第二百十二話 真なる標的~終わりのために、少年は真実を知る~
「相川さん、鍵を!」
「お、おう!」
椅子を吹っ飛ばす勢いで立ち上がり、ドアへと駆け寄った健が鍵をかける。
ノックされたのに締めるなんて、失礼にも程があるが今は非常事態だ。見逃してほしい。
「篠宮さん、だよな。あの先に居るの」
「多分、そうだと思う」
さすがにこの状況じゃ、玲も落ち着いてはいられないようだ。
机の上に置かれた手はしきりになにかを捜して動いているが、そこにはなにもない。あるのはスベスベな机の表面だけだ。
「いますぐ放送を。急いでください」
工藤が携帯を耳に当て、早口でなにかを伝える。
すると、それから数秒後スピーカーからチャイムが鳴り、続けて緊急集会の存在をこの学校中に知らしめ始めた。
「これで生徒は体育館を目指すはずですが。如何せん時間がなさすぎます」
「だろうな」
当初作戦にあった時間の余裕が、ご覧の通り今は皆無である。
幸い昼休みにこの文化部棟を訪れる者は少ない。けれど完全に居ないと断言できない以上、ここで戦うわけにはいかないのだ。
「いますぐ結界を張っちゃだめなのか!?」
「ダメです。ここで張ると、もしもこの棟に残っている人が居たら避難ができなくなりますよ。それを我々が運ぶ時間も無論ありませんし」
興奮気味の健を工藤が宥めている間にも、ドアはコンコン、コンコンと規則的に叩かれている。
ようは必要なのは時間。そこに居るはずの篠宮さんを、どうにかここで足止めしないと……。
「ここからこれを突き刺して、一時的に運動機能を停止させる?」
「いやいやダメだろ。リスクが高すぎるって」
いつの間にか剣を出していた有希を、なんとか食い止める。
確かに有希なら外すことはないかもしれんが、その後どうするつもりだ。
「俺が行く。最初にメールが送られてきたのも俺だしな」
「……そうですね。わかりました。あなたの『話力』に賭けましょう。伊集院さんは念のため彼の前に障壁を作っておいてください」
「了解」
なにか話力の部分だけ力が込められていた気がするが、気にしないでおこう。
俺は心配そうにこちらを見つめる玲に、明るく努めて目線を返してからドアへと歩み寄る。
「無理して強がらなくてもいいのに……」
――ぼそっと呟いた玲の声は、聞こえなかったことにしておいた。
「だ、誰だ?」
篠宮さんだとわかってはいるが、ここは一応形式に沿ってみよう。
「あっ、篠宮です。ちょ、ちょっと蓮君に用事があって……」
たどたどしく、いかにも儚げに扉の向こうの篠宮さんは答えた。
なんと言うべきか、恐ろしい程普通だ。さっきのメールさえなければな。
「用事? それは急いだ方がいい用事なのかな? ちょっと今部活の活動中でさ」
「えっと、無理にとは言わないけど。できたら今すぐの方が有り難いかなあ」
(……やばい。なにもでてこねえ)
我ながら、予想以上に会話を続けさせるのが下手だったみたいだ。
そもそも部屋に入れるどころかドアを開けない時点で不自然なんだから、普通にやってもうまくいかないのは当たり前――と、一人言い訳をつきながら会話を繋げる。
「そっか。困ったな。今やってるのは部員以外にはまだ見せられない代物なんだ。できれば……」
ダメだ。ここでまた後でと言ってしまえば、篠宮さんを留めることができない。あくまで会話だけを続けさせないと。
「あ、そ、そういえば、チョ……あれから体調は良くなった?」
「え? あ、うん。お薬飲んでたくさん寝たら、すっかり元気になったよ?」
「そ、そっか。そりゃよかった」
一瞬、「チョコレート」と言いそうになったのに気づいて、すぐさま喉奥へと押し込める。
本当はそれが一番、今篠宮さんに言いたいことだった。
あのバレンタインでもらったチョコレートのお礼と、感想を俺はまだ彼女に言っていないから。
(けど、これは篠宮さんへのものだ)
俺は気がついていた。そこに居るのは篠宮さんの声をしているが、やはり篠宮さんじゃない。口調をわざと似せているターゲットだ。
ほんとうに雰囲気はよく似ているが、俺の知る彼女と、そこに居る篠宮さんには決定的な違いがある。
「ありがとう。心配してくれて」
「いやいや。こう言っちゃなんだけど、篠宮さんはあんまり体が強そうには見えないからさ。無理しないようにな。病み上がりが危ないって聞くし」
「そう……だね。私は体が弱いから、気をつけないとね」
(ん?)
