第二百八話 一人の少年の死~未満から、以上へ~
遠くの方で、チャイムの音が聞こえた。おそらく6時間目の終わるチャイムだろう。
今日はどんな授業があったのかなんて。考える気にもならなかった。
程よく暖房が効いた部屋で、俺は天井に向かってため息をつく。
ふと、また布団の中でもぞもぞと左手の感触を確かめてみた。
思い通り、滑らかに指は動く。昨日綺麗にぶった切られたとは思えない回復だ。きっとまた、有希にお世話になったのだろう。
もう痛みもないし、血も一切出ていない。まさに完璧な治療である。
しかし、一つだけ気になることがあった。
(この感触は……)
肩から指先までを、ゆっくり右手でなぞっていく。
それから指先に辿り着いて、再び肘まで登りかけた時だ。保健室の扉が小さく叩かれたかと思えば、こちらの返事も聞かずに開かれた。
「やあ、一之瀬さん。具合はどうですか?」
颯爽と現れたのは、いつも通りの笑顔をこさえた工藤だった。
「どうもなにも。言わなくてもわかりきってることだろ?」
「まあ、仰る通りなんですけどね。そこは形式上として流していただけるとありがたいのですが」
珍しく工藤は、肩透かしを喰らったように苦笑いを浮かべる。
「どうやら大丈夫なようですね」
「まあ、な」
そう答えながら俺は半身だけ起き上がる。一日中横になっていたせいか、ちょっとだけ頭がボーっとする。
一息つきたいところだが、そうもしてられないか。俺はあえて、先に切り出すことにした。
「ここに来たってことは、なにか話すことがあるんだろ?」
「そうですねえ。一応お見舞いのために来たんですが」
「なーにもったいぶってるんだ。もう何回こんな風にお前と話してると思ってるんだよ」
「やはり、バレてますか」
「ああ。バレバレだ」
そうして俺と工藤は、少しの間だけ笑いあった。普段とは違うおかしな空気が流れていた。
これから多くのことを、工藤から聞くだろう。俺はそれを随分と前からわかっていたし、望んでいたことだ。
昨日の一件に、触れないわけにはいかない。あの血で染まった、バレンタインを。
「じゃあ頼む」との俺の声を受けて、工藤は静かに語り始めた。
「あなたに言わなければならないことがたくさんあります。謝らないといけないこともあるでしょう。どれから聞きたいですか?」
「うーんと、そうだな。やっぱりまずは篠宮さんについて聞きたいな」
「まあ妥当な判断ですね。わかりました」
工藤は短くフウと息を吐くと、今度は真剣な眼差しを向けてきた。
「篠宮 優奈について、私と伊集院さんは随分と前からその存在を疑っていました。それに関わってくるのが第四のターゲット、「エフィー」との戦いなのですが」
「その前に確認です。一之瀬さんはもう気付いているんですよね? ターゲットは魔族ではない。竜王、シリウスによってつくられたものであることを」
「それは……」
心底意外だった。まさか工藤からそれを話すだなんて。いやそもそも、なぜ工藤がそれを知っているのか。
いきなりわからないことだらけだが、とにかく今は頷くほかなかった。
「竜王がつくりだしたターゲットの中でも、彼女はあきらかに他とは違いました。明確に自分の意志を持ち、並外れた力を持っていた。そして決定的に違うのは、自分がターゲットということに抗っていたことです」
工藤のその言葉に、俺の中でなにかの線が繋がりそうになった。
健も玲もあの時言っていた。あれは本当にターゲットなのかと。初めての疑惑だった。
結局工藤が、それを強引に刈り取ったのだけど。
「これはあきらかに異常事態でした。空間制御なんて代物、たとえ竜王がつくりだしたものといえど、できるものではありません。魔力がありすぎていたのです」
「抗う意思に過剰な魔力。そこから私と伊集院さんが見出した可能性はたった一つでした。それが」
「それが……?」
工藤は一呼吸置いてから、ゆっくりとその口を開いた。
「波長完全同化という名の、イレギュラーです」
「魔力を持つ者は、それぞれ特有の波長を持っているんです。一之瀬さんなら一之瀬さんの。伊集院さんなら伊集院さんの。これは遺伝子と同じで、一人一人絶対形が違います。同じものは一つとてありません」
