第二百十一話 工藤 真一の戯言~救われたいと願うのは罪じゃない~
「さて、来たる襲撃に備えて今のうちに準備を始めましょう」
午前中の授業が終わって昼休み。
いつものメンバーが部室に集まり、工藤の合図を皮切りにそれぞれがそれぞれの行動を開始する。
「準備ねえ」
「どうしたんですか、一之瀬さん。そんなところで呆けて」
「別に呆けてねえよ。それにここは俺の席だ」
「フフッ、そうでしたね」
思わず変な意地を張って声を荒げてしまい、工藤にクスリと笑われてしまう。
なんだろう。なんとなく、いやものすごく悔しい。
「ただあれだ。みんなと違って俺はほとんど準備なんて必要ないから。やることなくて困ってるだけだよ」
「ほほう。この状況で暇を見出せるとは。余裕がありますね」
「アホか、そんなわけないだろ。ただでさえ爆弾抱えてるんだから」
愚痴をこぼすように言うと、工藤は「それもそうですね」とあっけらかんと答えた。
そんな風に流せたら、俺も楽なのになあ。この身に抱える爆弾。今朝三上先生から告げられたそれは、想像以上に大きなものだった――
「死ぬって。ど、どういうことですか?」
声が震えていることに気付いて、今自分が思いっきり動揺していることを知った。
こんな時こそ笑って冗談だと言ってほしいのに。三上先生の固い表情は、一向に変わらない。
「君に薬を飲んでもらっただろう? 一時的に体内の魔力を活性化させる薬を」
「は、はい」
言われてすぐに、そういえば飲んだこの世のものとは思えない苦さの飲み物を思いだし、口の中が酸っぱく感じる。
「その結果、君の体……左腕に変化がみられた。写真にとってあるが見るかい? 少々ショッキングな画像かもしれんが」
「……見ます。見させてください」
「そうか、わかったよ。お前らも見るのか?」
「当然」
「です!」
「ふんっ、そう言うと思ってたよ」
なぜかくだけた笑みを浮かべた三上先生は、机に置かれていた大きな封筒を手に取り、その中身を取り出す。
「これが、薬を服用してから数分後の君の左腕だ」
「!?」
「これは」
その写真が姿を現した途端、玲は口に手を当て、健は「おおう」と驚きの声をあげた。
映っていたのは俺の手……のはずなのに。肌の色は黒く染まり、腕はゴツゴツとした鱗に覆われて――おおよそ人の手の姿ではなかった。
「これは竜体化した時と同じ。まさか三上先生、一之瀬さんの状態は」
「察しがいいな。医者としておそらく、なんて言葉は使っちゃいけないんだろうが。私なりに結論を出すとすると」
「ゴクリ……」
「どうやら君の体自体に、魔力を封印するなんらかの力がかかっていたみたいだ。言ってみれば刻印の代わりに制御していたんだろうなあ。だがその封印が、左腕を切断した際に解かれてしまった。だから」
「魔力を抑えられていない、ってことですか」
「……その通りだ」
自分の左腕にそっと手を添えて、俺はもう一度写真に目を落とす。
これが自分の腕。どんなに瞬きをしても、変わることのない数分前の自分の腕。
ゾクリと悪寒が背中を走る。怖い、心の中で俺はそう呟いた。
「なるほど。だから伊集院さんに触れた時に反応があったんですか。闇属性の魔力が放出されていれば、聖属性を受け付けないのはむしろ自然のこと」
「ああ。まあ幸いほかの部分がそれ以上の魔力の流出を抑えているようだから、日常生活に問題はないだろう。一応伊集院に触れるのは自粛した方がいいだろうがな」
「……」
じっと写真を見つめたままの有希は、なにも言わなかった。
「一番の問題は戦闘時だ。正直どの程度の魔力まで君が制御できるのかわからん。もし一度でも許容範囲を超えてしまえば、もう君には止められない。最終的には体が魔力に耐えられなくなって、呑み込まれ消滅する」
「それが、先生の言った死ぬってことですか」
「そうだ。はっきり言おう。医者である私は、今度の戦闘に君が参加するのは反対だ。死ににいくようなものだぞ」
その時三上先生が目を逸らした理由を、俺はなんとなくわかっている気がした――
(死ににいくようなもの、か)
有耶無耶に隠されるよりも、キッパリと宣告された方がマシだ。
それでも悔しいことには変わりない。こみ上げる腹立たしさに、自分の不甲斐なさに反吐が出る。
「なあ、本当に良かったのか。俺が今回の戦闘に参加して」
「どうしたんです、今更。もうそれについては先程結論が出たではありませんか。それとも、ここにきて怖くなりました?」
