第二百九話 青の覚醒~氷の女王はそっとほくそ笑む~
更新期間&それと同じく文が長くなってしまいました。すいませんm(_ _)m
「なにかと思えば」
放課後。
相変わらず閑散とした屋上へと続く廊下を抜けると、そこには結界が張られていた。
「健ってば、なんでまたこんな時に」
少しばかり呆れ顔で、携帯に表示された文章に目をおとす。
『ちょっと屋上まで来てくれないか。大事なことがある』
健はどんなことを思いながらこのメールを打ったのだろう。いくら考えても、悪いことを考えている憎たらしい顔しか思い浮かばない。
いつもとはちょっと違う髪留めをいじりながら、私は盛大にため息をついた。
もしかして私、なにかを期待してた? ……ないない。絶対にない。
予想通りだった。自分にそう言い聞かせながら携帯をしまい、わずかに開けたドアの隙間から、その先の光景をもう一度見る。
「有希、だよね。やっぱり」
部分結界なんてものを扱える人なんて、少なくとも私は有希しか知らない。
けれどそこに居た有希は、本当に有希なのかと問いたいぐらい、初めて見せる姿だった。
「あんなに剣を振り回して。しかもわかりやすいぐらい感情任せに」
静止した空間の中で、剣が風をきる音と、切断する音が入り乱れている。
その音を奏でて、いや出しているのはなにを隠そう有希だ。
たった一人で、がむしゃらに植え付けられている植物や物を斬りまくっていた。
普段の有希の剣技は誰よりも綺麗だけど、今日のそれは鬼気迫るもの。
なにより、歯を食いしばっているその顔は、いつもとは全く違う雰囲気をだしていた。
(こんなに感情を表に出してる有希、初めて見た。なんて言ったら怒られるかな)
最近は、というより蓮君と居る時はわりと感情豊か(それでも人並み以下だけど)に接していたけれど。ここまで露骨に「怒り」を見せているのは初めてだった。
「あの甘えてる有希は、反則級に可愛いよね。って今は関係ないか、あはは……。ん?」
突然、携帯の着信音が鳴り出した。
やばい。有希に覗き見してるのがバレてしまう。慌てて携帯をまた引っ張り出すと、液晶にはメール受信の文字の下に、健の名前が表示されていた。
「こんな時にまた」
嫌な予感がした。
ためらいつつ、しぶしぶメールを開くと、
『後はよろしく。特訓の成果の見せどきだぜ!』
たった一文、それだけが書いてあった。
「あのバカ。なに考えてんのよ!」
一見わけのわからないメールでも、今の私にとっては特別な意味をもっていた。
まさかそのためにここへ? 有希の真似をするわけじゃないけれど、怒りを通り越して呆れてしまった。
それにしても、メールのタイミングが最高に良すぎる。
もしかしてどこかから私を見てる?
きょろきょろと辺りを見渡していると、不意に音が鳴り止んでいることに気がついた。
「……」
「あっ」
悪い予感は的中した。
ドアの先からじっと、こちらを見つめる有希。どう見ても、私が居ることに気が付いていた。
(ど、どうしよう。でもここで逃げたら後が怖いしなあ。……よし、こうなったら)
「え、えっと~、やっほー?」
片手を挙げながら、私はおずおずと屋上へと足を踏み入れる。
ただ黙ってこちらを睨みつける有希。もしかすると、いやもしかしなくても私はなにか判断を誤ったのかもしれない。
有希は小刻みに白い吐息を吐き出していて、その頬は赤く染まっていた。恥ずかしい……わけじゃないよね。
「なにか、用?」
それから程なくして、ようやく有希は口を開いてくれた。
意外にも、怒っているのではなくあくまで平らな口調だった。
「用っていうか、なんというか」
今更だけど、一体今の有希にどうやって接すればいいんだろう。
実はノープランでここに来ていたことに、自分自身が一番驚くというとんでもない状況に陥っていた。
でも、ここで有耶無耶にしてしまうと、なにか大事なものを取り忘れてしまうような予感はあった。
とりあえず、まずはなにか話さないと。なるべく優しく、波をたてないように。
「有希がこんなことしてるの、珍しいなって。やっぱり、蓮君が絡んでるの?」
「!!」
上下に動いていた有希の肩が、ピクリと反応する。
うわあ、思いっきりストレートでいってしまった。一体今のどこに、優しさがあったというのだろうか。