「逆に魔力のない者、一般の人間達にはこの波長は存在しません。しかし、ごく稀に。この波長に共鳴して吸収し、同化してしまう特異な人間が存在するのです」
「まさか、その人間って」
工藤は頷いた。
「はい。エフィーの時なら師道 涼香。今回のターゲットなら、篠宮 優奈です」
「私自身不思議でなりません。特異な人間が、この狭い空間に二人も居るなんて。これは偶然でしょうか」
問いかけるようにこちらを見る工藤。俺はなにも言わずただ口をつぐむ。
俺はたった今、波長のことを知ったのだ。ずっと探り続けていた工藤にわからず、俺がわかるはずがない。
ただ、一つ重大なことには気づいたけれど。
「話が逸れましたね。これはまた別問題です。今大事なのは、現状に至るまでの――」
「ちょっと待て、工藤」
話を戻そうとした工藤を、俺は遮った。
一瞬不思議そうな顔をした工藤だったが、なにかを察して、黙ってこちらを見続けている。
「ここから先を話してもらう前に、聞かなきゃいけないことがある」
「なんでしょうか?」
淡々とした工藤の返しに、俺の口からスルリとその言葉は滑り出した。
「もしその波長完全同化とやらが本当なら。その……、俺はもう、既に一人の人間を殺してるってことだよな?」
「それは」
「なにも気にせず答えてほしい。俺はただ知りたいだけなんだ」
もしかして気を遣ってくれていたのだろうか。工藤は一旦は口を渋ったが、すぐに俺の質問に真正面から答えてくれた。
「その通りです。あなたは、いえ我々は、既に一人の人間の命を奪っています」
「やはり、そうか」
「ですがこれは言い訳でも何でもありません。後で話そうと思いましたがまあいいでしょう」
工藤は区切りをつけるように咳払いをしてから、話を再開する。
「同化してしまった人間から、ターゲットを引き剥がす術はないんです。なぜなら同化した時点で、同化した存在はされた存在そのものになるんです。いわば人間が消え、ターゲットになったんです」
「人間と同化すると、魔力は爆発的に増加します。覚醒と言ってもいいですね。エフィーが空間制御なんてものを使えたのもそのおかげです。だからこそ、これほどの脅威を放っておくことはできません」
「……申し訳ないとは思っています。ですが、こうなった以上また残酷な選択を、あなたに迫らなければいけません。今回のターゲットを討伐するには、やはり」
そこで俺は無言で左手を突出し、それ以上を工藤に言わせなかった。
「今回のターゲットを倒すには、俺達が篠宮さんを殺さなければいけない。そうだな?」
「はい」
「……そうか」
急に頭がクラリときて、俺は慌てて手を押さえる。
これが夢なら、いや、例え現実でも助けられる術があったなら。もう数えきれない程同じことを思ったはずなのに。いざ事実を突きつけられると、どうしようもない苦しみで体が一杯になった。
篠宮さんを助けられない。それどころか、俺達が殺さなければいけない。
あの笑顔を、あの小柄な体をこの手で赤く染めなければいけないのだ。でなければ、多くの犠牲を生んでしまう。
工藤なら即答するだろうか。そんなもの天秤にかけるまでもないと。
「一之瀬さん。実は既にあなたには充分助けてもらっているんです」
「へ?」
唐突にうってかわった話を振られ、思わず俺は変な声をあげてしまう。
「気付いてないと思いますけどね。最初に協力してもらったのは、あなた方が学園祭の買い出しとして街に出かけた時です」
「学園祭? そんな前から……って、あっ」
脳裏によぎる、玲と健がトラックに轢かれそうになったあの場面。
そうだ。あの時突然街全体に結界が張られたのだ。
そのおかげで二人が事故に遭うこともなかったわけだが。
「思い出しましたか? 実はあれは、篠宮 優奈に対する仕掛けだったのですよ。まああの時は見事に騙されましたけどね」
「ま、待て。じゃああの時点で篠宮さんがターゲットだとわかってたのか!?」
興奮した俺を冷ますように、工藤は静かに首を横に振った。
「まだ確信はありませんでした。あくまでその疑いがあったのです。その理由は、これを見てもらった方が早いですかね」
そう言うと工藤は、ポケットから綺麗に折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