気のせいか? 今妙に、余韻の残る言い方だったような気がしたのは。
このなんともいえない気まずさは、なにか言ってはいけないことを言ってしまった時のそれと、同じようなものを感じた。
「ねえ、蓮君。普通の人は風邪をひかないように用心すればいいけど。生まれつき体がとても弱くて、どれだけ頑張っても風邪をひいてしまう人はどうしたらいいのかな?」
しかし彼女は、俺の予想に反して自らこの話題を続ける。
言ってはいけないこと、ではなかったのだろうか。いや、相手はターゲットだしな。それにしてもこれは……。
「そう、だなあ。生まれ持ったものを完全に変えるのは難しいし、結局ある程度は受け入れるしかないんだろうな。酷なことだけど、どうしても風邪をひいてしまうなら、いかに症状を重くさせないかを考えることも必要だと……思う」
「へえ。蓮君は、なかなか現実主義なんだね。でも私もそう思う。どんなに変えたくても、自分では変えられないものって絶対にあるから」
「……」
なにか引っかかるものを感じてそれとなく玲の方を見ると、どういう意図なのか、なにかを訴えるように首を横に振った。
「だからこそ、例えいろんなことを犠牲にしてでもそれを変えられる可能性を差し出されたら。手に取るのは当たり前だよね?」
「そう、かな」
「な~んにもおかしくない、よね??」
「し、篠宮さん?」
急に変わったその声色に、俺は思わず寒気を感じた。
わかっていたとはいえ、その違和感は鬼気迫るものがある。
「……ふふっ。まだ僕のことを、この娘の名前で呼ぶのかい? 一之瀬 蓮」
「なっ、お前」
突然今度は落差のある、一息ついたような口調。さすがにここまでくると、いよいよその名前を口にするほかないようだった。
「ターゲットか」
「そう。僕はこの娘と同化したターゲット。君を殺しに来たターゲット。そして、君から大切なものを奪ったターゲットさ」
こちらの感情をあえて逆撫でするように、ゆったりとターゲットは話す。
「それにしても、どうも君は早い段階で僕を僕だと認識したようだね。我ながらこの娘になりきれていたと思っていたのだけど」
「ふん、まあ確かに似ていたな。だけどそこまでだ。間違いついでに一つ教えてやる。篠宮さんはな、俺のこと下の名前で呼ばないんだよ」
「おや、そうだったのか。これは失敗したね。よく君のことはそう呼んでいたけれど、あれは心の中でだけだったんだね」
お前からそんなことをカミングアウトされても、嬉しくないし逆に腹が立つ。
「やれやれ、せっかく得た時間だったのに。なにも進展していないとはつまらない。所詮その程度の小娘だったか」
「……それ以上篠宮さんを貶めるのはやめてくれないか。不愉快だ」
「おや、この世界の人間共はこういう話が好きなんだと思っていたよ。それに、じ・か・ん・か・せ・ぎ。しているんじゃなかったのかい?」
「!!」
こいつ、俺達がやろうとしていたことを全部わかっていたのか。
だとしたら、なぜそれを当然のように受け入れている。
「そして君は考える。どうしてその事実を知りながらなにもしてこないのか。……答えは簡単さ。僕、いいや違うね。この娘は、君達しか眼中にない。それ以外はお払い箱なのさ」
(なんだそりゃ)
つまり端から、俺達以外を狙うつもりはなかったと? なら、ここまでの俺達の一般生徒に対する配慮とは一体なんだったのか。まさしく取り越し苦労。
(ん? ちょっと待てよ。こいつ今、『この娘は』って言わなかったか?)
