第二百二十話 赤き炎が燃ゆる時~灯は消えない、そこに希望がみえたから~
「ふう、さて敵さんの姿はっと」
ユッキー達と別れ大きな扉を閉めた後、俺は改めてこの空間を凝視する。
本当に何もない、真っ白な巨大な空間。前に蓮が暴走した際の攻撃で一切合財破壊されちまったもんだから、隠れられる場所は残っていない。
「……敵影なし」
確認なんて辺りをざっと見渡すだけで終わるが、そこにはターゲットも黒色の刃もなかった。いまだ蓮の体の凍結は解けていないし、この状態で戦うとなるとさすがの俺もお手上げだったからこれは好都合だ。やっと天も味方してきたか?
「よしっ」
右肩に工藤、左肩に蓮を担いで俺はこの空間に唯一存在している扉へと駈け出す。ここに居ないとすると、優奈ちゃんやそれを連れ去った奴はあの先に居るとみていいだろう。
(……こういううまくいきすぎなのって、ゲームだと大概なんかあるよな)
わざわざ自分からのフラグ立て。しかしまあさっきまであれだけ騒がしかったのに、こんなになにもないと逆に怪しいと感じるのはおかしなことではないだろう。
それに俺はバカだった。ここは本来あの一戦からずっと放置されていた場所。いくらターゲットが通ったからといって電気がついているわけがないのだ。
「ちょっとまってよ、健人君」
「っ!?」
この部屋のちょうど中間地点まで来たところで、背後から俺の名前が呼ばれる。一瞬無視して扉まで直行しようかとも思った。しかし……、
(この魔力の気配の濃さ、距離がちけぇ)
あの扉までの距離と比較しても、到底どうにかなるようなものではない。
「よう、優奈ちゃん。さっき振りかな? 気分はどうだい?」
振り返ると、そこにはただ一人ポツンと優奈ちゃんが立っていた。距離にして20メートルといったところか。ガッツリ射程距離内ではあるが……
「最高だよ、そして感謝の気持ちでいっぱい。ありがとう、相川君。蓮君を届けてくれて」
屈託のないの笑み、けれどちっともときめかないし嬉しくもない。いやちょっとは可愛いと思ったよ? でもそこは俺も空気を読んでだな――
「相川君?」
「おっと、悪い悪い。ついマイワールドに飛んでたぜ」
(ここで撃ってもまるで通用する未来がみえんな)
息を吐くように出てくる煽りの言葉。しかしそれに裏打ちされた絶対的優位という自信と事実。あのユッキーが少々頭に血が昇っていたのもわかる気がした。到底手の届かない上からの煽りほど、神経を逆なでするものもなかなかないからな。
(しかし……なんだな)
目の前のターゲットの様子よりも、まず自分の様子に疑問を感じている俺がいた。なぜだかはわからない。しかし俺は自分でもびっくりするぐらい落ち着いていた。恐怖もない。焦りもない。本当に、なぜだかはわからないが。
(あれか? オンゲーで煽られまくってきたから耐性がついちまったのか?)
まあなんでもいい。物怖じしないなら、今のうちに精々かっこつけておきますか。
「すまねえなぁ、篠宮さん。こいつのお届け先はどうやら君じゃないようだ」
「えー本当? そんなはずはないんだけどなー。どうしても……ダメ?」
「ああ、そんな可愛く首傾げてもダメだ。仕事は仕事、公私は分けるのがモットーなんでね。依頼人を裏切るわけにはいかないんだよ」
「えーそれは残念。困ったなぁ……これじゃあもう、私――」
「おう。四の五の言わずに、蓮が欲しけりゃ黙ってかかってこいや。ターゲットさんよ」
(え、今の俺カッコよすぎじゃね? まじでどうしたんだ俺)
精一杯カッコつけるはずではあったが想像の何倍もの出来に逆に戸惑ってしまうという体たらく。しかし本当になんなんだこれは。いつもなら胸がむずかゆくなる展開が、今は実に清々しくて高揚している。自信に満ち溢れている。
(自信……ああそうか、こんなにも堂々しているのは自信が俺を後押ししているからか)
俺は優奈ちゃんに隠れている向こうの扉を眺める。この自信は俺が強くなったからとか、そんな軟なものではない。今この場に立っていられるのは、玲とユッキー、二人が死に物狂いでバトンを俺に繋いでくれたからだ。片や白銀の竜、片や氷結の竜。そんな大層な奴らが紡いだバトンだ。そんなもん、落としたくても落とせねぇじゃねえか。
(負けがない。だったらもう勝ちしかねぇ。どうりでなにも怖くないわけだぜ)
ようやく俺は理解した。これは自信と共に、覚悟でもある。俺はこれから目の前のこいつをぶっ飛ばす。確実に、間違いなく、100%。これは確定事項だ。だから恐れなんて微塵もない!