工藤なりの軽い挑発のジャブ。
それに対して俺がスンとも反応しないのを見て、工藤は小さく息を吐いた。
「なにを思っているのかは知りませんが、これだけは確実です。あなたを止める権利をもつ者は居ないし、止めるつもりもありません」
それはこの部室に入ってすぐ、わかったことだ。
俺の投げかけた参加していいのかという質問に対し、みんなは――
「私は反対はしないわ。というかできないわよ。蓮君が戦いたいと言うなら、私はそれを尊重する」
「右に同じく。大体、俺達が反対してやめるほど、軟な覚悟じゃないんだろ? だったら最初から戦うってことにしとけばいいじゃないか」
「……私は、兄さんの選択に従う。それ以上のことを選ぶ権利はない」
「いいんじゃないですか。そもそも一之瀬さんでなくとも、無事に戦い抜けるかわからないんですから。多少死ぬ確率が高いだけです。大丈夫でしょう」
誰一人として反対の声はあげず、口々に俺の意志を尊重する答えをくれた――
「今思ったら、お前の答えは皮肉ってるのか励ましてるのかわからねえな」
「ハハ、皮肉に決まってるじゃないですか。いつ私が、そんな心優しい善人になったんです? 本音は、あなたに戦線を抜けられるとかなり痛いからですよ」
まさか即答で、しかも本音までさらけだされるとは思っていなくて。俺は思わず笑ってしまった。
「そこは別に善人のままでもよかったんじゃないか?」
「いえいえ、滅相もない。隠すよりも前もって言っておいた方がいいでしょう。その紋章の力は、あなたの言う爆弾には関わらない。紋章の力は紋章によってコントロールされますからね」
同じことを、三上先生も言っていた。
つまり紋章の力だけは使っても俺の生死に影響はない。今回のターゲットにおいて、俺の役割は紋章の力を最大限に有効活用することだ。
「やっぱり、俺の切り札だな」
「あなたの、ではなく我々の切り札ですよ。あなたはまさしくキーパーソンだ。最初から、最後まで、ね」
どこか遠くを見つめながら言うそれは、妙に達観しているように思えた。
またそんな目をする。俺達を置いて、どこかに行ってしまうような目。
工藤、お前はまだなにか俺達に隠し事をしているのか。
「なあ、くど」
「一之瀬さん。少し、少しだけ戯言を吐いてもいいでしょうか。もちろん聞き流していただいても結構です」
急に言葉を遮ってきた工藤に、俺は条件反射で体をビクつかせた。
こいつが踏み入った話をすることなんて、いままでにそう多くない。さらに前置きに「戯言」なんて言葉を使ったことは、一度もなかった。
「聞く、ぞ。そんなこと言われて聞き流せるほど、俺は器用じゃないし」
「そうですか」
淡白ながら、どこか安心したように呟く工藤。
反対に俺は緊張していた。今まで知りたいと思っていたことを、とうとう教えてくれるような気がしていたから。
「……あなたは、すごい人です。関係は修復不可能と思われた伊集院さんと和解し、相川さんを虎族の手から救い、柳原さんにトラウマを超えるための勇気を与えた。どれも何百年と時を重ねた問題なのに、あなたは解決してみせた」
「これはすごいことです。あなたがなんと言おうと、私はあなたに対し尊敬の念を抱きます。もしかしたらそれでもまだ足りないかもしれませんね」
初っ端からいきなり褒めちぎられて、なんともいえない居心地の悪さを感じる。
照れ隠しにふざけられる空気でもないし、たちの悪い状況だな。
「言いましたよね、篠宮さんを救う方法。あれは、本当にあなたなら実現できると思ったから言ったのです。他の誰か、おそらく伊集院さんでさえできないことが、あなたにはできる」
「……」
「もう単刀直入に言いましょう。隠しても無駄だ。私は、そんなあなたが羨ましいと思っていました。過去も現在も未来も変えられる力と資格を持つ、物語でいう主人公に当たるあなたが、羨ましくてたまらなかった」
微かに、言葉尻に寂しさを感じたのは気のせいだったのか。
そして、最後が過去形だったのはなぜなのか。
この胸の痛みは一体なんだろうな。今の工藤の顔を、見ることができない。
「ですが、私はあなたにはなれません。そして不思議なことに、なりたいとも思わないのです。羨ましがっていたのに、おかしな話ですよね」
「それは」
「最近、その理由がわかった気がするんです。もっとも、それを教えてくれた人物はここには居ませんが」
「??」
ここに居らず、工藤と深く関わり合いがある人物。誰だ? 三上先生か?