いやいや待て、それはおかしい。今の言い方だと、俺達を殺そうとしているのはそこに居るターゲットではなく、篠宮さんということになるじゃないか。
「おい。この娘はってなんだ」
「ん? 僕はそのまんまの意味で言ったつもりだよ?」
「そのまんまって。それじゃあまるで」
「そうだよ。あれ、気づいていなかったのかい? 先日君の腕を切断したのも、ついさっきメールを打ったのも、全部僕じゃない。彼女自身だ」
「……え?」
一瞬、完全に頭の思考が停止した。
おい、ちょっと待ってくれ。おかしいだろそんなの。あれか、今のは俺達を錯乱させるためのハッタリ――
「残念ながら、ハッタリじゃないよ」
「さっきから俺が考えていることを読み過ぎだろ」
「ふふ、むしろ君がわかりやすすぎるんだよ。まあ信じられないというのも無理はないかもしれないね。でもよく思いだしてごらん、一之瀬 蓮。先日君を襲った篠宮 優奈は、こんな喋り方だったかい?」
言われて脳裏に蘇る、篠宮さんの家の中での戦闘。
あの時の篠宮さんの一人称は、『私』。そして、俺のことを……『一之瀬君』と呼んでいた。
「まさか、本当に……?」
「ああ、本当だとも。これが現実なんだよ」
現実。重く圧し掛かるその言葉を前に、強烈な眩暈がして思わずドアに手をついた。
「そんな。それじゃあ篠宮さん自身が、俺達のことを本気で」
「いいや、君の考えていることは少し外れているよ。正確に言えば、君達を殺したくてたまらないのは、彼女の中のもう一つの人格のほうだ。よかったね」
ターゲットの説明のせいで、余計に訳がわからなくなった。
なにがよかったね、だ。くそっ。どこまでもバカにしやがって!
「人格って。お前と篠宮さんの二つじゃないのかよ?」
「違うね。僕と彼女で2つと数えるのなら、この娘は3つの人格。すなわちもう一つの人格を持っている。誰にも見せず、ずっと隠し続けてきた代物がね」
誰にも見せなかった人格。それが俺達を殺そうとしている? 確かにそれなら、あの豹変した姿にも筋は通るけれど。しかしそうなると、今度は新たな疑問が浮上する。
(どうして、篠宮さんは俺達を殺したいんだ?)
これまでの学園生活で、彼女に殺されるほどの恨みを買った覚えはなかった。気づかずに相手に嫌な思いをさせてしまうことは誰しもあることだろうけど。それにしたって……。
「知りたいかい? 彼女がどうして君達を殺したいか」
「なんだよ。まさか教えてくれるのか?」
「ああ、いいとも。どうせこの人格で君と話すのも最後だろうし。それぐらいは教えてあげるよ。彼女にとっての核心ではないからね」
まさか本当に承諾してくれるとは思っていなかったので、かなり意表をつかれてしまった。しかも『それぐらい』と言ってのけた。
「これも答えは簡単。僕が、君を殺したいと思ったからさ」
「……はあ? どういうことだ」
「わからないかい? 僕は、この君に狩られるだけの無意味な人生に落胆し、絶望し。そんな運命をつくりだした君を殺したくてたまらなかった。そんな僕の感情が、彼女の標的を決める材料になったんだよ」
「材料って。ハッ。それじゃまさか」
一番考えたくなかった予想が、頭をよぎってしまう。
俺は必死に外れてくれと願った。けれどそれもむなしく、いともあっさりとターゲットは残酷な答えを告げるのだった。
「そう。彼女には元々、誰かを殺したいという強い殺意があった。憎しみがあった。……もう、ここまでくればわかるだろう?」
(やめろ、やめてくれ!!)