さすがに今度ばかりはまずいと思い、身構える。
だけど有希はなぜか、困ったように俯いてしまっていた。
(ど、どうしよう。私のせいで。あーもう。今度こそ元気付けるような言葉を)
気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐いてから、私は再び有希に話しかける。
「やっぱりそうなんだ。でもそれって、蓮君を利用していたことに対して? それとも私達にずっと黙っていたことに対して?」
「……」
(え、なんで)
慌てて口を押えても、今さらどうしようもない。
こんなこと言うつもりじゃなかったのに。元気付けるどころか、私はもっと有希を追いつめていた。
どうしてこんなに、嫌な女になっているのか。
もっとわからないのは、それが間違ってないと心のどこかで思っていることだった。
「……全部」
「えっ」
不意をついて、有希のものとは思えない重苦しい声が放たれる。
「全部、全部……全部全部全部!! 私がやったことみんな、やっていいことじゃなかったのに。許されることじゃなかったのに! でも、私は。やり通してしまった」
また、その小さな肩が震えだす。今度はさっきよりも大きく。
「こんなはずでは、なかったのに」
「有希……」
それは、有希が私だけに見せた、心の叫び。
怒り、憎しみ。真っ黒な感情が溶け合い、そこからドロドロと流れ出しているようだった。
(なるほど、ね)
なんとなく、私にはわかってしまった。有希がわからなくて苦しんでいることを。
けれどこれは――酷い言い方をすれば、これほど「いまさら」なことはなかった。
(有希。あなた、後悔してるのね。自分のしてきたことを)
誰も有希を責めたことはない。一番影響の受けた、蓮君でさえ責めてない。
じゃあなぜ、有希は悩んでいるのか。答えを見つけられないのか。
――前提から、間違っているからだ。
「ねえ、有希。じゃあそれ全部、間違いだったと思う?」
「それ、は……」
「違うよ。誰も間違ってなんかいない」
「っ! そんな簡単に言うな!」
「じゃあどこが間違ってたの? 間違ってないことが間違いと言うのなら、それが言えるはずだよね」
我ながら、つくづく嫌な質問だ。
「……」
「まだなにも、終わってないんだよ? 有希の戦いも、私の戦いも。蓮君、健、工藤くんの戦いだって」
私は迷う。ここで有希に、自分が悩んでいるものの答えを教えることが、一番いいのだろうか。いいや、ここで悩んでいるんだ。それでは絶対に間に合わない。
今教えられたら、有希はさらに悩むことになる。その答えは、受け入れるのに時間のかかるものだから。
(今は、ごめん有希)
以前までの有希なら、迷うことではなかった。そもそも迷ってたら、こんな大層なことできないよね。
もしも、もっと時間があれば……。時というのは、本当に気が利かない。
有希にはなにがなんでも、この問題を保留にしてもらわなければ。
今度の敵は、親友は、一人でも後ろを向いていたら戦えないから。
「有希。あなたはどうしたいの? もうやめる? 全部私達に押し付けて逃げ出す?」
「!! 榊原 玲。いくらあなたでも、その言葉は許さない!」
怒りで埋め尽くされた有希の声は、思わず後ずさりしたくなるほどの迫力。
良かった。怒るってことは、ちゃんと前へ進む意志はあるということ。それなら、後は前を向いて歩く手助けをすればいい。
「じゃあどうするのよ。どうしたいのよ」
「それは……」
「そもそも、こうして迷ってるあなたは戦えるの? 蓮君の、私達の大切な友達であるターゲットと!」
自然と声が大きくなっていた。
その言葉が有希のほかに、自分にも聞こえるようにするためだったのかもしれない。
(私はもう、戦えるよ有希。多分、ほかのみんなも)
当然のことながら、私も優奈ちゃんがターゲットと知った時は、それはもう訳の分からない行動を繰り返した。悩みもした。今となってはそれも黒歴史。
そう思えるようになったのも、またしてもと言うべきか、健のおかげだった。
『しっかりしろ! 戸惑って当然だけど、逃げるな。いつかの俺みたいに逃げるな!! 蓮を信じられたお前なら、ちゃんと前を、篠宮さんを見れるはずだ。今逃げたら、もう二度と篠宮さんとは親友でいられないぞ』