「まだうまく言葉にはできません。なんとなくで話すなら……望む望まぬではなく、そもそも望めるはずがなかった、ということですかね」
「どういう、ことだ?」
ドクンと、鼓動が跳ね上がる。
「すみません。わかりにくかったですね。簡単に言えば、あなたと私では生きる場所が違ったのですよ」
「!?」
それを聞いた瞬間、俺は工藤の話を聞いたことを激しく後悔した。
最も、言ってほしくなかった言葉だった。だってそうだろ? 俺はずっとお前の居る場所に行きたかったのに、それは無理だと断言されたのだから。
(どうして。どうしてお前はそんなにも)
知らないところで工藤は、一人でなにかと戦っている。
今ならわかる。いつしか俺はそんなお前を、助けられたらと思っていた。そりゃあ何度もこいつには憎まれ口を叩かれたし、腹が立つこともあったさ。
だけど、それでもお前はDSK研究部の一員。仲間だったんじゃないのか。
――それなのになぜ、この手はお前に届かない。助けることができない!?
(ん? いや待て。助け、だと)
その時、俺の中で新たなピースが嵌ろうとしていた。
観点を変えろ。方向性を変えろ。なぜ今、ここまで工藤は話してくれたのか。
本当に、自分と同じ場所に立つことなんてできないと教えたかったからか? いいや違うだろ。この効率バカが、そんな無駄なことをするはずがない!
(だったら……)
工藤が、本当に伝えたかったことは。
――望めない、助けられない、生きる場所が違う……。
(そうかっ)
ここまでの会話を思い出していくうちに、俺はやっと、その答えに気づいた。
(そういう、ことだったのか工藤)
そして大きな鐘が鳴り響くように、全身を震わせた。
こいつは、自分を救ってほしいと願っている――
「工藤、お前」
「すいません。戯言を長く続けすぎましたね。もうこの話は終わりにしましょう」
俺が工藤の顔を見ようとした瞬間、唐突に話の終わりを告げられる。
あきらかに図ったようなタイミング。
俺にはそれ、咄嗟に逃げたとしか思えないぞ、工藤 真一。
(俺が答えを出したことに、気付いたのか?)