「つーわけで、そろそろ起きてもらうぜ。DSK研究部のエース」
「――その身に纏いし炎の衣。汝の凍えを癒さん」
工藤を一旦床に下ろした後、俺は蓮の頭に手をのせ魔法を発動させる。一瞬円状の帯が蓮の体を駆け巡った後、全身が赤い光に包まれること2、3秒。
「う、うん?」
あら不思議。綺麗さっぱり凍結状態は解除されましたとさ。
「相川、健人か」
「よう、名無し君。とりあえずとっとと自分で立ってくれよ?」
礼も言わずに蓮、もとい謎の人物Aは自立し、自然な流れで状況判断のために辺りをぐるりと一瞥した。
「あらあら、もしかしてその人と一緒に戦うの? 相川君」
「ハッ、ターゲットさんは記憶力に難ありなご様子で。さっき言っただろ、お届け先はお前じゃないって」
ターゲットを適当にいなしてから俺は謎の人物Aに目を向ける。
「行けよ、さっさと」
「なに?」
「お前の目的がなんなのか俺にはさっぱりだけど、見てりゃわかるものもあるさ。お前もあの先を目指してるんだろ? だったらここは俺達が相手しといてやるから、お前はその間に早く行けよ」
「……どういう風の吹き回しだ。お前に助けられる義理などないはずだが」
その問いかけを聞いて、俺は盛大に鼻で笑った。
「勘違いしてんじゃねぇよ。お前に恩を返されるほど借りのバーゲンセールはしてねぇ。俺の使命はお前のその体をあの向こう側に届けることだ。そして今、それを遂行しているまで。これの一体どこにお前が関係してるってんだ?」
強がりでもなんでもない。そもそも俺はこいつのことが嫌いだ。蓮がやろうとしていることを邪魔している時点で俺にとっては敵以外のなにものでもない。そんな奴を、助けるためにわざわざ命張るか? いいや、張らないね。
(第一信頼のない奴と共闘なんてしても碌なことにならねぇからな)
だから俺はこいつを助けない。助けるのはあくまで蓮のことだ。親友に報いたい、仲間の想いに応えたい。所詮は自分のため。たまたまその結果が同じだっただけだ。
「フン、そうか。だったらこれ以上はなにも言うまい」
「おう、わかってくれたならはやく行ってくれや。俺はとっとと目の前の戦いに集中したい」
「ああ、では勝手に行かせてもらう」
背後で走る音が聞こえてくる。一応この間にもターゲットが襲い掛かってくることも想定していたが、意外にも彼女はその場を離れようとしなかった。
「おい、名無し野郎!!」
だったらついでに、言うこと言っておくとするか。
「最後に勝つのは蓮だからな! そこんとこ覚えとけよ!!」
実際にあいつに聞こえたかはわからないが、まあいいだろう。扉が開き、そして閉まる音を確認してから俺は首の音を鳴らす。
『よう、工藤。生きてるか?』
『……ええ、かろうじて、生きて、ますよ』
『こっからは俺一人じゃ厳しい。悪いがお前の助けが必要だ』
『フフ……あんな啖呵を切っておいて、言う言葉が……それですか』
『まあ、な』
回線を通じて今にも死にそうな工藤の声を聞く。どう見てもとっくに気を失っている状態だが、一応は意識を保ってくれているみたいだ。しかしその体の衰弱度はさっきまでと比べかなり進んでいるように思えた。
