゆらと舞った。
そうか、この優しい風はあの窓から入り込んでいたのか。
「信じるか信じないかなんて今はどうでもいい。どちらにしろいずれはわかること。今必要なのは、今のお前をお前自身が知ることだ」
「俺、自身・・・?」
もしかしなくても、それが今最も俺に欠けていることであり必要なこと。
だがそれと同時にはっきりとわかった。親父は、目の前の人物は、俺が記憶を無くしていることを知っていたんだ。そして
記憶を無くす前の俺も、知っている。
「お前が寝ている間に、それはもう色んなことがあったんだぞ?見てみろ、その眼でしっかりと見ることが一番手っ取り早い」
親父はそう言うと宙を舞い続けるカーテンを片手でそっと託し上げ、その先の景色を開かせる。
それに促されるように俺は丁寧にかけられていた布団から抜け出し窓の方へと歩み寄った。
「・・・・・・」
「どうだ、凄いだろ?・・・って、案外反応が薄いな」
なにを期待していたのかは知らないがどうやらそれを俺は裏切ったらしく、あからさまにガッカリしたような表情を見せる親父。さすがに可愛いとは思わないが、見かけからすればまるで子供みたいな反応だった。
「凄いもなにも、俺はこれがどう変わったとか元がどんなだったとか知らないし」
実際のところ驚きはしてると思う。確かに窓から見えた光景はなにも考えなくても目を奪われるほどのものだった。
俺がとばかりにうじゃうじゃと立ち並ぶ大きく高くそびえる建物の数々。
下を見下ろせば幾本にも分かれる道をめまぐるしく色んな色の長方形が行き交い、その端にアリんこみたいな粒状のものが所狭しとうごめいている光景・・・
俺は確かにその光景に驚いている。だけどおそらく驚くところが根本的に違う。
親父が驚いてほしかったのは多分この窓から広がる世界がどんなに変わったのか。だけどそもそも俺は最初の状態を知らないんだから期待通りのことを答えようにも答えられないわけで。
「そうか・・・それもそうだな。しかし凄いねえ人間ってのは。お前にとっちゃあ知ったことではないだろうが、これほどまでに発展するとはな・・・」
そしてどこからかプップーっと耳障りな音が響きこの部屋に入り込む。それに対し親父は驚きと悲哀にも似た感情とが入り混じったようなため息をついた。
ぶるっ・・・
なんだ、この感覚。
ため息をつくという、たったそれだけの動作なのに。なにもかもが違うという意識を一瞬で植え付けられ、果てしなく遠ざかっていく父の姿。
胸のあたりが妙にざわつく。なにかに呑まれそうになる。
「なんだよその言い方・・・。まるで我が子を見守っていたみたいな言い草じゃねえか」
「・・・ああ、なんだ。よくわかってるじゃないか」
けれど返って来た言葉は――あまりにも重すぎる――衝撃的で予想だにしなかった「事実」だった。
「そのとおり。俺達は、お前は、世界の歩みを見つめ続けてきた傍観者、「竜族」だからな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「竜、族・・・?」
そのたった漢字二文字が、頭の中でピョンピョンと飛び跳ねる。
「・・・・・・」
そして無意識に、自分の手で顔や胸を触っていた。
ペタペタペタペタ・・・
うん、寝起きだけどお肌はもっちもち。骨の感触もちゃんとあるしなにより300年寝ていたという割には、特別太ってたり痩せてたりとか大した変化はないな!・・・って違う違う違う!
確かに今の俺には記憶がない。だけどこの体のどこかにはなにかしらの残骸が残っている。そしてそれがこの世界における知識というか常識として感覚的に俺の中で構成されている。
もちろんそんなこと無意識なのだが。でもだからこそわかる。
今の俺、俺の体は、この世界で「人間」と呼ばれる生き物の姿なはずだ。
「ハハッ、まあいきなりそんなこと言われても信じられないだろうな」
「そうだなあ・・・、まあ今から話すことはただその耳に挟んでくれるだけで良い。例えそれが信じられなくてもわからなくても、それが事実だということを踏まえてただ父さんの話を聞いていてくれ」
親父は微かに笑みを残しながらそう言うと、また視線を窓の外へと戻した。
「まず1つ目。今この世界において我々竜族は人間と正確な意味で共存はしていない。まあお前も大体わかっているとは思うが、ご覧の通り。竜族・・・本来のドラゴンとしての姿ではなく、こうして人間の姿で世界に「潜り込んでいる」のが現状だ」
「共存はしてないって、てことは前までは・・・」
「質問は後だ。今は黙って話を聞いていろ」
俺の質問を顔も体も一切動かさずに一蹴する親父。今までの様子とはまるで違い、なにげない一言に恐ろしいまでの威圧を感じて言われたとおり俺は黙りこんでしまった。
まるで今なにげなく話している言葉の一つ一つが「絶対領域」であるかのように、そこにはかぎりなく高き壁と緊張が合わさって存在している。
「次に2つ目。今からずっと、それこそとてつもなく昔に封印したはずの「魔族」が、何故かこの世界に現れるようになった。原因は全く不明」
(魔族・・・)
魔族。聞くからにしてあまり良くない存在な響き。これこそ完全な偏見だが、もちろん俺はそれを全く知らない。それがどんな存在であるか、どうして今まで封印されていたのか・・・
多分それについて俺が知るには今目の前に居る親父殿に聞かなければならないことなんだろう。けどさっき一度遮られてるし、今はこれも保留だな。
「まあ今現在の俺達竜族の役目ってやつは、この魔族から人間を守る。つまり討伐することがおもな役割ってわけだな。人間ってのは無駄に知力はあるが単体の力はあまりにも小さい。おそらく、人間達にこの魔族に勝てる者は居ないだろう。・・・だからこそ守らなくちゃいけないんだ」
「その魔族をも凌駕する力を持つ、俺達竜族がな」