第二百二話 等価交換のデジャヴ~始まりに収束する兄妹~
※今回も少々長めになりました、スミマセンm(_ _)m
<1月15日>
ピンポーン
「はーい、今いきまーす」
ガチャリ
「おはよう、伊集院さん」
「・・・・・・」
「ああゴメン間違えた。おはよう、有希」
「・・・おはよう兄さん」
この呼び方になって数日、いまだ俺は慣れていない。
しかし伊集院さんと呼んでしまうと全く反応してくれなくなったため、否応なくこの呼び方をしなければいけなくなった。
「おー、今朝は積もったな~」
昨日の晩から降り続けた雪はいつもの通学路を純白に染め上げ、歩く度にきゅっきゅっと心地よい感触が足裏に響いた。
今でこそ落ち着いているが、初めて降り積もった雪を見たときは完全に幼い子供のようにはしゃぎまくったことはもう忘れよう。
あー、でも雪合戦楽しかったな。ダメだ、思い出すだけで身体がうずうずしてくる。
「有希は冬が好きなんだっけ?」
「うん、好き」
他愛もない俺の問いかけに有希は嬉しそうにこくりと頷く。
今までの俺達なら実に不自然な絵だが、何度も何度も繰り返すうちに不自然は自然へと雪と同じように溶けていった。
もはや有希との登校は日課になった。毎朝丁度同じ時間にドアのチャイムが鳴り、その先には決まって白いマフラーをした有希が立っていた。
始めこそそういえば有希はどこに住んでいるんだろう、もしかしてわざわざ遠いところから来ているんじゃないか、などと勘繰った。夏の合宿の時は彼女の別荘に泊まったし、おそらく立派な家に住んでいるんだろうけど・・・。
だがこちらから頼んだわけでもなく、有希自身の意志でここまで来てくれているのだから。俺はそれに素直に感謝し無用な詮索は控えることにした。
「そっか。俺も冬は嫌いじゃないけど、寒いのはあんまり得意じゃないな。手先が冷えて冷えて」
「私の手、温かい。・・・繋ぐ?」
「え、っと・・・いや、手袋があるから大丈夫」
「そう・・・」
なんで露骨にそんな残念そうな顔をするんだ?
あの有希との一件以来、さすがに翌日のような腕組みはなんとか勘弁してくれるようになったけど、それでもなにかにつけて俺に触ってくるようになっていた。
それぞれの教室へ別れるとき、人目をはばからず突然抱きついてきたのは苦いって程度の思い出じゃない。
簡単な話恥ずかしいのである。照れくさいのである。緊張するのである!
「あ、あーしまった。手袋家に忘れてきたみたいだ」
「!!」
なんてわかりやすい反応なんだ。
「・・・?」
「ああ、ちょっと手貸してくれるか?」
「・・・・・・」コクコク
曖昧に行き処を求めてふらふらと揺れるその白い手を、俺はそっと握る。
なるほど。見た目に似合わず(?)有希の手はほんのりと温かく、それでいてすべすべとした女の子らしい手の感触から物理的ではない温かさが全身へと入り込んでくるようだった。
(ま、いいか・・・)
視線を前へと戻しながら空いている手で既にポケットから半分顔を覗かしていた手袋を、気付かれないように俺はまた奥底へと押し込んだ。
(しかし・・・。兄妹というものははたしてこういうものなのだろうか)
はっきり言おう。俺は兄妹というものがわからない。
それ単体の意味で言えば血筋の繋がった子供、同じ親から生まれた子供・・・になるのだろうけど。
ついこの間まで同じ学校に通い同じ部活に所属するいわば仲間だったのに、いきなり兄妹でした~と言われてもなにもそれらしい実感はわかない。
ただ、大切にしたい。守りたいというより強い感情が芽生えたのは間違いないのだが。
「なにを考えているの?」
「え?いや、なんでもないさ」
まっすぐ俺の眼をとらえてくる有希に、すこしすくんでしまう。
どうやらこの至近距離では、なにを考えているのか、それこそこの繋がっている手と手を伝っているかのようにお見通しのようだ。
まあこんなこと考えてるなんて恥ずかしくてとても言えないけど。
でもなにか違うような、変なズレを感じずにはいられなかった。
これは・・・あれだ。どっちかっていうと「恋人」ってやつじゃないか?
「なあ有希」
「なに?兄さん」
なんとも言い得ないこの照れくささというかむずかゆさを紛らわすために、俺はなぜか突拍子もないことを有希に聞いてみたくなった。
「有希が母さんのことを大好きだったことは知ってるけど、親父のことはどう思っているんだ?」
「・・・え?」
どうやら有希もこんな質問が飛んでくるとはついにも思わなかったらしい。
少し困った表情を浮かべてから、考え込むようにして俯いた。
はて、俺は一体なんのためにこんなことを聞いているんだ?