「あいつのこと、あんな簡単に行かせてよかったのか?」
「ええ、だって私が届け先じゃないんでしょう? それを横取りするようなみっともないマネ、よくよく考えたらする必要なかったよ」
それは暗に、あの扉の先にもお前の策が行き届いているってことか? まあいい、いまさら俺にはどうしようもないし後は天に任せるしかないだろう。他に気を向けるほど、俺には余裕なんてない。
「なあ、篠宮さん」
「なあに?」
「戦う前に一つ聞きたい。君がこんなことをする理由……はどうせ聞いても教えてくれないだろうから、質問を変えよう」
「これまで玲や俺、そして蓮たちと一緒に学校に居て、一緒に日々を過ごしてきて、君は楽しくなかったか?」
こんな決戦前に聞く内容ではない。だけど、どうしても聞いておきたかった。
蓮は高校からだが、他は中学校からの付き合いだ。たくさんの思い出があり、数えきれないほどの会話を彼女と繰り返してきた。
(それ自体は嘘の記憶なんかじゃない。でも、優奈ちゃんの本当の気持ちはどうだったのだろう。俺達の一方通行だったのか、それとも……)
俺は卑怯だ。けれど思ってしまうのだ。今の彼女からは、今まで聞けなかった優奈ちゃんの心からの声が聞けるのではないだろうかと。どんな答えでもいい。彼女が大切な友達であることは変わらない。だからこそ、聞きたい。人間の感情という概念の真髄を、俺は知りたいんだ。
「そんなことを聞いてなんになるというの?」
「別に、そもそもなにかにならなければ質問しちゃいけないのか?」
「時間の無駄だよ」
「無駄だったかどうかを決めるのは君じゃない。俺の方だ」
観念したのか、それとも哀れに思ったのか。彼女は呆れ顔でため息を一つついた後、俺に向かって口を開いた。
「私は……」
「……」
「あなた達と一緒に居て、楽しいと思ったことはない。なんなら苦痛だったよ……この答えで満足した? 相川君」
「……そうか」
なんだろう。俺は彼女がどう答えるのかある程度予測できていた気がする。でも、いざ言われるとやっぱりきっついな……。
(けど、知らなかったのは俺達の罪だ)
俺達は優奈ちゃんのことも、そして蓮のこともちゃんと知れていなかった。だけどこの人間界で過ごしてきて俺は感じた。人の内面を知ることの難しさを。仮にわかっていたとしてもそれはそう思っていただけで、実際には違う。そんなパターンが99%を占めるだろう。
「ありがとう、篠宮さん。ちゃんと答えてくれて」
「……相川君のそういう安っぽい優しさも、私は嫌いだった」
「そうかい。けどまあ、しょうがねえだろ。本当に君には感謝してるんだから」
「こんなにも酷い受け答えをしているのに?」
「ああ。君に出会えて、俺……俺達は救われたからな」
けど、さ。同時に俺は思ったんだ。人の内面を理解し合うことの素晴らしさを。今まで楽しくなかったと言われてしまったけど、俺はここまでの学園生活が楽しくて仕方がなかった。それこそ小学校時代の負の思い出なんて些細なことだと思えるほどに。ちゃんとお互いを知れていないのにこれだ。もしも本物の絆の元で一緒の時間を過ごせたら、一体どれだけ幸せだろう。一度考え始めたらもう終わりだ。手を伸ばさずにはいられない!!