そんなのは嫌。自分でも驚くほど、その時はっきりとした答えがでた。
彼女は私にとっての希望。彼女と関わることは喜び。彼女と親友であることは誇り。それだけは、絶対に失いたくなかった。
だから、私は優奈ちゃんと戦うことを選ぶ。
私を心から受け入れてくれたあなたから逃げることは、私自身への最大の裏切りだから。
「たた、かえる」
「ほんと? 無理して嘘つかなくてもいいんだよ」
「嘘じゃない!」
「うーん、信じられないなあ。ほんとかなあ」
わざと煽るように言うと、有希の肩はわなわなと震えだした。
本気で怒っている。どんなバカでも、それぐらいのことはわかる。
「……どうしろと、いうの?」
あらゆる負の感情を押し殺したその声は、まさしく恐怖の限界突破。私は思わず片唾をのんだ。
「そうねえ」
だけど、引くわけにはいかない。耐えろ、私。
もはやちゃんと言葉に出すことだけを考えながら、私は有希に告げる。
「じゃあ、私と決闘してよ」
「け、決闘?」
「そう。だってこれから私なんかよりずっと大変な人と戦うんだよ? 決闘とはいえ、私とも戦えなかったら話にならないでしょ」
いつかの私なら、絶対に口にしないであろう単語が飛び出る。
それはそうだ。誰がどう見たって圧倒的な力の差。指南ならされど、対等な戦いを望むなど自殺行為に近い。
それでも、有希にはこの戦いを受けてほしかった。
私自身も、それを望んでいる。そして、
「……本気、なの」
「ええ。これで本気じゃなかったら、むしろ自分に感心するわ」
勝算も、ある。
「……」
静かに目をつむり、有希は考えはじめた。
その時間はとても短かった。
「わかった。それに申し込まれたのなら、私には受ける選択肢以外に有り得ないから」
答えと同時に、目を見開く。眼差しの色が変わっていた。
そうして有希はゆっくりと、両手を体の前でクロスさせる。
まさしくそれは、これから戦うことを告げる有希の戦闘態勢だった。
「ありがとう。ルールに関しては、場所がこの屋上ということ以外には特になし。決着については――」
「そんなものはどうでもいい。はやく」
「……こういうの、結構大事だと思うけどなあ。ま、いっか。それじゃあ」
私も見せつけるように右手を突出し、構える。これで戦いの準備は整った。
もう後戻りはできない。一度深く息を吐いて気持ちを落ち着かせてから、私は精一杯の想いを込めて叫んだ。
「リファイメント!」
「リファイメント!」
続いて有希も叫ぶ。
それぞれの刃が空気に触れたその瞬間が、決闘の始まりの合図。
まずはただ相手という一点目掛けて両者は突進した。
「ふんっ!」
「ハッ!」
初撃。有希にしては珍しく、渾身の力を込めての急転直下、二本の光の剣が振り下ろされた。
それを受け止めたのはいいが、さすがにいきなりのこの威力は想定外。片方の鎌だけでは到底堪えきれず、もろとも地面へと叩きつけられた。
「っ!?」
破裂するような金属音が轟き、鈍痛が腕に響く。
いつもならまず連打等、速さで翻弄する有希が単調なパワー押し??
予想外だったのはそれだけじゃない。
こんなにも絶好の機会を、こんなにも早くくれるだなんて。思ってもみなかったのだ。
「氷結せよ。重く纏わり固く離さぬ水の拘束!」
「!?」
くさり鎌に接していた有希の剣が、瞬く間に凍っていく。
慌てて距離をとる間にも氷は広がり、丁度柄を握る有希の手の部分まで綺麗に氷結した。
「これは」
まじまじと自分の剣を見る有希の腕が、小刻みに震えている。
隙ありとばかりに私は再び突進。先ほどとはうって変わって、今度は有希が私の刃を受け止めた。
「くっ! 重い……」
「だろうね。私が重くしたんだからっ」
強引に弾き飛ばすと、あえてくさりの前後についた二つの刃を両手に持ち、畳み掛けるように連続多段攻撃を繰り出す。
「くっ、甘い! ……避けた?」
私の波状攻撃をかいくぐり、突き刺してきた有希の剣を、軽く首をひねって避ける。その瞬間有希の瞼がピクリと動いて、かすかに瞳孔が開いた。
それもそのはず。本来の有希の一撃なら、間違いなく命中していたはずなのだから。
(見える。ちゃんと見えてる!)