「・・・少し前までは、大嫌いだった。あなたに対する決めつけと同じように、父が母を殺したのだと思い続けていた。ずっと、ずっと・・・」
「そうか・・・。でも少し前ってことは、今は違うのか?」
俺の問いかけに、戸惑いながらもゆっくりと頷く。
「うん、今はもっと色んなことを知らないといけないと思った。特に父と母のことは、子供である私はなんでもわかっているつもりだった」
「それが今回の一番の原因。物事には必ず真の意味がある。父がしたこと、母がしたこと、そしてあなたがいること。その全てに。それを考えられなかったのが私の欠点」
「だから・・・、今の私は父が嫌い。かな」
(好きにはならないんだな・・・)
そう言って有希は大きく白い吐息を吐きだした。
もしもこれを親父が聞いたら一体どんな反応をするのだろう。自分の娘からの評価が大嫌いから嫌いへと変化したことに。
ああ、なぜか満足気な笑顔を浮かべている親父しか頭に浮かばない。
なんとなくムカついて有希と同じく吐息で空気を白く染め上げる。
「なあ有希、何度も何度も悪いんだけど。もう一つだけ聞いていいかな?」
「別にいいけど・・・?」
気付いた時にはもう口走っていた。本来ならこんなこと朝の登校中に聞く話ではない。ただ、俺の中で知りたいという欲求が理性よりも先をいってしまった。
俺はまた、自分の妹を困らせるような気がする。
「有希は親父を、言うなれば憎んでいたんだろ?それでふと思ったんだ。確か同じように、親父、竜王に敵対する集団があったはず」
「「虎族」、のこと?」
「ああそれだ。そこでなんだが、どうして有希は虎族には入らず自分一人だけで行動していたんだ?」
前々から疑問に思っていた。どうして有希はずっと一人で、それも憎んでいたはずの俺と一緒に行動していたのか。
もしもその虎族とやらの一員で、スパイだったというのなら簡単に話はつくのだが。
実際健がそのパターンだった。だけど、有希は違う。
有希は、ずっとたった一人で抗い続けていた。誰とも協力せずに。わざわざ同じような志を持っていた集団があったにも関わらず、なぜ単独行動をとったのだろう。
まあ、彼女自身が強すぎるため他人の力など要らないといえばそれで終わりだが。
「・・・・・・」
しまった。俺はその表情を見た時真っ先にそう思った。
俺の質問を聞いた有希は、それまでの温かみのある目を凍らせるように冷やして無言を貫いてしまった。
淡々と、歩くという動作だけを繰り返すその様が、以前までの有希・・・伊集院さんの姿と色濃く重なる。
そんな妹に対して、ダメ兄貴は詫びを入れることも声をかけることもできず、ただふわふわと揺れながら雪景色に溶け込む銀色の髪を見つめていることしかできない。
繋いでいるはずの手が、やけに寒いな。
「・・・そう、兄さんは虎族がどんな集団か知らない」
「え?」
足音だけが響くピリピリとした沈黙の中、再び有希が言葉を繋いでくれたのはそれから何分経ってからだろうか。
「確かに、虎族は竜王に抗う集団。その主な内訳はかつて起こった悲劇、「フェンリルの落日」により奪われた命に対する思い。そして奪った相手への憎しみと怒り」
「それだけを見れば、大義名分上私と目的が一致するかもしれない。だけど、それは本当にそれだけだったらの話」
「どういうことだ?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」プルプル
「・・・?」
なぜかそこから突入した二度目の沈黙の後、有希はなにかを振り切るように目をつむりながら首を横に振った。
「ごめんなさい、兄さん。これ以上は話せない」
「話せない?なんでだ?」
「・・・いずれ兄さんは、おそらく虎族と関わることになる。虎族のことを知るのはその時で充分。だから」
「今の兄さんには、虎族に関わってほしくない」
その俺の目のど真ん中を見つめながらの有希の言葉は、妙に芯を貫くような重みがあり鼓動が一つ大きく跳ね上がったのを感じた。
ただの一言、だがそこには無理矢理に圧縮された数多の意味が込められている。
知ってほしくないという切実な思い。それは逆にそれほどまでに知るリスクがあることを告げていた。しかも、それがあのホワイトドラゴンからの言葉であればなおのこと。
一瞬背中に雪でも入れられたんじゃないかと思うほどに、悪寒が走った・・・
