第二百十八話 完全無欠の否定世界 前編~少女は誇り、少女は叫ぶ~
「……」
「そんなに睨んだところで、あなたと私の力の違いは変わらないよ?」
余裕に余裕を重ね、さらに余裕でサンドウィッチしているターゲットが、楽しそうに私を見下した。
そしてそれだけでは飽き足りず、また新たな余裕を積み重ねるためにターゲットはその小さな口を開く。
「正確に言えば、今のあなたかな。そんなに大きな力を持ってるのに、使えないんだよね? この場所にブラックドラゴンが居るから。ほんと、お気の毒だね」
ケラケラと笑う彼女を、ほんの数日前に見た篠宮 優奈と重ねるのは私には難しい。
そもそも重ねたところでどうにもならないのだけど。けれど私は、どうにかして重ねたくて必死だった。
兄さんのおそらく、多分想い人であるこの人のことを、私はもっと知りたかったから。
「ねえゆーきーちゃん♪ あなたが死ぬ前に一つ聞いてもいい?」
「……なに?」
「私だけじゃなくてみんなが思うことだよ。どうしてあなたはあんな状態のブラックドラゴンのために、自分を縛りつけるの? このままじゃ自分が死んじゃうんだよ?」
彼女のそれは、憐れみというよりは心の底からの疑問にみえた。
彼女のいう縛りとは、文字通り私が自身の力を縛り抑えていること。そしてここでいう自身の力とは、私の光の力。お母さんからもらった聖なる力のこと。
光の反対は闇。そして光にとって、闇を消し去ることこそが本当の存在意義。私はその力を持っている。持ちすぎている。
もしもここでその力を全開にすれば、ただでさえ不安定な状態である闇はたちまち浄化し、消えてしまうだろう。闇にとって、この世界ではそれを幸せというらしい。が、
(そこに、幸せなんてなにもない。ただ無に還るだけ)
全てを無に還し得られるもの。それは新たな闇だ。私は心の中で呟いた。
「まさか自分の命を犠牲にしてでもブラックドラゴンを守りたい、なんて気持ちの悪いこと考えてないよね?」
だからこそ、この余裕から派生し煽りに発展しているターゲットに向かって私は言う。
「それがなにか?」
ターゲットの顔から一瞬で余裕がなくなったのを確認し、私は高揚した。
前に一度、相川 健人がこんな風な状況の時にはこう言うのだと口にしていた気がする。
(私のた~ん)
「……あーあ、なんだか興醒めだね。というより腹が立つ。やめてくれないかな? 蓮君の真似をするのは!」
怒気の籠った声と共に、周囲の異質な気配が一層濃くなる。威圧し怯えさせ、私の発言を撤回させたいのだろうか? だとしたら従う必要はない。そもそもする必要がない。
「兄さんと私は違う」
「違わないよ!! 自分を犠牲にしてでも他人を救いたい。それはブラックドラゴンである蓮君がやろうとするから美しいんだよ。呪われてる蓮君だからこそ許される行為なんだよ。それ以外の奴のなんて、全部偽善だっ!!!」
最後は憎悪に満ちた表情で、ターゲットは叫んだ。そのか弱い少女には似つかわない邪悪さに驚くと共に、私は一つだけ彼女を知れた気がした。
彼女は、篠宮 優奈はなにかを憎んでいる。それもずっとずっと前から。その対象がなんなのかは、残念ながらわからないけれど。
「……それでも違う」
しかして、彼女は大きな勘違いをしていた。いや、そもそも私は今まで自分のことなんて滅多に語らなかったのだから、仕方のない話。
……説明する義理はない、だけど言ってしまおう。多分私はこの戦いを無事では終えられない。だったらいっそのこと、全部全部この場でぶつけてしまおう。私はそう思った。
「兄さん、一之瀬 蓮のように他人を救いたいから自分を犠牲にするのではない。もう私は満たされているから、仮に犠牲になったとしても悔いがないだけ」