私が有希に、いいえ有希の剣にしたこと。
それは剣に氷を付着させることにより、武器自体に重量を付加し、攻撃速度を低下させる魔法。
有希のスピードについていくほどの力を、私はまだ充分に持ち合わせていない。だからこそ、まずは攻撃速度を遅くさせる必要があったのだ。
だけど、
「こしゃくな手を」
「ごめんね。けどそうしないと戦えないからさ!」
正直こんなにも上手くいくとは思っていなかった。
せいぜいうまくいっても片方だけ。そう思っていたのに、今はどうだ。まさかの両方ともにかけられた。
(良い誤算というより、有希の心の乱れ?)
いや、きっとそうだ。普段の有希がそんなミスを犯すはずがない。
ならば押して押して。有希が次のカードを切ってくれるまで攻め続けるまでだ。
(いくよ!)
バックステップで距離をとると同時に、私は左手に持っていた鎌を手放し、くさりの部分を握りしめる。
「凍える水、気さえも凍らす絶氷の刃!」
詠唱と同時に、ミストのようなキラキラした粒が鎌を包む。
「エイッ!」
そのまま左腕を振り被って力いっぱい投げ込むと、勢いよく先についた刃が有希に向かって放たれた。
「こんな攻撃で」
当然、有希はそれを鋭い一太刀で弾き返す。
だけど私の攻撃はそれで終わりじゃない。もう一つの脅威に気付いた有希は、慌てて二本の剣をクロスさせるも、
「くっ!?」
直前まで迫っていた「氷の刃」の衝撃を抑えられず、その小さい体が軽く吹き飛んだ。
そう、私の放った刃は一つじゃない。
「まだまだっ!」
有希が着地したところを見計らって、すぐさま次の攻撃をしかける。
弾かれ戻ってきた刃を、また投げ込むまでは同じ。さらに今度はもう片方の刃で宙を二回切り刻むと、その跡を型にして氷の刃が生成され、やがて有希へと襲い掛かる。
「小賢しい攻撃をっ」
くさり鎌、そして氷の刃の応酬に、有希は防戦一方になる。
小賢しい。その言葉は、私にとって褒め言葉だった。くさり鎌による独特の距離と攻撃リズム、それに時間差の氷の刃が合わさって、私の攻撃はとても嫌らしい、やり辛いものになっているだろう。
(それこそ、私の神髄!!)
有希のただでさえ高ぶっている感情を、逆撫でするように。
私は踊る、舞う。華麗に飛び上がり、妖艶に体をくねらせながら、この場の空気を染めあげる水の流れを体現する。
そしてその流れに苛立つ顔を見て、そっとほくそ笑む。
どうやら私は戦いの中でだけは、少々Sっ気が入ってしまうようだ。
「~~っ!!」
(ん……?)
はっきりとした攻めと受けをある程度繰り返したところで、有希は今までよりも強く、私のくさり鎌を弾いた。
なにかが来る。私は激しく飛ばされた鎌を引き寄せながら、その違和感を感じた。
(やっと、次のカードを使う気になってくれたのね)
ここまで、有希は全く魔法をつかっていない。
使えば自分が圧倒的に有利になるからか、それとも使わずに勝つことで、自分ができるということを認めさせたいのか。とにかく全部近接攻撃だけ。
しかし、その均衡がとうとう破られる。
対等に渡り合えるのは闇のみ。他の追随を許さない強力な光の魔法が今――
「我ここに願う。我の光は絶対無二の光……」
(んん??)
いや、違う。これは違う。
私の氷の刃を薙ぎ払いながら唱える有希の詠唱。それに応えて生まれる魔力は、普段使っている魔法とは比べ物にならないくらい大きかった。
これ、ただの魔法じゃない。魔法は魔法でも、
(空間制御魔法だ!)