ここまできたら、もう全部話してくれてもいい気がする。
しかしそうしないのが、工藤らしい。ちなみにこれは皮肉だ。
「終わって、いいのか?」
「ええ。こんな話、長く続けても仕方ないでしょ?」
「別にそうは思わないけどな。まあお前がいいっていうなら、終わりでいいけどさ」
ここで無理やり言わせるのは、ひどく気に喰わなかった。
それにもう一つ、わかったことがあったからな。今はそれだけ聞ければ、この話を聞いたことを後悔せずに済むだろう。
「じゃあ工藤。最後に一つだけいいか」
「……なんでしょう」
「そんなに身構えるなよ。ただ聞いておきたいだけだ。篠宮さんを救う方法が成功した時、お前も救われるのかってことを」
工藤の体が、ピクリと動いた。それからすぐにふうと息を吐きながら目を瞑る。
正直、もう俺は確信していた。工藤がここまでさらけ出してくれたのは、俺に「あの」方法を教えたからだ。
「それは、絶対に答えないといけませんか?」
「無理にとはいわないが、頑張ってほしいね」
「……あなたもなかなか言うようになりましたね」
工藤は苦笑いを浮かべたが、どことなく嬉しそうにも見えた。
「あまり期待に沿う答えは出せそうにありません。私自身、わからないのですよ。なにかが変わるのは間違いない。けれど良い方向になのか、それとも悪い方向になのか。まだわかりません。が」
そこで工藤は「しかし」と、間髪入れずに話を続ける。
「これだけは確信しています。私は、成功した先の未来を、あなたが描く未来をみたいと心から思っている。だからこそ」
「あなたは、この戦いで絶対に死なないでください。それが今の私の、一番の願いです」
「工藤……」
どうやら、俺は大きな勘違いをしていたんだな。
最初出会った時は、薄っぺらい笑顔の張り付いたいけ好かない奴だと思っていた。さらに言えば、冷酷で感情に囚われない機械のような人間だと思っていた。
だけどそれは違った。こいつは俺達と何も変わらない。苦しむ時もあれば、救われたいと思うこともある、ちゃんと生きている者だ。
(お前ってやつは、どこまで難儀な男なんだ)
黙っていれば、誰にも気づかれずにその先の救いを受けたはず。
ここからは俺の推測だ。工藤は多分、救われるとわかっていたから俺に作戦を伝えたのではなく、伝えてから気付いたんじゃないかと思う。
前までの印象なら自分のために誘導したとか考えてしまうが、今隣にいる工藤 真一が、そんな根っからの悪を演じられるタマだとは思えない。
(素直じゃないのが素直、っていうのもおかしな話だよなあ工藤)
途中で自分の得に気がついて、それに罪悪感と不安を感じて。どうしても許せなくて、大真面目に俺にそれを話してしまう。
なんだかこれだけ聞いてると可愛い奴だなお前。絶対に面を向かっては言いたくないけど。
でもまあ、安心しろよ工藤。これだけは保証する。
救われたいと願うことは、罪じゃない。それはこの世界に生きる者としての当然の権利だ。
「なるほど。これで、死ぬわけにはいかない理由がまた増えたわけだ」
「それはいいことですね。よかったじゃないですか」
「どの口がそれを言うんだよ。まったく」
もう、なにも迷うことはないんだな。
もしもこの戦いを造りだしたのが親父だったとしたら、その全てを、俺は存分に破壊すればいい。それが篠宮さんと工藤を救う第一歩。
彼らを救うために、俺は篠宮さんを、ターゲットをころ……倒す。
「工藤。ターゲットが現われたらすぐに知らせてくれよ」
「無論です。現在のところ、伊集院さんの張ってくれた魔術障壁がありますから、出現してもある程度の時間は確保できます。その間に一般生徒を避難させましょう」
作戦についてはもう聞いていた。
ターゲットを感知したら、まずは一般生徒を体育館に避難させる。
まあその方法が、校内放送を使って緊急集会が行われるという情報を流すことには、さすがに驚いたが。
「全く、この学校はどうなってるんだ?」
「放送についてですか? そんなもの、容易いことです。そもそもそれよりも大がかりな情報操作を、あなたは知っているはずですよ」
「……荒木先生のことか」
そう言われれば、納得してしまう自分が哀しい。
「今回ばかりは、生徒に気を遣う余裕はありませんからね」
「まあ、ごもっともで。その後の作戦がそれを物語ってるしな」
「ええ、『各自迎撃』ですから。もっとも、あなたと伊集院さんに関しては具体的な作戦といってもいいと思いますよ」
「……できれば遠慮したいが、無理だろうな」
先ほども言った通り、俺の役目は紋章の力を使うこと。
だが残念なことに一発放つ度に相当な魔力を使うので連発できない。
そこで、活用するのが有希の力。もとい聖属性の魔力。
(敵対意識を持てないからって、無理やり剣をぶっ刺すとか、冗談きついぜ。冗談じゃないけど)
光を打ち負かすために、闇が増幅する現象を防衛本能に則って強制的に引き起こす。
確かに理にかなっている。裏技といっていい方法だ。
だけどまあ、だからといって痛いのを我慢できるようになるわけでもなく。これから俺は多分、何度なく死ぬ程の痛みを味わうことだろう。
「はぁ。痛いのは嫌いなんだけどな」
「大丈夫ですよ。致命傷までは負わせませんから」
(そういう問題じゃねえ)
さっきの話がなかったら、この実にいい笑顔をしている顔を今すぐにでも殴ったかもしれん。
この作戦を実行しなければいけないことなんて、端からわかっている。
だからこそ、これは単なる愚痴だ。終わりだ終わり。
「いつ、来るんだろうな。し……ターゲットは」
「そう遠くはないはずです。むしろ近いかと。まあ出現したらすぐに、こちらの携帯に連絡が来ますのでご心配なく」
そう言って片手に握られた携帯を、工藤は見せつけてくる。
できればはやく、その知らせが来てほしいものだ。こんな状態で授業に出ても、内容が全く頭に入ってこないからな。
(なんて、そんなのただの言い訳で……ん?)