覗き込むと、上の名前欄には師道 涼香。その下には出席簿のように生徒の名前が複数書かれていて、横になにやら数字が書き込まれていた。
「これって」
「はい。これは情報部が分析した師道 涼香の行動パターン、その中でも特定人物との接触回数です。ターゲットの正体を探っていた時に、容疑者として彼女が上がったのですが、そこに気になることがありまして」
「横の数字が、日付ごとにその人物と会った回数です。この中に一つおかしなところがありませんか?」
言われて俺は、まじまじとその紙を上から下へなぞっていく。
やはり彼女が一年生だったこともあって、そこに並んでいるのは同学年ばかりだ。それも同じクラスの生徒ばかり。回数もそこまで不自然なものはない。
「あれ、これは」
どうやらクラス別に分けられていたようで、クラスが変わると、回数もぐっと減っている。しかしその中に一人だけ、クラスメイト並みに回数の多い生徒が居た。
その生徒の名前は
「篠宮 優奈……」
「私も予想外でした。そこで彼女の名前が出てくるとは」
「じゃあもしかして、この時から篠宮さんは」
「既にターゲットと同化していた。今ならそう言えますね。ですが回数でいえば、親しい友人ならそう不自然なものではない。決定打にはなりませんでした。だからこそこちらから仕掛けたのですが」
「それがあの結界か。俺が知らない間に、お前らは裏で動きまくってたんだな」
あの文化祭の買い出し。玲、そして健との仲も一層深まったところでのイベントだったせいか、かなり浮き足立っていた。
楽しかったんだ。やっと手に入れたみんなとの時間が、嬉しくて仕方なかった。
だけどその時もう、彼女はターゲットと同化していた。
じゃあ一緒に居たあの篠宮さんは篠宮さんではなかったのか? 今一度思い返しても、なにか腑に落ちないものを感じた。
(そうだ。もしそれが事実なら、なぜ今になってようやく姿を現したんだ?)
せっかく騙せていたのだ。手を出すなら気付かれる前にやるべきだろ。なのに、彼女は
「どうして今の今まで、なにもしてこなかったのか。ですか」
「なっ……」
いきなり心を読まれて、俺はつい体をビクつかせてしまう。
それを見て工藤は、不思議そうに首をかしげた。
「エスパーかよ、お前」
「エスパーですか。そうだと便利かもしれませんね。だけど違いますよ。気付いてなかったのですか? 声に、出てましたよ」
言いながら工藤は口元を指差す。
慌てて口に手をあてるが、もちろん今さらそんなことをしても意味がない。
「マジで?」
「マジです。まあその疑問が出るのは当然ですし、私もぜひとも知りたいことですから」
「ということは、お前でもわからないのか」
「不甲斐ないですが、その通りです。ターゲットがようやく姿を現したのが、まさに昨日のことですから。ああ、それで、なのですが」
なぜか急にかしこまった工藤は、一歩、その場から後ろにさがった。
またなにか、よからぬ事をしてくるのかと少し身構えたが、次に工藤が口にしたのはほかでもない
「先にもう一つ謝らなければいけません。今回は申し訳ありませんでした」
ただの謝罪だった。
「な、なんでまたお前が謝るんだ。別にお前はなにも悪いこと」
「マーカーを、つけていたんです。もちろんあなたに黙って」
「マーカー?」
聞き覚えのない言葉に俺は首をかしげるが、それは承知の上とばかりに工藤は話を続ける。
「まあ言うなれば、盗聴器みたいなものです。それを使って、我々は一之瀬さんと接している篠宮 優奈、言うなればあなたを通しての彼女を観察していたんです。ここ数日ずっと。憶えていませんか? 伊集院さんに、体のどこか妙な部分を直接触られたはずです」
工藤に言われて、俺は記憶を遡りはじめる。
有希に触られた妙な部分。有希がやたら触ってくるようになったのは前回のターゲット討伐以降だ。パッと思いつくのは「手」だけど。そういえば抱きつかれたこともあった。
いや、でもそれは服の上からだから直接ではないのか。
だとすると……
「あっ」
ふと、頭の中にある日の朝の出来事が浮かんだ。
そうだ。あれはいつだったか。有希が突然雪玉を俺の背中に入れた時があった。
「まさか、あの時背中に……」
「思い出したようですね」