「篠宮 優奈にとって、殺すのは誰でもよかった。それがたまたま僕によって君達が標的となっただけ。それだけの話なのさ」
……なにが、それだけの話だよ。
ターゲットによって語られた真実。それは篠宮さんがこれまでもずっと、あの体育祭の日も、学園祭の日も、確かな殺意を胸に秘めていたということ。
それも俺に対してだけならまだよかったのに。彼女にとっての殺したいという感情は、この世界に生きる全ての人間へのものだった。
「なんで。なんでなんだよ!!」
たまらず俺は、拳で部室のドアを強く叩く。
わからなかった。彼女がそこまでの憎悪を抱く理由が。そして、ここまで来てもそれがわかっていない自分が、なにより悔しくてたまらなかった。
「おっと。それは教えられないよ。それこそが、君が知っていないといけなかったことなんだから。どうしても知りたいのなら、彼女自身から聞くんだね」
「なにいっ?」
「でもまあ、もはやそれも意味のないことかもしれないね。知っているんだろう、君も。もう彼女との関係で、ハッピーエンドなんて迎えられないことを」
「……それは」
「残された選択肢は、君が彼女を殺して世界の安全を守るか。それとも君が彼女に殺されて、彼女を殺人鬼として生かすか。この二つしか残っていないのだから、仕方ないよね」
「っ!!」
ドアに触れている指に力が入り、ギギギッと悲鳴をあげる。
そんなこと、わかってるよ。同化している以上、もう篠宮さんが平穏な日々を送れることはない。ターゲットの言った選択肢には、選択肢にもかかわらず選べる答えが一つしかなかった。
「本当は君を、この手で殺すのが目的だったけど。それは叶いそうにない。だからこの状況こそが、君に対する僕の復讐だよ」
「ああ、そうかよ。それはよかったなっ」
「フフ、本当にね。まさかこちらが利用しようとして近づいたのに、逆に僕の力を奪って利用されるのには驚いたけど。まあこういう結果も悪くない」
苛立つ俺を肴に、悦に浸っているターゲットだったが、その時ふと気にかかることを口にした。
「篠宮さんがお前の力を奪っただと?」
「ああ、その通りだ。おそらく最初からそのつもりだったんだろう。僕が彼女のもう一つの人格に気づいていない間に、着々とその準備を進めていたようだ」
「気づいた時には時既に遅し、とはこのことだね。ようやくもう一つの人格の存在をみつけた時にはもう遅い。一気に浸食され、既に為す術が失われていた僕はどうすることもできずにこの身体の主導権を失った」
「じゃあ、ターゲットとしてのお前は」
「ああ。もうすぐ彼女によって消去されるよ。まあそれでも、なんとか最後の力を尽くしたおかげでこうして数分の間表に出ることができたけどね。一度ぐらい、君とは話しておきたかったからさ」
「……」
飄々と語るには、重すぎる話のような気がした。
ターゲットは確かに倒すべき相手。されど彼らの処遇を考えると、絶対悪とはいえない。つくづく、恨まれる理由が多い存在だな俺は。
「正直言うとね。僕は君よりも、彼女の方が恐ろしいと思うよ。僕に存在を悟らせない徹底したプロテクト。ここまでの完璧な計画性。まるで僕が彼女を選ぶことを知っていたみたいだ」
「いや、それはないだろ。それじゃあ俺が現われることも知ってたことに」
「わかっているよ。それだけ彼女は本気ということさ。……さて、ではそんな彼女に対して、君は一体どうするのかな?」
「やけに楽しそうだな」
「まあね。今僕は、これまでで一番人生を楽しんでいるからね」
声を弾ませるターゲット。いわゆるそれは勝利の余韻というものだった。
確かに完敗だ。もう篠宮さんを助けることはできないし、なんといってもこの手で彼女の命を奪わなければいけないんだから。これ以上ないバッドエンドだ。
「篠宮さんを、殺人鬼のまま生かすわけにはいかねえよ。どんな理由があったとしてもな」
「ほほう? じゃあ、やはりその手で彼女の存在を破壊するのかい。さすが、鬼畜だね」
「……いいや、違う」
その先の言葉はターゲットに言う必要はないのに、その時俺はどうしても言いたかった。
「確かに今は、どうやっても最悪の終わりを迎えなくちゃいけない。けどな、それで篠宮さんとの関係を終わらすつもりは毛頭ない!」
「ん、どういうことだい?」
「そのまんまの意味だ。終わるのなら、また新しい始まりを作ればいい。それが俺の、これからやろうとしてることだよ」
ターゲットは小さな声で「なに?」と呟いた。そして背後からも、玲の「え?」という声が聞こえた。