ふと、自分の右ポケットが震えていることに気づいた。
それが携帯のバイブレーションだとわかったのはすぐのことで、こんな時にメールを寄越すなんてKYな奴だと蔑みつつ、ポケットに手を差し入れる。
(また健か?)
とと、健ならすぐそこに居るんだった。
わざわざこの距離でなにかするはずもないし、じゃあ一体誰だ? 及川か?
「えーと、あれ?」
携帯を掴むと同時に、自己主張し続けていたバイブレーションがピタリと止まる。
「どうしました?」
「ん、いや携帯だよ」
(この短さはメールか)
もしくは間違い電話だが、そんなものを考慮して出ないわけにもいくまい。
取り出した携帯の画面を見てみると、案の定手紙のマークが一つ。メールが届いていた。
(さてさて。及川なら返信、は……)
メールBOXを開くと同時に、俺の指は動くのを止めた。
正確に言えば、動かせなくなった。
そこに記された、名前を目にしたせいで。
===============================================
From. 篠宮 優奈
今、どこに居るのかな?
===============================================
そこには、絵文字もなにもついていない、たった一行だけの文が書いてあった。
(お、落ち着け。これはまだ篠宮さんの人格だ。そうだろう?)
俺は一体、誰に問いかけているんだ。
自分に言い聞かせる間も、額を滲ませる冷たい汗が止まらない。心臓はあきらかに窮屈そうに、音を立てていた。
(けど、これって)
今は昼休み。なにか用件があったなら、一見このメールはなにもおかしくないように見える。
だがこれには、あきらかにおかしいところがあった。
「なあ工藤」
「はい? なにか」
「篠宮さんってさ。今どこに居るんだっけ?」
俺の質問に、工藤の瞼がピクリと動く。
「突然どうしたんですか」
「いいから、答えてくれ」
「はあ。まあどこと言われるとわかりかねますが、少なくとも学園内には居ないことは確かです。まだ観測されてませんからね」
工藤のそれは、至極真っ当な答えだった。
もしもターゲットが表に出ているなら魔力を。それでなくとも篠宮さんが学園に現れた時点で、工藤達の監視の目が見逃すはずもない。
「そうか……そうだよな」
あらかじめわかっていたことを、改めて確認したところでもう一度メールを見てみよう。
……変だなあ。俺にはどうしても、この文面から篠宮さんが近くに居るような気がしてならないんだが。
(まさか。そんなはず……っ!?)
その時、一気に喉の奥が水分を失い、カラカラに渇いた。
再び手元で鳴り響く携帯のバイブレーション。液晶に映し出された文字は、
――メール着信 篠宮 優奈
「ひっ!?」
ビクッと体が痙攣し、弾みで指がボタンを押しこんでしまう。
===============================================
From. 篠宮優奈
部室、だよね?
===============================================
(これって、これってやっぱり……おわっ!?)