「って冷てえ!?」
思わずのけ反り慌てて有希から距離を取って背中に手を突っ込むと、そこからは丁度ゴルフボール大の雪の塊が出てきた。
「・・・・・・」クスクス
「え、な、なに今の。どうなった??」
いかん、超展開すぎてまったくもって思考が追い付いてこない。
「あんまり難しい顔をしてたから、ちょっと刺激を与えてみた」
「し、刺激って・・・」
これちょっと間違ったらショック死とか悲惨なことになるレベルじゃないのか?絶対嫌だ。悪戯で雪玉入れられて人生終わるなんて。
そもそも今の会話の中でどこにこんな雪玉を作るタイミングがあったのか。
我が妹ながら、恐ろしすぎる。
「そんな見事驚いてしまった兄さんに、質問があります」
「どんな繋げ方だよ。まあいいや、なんだ?」
「兄さんこそ、父さんのことどう思ってるの?」
いつのまにか真面目な眼差しに戻っていた有希に、また少しドキリとする。それにしても一体どんな気持ちでその質問を投げかけたのだろう。むしろどんな答えを期待していたのだろうか。
「親父、か・・・」
少し考えるような素振りをみせてみるが、なぜか俺の中にははっきりとした答えが既に出ていた。
「嫌い、だな」
「どうして?」
どうやら予想していた答えとは違ったらしく、有希はせわしなく瞬きをした。
「・・・なんとなく?」
「・・・・・・」
あきらかに不服そうに、ジト目でにらんでくる有希。
十中八九嘘だとばれている。だがここで事実を言ってどうなる。俺にはそれが非常に面倒くさく、そして困る状況に繋がるように思えた。
有希と同じで俺にも親父のやろうとしていることの真の意味はわからない。
だがどんなことであれ、俺のせいでみんなに迷惑をかけていることは変わらない。
だから俺は、自分の存在が嫌で嫌いになる。
しかしそうなると、今度はみんながその考えを許してはくれない。
俺は慣れていないのだ。誰かに責任を預けることに。
今までの俺は、全ての罪を受け入れているつもりの自称自己犠牲野郎だったから。
それが、みんなにとって最大の罪だということに気付いたのは恥ずかしいことについ最近のことだ。
「大丈夫だ。有希が考えてるよりも、事実は全く深刻じゃないよ」
「そう、なの?」
「ああ。お前に嘘はつかないよ。よっぽどのことはないかぎり」
「・・・絶対ではないんだ」
「ぷっ」
なにか切実かつ正統なツッコミがやけにおもしろく感じて吹き出してしまった。最初こそ笑い出した俺をポカーンと見ていた有希だが、すぐにつられて笑い出す。
もう辺りにはちらほらと同じように登校途中の生徒が居る中、俺達は人目もはばからず声を上げて笑った。周りの目にはどんなアホな兄妹に見えているだろう。
いやいやそもそも兄妹であることさえ誰も知らない。そこにあるのはただ、恋人のように手を繋ぎながら笑いあう、そんな雪景色に映る男女の一枚。
なぜだかは知らないが、俺達が兄妹であることは伏せるようにと工藤にかなりしつこく言われていた。確かにいきなり兄妹だとわかれば、ちょっとしたニュースにはなるかもしれないが・・・
「二人そろって父親が嫌いとは、ひどい兄妹だな」
「・・・うん。でも、それが私達」
自虐な言葉にも関わらず、どこか胸の奥からじんわりと暖かさを感じる。
今はそう、色んなことにツッコミを入れるのは一休みしてじっくりとこの空気に浸りたい、そう思った。
俺も、冬は嫌いじゃないよ。
「おーい蓮!伊集院さ~ん!」
「お?」
校門まで辿り着くと、丁度同じタイミングで反対側の道から健が手を振りながらやってきた。
隣にはさすがに照れくさいのか、少し頬を赤らめた玲もいる。
大声を上げながら手を振るとか小学生か、というツッコミは今はしない。
もはやこの状況に慣れてしまったのか、玲もそれを止めようとする素振りは全く見せなかった。
「おっす。今日も仲良いねえお二人さん」
「おはよう。最初の一言がそれかよ」
「おはよー蓮君、そして有希!」
「お、おはよう・・・」
玲のハキハキとした雰囲気に押され縮こまる有希。
これも後から知ったことだが、有希はこれまであまり「挨拶」というものをしたことがなかったらしい。
言われてみれば今までの有希は無口というか、クールな受け答えだった。
「ごめんなさい。急いでるの」
あの登校初日の有希の姿も、今となっては懐かしい。