「始まりを作る? なにを言っているんだい君は。わかっているんだろう。この場でいう終わりとは、すなわち篠宮 優奈の死。つまり君は、死者を蘇らせるとでも言うのかい?」
心なしか、ターゲットの話すスピードがあがっている。
「蘇るってのは少し違うな。残念ながら俺にそんな力はない。けど、だてに竜王の息子をやってるわけじゃないんだよ。おかげで幸運なことに、まだ可能性を失わずに済んだ」
「まさか、まだ彼女を救う方法が残っていると?」
「ああ。そのまさかだ。まあその方法も、つい最近仲間に教えてもらったことだけど。聞いた時は俺も無茶苦茶だと思ったが、不可能じゃない。だから俺はやるんだ」
「俺は絶対に、篠宮さんのことを諦めない!」
そこに居ないはずの彼女に届けようと、俺は叫んだ。
なんとも調子のいいことを言っているかもしれない。でも、それでもどうか、君ともう一度学園に通うための、努力をさせてほしい。
(まあ嫌だと言われてもやっちゃうんだけどな)
これも最近わかったこと。俺はずっと平和な日常が続いて欲しいと思っていたけれど、それは間違いだった。俺がそんな日々を得るには、続いて欲しいと願うのではなくこの手でつくりだし、続けさせる必要があったのだ。
――どれだけ待っても、この世界は呪われた竜に幸せを与えてはくれない。それがブラックドラゴンの宿命――
「そうか。そういうことだったのか。やけにリアクションが小さいと思ったら、君にはまだ策があったと」
「いや、充分反応はしたと思うけどな」
「なにをいっているんだい。ハハハッ。それにしてもやっぱり君は面白い存在だ。この期に及んでも、まだ絶望の底へ突き落すことはできないか」
いいや、すでに一度絶望を味わってるよ。口にはしないが、俺は心の中で答える。
「君が一体どんなことをするのか、とても興味がある。だが残念なことに、僕はそれを見れそうにないね」
「そう、なのか?」
「ああ。この人格の維持も限界がきたようだ。まあもう君に話すこともないし、丁度いいんだけどね」
そう言いつつも、どこか寂しげに言うターゲット。
「ああそうだ。敵である僕がこんなことを言うのもおかしいかもしれないけど、一つだけいいかい?」
「なんだ?」
「ちょっとしたお願いだよ。以前同胞のエフィーを倒した時、なにか形に残っているものを手入れたと思うんだが」
「ああ、あの紫の玉のことか? 持ってるぞ」
「おそらくそれであってるよ。そこでなんだが、できればその球を大事に持っていてほしいんだ。……あの娘は、本当に可愛そうな子だったから」
ターゲットの言っている意味はよくわからなかったが、俺は即座に「わかった」と返事をする。罠の可能性もあったかもしれないけど、どうでもいい。こいつの願いを一つぐらい叶えてやりたい。純粋にそう思った。
「ありがとう。じゃあそろそろ僕は」
「待て。俺からも一つだけ教えてくれ。どうしてお前は、こんなに情報をくれたんだ?」
「……なにかと思えば。それはもちろん、君をより苦しめるためさ。まあ、もしも他の理由を聞いているのなら」
その時遠慮がちに呟くターゲットの言葉を、俺はしっかりと聞いた。
「彼女のためでも、あったかもしれないね」
俺は誰にも見えないように、ニヤリと笑った。さらにあえて「かも」をつけたことに対して、もっと口元がほころんでしまった。
最後にそれが聞けてよかった。おかげでまた、死ぬわけにはいかない理由が増えたな。
「これ以上ここに居ると、またつまらないことを喋りそうだ。だからもういくよ」
「なんだそれ。俺は全然つまらなくないけどな」
「いいや、つまらないよ。でもまあ……そうだね。僕もそれなりに楽しかったよ。彼女と共に居たこと、そして君という存在に関わったこと。今思えば、こんな形でもこの世界に居られてよかった、とさえ思えるよ」
「……そうか」
一瞬しんみりしかけたところで、わざとらしくターゲットは「またつまらないことを言ってしまった」と嘆いた。
まったく。こんな立場同士じゃなかったから、もう少しお前とはいろいろ話してみたかったよ。
「では、さよならだ。精々血塗られた宿命を楽しみたまえ。僕を狩る者よ。ブラック、ドラゴン――」
そしてフッと、ろうそくの火が消えるように、辺りからターゲットの気配が消える。
「余計なお世話だ。……それと、後はまかせろ」
この瞬間、戦わずして最後のターゲットが消滅し、親父から与えられた任務の一つが終了した。魔族なんてものではなく、親父が生み出したターゲットという存在の殲滅。
残るはソラノカケラの回収。これは多分、彼女を倒さないと手に入らないのだろう。
(ま、正直どうでもいいけど。終わりには必要か)