「君は、玲にとって初めて人間界でできた友達なんだ。今でも覚えてるよ。中学校の登校初日、あいつ不安で顔真っ白にしちまってさ。何度も何度も俺に帰ろうって言ってきたよ」
「まあそこは俺が宥めてなんとか教室に辿り着いたんだけどさ、運悪く俺とあいつの席が結構離れてたんだよ。HRまでは一緒に居れたんだけど、その後はもう大変。緊張のしすぎでカチンコチンになっちまって今にもぶっ倒れそうだった」
「……」
「そんな時、見かねた隣の女子が玲に話しかけてくれたんだよ。「大丈夫?」ってな。ま、そこは普通に「大丈夫だよ」とか適当に返してそっから会話を始めればいいのに。もう考える余裕もなかったんだろうな。あいつってばまさかの――」
「大丈夫って、なんですか?」
「っ!?」
彼女は俯きかけに、俺と目もあわさずにぼそりと呟いた。
「……そう。覚えて、くれてたんだな」
一字一句、間違いはなかった。緊張の末に口から出てしまった言葉。一瞬の沈黙。耐えかねてクスリと笑う少女。それを見て顔を真っ赤にしながら慌てて弁解する玲。響き渡る声。集まる注目。そして、先生のお怒り。もう何年も前のことだけど、なにもかも鮮明に覚えている。彼女も、また。
(玲、お前はもう優奈ちゃんとの間に本物を作っていたんだな。実際はちっぽけなものかもしれないけど、確かにそれは存在してる)
嬉しかった。ただただ届いているという事実が俺は嬉しかった。もしかしたら本物の関係なんて実現不可能なんじゃないか、そう思った時期もあった。けれどやっぱり、そこに不可能なんてなかったんだ。やべ、なんか目から出てきそうだ。こんなことで泣くとか、女々しいにも程があるだろ俺。だけど、
(一番、求めてたものなんだよな~~~)
あいつが泣いて苦しんでいる姿が脳内で何枚も何枚も映し出される。中学校から現在までで、楽しい思い出の数は悲しい思い出の数を上回っただろうか。……いいや、到底足りていないだろう。
(人間界に来てから、俺は随分と欲しがりになっちまったな)
輝かしいものに触れて、それをもっと欲しいと思う。それって当たり前のことなんだよな。
(そうか、だから蓮の奴は……)
ずっと腑に落ちなかった蓮の工藤に対する怒りの理由が、なんとなくわかった気がした。だけど俺や玲には、選択する自由がある。だから……だから俺は選ばさせてもらう。俺は俺の生きがいを守る。それが、俺の生き様だ。
『工藤、いくぞ』
『なにか、策でも? まあ、紋章の力を、使えっ、ば……あなたに、だって』
『おうよ、と言いたいところだけどさ。正直に言うと、間に合わなかった。すまねぇ。今の俺にユッキーや玲みたいに紋章に秘めている最高の力を出す能力はねえよ』
『本当に、正直な人です、ね。では?』
『アレをやるぞ。俺とお前のとっておきの技』
『わたし、と、あな、たの……? まさっか、中学校時代にため……はぁ、はぁ、した……あの馬鹿げた作戦、ですか?』
『馬鹿げたとはひどいな。あれは俺の最高傑作だぞ。それに、最大火力とはいかなくても多少は紋章の力を使える今の俺なら、あの時よりももっと完成度の高い作戦にできるぜ?』
『……いい、でしょう。どちらにせよ、今はあなたに託すしか、ぐっ、ないっ』
『おう。無理をかけるが、後悔はさせねぇよ』
残念ながら俺の紋章は漫画の主人公のようにカッコよく触れられる位置にはないが、それでも心強い熱さを感じる。
さーて、いくとするか。取り戻させてもらうぜ。優奈ちゃんと、みんなと、また学園へ行ける日々を! そのために、俺はお前を討つ!!
「どうやら、おせっかいはやめられないみたいだぜ」
「……その眼、この私と本気でやる気?」
「おうよ。友達と戦うのはマジで嫌だが、いまさら俺がそんなこと言ってもな。もう、一度親友のことをこの手で傷つけている俺が」
「だから全力でやってやんよ。残念ながら一番目じゃねぇけど、俺の中で、あー……多分っ4番目の強さの魔法でお前を仕留める!」
「できると思う? これを見ても」
ターゲットが両手を左右に広げる。すると真っ白な空間が黒色のペンキで乱雑に塗りたくったかのように染まり、ここまで嫌というほど見てきた色なしのターゲットがまたしても無数に出現した。
「その魔法、便利だよな。お前だけで野球でもサッカーでもチーム作れるじゃん」
「随分と余裕だね」
「まあな。けど、そういう篠宮さんだってそうじゃないか。俺がずっと銃口を向けてるってのにさ」
そう、俺は先程から彼女の眉間に照準を合わせて銃を構えているが、当の本人はそれがおもちゃの銃だと高をくくっているかのごとく無表情で眺め続けている。これは本格的に舐められてますねぇー。
「どうせ当たらないもの。避ける必要もないよ」
「へえ。その言葉、忘れんなよ。そんじゃまあ、勝手にやらせてもらいますか」
「我が声に応えよ、意志を持ちし我が炎の同志達よ……」
端から負けるつもりなどないターゲットは不意打ちなんてしない。なんなら俺が魔法を唱え始めても動かない。なんの障害もなく発動した相手の魔法を正面から打ち負かす。それこそがターゲット流の格の違いの見せ方。
「銃身は重く、銃口は広く、汝がための門とならん」
(差があるほど舐めプに走りたがる。だが、舐めプして逆にやられた時ほど恥ずかしいものはないんだぜ?)
