第百九十三話 降りしきる雨~屋上に映るのは白と黒~
雨が降っていた。
ギイイ・・・バタン!
なにもかもを洗い流し、そぎ取り、なにもなかったようにしてくれるような強い雨が、延々絶え間なく降り注いでいた。
「やっぱり・・・ここに居たんだな」
「伊集院、さん」
黒々しい雲の下、雨が地面を打ち付ける音が響く中にその銀髪の髪はあった。
いつからここに居たのか、聞くまでもないほどにびしょ濡れになったその髪はそれでもなお煌びやかな輝きを残していて。
屋上のドアを開けた瞬間、一瞬でその存在に気が付けた。
「・・・・・・」
「来た、の・・・」
ずっとこちらに背を向けて屋上からの景色を見続けていた伊集院さんが、俺に気付いてゆっくりと振り返る。
だけどどうしてだろう。今の伊集院さんの一つ一つの動作が俺の目にはひどく悲しく、寂しく映った。
そして同時に膨らんでいく胸騒ぎ。その正体がなんなのか知るまでに、そう時間はかからない。
「伊集院さん、その目・・・。まさか」
それを見たとき、俺の足は一瞬無意識に後ろへ退こうとしていた。
伊集院さんのその雪のように白い顔に浮かぶ、真っ赤に染まった紅色の目にそれほどまでの恐れを俺は抱いていたんだ。
「ごめん。待った・・・よな」
今にも震えて逃げ出しかねない足を必死に抑えながら、俺は言葉を口にする。
だけど動揺は隠しきれなくて、今の状況に全く似あわないとんちんかんなことを喋ってしまう。
もっと言うことはいっぱいあるはずなのに。これが俺の精一杯かよ。
「別に・・・」
だけどそれに対する伊集院さんの答えは、俺をこの場に留まらせるのに充分に足る言葉だった。
「どうせなら・・・、来ない方がよかった」
「え・・・?」
伊集院さんがその言葉を口にした瞬間、俺は瞬きしながら目の前の少女を慌てて見直す。
「来ない方がよかった」、その言葉に傷ついたとか悲しんだとか。そんなちっさなことだからじゃない。
(嘘・・・)
それは、俺が初めて聞いた伊集院さんの嘘。
なぜ今のが嘘だとわかるかだって?それこそ今まで伊集院さんと過ごしてきた時間からの賜物。そしてなによりも
いつでもどんな時でも無表情で真っ直ぐ見つめてきた伊集院さんが、わかりやすすぎるぐらいに俺から目を逸らしていた。
それこそ困り果てた子ウサギのように。
「伊集院さん・・・」
だけど、そんな姿を見た俺が口にしたのは言い訳でも反論でもなく。
「ごめん、だけど感じたんだ。あの手紙といいイチゴオーレの件といい」
「伊集院さんが俺を呼んでいる。なにか大事なことのために俺を待っている、ってさ」
一歩も引くこともなく二回目の謝りと共に逆に目の前から消えてしまいそうな伊集院さんを引き留める、そんな踏み込んだ返事だった。
「なにか・・・あるんだろ?それこそ直接俺にかかわるようなこと」
「そして伊集院さんにも、直接関わる何かが」
「・・・・・・」
無言のまま一度たりとも俺の目を見ようとしない伊集院さん。
そんな少女をかくまうように雨はさらに激しさを増して、どんどんと制服を濡らし絶え間なく滴が顔をつたっていく。
無言のままどれだけ時が進んだだろうか。目元に滴が垂れて徐々に視界が遮られてくる。
だけどそれでも、俺は返事を待つために目の前の少女を見つめ続けた。
それが、今俺にできる最善の選択だと信じているから。
「別に・・・」
「別にあなたには、関係のない・・・」
「関係ないわけないだろ!!いつまでそうやって一人でしまいこんでるんだ!」
「!!」
雨の降りしきる音で満たされる中で、俺は自分でもびっくりするぐらいの大声で叫んでいた。
相手が伊集院さんだろうとこの際関係ない。
もうたくさんなんだ。自分が関わっているのに、一人の少女がその全てを背負っている光景を見ることなんて。
「どうして言ってくれないんだ。もしかして俺を気遣っているのか?それならそんなもん必要ない!」