「でもなんだ。その俺を通しての篠宮さんって」
俺がそう言うと、工藤は若干言い辛そうにしながらも答えた。
「なんと言いましょうか。彼女はあなたに対し、特別な想いを持っているように見えましたから」
「特、別……」
自らそれを呟くと、思わず俺は工藤から目を逸らしてしまった。
「なかなか良い結果を出せなかった我々は考えました。もし彼女が正体を晒すとしたら、あなたの前しかないだろうと。今思えば、あまりにも軽率な行動でした。いわばあなたを餌にしていたんですから。許してほしいとは、間違っても言えませんね」
そしてまた、お辞儀をしようとした工藤を俺は引き留める。
お前はなにに対して謝っているんだ。これまでの行動にか。それともずっと黙っていたことにか。
「頭を下げるなよ。確かに餌にされて良い気持ちにはならないが、それは必要だったことなんだろ。それに」
一瞬迷いが言葉に絡みつこうとしたが、止まらない。
気付いた時には、自分の本音を目の前の工藤にぶつけていた。
「俺、お前らみたいにできた奴じゃないからさ。これからのことで精一杯なんだよ。これまでのことに目を向ける余裕なんてない」
「……」
「今までの経緯について、教えてくれてありがとう。おかげで色々わかった」
さすがに予想外だったのか、工藤は少し気まずそうに頬を掻いた。
謝罪を求められたり、怒られたりする覚悟でここに来たのだろうが、俺がしたのは感謝だったから。
そんな工藤に、俺は一つの質問をする。
「工藤、もしも篠宮さんを放置し続けたら、どうなる?」
「……憶測に過ぎませんが、おそらく甚大な被害を被るでしょうね。人間では太刀打ちできない。それに、彼女を倒さなければあなたの記憶も」
そう言われて、俺はようやく気が付いた。
そうか。彼女を、ターゲットを倒さなければ俺の過去を刻んだ「ソラノカケラ」は手に入らない。不思議なことに、一切そのことを忘れていた。
正直な感想を言おう。不謹慎極まりないが、今の俺には本当にどうでもいいことだった。微塵も気にすることはなかった。
まさかここに居る意味さえ忘れてしまうほど、考え込んでいたとは。
特別な想い。それがなにを意味するのかなんて、わからないとは言えない。人への想い方を知らない俺でも、想われることはわかる。わからなければ、篠宮さんを全て否定することと同じだ。
そんな彼女に、刃を向けなければいけない。その現実に打ちひしがられ、俺は逃げてきた。無理だと思い続けていた。だけど
「……リファイメント」
有希によって復活したその左手に、俺は剣を収めた。そして間髪入れずに工藤の首元へと向けた。
工藤は瞬きを何度かして驚いて見せたが、それだけだった。声も上げなければ退くこともない。
「やっぱり、こんなんじゃ脅しにもならないか」
「いえ、まあ。もし本気で私を斬ったとしても、なにもおかしなことはありませんから」
工藤のその返しに、いささか俺は違和感を覚えた。
なんだこの物言い。度胸とかそんな問題ではなく、死への恐怖、生きることへの執着がなさすぎるような……。いや、今はそれどころじゃないか。
「別に、お前の命を奪いたいわけじゃない。ただ、一つ決めたことがあるんだけど。そのためにはこの質問に対するお前の答えが必要なんだ。冗談抜きで本気の答えを」
「本気の答え、ですか。私は逆らえる立場にいません。答えられることなら、もちろんなんでも答えますよ」
「そうかよ。じゃあ……」
俺は大きく息を吸い込んだ。目を瞑り、溜めこんだ空気をゆっくり吐き出すと体中の力が抜けていく。
この質問の答えによって、俺はあるものを失う。聞く勇気はあっても、やはり落ち着いてはいられなかった。
だけどもう決心したんだ。彼女が俺に特別な想いを持っていたと聞いて、さらにその意志は強くなった。
改めて気合を入れなおした俺は、工藤を真っ直ぐ見つめる。そしてついにその質問を投げかけた。
「俺は、人間か? それとも、竜か?」
工藤は口を半開きにして、この日一番の驚きを見せた。
それからカチカチと、時計の針の進む音が浮かび上がってくる中で、軽く唇を噛む。なにかを悟り、思いにふけっているように見えた。
「あなたは」
そして、工藤は答える。
「あなたは、竜。父親に竜王をもつ、正真正銘のブラックドラゴンです」