まあ実戦でこの紋章の力を使うのは俺も初めてだからな。奴が知らないのも無理はない。五元素の中でも屈指を誇る、火の一撃の重さをな!
「駆けよ!! 今こそ悪しき者を捻りつぶせ!!」
引き金を引く。一発の弾丸が射出される。下から突き上げるような音を響かせ、不自然過ぎるほど速度の遅い弾丸がターゲット目掛けて飛来する。
「!?」
ターゲット、ここでやっと事態に気がつく。自分がいかに愚かだったか、いかに失敗を犯したかをその瞬間悟る。
(弾丸、ただし弾丸とは言ってない)
しかし遅い、遅すぎる。急遽大量の色なしを自分の前に招集し身代わりとするが、
(そいつらじゃこいつは止められねぇよ)
眩き赤色の閃光を突如放ち、弾丸は姿を変える。勘のいいあいつは気づいているだろう。ただの一発にしては魔力が込められ過ぎている、これからこそが本番であることをっ。
(さあ、存分に進め赤兎馬。進路は常に良好だぜ!)
――ヒヒイイイィィンンンッ!!!
「な、なにこいつ!?」
どれだけ前に色なしが連なろうと、その炎をまといし黒き馬は進む。なにもかもを蹴散らしながら前へ、前へ、前へ!! こいつにとっては障壁なんてありゃしない。その程度の防御で防げたら褒めてやるよ。あくまで止められたらの話だがな!
「チッ!」
すぐさま色なしという名の盾の限界を悟ったターゲットが横っ飛びで射線上から離れる。代わりに犠牲となった色なしを無残に散らしながら、その横を赤兎馬は駆け抜けていく。床に這いつくばったターゲットが歯を食いしばり、憎悪を露わにした。
(避けた、か)
通過した赤兎馬がぐるりと旋回し、再びターゲットを射線に捉える。
「……ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなっ!!!」
跳ね起きたターゲットの咆哮が空間を震わす。おーおー怖い怖い。どうやら本格的に奴の琴線に触れたようだな。しかし良くないねぇ、女の子がそんな顔をすることもそうだが、
(お前の相手は、一体誰だ?)
迫りくる赤兎馬を前にして、ターゲットの持つチェーンソーが黒い煙に巻かれ始める。むしろあの煙が形作っていると言った方がいいか。どこぞの悪魔でさえ持つことを躊躇いそうな禍々しい大鎌が、少女の手には握られていた。
「……叩き斬る」
またしても彼女は真正面から赤兎馬と対峙する。一撃で仕留める気満々。そんな光景を見て、俺は案外優奈ちゃんは生粋の負けず嫌いだったんじゃないかと思ってしまったのだった。
「死ねえええぇぇぇぇええ!!!」
痛快な音と共にはっきりと、黒色の巨大な空間の切れ目という太刀筋が浮かび上がった。その切れ目に重なるは赤兎馬の馬体。あまりの切れ味に現実が動き出すまでに間が出来上がってしまうほどだった。
(キレてるとはいえ、一撃かよ。なんだよその切れ味チートだろ)
一切声を上げることなく、真っ二つにされた赤兎馬の体はフェードアウトしていき、纏っていた炎だけがその場に残った。
(しかし……お前のその力のおかげで、すげぇいいモノがつくれそうだぜっ)
赤兎馬はヤツの攻撃で消滅した。けれどこの場にあった俺の魔力は消えていない。それはターゲット自身が一番感じているはず。
「……私は、今なにを斬った?」
ぶっちゃけるとこの魔法はいわゆる初見殺しだ。それもあいつみたいに自信家であればあるほどこの魔法は輝く。なぜならこの魔法は……。
「な、なに? なんなの?」
さっきまでとはうって変わり焦りを伴った表情を浮かべる少女。辺りが薄暗くなり始める。もちろん照明が消えてしまったわけではない。夕焼けのような鮮やかな橙色に染まったかと思えばすぐに通り過ぎ、天井は地獄を彷彿とさせる鮮血の色へと変わった。
「あなた、一体なにをしたの!?」
「残念ながら俺はなにもしてねぇよ。空間制御魔法を使ったわけでもねぇ」
「この空間、この状況を作りだしたのはお前だ。お前のその絶大な威力の攻撃が、俺の炎を成長させたんだよ」
「ま、まさかさっきの魔法は」
「ご明察。赤兎馬はいわゆるモノサシ、対象から受けた攻撃威力に合わせて次の姿を決めるんだ。だからさ……」
俺は天井を仰いでニヤリと笑う。そして声高々にターゲットに告げてやるのだ。
「お前のおかげで、とんでもねぇ奴が来てくれたぜ。飛翔せよっ、鳳凰!!」
赤兎馬が残した炎が急激に膨れ上がり炸裂。耳をつんざく鳴き声と共に大きな両翼を広げ、伝説の炎の化身、鳳凰が俺達の前に姿を現した。
「っ!? い、いけ!」
ターゲットの声に応え大量の色なしが鳳凰へ向け武器を構える。そしてすぐさま群れとなって飛びかかるが、
「やっちまえ」
――キュエエエエエエエエエエエエエ!!!