なんだろうな、この気持ち。達成感など皆無。この余りある怒りも、どこに向ければいいのかわからないし。ダメダメだな、俺。
(これも全部やり終えたら、解決するのかねえ)
とにかく今は、篠宮さんとの戦いに集中しよう。
新しい始まりを迎える前に、まずはなんとしても彼女の負の部分を知らないと。いくら肉体が再生しても、中身が伴わなければ彼女はまた殺人鬼となるかもしれない。
「蓮君……さっきのって」
ずっと声をかけるのを我慢していたらしい玲からの一声で、俺はようやくみんなの方へと向き直る。
「さっきって、俺が言った始まりをつくるって話か?」
「うん、それのこと。本当に、本当に優奈ちゃんを救える方法が残ってるの?」
切実という言葉がよく似合うその瞳は、微かに潤んでゆらめいた。
(そりゃ、親友だもんな。当たり前だよな)
愚問とはこのこと。どこの世界に親友を殺して平気でいられる奴がいるんだ。
ここまで一体どれだけの覚悟を決めてきただろう。玲には全て伝えないといけない。けど、なにしろ今は時間がなかった。
「ああ、本当だよ。でもそれについては後でちゃんと話すから、今はちょっと、待ってくれるか」
助けを求めるのとは違うが、俺よりずっとうまく話を進めてくれそうな工藤に目線でサインを送る。
工藤は小さく頷いた。
「そうですね。まずはここから無事に脱出してからにしましょう。一之瀬さん、こちらに」
工藤に促されて、俺はみんなの傍へと戻る。
「すまん、玲。絶対に話すから、ちょっとの間だけ我慢してくれ」
「……うん、必ずお願いね」
「まあまあ、すぐに聞けるって。そのためにとっととここから脱出して、蓮の話を聞こうじゃないか」
「ええ、わかってるわ。おかげでなおさらここでやられるわけにはいかなくなったしね」
健のフォローもあって、すんなりと玲は納得してくれた。
もちろん玲は最初からちゃんとわかっていただろうが、それでもこういう時の健は特に頼もしいと感じる。ほんと、頭が下がるよ。
「ああ。期待しててくれ」
俺は二人に向かって親指を立てた。
「一般生徒の避難が完全に終了しました。伊集院さん、結界をお願いします」
「了解」
「そういや、まだ結界張ってなかったんだな。もう張ってあるような気分でいたぜ」
「ほんと。まあこれで、存分に戦えるってわけね」
「……あんま無理するなよ。蓮もな」
どこか諭すように言う健には、もう見透かされているのだろう。
すでにもう無理をしているはずの玲と、これから無理をしようとする俺。健にとっては、ほかのみんなとは違う辛さを味わう戦いになるはずだ。
「大丈夫よ、私は。むしろ心配なのは……」
「うっ、まあ……善処する。ちょっとばかし無理するかもしれないけど」
「俺にとっては二人とも心配だっての。たくっ、はやく終わらせて新刊を買いにいきたいぜ」
もはや愚痴に近いそれは、まさしく健の心からの声。まあ後半は多分照れ隠しだろうけれど。
すまん、健。お前には迷惑をかける。けど、ありがとう。
「――来る」
「え?」
じっと扉を見つめ続けていた有希が、ぼそりと呟く。
すかさず有希、扉の順に視線を移したところで、
「この音。来やがったか」
シンと静まり返っていたドアの向こうから、チェーンソーが唸りをあげた。まるでこれから始まることに胸を躍らせているような音。どっと掌に汗が滲んだ。
「とうとうおでましですか。全員、戦闘態勢を」
「了解!!」
一斉にこだまする、「リファイメント」の声。しばし流れていた緩やかな空気は壊れ、戦々恐々としたものに変わる。
――バキ、メキメキメキッ!!
「おわっ!?」
ごくりと唾を呑み込むのも束の間、なんの容赦もなくドアを貫いて姿を現すチェーンソーの刃。そしてすぐさま耳障りな切断音をかき鳴らしながら、高速回転する刃は綺麗に縦に、横にと型をとっていく。
「おうおう。さすがに見事なもんだな」
「そうですね。しかしこれの修理代は、どこがもつんですかね」
(なに言ってんだこいつは)
今のはお前なりのジョークなのか?だとしたら 微塵も笑えなかったけど。
結界の中でどれだけ暴れても、最後には修復される。そのことを工藤が忘れるわけもないし、つまりやっぱりジョーク……なのか?
「……」
そうこうしている間にもドアは完全に切り取られ、力尽きたように部屋の中にバタンと倒れ込んでくる。
代わりに姿を現したのは……回転の止まったチェーンソーを片手に、俯く篠宮さん。
「先手必勝」
「有希!?」
そんな彼女に、電光石火のごとく飛び込んだのは銀髪の少女。
味方である俺達さえ予想していなかった特攻を、有希が仕掛けたっ!