「は、はあ?なにを、言ってる、の??」
「昨年の冬、正確に言えば12月。私は100年以上ずっと……ずっと苦しみもがいてきたことを全て兄さんに打ち明けた。そしてそれを聞いてもなお、兄さんは兄さんで居てくれた。私の大好きな兄さんは全てを受け入れ、私を再び妹として迎えてくれた」
「その時点で、私は完全に救われたの。私という人生の真髄は、兄さんの妹であることだったから。もう一度世界で一番大好きな兄さんの妹になる、それが私にとっての究極の夢、望み。そして、長い年月を経てそれは叶った」
「だから今この時、一瞬は私にとってはおまけ。あればあるだけ幸福なおまけ。けれど所詮はおまけにすぎない。たとえ失ったとしても、不幸にはならない。一度成就した最大の幸せが、消えることはないから」
「だから、だから私は全力でこのおまけを兄さんに捧げる。兄さんが幸せになること。私の行動はすべてそこに収束する。よって私は自分の力を解放しない!この世界から消えるということは、兄さんが幸せになる未来がなくなるということだから!!」
私は口を開けて唖然としているターゲットに向かって胸を張る。そして勝利の余韻に酔いしれる。今の私は、最高に気持ちが良い。こんなにも自分を誇れたのは生まれて初めてだ。
「そ、そんな世迷言を」
「そう思うのならそれでいい。別に、あなたに理解してもらいたくて言ったわけじゃない」
「そもそも、あなたには理解してもらいたくない」
兄さんからの好意を一身に受けることになるだろう、あなたには。
私のエゴに付き合ってくれてありがとう。あれだけ煽ってくれたのだから、これぐらいはしてもいいはず。
さて、残りは最後の吐き出し。嫉妬という黒い感情の赴くままに、初めて戦ってみよう。
「全ての者に、光あらんことを」
(兄さんの未来が、光りに満ちているものでありますように)
私の独りよがりで乱した空気を切り裂くように、両手に持つ光の剣をなめらかに揺らし軽く剣舞をする。
その行為の温度差を前にしてターゲットがわずかに体をビクつかせた。その一瞬、その刹那こそが、彼女が後手に回った瞬間。
「フッ!」
「!?」
なんの躊躇いもなく私は床を蹴り上げ、ターゲットとの距離を超高速で詰める。
この1秒にも満たないアドバンテージを活かせ。それこそが唯一の引き分け、いや勝利にもちこめる戦い方っ。
「このっ!」
ターゲットがすかさず獲物を構える。だがモノの体積が大きい分遅い、余りある余裕のせいで構えをとっていなかった分、遅い!
「って、それで決着がつけられると思った?」
「っ!」
突如、私の剣を受け止めようとするターゲットの頭上を飛び越え、臨戦態勢のもう一人の色つきターゲットが現われる。
既にチェーンソーの刃は、丁度私が間合いに入るタイミングで振り下ろされている。つまりは私が動くこと前提で準備をしていた個体が居たのだ。
まあ三人も居れば、それぐらいできて当然といえば当然である。
(いまっ!!)
そう、当然ということは、私にも予測できるということだ!
「フンッ!」
「剣を手放しっ、しまった!?」
顔の前で交差させた剣から手を離し、背中を床に滑らせるように体を後ろに倒してスライディング。
慣性の法則により、スピードを維持したまま飛来する私の剣をターゲットが叩き落とす。だがしかしそこに私は居ない。最初のターゲットの足元目掛けて突っ込む私は新たな剣を生成し、既にその刃を振るっていた。
(ここで片足を無力化できれば……)
「くっ!?」
咄嗟に上げたターゲットの足と私の剣が重なる。
けれどそこは彼女の肉ではなく、彼女が履いていた靴のゴム底部分を、私の剣は切りとっていった。
(第一段階失敗。けれどっ)
真なる目的はそれじゃない。本当の狙いはこの後!