私は身震いした。いきなり現れた大きすぎる力の前に、興奮さえした。
あきらかに一つ、ステップを飛ばしてるでしょ有希。それだけで押し負かせる魔法を持ちながら、選択したのはさらに上……紋章による、最上級の魔法。
それは私を、完膚なきまでに叩きのめそうとする意志の表れだ。
(健。あんたの思い通り、本当に特訓の成果をだすことになりそうよ)
二つの鎌を戻し、片方の手に持たせる。
緊張のせいか、何度か取り損なったけれど。持ち手を掴んだその手ごたえは、今まで生きてきた中で最も心躍るものだった。
(いきます。お願い、力を貸して。ブルードラゴン)
「我ここに願う。我の水から生まれる氷はなによりも冷たく、冷酷で、万物をも凍らす絶対零度の空間を造り上げる……」
目を瞑り、胸に手をあてがいながら唱えるその詠唱は、これで使用回数が二回目になる魔法。健が特訓に付き合ってくれたおかげで習得できた――ブルードラゴンの持つ、「紋章」の力。
いままで感じたこともない、大きな力の流れが私を襲う。
こんな魔法を、私が使うことになるなんて。ついこないだまでの私なら、考えることも恐れ多かったなあ。
『すごいじゃないか玲! 今のはさすがの俺もビビったぜ』
(そうね、健。すごいよね……ほんと)
先ほどまで聞こえていた、有希の声が途絶えた。おそらく詠唱が終わったのだろう。
もうすぐ来る。有希による空間制御魔法が。そして同時に訪れる。私の、私による空間制御魔法を発動する時が。
今の有希に勝つ方法はただ一つ。
私が空間制御魔法なんてものを放てば、この決闘で最も有希が動揺する瞬間がくる。そこを狙うのだ。
(でもおかしいよね。私がそんな魔法使えるなんて)
こんな重要な局面なのに、私はつまらないことばかり考えていた。
ぐっと目を閉じる力を強める。はやく、はやくその時が来てほしかった。
これ以上、恐怖に耐えるのは限界だったから。
私は、私自身が怖くて怖くてたまらなかった。
「我が紋章よ、我に力を貸せ!!」
そして、とうとうその時はやって来る。
再び有希の声がとんだ瞬間――私の瞼を、激しい光が叩いた。と同時に全身が戦慄し、そのまま消し飛ばされそうなほど破壊的な魔力が、この場を覆い尽くした。
(……今だ!!)
それまで嫌になるほど続けていた葛藤を振りはらい、目を開く。
時はきた。視界に飛び込んできた眩いまでの光の中で、私は全身全霊をかけて、最後の言葉を叫ぶ。
「我が紋章よ。私に、力を貸しなさい!!」
その瞬間、巨大な青の魔方陣が地面に描かれ、
「なっ!?」
この空間を支配したはずの聖なる光ごと凍らす、氷の波が暴虐なまでに侵略した。
光に満たされた世界が一転、凍てつく氷が幅をきかせる冷たき世界が現われる。
「これ、は……。く、空間制御魔法?」
空間の上書き。そんなことをされるなんて思ってもいなかったはずの有希は、案の定口を半開きに、目を丸くして呆気にとられていた。
もう、軽く押しただけで倒れてしまいそうなほどフラフラしている。
「これで決める!」
私は力強く地面を蹴った。私による、私のためのこの世界を駆けた。
どんどん近づいてくる有希。身体が軽い。一歩一歩を踏み出す度に、なにかが私を祝福してくれているようで。
それが本当に……切なかった。
「はあーっ!!」
これで最後。くさり鎌を持ち直し、大きく振りかぶる。
そういえば、この決闘はなにをしたら終わるんだっけ。本当なら、最初に決めておくべきことなのに。今更決めなかったことを思い出した。
まあ、致命打になりうる攻撃を示せば、それで十分か。
棒立ちになっている有希の首筋に向かう鎌。それを見ながら、徐々にスピードを落とそうとしたその時、
「あれ……?」
突然、大きな違和感が私を襲った。
そうこうしているうちに、鎌は有希の首元に辿り着く。
これで終わり、のはずなのに。なぜだろう。目の前に居る有希は私に目もくれず、ただただ上の空で固まっていた。
「???」
さすがに不思議に思った私は、鎌を片手に預け、恐る恐る有希の頬へと指を伸ばす。
ぷにぷに。柔らかい。すべすべで気持ちいい……じゃなくて! これは――
「惜しかったわね」
「え?」
背後から声が聞こえて振り向くと同時に、右肩にコツンと、なにかが当たった。
そこにあったのは神々しい光に包まれた、有希の剣。
「え、あれ? あれあれ??」
「決闘は終わりね」
訳がわからず混乱する私をよそに、有希はすました顔で徴収を始める。
まずは剣、次に軽く右手を挙げると、私が鎌を向けていたもう一人の有希が消えていく。
「あなたも、はやくこの魔法を解いた方が良い。これを長い間維持するのは危険」
「は、はい」
言われるがまま、初めて実戦で使った空間制御魔法を解く。
あっという間に、過酷な氷の世界からくたびれた屋上が浮かび上がった。
「ね、ねえ。これどういうこと? 私、負けたんだよね??」
正直、負けたこともわからなかった。
もう有希本人に聞くしかない。教えてもらわないと収拾がつかない!