「わー、あぶなーい」
「っ!」
しかしその刹那、鳴り響いたのは大きな金属同士の打ちつけ音。まさか反応したのかあのスピードに。
見事に有希の光の剣を受け止めた篠宮さんは、ニヤリと舐めかしく口角をあげた。
「ふふふ、そんなので。どうにかできると思ったら大間違いだよっ!!」
つばぜり合いの状態から一気にチェーンソーの刃が回転。かなきり音をたてながら無数のオレンジ色の火花が飛び、有希の頬をかすめていく。
そのまま篠宮さんはチェーンソーを強引に振り切って、有希を吹き飛ばした。
「有希!」
咄嗟に前に出た俺の胸元に、空中で一回転した後無事着地した有希がすっぽりと収まる。
相変わらず凄まじいバランスだな。
「失敗。予想以上にパワーがすごい」
「いやいや冷静に感想を語られても。……有希?」
こちらの話を最後まで聞かずして、有希はポンと俺の肩を押して離れる。
「また来る。今度は危険」
有希の言った意味を理解して慌てて目を向けた時には、篠宮さんの眼光が妖しく赤色に光っていた。
「フフ、アッハハハハ! もう一人一人なんて面倒。みんなまとめて死んじゃえばいいよっ!!」
彼女の恫喝が響き渡ると同時に、部室の壁全体がビリリッと音を立てながら真っ黒に染まる。篠宮さんの背後にあった出口も、それに呑み込まれ消えてしまった。
「これは。伊集院さん!」
「わかっている」
工藤に言われる前に、剣を仕舞って両手を前に突出していた有希は、すぐさま詠唱を口ずさむ。
「――障壁展開」
「ッ!?」
まさしく一瞬の出来事だった。なにか透明な膜が周囲を包んだかと思えば、四方から襲い掛かる黒い刃、刃、刃。その全てが寸でのところで止まっていた。
「いきなり空間制御魔法とは、まさしく本気ですね。この状態どこまで維持できますか?」
「さすがにこの状況下では分が悪い。障壁も不完全。推定残り時間37秒」
有希が口にしたそのわずかな時間。それはまさしく俺達が無事でいられるタイムミリットだった。それを1秒でも上回れば……命はないに等しい。
「どうする。俺がいっちょぶっ放すか??」
「いいえダメです。この制御空間自体をどうにかしない限り、脱出口は塞がったままですよ」
「じゃあ、私の魔法で――」
「ダメだ」
一歩を踏み出そうとしていた玲に対して、俺は右腕を伸ばしてそれを遮る。
「俺がやる。一発目『全消し』いくぞ。脱出のためだけにみんなの力を使わせるわけにはいかないからな!」
そのまま紋章を宿す右手を突き出し、篠宮さんと重ね合せる。
「一之瀬さんそれはっ。ええい、仕方ありません。紋章発動後、私の魔法で一時的にスピードを付加するので、相川さんは私と一緒に一之瀬さんを。伊集院さんは柳原さんの補助を。一気に脱出しますよ!」
「わ、わかった」
「OK!」
「了解した」
即座に左右を健と工藤がポジションをとる。前に居る有希のすぐ後ろには玲が入り、万全の態勢でその時を待つ。
情けない話だが俺の紋章は発動後著しい体力を消費し、動けなくなってしまうので、健達に運んでもらう必要があった。
(いまさらかっこ悪さなんて関係ないか。やれることは全部やるんだ。がむしゃらに、全力で!)
この戦いは絶対に熾烈を極める。故にみんなの力はできるかぎり温存させなければ。
それが俺、一之瀬 蓮の役目なのだから!
「やっちまえ蓮!」
「おう! 我ここに願う。全てをを無に帰し――」
目をつむって頭の中の魔法書をめくり、ページに刻まれた文字を読み進める。
第一の力、全てを無に帰す魔法。それこそが今の俺の選択。
「ブッ壊れろおお!!!」
――全てをリセットして、本当の戦いをここから始めよう。標的は、篠宮 優奈ただ一人!!
本当はもっと本格的に戦闘シーンに入るはずが、思いのほか長くなってしまいました。すいません。でもこれはどうしても入れたかった…。