ヴーヴーヴ……
――メール着信 篠宮 優奈
メール着信 篠宮 優奈
メール着信 篠宮 優奈
「な、なんなんだよこれ!?」
支えが決壊してなだれ込む鉄砲水のように、いきなり怒涛の勢いでメールが届いた。
思わず張り上げてしまった大声に、工藤はもちろん思い思いに準備を進めていた他の三人も動きを止め、我先にとこちらへ視線を注ぐ。
「ど、どうしたの蓮君?」
「なにがあった!」
「兄さん?」
自分ではわからなかったが、俺の顔はかなり真っ青になっていたらしく、なにもないとは言えない程のなにかが起きたことを伝えてしまっていた。
「い、いや、すまん。メールが来てさ」
「メール? それがどうしたんで――まさか」
相変わらずこいつは、とんでもない早さで感づく。
なにかを悟った工藤は慌てて自分の携帯の画面と睨めっこ。
その間に気付いた玲が、ぱっちりと見開かれた瞳を何度も瞬きさせながら口を開く。
「もしかして、優奈ちゃんから?」
「ああ。それも連続で何通もな」
「そ、そう。で、内容は?」
「……俺達の居る場所を探しているみたいだ。それにこれを見る限り、どんどん近づいてきているような気がする」
メールBOX内の一番上にあるメールを開くと、そこには「nこの先にg居るんだよね」と書かれていた。
なんだよこの狂気じみた内容は。
それにしてもさっきから画面が震えて見づらい。
「そんな。そんな馬鹿な」
隣でボソリと呟いた工藤へと目を向けると、そこには笑顔なんて微塵もなかった。
俺の視線に気付いた工藤が、申し訳なさそうにこちらを窺う。
「どうした?」
「いえ、ちょっと悪いお知らせがありまして。今学園付近に配置した監視の目と連絡を取ろうとしたのですが、なぜか繋がらないんですよねえ。その連絡が」
そう言ってお手上げのポーズを取りながら苦笑いをみせる工藤。
これは、いよいよやばいことが起きている気がする。もちろん現在進行形で。
「それって――」
みんなして顔を見合わせる。おそらく言いたいことは一緒だ。
しかしながら驚くのはまだ早かった。この時点ですでに充分ビビっているというのに、彼女は更なるサプライズを用意してくれていたのだから。
「え?」
「お?」
「……」
「これは」
「まじ、かよ」
静かな部室に一斉に響き渡る、4種類のメロディ+バイブレーション。
もはや不協和音と言ってもいいそれらは、この部室内の空気を散々荒らしまくったあげく、「もうお前達には用はない、ハッハッハ」と忌々しい高笑いが聞こえてきそうなほど身勝手に消えていった。
「へえ。なかなかおもしろい余興ですねえ」
言葉を失う俺達とはうってかわって、工藤が額を手で押さえながら笑う。
「一応、確認しておきましょうか。メール」
どこかどんよりと重苦しく感じるその一言に、俺達は相変わらず押し黙ったまま従う。
テンションなんてあげられるか。この異常な状況、そこらへんのB級ホラー映画だって裸足で逃げ出すレベルだぞ。
(ああ、開きたくねえ……)
これほどまでにボタンを押すことを恐れる時が来ようとは。
それはみんなも同じだったらしく、誰からともなく始まった目配せの応酬の末に辿り着いた答えは、
「みんなで一斉に見ましょうか。いくわよ? せーのっ」
――赤信号、みんなで渡れば怖くない。
部室に操作音という名の単音が響いた。
もう画面には、メールの内容が映し出されている。
名前はもちろん篠宮さん。そこからずずっと下へと目線を向けていくと、たった五文字のひらがなで形成された文が書かれていた。
「あのさ、もしかしてだけど。お前らに届いたメールの本文って、五文字だけじゃないか?」
「え、ええ。伸ばし棒を一文字に入れるなら、私はそう」
「右に、同じく」
「……同じ」
「同じですね」
この日一番の寒気が、つま先から頭のてっぺんまで走った。
===============================================
From.篠宮 優奈
みーつけた
===============================================
「おかしいですねえ。私はまだ、彼女とアドレス交換をしていないのですが」
わざとおどけてみせるのはやめろ工藤。
またしても俺達から言葉をかすめ取ったメールは、笑えるどころか命の危機を感じるのに充分すぎるものだった。
「……みなさんもう、準備は終わっていますよね?」
急にトーンの落ちた工藤の声とあわせて、部室のドアが二度、叩かれた気がした。