片や私の剣を避けるために、片や撃ち落とすために二体のターゲットは大きくバランスを崩している。おそらく、この戦いでこれ以上のアドバンテージができることはないだろう。全てはこのための布石だったのだから。
剣を床に突き刺し、前へと進む勢いを利用して素早くターン。床との摩擦で背中が痛い、腕も痛いっ。なにもかもが悲鳴をあげているが、今は無視。すぐさま始まりと同じように全力でターゲットへ向けて第一歩を踏み出した。
「……すごいね、有希ちゃんは」
「!?」
が、その瞬間、私は全身に鳥肌がたった。一つ目の理由は背後からの声に対して。そしてもう一つの理由は、右足首に巻きつく床から生えた黒色の筋に対して。
「……」
ゆっくりと床へと視線を下ろし、私は無言で足を引き上げる。巻きついていた筋は案外もろかった。しかし、私は慌てて対処はしない。
「残念だったね」
慌てたところで、もう遅いことはわかっていたから。
「なぜ、三人目の私がそこに居るって聞きたそうだね?」
「……あなたは最初、私の背後に居た」
「そう、それは間違ってないよ。けど一つ忘れてる。今この場所は私達の制御空間。この空間内なら、私達はいつでもどこでも場所を移動することができるんだ~♪」
嬉しそうに語るターゲットを尻目に、私は物思いにふけっていた。
私は忘れていたのだろうか。ターゲットの空間制御魔法のことを――いや、仮に覚えていたとしても、選択は変わっていなかったはずだ。たた、分の悪い賭けに順当に負けただけのような気がする。
「それにしても……有希ちゃん。やっぱりあなたは化け物だね」
「あなたに言われたくない」
「まったまた~。いや、ほんと勘弁してほしいよ。今のあなたに対してなら私一人でも力は上のはずなのに。まさか絶対有利のこの数で、この状況で、こっちが恐怖を覚えることになるなんて思ってもみなかったよ」
じんじんと痛む腕を抑えながら、私はターゲットの話に耳を傾ける。
既に、目の前の二体のターゲットは態勢を完璧に建て直していた。さっきまでの勢いが嘘のように静かで、向こう側から聞こえる玲達の戦闘音、そして私の息遣いが妙に鮮明に聞こえた。
(化け物、か)
心の中で呟くと、なぜだか渇いた笑みが漏れた。
以前までの私なら、好きで化け物に生まれたわけじゃないと思っただろうか。
「だったら、もっと恐怖を味あわせるまで」
「……そうこなくっちゃ♪」
今度は互いに構え相対する。なんの小細工もない、真っ向勝負。
篠宮 優奈が勝利を確信して笑った。対する私も、別の理由で微笑んでいた。
昔の私へ。化け物みたいなこの力がなければ、私は兄さんの傍には居られなかったよ。まるで死地へ赴く直前のように、朗らかな気持ちで私は過去の自分へ語りかけた。
「いつでもいいよ♪」
まあ、死地というのは間違いではないのだけれど。
「すぅー……フっ!」
私は動き始める。さっきのように足に魔法をかけるわけでもなく、生身の足で小走りから駆け足、そして全力疾走へと移行していく。不意打ちができない以上、スピードに力を注ぐ必要性は低い。ならば、
(この剣に全てを、叩き斬る!)