それと比べれば、ぎこちなくたどたどしくもこうして普通の挨拶をしている有希は、自分なりに頑張って新しい一歩を踏み出しているといえよう。
きっと、これから少しずつ新しい世界に溶け込んでいくことだろう。
「にしても朝から手を繋ぎながら登校とは、なかなか蓮も大胆ですなあ」
「うるせえ。そういうお前も、玲と手繋いで登校すりゃいいじゃねえか」
「アホかお前。そんなこと出来てたら俺はもうとっくに玲と結婚までいってるよ」
「なにいばってんだ。しかし、そうか。それはスマン」
「謝るなよ頼むから笑ってくれよ!悲しくなるだろ!?」
校庭へと足を踏み入れると、辺り一面に雪が降り積もっていたが丁度校舎までの道は見事に除雪されていた。
さすが金持ち学校。普段の手入れからも納得がいく。
「なに話してんの?二人とも」
「ああ、実はな。健のやつが玲に」
「エンシェントドライヴ!!」
「ぶふぉあっ!?」
「兄さ・・・じゃなかった。一之瀬!」
健のエンシェン以下略という名のチョップを食らい、頭を押さえる俺に慌ててすり寄ってくる有希。今まで誰かの腕がもげようと胴体切り裂かれようと全く動じなかった少女とは到底思えない。
ちなみに学園では当たり前だが「兄さん」は禁止である。
「あっ、優奈ちゃん。おはよー」
いつのまにかこの小劇場から抜け出していた玲の視線を辿ると、そこにはたった今校門をくぐり抜けてきた篠宮さんの姿があった。
「あ、おはよう。今日も寒いね」
「そうだよね~、もうまいっちゃうよね」
待ってましたとばかりに駆け寄る玲。
その表情は本当に楽しそうな満面の笑顔だ。それに応えるように篠宮さんもまたにこにこと嬉しそうな笑みを浮かべながら、小さな小さな白い息を吐いている。
「相変わらず仲良いよな。あの二人」
「まあな。あそこまでいくともう妬ける気もしないぜ」
「お?言うねえ。なんかカッコいいぞ」
「まあ、な」
そして玲と談笑しながら、篠宮さんもゆっくりと俺達の元へと合流する。
「おはよう、篠宮さん」
「おはよう一之瀬君、相川君、伊集院さん」
「おっす、今日もギリギリだな」
「・・・・・・」
「ん?どうした有希」
なぜかうんともすんとも言わない有希。だが間違いなく今言った名前の中に有希は居たし、それでなくとも篠宮さんが仲間外れになんてするはずがない。
だけどそれでも有希は無言のまま全く動かなかった。
「おい有希」
「・・・それ、どうしたの?」
「え?」
いきなり喋ったかと思えば、挨拶の返しではなく篠宮さんを、正確に言えば篠宮さんの左手を指差しながら質問をしだした。
「ああ、これ。ちょっとお料理中にケガしちゃって・・・」
苦笑いを浮かべて左手をさする篠宮さん。よく見ると、中指の指先だけ茶色の絆創膏が巻かれていた。
「そう・・・」
それにしても、なぜ篠宮さんは手袋をしていないのだろう。
健ならともかく、俺でさえ手袋なしでは少々心もとないのに。その冬の冷たさにさらされた小動物の様な小さな手はじつに寒々しかった。
「そういえば、最近一之瀬君って伊集院さんのこと下の名前で呼んでるよね?」
「えっ!?」
いきなりの非常に説明に困る質問に思いっきりたじろいてしまった。
「それにしても優奈ちゃんでも料理の失敗ってするんだね。なんかホッとした」
「え?そりゃするよ。むしろ玲の方がお料理上手でしょ~?」
「まったまた~」
な、ナイス玲。そして女子トーク!
偶然なのか必然なのかわからないが、なんにせよ助かった。
「おーい、そろそろいかねえと遅刻するぞ」
「ああそうね。ここまで来て遅刻なんてシャレにならないからね」
(あれ・・・?)
不意に、この光景に見覚えがあったことに気が付いた。
もう随分と昔のような気がする。そうだ、俺がこの学園に初めて足を踏み入れた時と同じ状況だ。
あの時と違い今工藤は居ないが、その代わりに有希が居る。中身が大きく違えど、結局行きつく先は同じ場所に収束していたのだ。
もしかしたらこれが、いつかの俺が求めていた「日常」なのかもしれない。
「よしいくか」
もしもこれが本当にあの日と同じだとしたら、今日という日は同じようになにかの始まりなのだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、それを知る術は今はない。
だけど俺はそんなことは全力でスルーして、目の前にある自分の居場所に向けて足を踏みだしていた。