「・・・・・・」
「俺は知りたいんだ。伊集院さんが背負っているものを。伊集院さんが一人ずっと抱えてきたものをさ」
「・・・・・・」
「だけど・・・。言ってくれなきゃそれも知れないじゃないか・・・」
「・・・・・・」
まるで人形のように、ピクリとも動かない伊集院さん。
俺はもう泣いてしまいたかった。いや、案外この目からはもう涙がこぼれて雨と一緒に流れ落ちているのかも。
その涙は悲しいからじゃない。
目の前の少女を見る辛さと、自分自身への悔しさからだ。
「それともなんだ。俺が弱いからか。今の俺では背負えないことだからなのか?」
「・・・・・・」
「もしもそれが理由だって言うなら、俺は伊集院さんと戦う」
「できるなら戦いたくないけど、それで証明できるのだとしたら戦ってやるさ!」
俺は唇を噛みしめながら拳をぎゅっと強く握る。
手のひらはもう水浸しで、ひんやりとした冷たさが拳全体から徐々に腕へと伝わっていった。
ふむ、どうやら俺は一応まだ冷静さを保てているらしい。
「・・・それこそ、意味のないこと」
「今のあなたでは、私に勝てない」
「!!」
その瞬間、確実に周りの空気が変わった。
それまでの明後日の方向から一転、伊集院さんの不気味に紅色に光る眼がギラッと俺へと向けられて。
なんとか退かずに立っていられてるけど、全身の細胞の一つ一つが一斉に震えだすような迫力と威圧が、そこにはあった。
「そうだな・・・確かに今の俺ではほぼ間違いなく勝てない」
SランクのホワイトドラゴンVS魔力もろくに制御できない高校生
文字だけ見たら間違いなく勝負にならない。むしろ勝負を挑むことが間違い。今まで何度も戦闘を経験してきたけど、その度に伊集院さんという存在の強大な力を見せつけられてきてて。
俺自身、その力に何度も助けられていた気もするな。
・・・ふむ、こうして考えてみればみるほどその実力に差を感じる。おそらくこんなの勝負になるわけがない。こんな出来レースに参加する奴の方がバカげてるぐらいだ。
「でもさ。この世界には一応「奇跡」ってやつがあるらしい」
「だから俺は今、ここでその奇跡ってやつを起こしてみせる!」
「リファイメント!!」
真っ黒な雲が見下ろしてくる中、俺は唯一まともに使える魔法を駆使してその手に漆黒の剣を手に取る。
同じ黒でもなによりも黒い刃。その柄に刻まれている赤い竜の紋様が、いつも以上に不気味に映る。
気のせいか、心なしかいつもと違う感覚も剣から腕に伝っているような気が。
「奇跡・・・。それが私にも起こせたのなら、今こうしてあなたと戦うこともなかった」
「だけどもうどうでもいい。あなたが戦うというのなら、私も戦うだけ」
「・・・私は、負けない」
伊集院さんの声に反応するようにその白い両手に光の剣が現れる。
ふう、なんてプレッシャーだ。剣を持っただけなのに、それだけで伊集院からの威圧はぶっ飛びそうなぐらい強すぎるもので。
一瞬でも後ろへ退けば前は向けられない。戦えない。
どこまでも果てしなく続く熾烈なプレッシャー。正直俺の体もすでにちょっと気を緩めるだけで今にも逃げ出しそうな感じなんだけど。
ごめん、俺バカだから。
今一度歯をくいしばって手で顔に伝っていく滴を払いのけると、俺はその漆黒の剣をさらに強く握りなおした。
・・・どうやらもう戦うしか選択肢はないようだな。
「いくぞ伊集院さん。俺は本気でいく。そっちも本気で来てくれよ?」
「私が本気を出せばあなたは死ぬかもしれない。それでもいいの?」
「ああ。てか俺は死なないよ。死ねないんだ」
「みんなのためにも、自分のためにも。そして・・・伊集院さんのためにも」
「!!」
いつかこうなるとわかっていた。こうなるように未来はできていた。
この二人を濡らし続ける雨は、なにも言わずにそう告げていた。
バシャッ、ピキーンッ!
今、雨が白と黒を混ぜ合わせていく。