「人間では、ありません」
欲しかった答えが、返ってきた。
もはや睨むように見つめても、工藤は表情を変えない。それが変えようがない事実であると、知らせてくれていた。
「……そうか。やっぱり、そうだよな」
力が抜けたようにダラリと腕を下ろすと、はずみで剣が手から滑り落ちた。
床に叩きつけられた剣が、騒々しく音を立てる。
なにかが壊れる音。俺はふと、そんなことを思ってしまった。
「一之瀬さん。あなたは」
「俺は戦うぞ、工藤。ターゲットと、いいや篠宮さんと。そのためなら俺は、一之瀬 蓮を殺す。彼女に刃を向けられない俺なんて、要らないんだ」
「たとえ最悪の結果になっても、どうして篠宮さんとターゲットが同化したとか、篠宮さんの意志とか。色々全部、なにがなんでも知りたいんだよ、俺は」
だって全部、俺から始まったことだから、と。言いかけたところで、俺はその言葉だけは呑み込んだ。
「そのためには、人間じゃ駄目なんだ。大切な人と、友達と戦うことなんてできない。だけど竜は違う。俺達竜族は、この世界で人間を守るために居るんだろ?」
「その通り、ですね」
「だったら俺は、竜として、ブラックドラゴンとして生きることを選ぶ。彼女と、もう一度会うために。だから」
心のどこかで思っていた。自分は人間でありたいと。
魔力もろくにコントロールできないし、そのくせ見た目は人間そのもの。黙って過ごしていれば、人間として生きていても誰も怪しまない。
人間で居れば、命がけの戦いなんてしなくていいし、平和な学園生活も送れる。
人間以上、竜未満。玲が俺に言ったことだ。人間でもなければ竜でもない。そんな中途半端な存在。逆に言えば、どちらにもなれる存在。
それならと、今までの俺は密かにこう思っていた。
どうせなら、人間でありたいと。そしてみんなと、楽しく過ごしていたいと。
けれど、やっと気付いた。人間で居れば、たとえ平和でも、大切な仲間と一緒には居られないことを。
それなら、俺が選ぶ選択肢は一つだ。
「一之瀬 蓮とは、ここでおさらばだ」
これが、俺の答え。はっきりと、胸を張って宣言する。
俺は竜。竜王の息子である、紛れもないブラックドラゴンだ。
「……やっとここまで」
「えっ?」
「い、いえ。しかしその名前まで捨てる必要はないんじゃないですか? せっかくお母様からもらったものでしょう?」
「そ、それはそうだけど」
「いいじゃないですか。人間の一之瀬 蓮が死んでも、あなたは竜族の一之瀬 蓮です」
やけに明るく笑った工藤は、床に落ちている剣を拾って俺に差し出す。
それを受け取る最中、胸の奥のくすぐったさを隠すのが難しかった。
嬉しかった。一之瀬 蓮で居ていいと言われたことが。
そしてとうとう、工藤の居る場所に辿り着いた気がしたことが。
「そっか。そうだよな。ははっ、なんか恥ずかしいな。でもまあ、竜になったからって魔力が上がるわけじゃないけど。よろしく頼む。これからも色々助けてくれ」
「もちろんです。それこそが、私の使命ですから」
「使命って。大袈裟だなぁ」
「大袈裟、ですか。まあそうかもしれませんね」
そう言って工藤は左手を目の前に差し出してくる。
握手か。工藤にしては、わかりやすい行動だと思った。
「ん、と」
すぐさま同じように左手を出そうとしたところで、俺は慌てて右手に切り替える。
それを見た工藤が、不思議そうに尋ねてくる。
「どうしたんですか。出しやすい方を選んだつもりですが」
「いや、やっぱりこういうのは利き手でやりたくてな」
「なるほど」、と小さく呟きながら工藤が右手に変えてくれる。
そして今度こそしっかりと、俺達は握手をした。
「どんな結果になるかはわからないけど、頑張ろう。俺達を引っ張ってくれ」
「なにを言っているんです。引っ張るのはあなた、そして伊集院さんですよ。二人が進む道なら、きっと……」
「ん?」
そこまで言って、急に押し黙る工藤。
それから空いている手で口元をおさえながら、ぼそりと呟いた。
「そうか、それならば。どうして私はこのことを忘れていたのか」
「ど、どうしたんだ工藤」
困惑する俺に、言い放った工藤の言葉はこれからを左右する、とても重大なことだった。
「一つだけ。たった一つだけ、篠宮 優奈を助ける方法があります」