その翼を羽ばたかせた衝撃で色なしは吹っ飛び、息をただ吐いただけで灼熱の炎が彼女らの身を焦がし、移動した先々で塵となって虚空へと消えていく。
色なしに声が搭載されていなくて本当に良かったと俺は思う。暴力的な炎によってもたらされる光景はまさに地獄絵図、唱えた俺自身がその力に正直ビビっていた。
「くっ、こんな鳥なんかに!!」
(まあ確かに鳥っちゃ鳥だわな)
色なしではどうにもならないことを嫌という程感じさせられたターゲットは、ついに自ら対峙することを決意する。さながらその姿は強大な化け物に立ち向かう一人の勇者にすら見えた……って、それじゃ俺が悪者になってねえか?
(さーてお手並み拝見)
「フンッ!!」
ターゲットの眼光が鋭くなると同時に周囲の壁や床、天井が一瞬黒色に点滅する。それはもうすでに体験したことがある気配で、いわゆるターゲットの空間制御魔法だった。実際俺の魔法は空間制御魔法ではないし、まずは場を制するのは最善の策ともいえる。
(フラグ、立ったかな)
「……死ねっ!!!」
ありとあらゆる方向、場所から黒色の筋が鳳凰という一点目掛けて放たれる。彼女のプライド、怒り、そしてほんのちょっとの恐怖が破滅的な威力の魔法として具現化していた。
「……」
しかし、その矛先は俺ではなく鳳凰だった。術者たる俺ではなく。
(それにしても、すげえ光景だな)
隣同士の筋と筋が重なり合うほど大量の放物線。それなのに不思議なほど静かで、ただ空が暮れていくかのようで、眺めている分には美しいと感じる程だった。
(俺達もはやく、夜を迎えたいもんだ)
中央に鳳凰だけを残し、頭上が染まる、染まる、閉ざされる。そして、
「ふ、フフッ」
なんの抵抗もせずに、鳳凰は闇に呑みこまれ見えなくなってしまった。悲鳴もなく、嘆きもなく。
「フ、フフッ、アハハハッ!」
「なにがそんなにおかしいんだ?」
「だってこれじゃ見かけ倒し、ただのハリボテじゃない。ちょっと期待しちゃったけど、こんなにあっけないとは思ってなくて、笑わずにはいられないよ」
「さいですか。お気に召したのなら幸いだぜ」
思えば、ここまで一貫して彼女はなにかを壊すことに固執している気がする。衝動的に、とは違うなにかを感じるが……考えている時間は今はないか。
「でもさ……お前さん勘違いしてないかい?」
「え、なにを??」
「いつからお前に、火を消す能力が備わっていたかってことだよ」
「……え?」
ターゲットは反射的に上を見上げる。真っ黒に閉鎖された天井を。
「あ、あれはっ」
そこには確かに、丸い紅色の点が一つ存在していた。
「言っただろ、さっきのお前の一撃の威力で生まれた炎だって。それがそんな簡単に消えるなんて、新手の自虐ネタか? 舞い戻れ、鳳凰!!」
始まりがそうであったように、俺の声に甲高い鳴き声でもって応えてくれた鳳凰が再びその姿を現す。もちろん傷一つなく、完全に100%の状態で。
「ば、バカな……ありえない」
彼女は俺の前で初めて絶望した。けれどすぐさまハッと気がついたように体裁を整える。どうやらそろそろ頃合いらしい。俺のこのパーフェクトな作戦もいよいよフィナーレを迎えようとしていた。
「空間制御魔法が支配すんのはあくまでその空間だけだ。一個体には干渉しない。一手でも俺に対して後手に回った時点で、お前に勝ち目なんてないんだよ!」
いくら空間を味方につけてもそもそもの力が及んでいなければなんの脅威にもならない。先程ユッキーから聞いた超常現象はまた例外だが、今のあいつには感情を統一させることなどできはしない。
「さあ、遠慮するな。存分に俺の炎を楽しんでくれ」
「く、くあっ!?」