初撃、二本の剣を束ね全力で強打。からの連打、連打、連打!速さが上がっても込める魔力の質は落とさない。半ばやけくそにも見えるレベルでありったけの強打を繰り返す。
(ひるむ気配、なし)
こんな攻撃でどうにかなるとは思ってないしなられても困るが、強烈な打撃音が響いている割にあまりにもターゲットの刃は安定している。このチェーンソー自体にパッシブ効果の強化魔法、それも超強力なものがかけられているようだ。
「いいね、いいよそのがむしゃらな感じっ。けど、そんな状態で耐えられるのかな? ……いくよ!!」
「!?」
ターゲットから放たれた一閃、振り下ろしたはずの剣はいつのまにか頭上を通り過ぎ後頭部の後ろへ持っていかれた。下手すれば腕そのものが飛んでいてもおかしくない程のパワーっ。
(ただの斬り上げでこの威力っ。力が、強すぎる)
当然私の態勢は大きく崩れる。なにもできずにただ後ろへ倒れいく私の姿を見て、ターゲットはほくそ笑んだ。
背後から気配を感じる。耳障りなエンジン音が接近する。この身が、爆発的に増幅した恐怖で震えた。
「チェックメイトだよ!」
高速で回転するチェーンソーの刃が背中を、そして前から腹を同時に切り刻む。防具としてあってないようなものである制服を一瞬で斬り裂き、肉を断ち、血しぶきを盛大に散らしながら、私の体はターゲットによってあっけなく切断されてしまった。
「……」
以上、ターゲットの未来予想図をお送りしました。
「え、なに、これ……」
確かに刃は私の体に届いている。けれど切断どころか、あの防具になっていない制服すら刃は切ることを許されていなかった。
私の体に貼り付いたまま静止するチェーンソー。ターゲットが刃を私から離そうとするも、眩い光を放つ接着部分からは一向に離れない。
「ただのチェックを、チェックメイトと言われては困る」
なにか恨み言でも叫びたそうな顔をしているターゲットをみて、私はあえてほくそ笑みながら告げた。
「神は許さぬ、その蛮行を。故に、それはこの世で必要なし」
――神々の号令第5条 強制物理解除命令
「っ!?」
砕け散る。なんの抵抗も許さず、ただただ持っていた武器が破壊され空中分解する。もはやそれは当然のことで、消え去ることが正しい世界の理であるかのように。
(戦いは常に騙し騙されあいの応酬。それは相手の命が尽きてもなお……)
工藤真一が使う正統なカウンター魔法ではないが、やり口としてはカウンターという手法になるだろう。対象が己の体なら、周囲への光属性の散布も限りなく抑えられる。これが今の私ができる精一杯。
(さて……)
訪れた圧倒的チャンス。少し前にこれ以上の隙はないと言いながらこうしてさらに大きな隙を作りだしたわけだが、
(鬼が出るか蛇が出るか)
一応彼女を仕留める動作に入ってはいる。けれど私はわかっている、確信している。この攻撃は、絶対に通らない。
発端は私の剣を使った攻撃を簡単にいなしている時。極めつけは逆にターゲットからの斬り上げを受けた時だ。
(彼女が秘めし魔力は、異常なまでに強すぎる)
いくら私が制限をかけられているといっても、程度というものがある。
完全同位体がもたらす力、彼女はその全貌を明らかにしていない。私はそう感じた、感じてしまったのだ。
(みせなさい。あなたがこれまで見せられなかった力を)
だから私は整える。本気を出さなければ死ぬ、そんな状況を。
未知なる領域を残したまま誰かにバトンタッチするわけにはいかない。だから持ち帰らせてもらう、全力をかけて!
「……」
「ッ!」
なおも固まったままのターゲットを放置し、私は掌を床に押し付ける。既に魔法の構築も終了しているため、これ以上ないくらいスムーズに魔方陣が光と共に描かれた。魔方陣は彼女の足もとまで広がり、彼女という存在を消し去るための光を放ち始める――
「……嫌」
しかし、
「嫌、嫌……嫌、嫌、嫌!!!」
幼稚、子供、陳腐。そんなワードばかりが似あってしまう彼女の言葉が、私の生命をかけた光を奪っていくのだった。
――否定
(なに……)
完成したはずの魔法陣が消える。光が、消える。
――否定、否定
(なんなの……これは)
何度床に手を押し付けても、無機質な冷たさが伝わるだけで魔法を発動し直すことができない。そもそも魔力を込めることができていない。なぜ、どうして、まだ魔力が尽きてなど居ないのに。
――否定、否定、否定、否定否定否定否定否定否定
私がやろうとしていることの全てが行えない。結果に繋がらない。
気づけば、体を動かすことさえできなくなっていた。
「ユルサナイ……ゼッタイニ、ユルサナイ!!」
――完全無欠の否定世界
後編は来週更新予定です。