「……そう、あなたは負けた」
有希もそれがわかっていたのか、素直に教えてくれるようだった。
「あなたが使う前に、私が先に空間制御魔法を使った。この決闘を終わらせるために。完全勝利を収めるために」
「うん」
「その時点で私は、あなたにかけられた速度低下の魔法を解除。それと、自分の分身を作り出した。そしてあなたは、それを私だと思い込んで攻撃した」
「うん」
「……」
「え、終わり!?」
思わず本気でズッコケそうになるところを、なんとか踏みとどまる。
一方の有希はというと、今にも首を傾げそうにしているわけで。
「ん、んんっ。ゆ、有希? もうちょっと細かく説明してくれると助かるんだけど」
「……そう。わかった」
あれ、どうしてそんな悲しい顔をするの有希。
もしかして、今の説明でわからなかった私がおかしいのだろうか。急に自信がなくなってきた。
「もともと、私はあの光の世界で自分の体を複製し、数であなたを圧倒するつもりだった」
またなんと恐ろしいことを。想像しただけで身震いする。
「けれど、一体作ったところであなたが空間を上書きした。全くの予想外だった」
「やっぱり、私のやったことは意味があったんだね」
当然とばかりに、有希は頷く。
「ただ、むしろそれが違う方向に働いた。あなたはその私の複製を本物と勘違いして、攻撃。おかげで隙ができて、本物の私があなたの背後をとれたということ」
「じゃ、じゃあ。もしかして突進せずにあの世界で戦っていたら、私が勝っていたかもしれないの??」
「……そう。もしもあのまま戦っていたら、私は負け――危なかったかもしれない」
「……」
絶対に、負けるつもりはないんだ。
なんだかとても有希らしくて、それが無性に可愛く思えて。心の底からホッとした。
こんな空気が、私は好きだ。蓮君のおかげで、やっぱり有希は変わった。
「でも、私も……ふわ~あ。あれ、なんか急に眠くなってきた」
安心したせいなのか、急にとてつもない眠気が襲う。
体から力が抜ける。体重を支えられなくなった足が、がくんと折れて、そのまま私は地面へと倒れそうになった。
「……」
そんな私を、すんでのところで有希が支えた。
「少し眠った方が良い。あの魔法は、まだあなたには負担が大きすぎるから」
「zzz」
「もう、遅い、か」
その後、どうなったかは私は知らない。目が覚めると、そこは保健室のベッドの上。傍に有希の姿はなかった。
でも、確かに覚えている。
眠る私を包んでいた、優しくて、気持ちのいい有希の匂いは――
「ありがとう……れ、玲」
「あなたは氷の女王。私にはまだ、答えを導けないけど。あなたが前を向くことを望むなら、私は従うしかない」
「……おやすみ」
――さあ、戦いを始めよう。この一年、紡いできた糸を結ぶために。
「さて、俺の仕事はこんなもんかな」
「それにしても、あれだけ激しく動いて一度もスカートの中が見えないとは……なぜだ?」