頭上から飛来する鳳凰を前に、ターゲットが起こした行動は横っ飛び、回避行動だった。おそらく咄嗟の行動だろう。奴のプライドを恐怖が上回った決定的瞬間だ。間一髪のところで逃れられたが、俺は自らの作戦の成功を確信し、工藤へ連絡を飛ばした。
「この、このこのこのっ!!!」
再三ターゲットが黒い筋を至るところから飛ばすも、鳳凰には全く効かず今回は動きを止めることすらできていなかった。まあぶっちゃけたことを言うと、さっきのターゲットの攻撃も動きを止められたのではない。俺が意図的に止めたのだ。すべては作戦のための演出というやつ。
(上げて落とす、これが効くんだよな~)
既にターゲットの肩は上下し始めていた。鳳凰を見上げるその眼差しにも、どこか悲哀の色を感じさせる。実際鳳凰が来るたびに回避をし、攻撃はどれだけやっても通らないとなれば心身ともに参るのは仕方がない。
「はあ、はあ……いいわ、本気で相手をしてあげる」
まともな返答など返ってはこない鳳凰に向かって、少女はそう宣言しチェーンソーを構える。黒色の筋で応戦するのは諦め、とうとう自らの刃をもって正面から対峙する気だ。
(赤兎馬の時と同じような攻撃、か。まあその攻撃で生まれたのならもう一度同じものをぶつければなんとかなる……気がするよなー)
イメージって大切だよね。だけど彼女は、次にどんな攻撃をするのかという情報を相手に与える、勝負の上でやってはいけない初歩的なミスを犯していることに気づいていない。
我ながらここまでの誘導は神がかっていると思う。今度この経験を活かして工藤と賭けトランプでもやってみるか。うん、ボロ負けする未来しかみえんな。
「来い!!」
――キュエエエエエエエエエ!!!
ターゲットに対して鳳凰が真正面から襲い掛かる。一際勢いを増した炎、その炎を目で捉えながらターゲットは構えたまま微動だにしない。お互いの力と力がぶつかり合う真剣勝負。やはりそれは、勇者の戦い、それも魔王との最終決戦に俺の眼には映った。
――しかし、彼女の本当の敵は……
(おやすみ)
「っ!!?」
突如、あれだけ凄まじい勢いの炎の塊だった鳳凰が、彼女の眼前で誰かに息を吹きかけられたかのように離散し姿を消す。当然のごとく、彼女の刃は空をきる。
完全に態勢を崩したターゲット。そんな彼女に、正面から一本の矢が猛然と空気を斬り裂き襲来していた。
「んなっ」
彼女の心臓目掛けて一直線の矢。回避、不能。防御、不能。少女は絶望の眼差しを向ける暇もなく目を瞑り祈った。この攻撃によって死にたくない、と。
そんな切なる願いに、この空間は主のために応える。
「ぐあっ!?」
寸でのところ、もうコンマ一秒すらないその刹那、床から突然現れた黒色の筋が決死の覚悟で矢を押しやる。心臓へ突き刺さるはずの矢はわずかに軌道をずらされ、ターゲットの首に近い胸に突き刺さった。この戦いで初めて飛び散る血、けれど絶命には程遠く、ターゲットの体を後ろに吹き飛ばすのが精一杯だった。
「……」
しかし、
「っ!?」
俺は待っていたんだ。ここに、彼女が飛び込んでくるのを。最初から。
「忘れんなよ。お前の本当の相手は、俺という竜だってこと」
コツンと、彼女の後頭部になにかがぶつかり動きが止まる。
俺はそのまま、静かにその黒色のモノの引き金を引いた。
「はあ、はあ、はあ……これが紋章の力を使った代償かよ。きっつ。しかしまた一つ、もう二度と使えない銃が増えちまったな。こいつは餞別にお前にやるよ」
放り投げた銃が床を転がる。赤い筋を無造作に引きながら。そこにはもう、人影はない。ただ、人が居たという痕跡だけがべったりと残っていた。
「優奈ちゃん、まさか君を撃つ未来が来るなんて、思ってもみなかった。ホント……自分を殺したくなるよ」
『……後悔、していますか?』
『工藤! まだ意識保っていられたのか』
てっきりさっきの攻撃で完全に意識が飛んだと思っていたが、相変わらず規格外な奴だよお前は。というか俺の一人語り聞かれてたのか、めっちゃ恥ずかしくなってきた。
『いえ、あなたの強大な魔力にあてられて一時的に覚醒しているだけです。ですから手短に』
『お見事でした。派手な技に相手の意識を誘導し、〆も二段階に分けて。ターゲットの特性に完璧に合わせた作戦でしたね』
『……本当にそう思ってくれているのか?』
『こういう時、悪ふざけするような言動はとらないと自負していますので』
ここに来る前のユッキーからの激励といい、今の工藤からの評価といい、今日は褒められっぱなしだな、俺。いやまあ普通に嬉しいよ? つーか今からでも叫び声挙げたい程感激してるよ? ていうかもう家帰ってからベッドで悶絶するのは確定してっから。
『さいですか。まあ俺もこんなに上手くハマるとは思ってなかったさ。自分の力がこんなにも通用することも』
『実にあなたらしい反応ですね。しかしその力のおかげで私はまだ生きていられるのです。感謝すると共に、これまでの非礼をお詫びしますよ』
その詫びはいつぞやのランクに関することを指しているのだろうか。だとしたらいらない謝罪だ。あの工藤の忠告がなければ、俺こそとうに死んでいたかもしれないんだから。
『感謝だけはもらっとく。けどな、工藤。一つだけ間違ってるぜ』
『なんでしょう』
『さっきお前、後悔していないかって聞いてきただろ。その質問自体が間違いだ。俺が彼女を撃ったのは、またもう一度彼女と同じ時を過ごすためだ。そこに戸惑いはあれど、悔いなんてあるわけねぇだろ』
『……そうでしたね。失言でした』
カッコつけたこと言っているが、実際は死ぬ程最悪の気分だった。友達を撃つ、そんな万死に値する行為を俺は二度も行ってしまった。しかし後悔なんて後ろ向きなことをする資格など俺にはない。責任をとるまで前を向くしかないんだよ、俺は。
『最後に、一つだけ』
『最後?』
『ええ、最後です。相川さんは、まだ戦えるだけの力は残っていますか?』
『ああ、まあ一応な。めちゃめちゃ疲労はたまったけど、なんとか立って戦えるだけの体力は残ってるぜ。鍛えてるからな』
工藤はそこでまた『さすがですね』と告げた後、一拍空けてから俺に告げた。
『紋章の力を行使してなお、戦い続けられる。それは立派な才能ですよ』
『才能、か』
『ええ。その才能を磨けば、わたし、が、い……』
『工藤? 工藤!』
それから工藤の声が返ってくることはなかった。どうやら完全に意識を失ってしまったらしい。ただでさえ限界ギリギリだったのにあの一射を撃ってもらったのだ。魔力にあてられた覚醒が途切れればやむなし、か。
(たくっ、俺はただターゲットに向かって撃ってくれるだけで良いって言ったのに、ちゃっかり心臓を狙いやがって。しかもドンピシャだし。お前はトリを俺から奪う気か? というか奪う気だっただろ)
どこまでも嫌な奴だよ、お前ってヤツは。でも、最高に嬉しかったぜ。
「さーて、そんじゃまあ相手してやるかね」
色つきのターゲットが消えても、まだかなり色なしのターゲットは残っている。ただ、感情がないはずだがどこか萎縮しているようにも見えた。実際はもう負ける気がしないという色眼鏡でみているだけなのだが。
「守ってみせるさ。やっとその立場に、俺も来れたんだからな!」
親友が結果を出してくれるまで、俺の炎は消えない――