第百七十二話 昼休み聖戦~守るべき光、戦いは幕をあける~
長きけじめと始まりの一日 中編
※今回は伊集院 有希視点で進んでいきます
「とうとう、ですか。この約7ヵ月間で彼は大きく変わりましたね・・・」
昼休み、午前の授業を終えた生徒達がそれまで閉じ込められていた教室から風船が弾けるように一斉に一呼吸のため息、友達との会話、お弁当を持っているものは机におもむろに広げ、購買で買う者は我先にとドアを開け、廊下へと流れ出す。
だけど今の私にとって、そのどれもが無意味、無価値。別段誰かと話したいという感情もなく、なにかを食べたいという欲求もなく、今の私にとってそのどれもがどうでもよかった。大げさな言い方をすれば、例えこの世界がどうなろうと、今の私がぐらつくことはない。
私はこの世界に、それほど想いを預けてはいないのだから。
「変わったって・・・、私には関係ない」
だけど特にやりたいことがなかったとしても、一つの欲求ともいえるものはあった。
それがここ、御崎山学園の屋上。本来なら少なからずお昼ご飯を食べに来る人は居るだろうけど、11月の身ぶるいするぐらいの気温と体の芯を突き刺すような冷たい風が吹く今この時期に、ここへ訪れたいと思う物好きもそうそういない。
だとしたら私はそのそうそういない物好きの一人。昼ご飯も持たず、飲み物も持たず、本も携帯もなにもかも完全に手ぶらの状態で、ただこの屋上に吹く冷たい風に当たるためだけに私はここに訪れた。
「・・・・・・」
案の定辺りには一般生徒はいない。春には桜や躑躅、夏にはひまわりやコスモスなど、それぞれ自らを主張するような、鮮やかで色彩の濃い草花が咲き乱れるけど。今周りにあるのはかろうじてまだ残っているすすきや葉がもう後僅かの木々ばかりで、おおよそ地味で色の薄い淡白な空間がそこには広がっていた。
もうこの世界は、冬という季節へと引っ越しを始めようとしている。厳しく、荒々しく、生き物にとって命の灯を燃やし続けることさえ危ぶまれる季節。四季のうち最も厳しい季節であろう冬が訪れようとしている。
そんな冬が四季の中で一番好きな私は、やはりどこかおかしいのだろうか・・・。
「4つの内、とうとう3つまできました。後残るは最後の一つ。それで一之瀬 蓮は全ての過去を知り、あるべき姿へとその身を変える・・・。ま、ここまで順調すぎるような気もしますけどね」
あくまで「一人で」この場所の風を感じたかったはずなのに、いつのまにか私の隣には缶コーヒーを片手にポツリポツリと言葉を繋げる工藤 真一の姿があった。正直言えば今の私にとっては彼の存在は邪魔以外のなにものでもないけれど、彼はまるで私がなにも持たずにここに来ることを予想していたかのようにあたたかい缶の紅茶と、いくつかの購買のパンを私に差し出してきた。
両手の中にスッポリとはまるまだ開けられていない紅茶の缶はじんわり温かくて、私は思わず周りの景色なんか忘れて全身でその暖かさを感じようとしてしまう。
冷たい風がゆるやかに私を突っ切って、髪をゆらゆらとたなびかせていく。やはり邪魔だ。今の私にその温かさは必要ない。目をつむっても、缶の温かさは流れゆく風を妨げ私へと届くことを拒絶する。
空はこんなにも蒼いのに、どうしてこんなに喪失感が漂うのだろう。私の中の何重にも重ねたはずの扉の鍵が、少しずつ、確かに揺れていくのを肌身で感じた。
「だから、ど・・・」
「だからどうしたと、あなたはそう思っているのですか?」
「!」
その時、一瞬体の中でなにかが跳ね上がるような感触を覚えた。なぜ、どうして。周りの冷たい風も空気もなにもかも感じられなくなった。こんなこと、ここ何百年と生きてきて一度も・・・いや、数回にも満たない数でしかなかったはずなのに。
それ以上聞かれることはないと思っていたのに聞かれたから?自分が言おうとしたことを彼に言われたから?・・・違う。いや、本来ならこんなことにはならないはず。だけど今こうして起きた。ならば理由は一つしか浮かばない。
今まで誰にも知られずに完璧に、完全に心の奥底にしまってきていたものを、今一瞬僅かだけど彼に見られそうになったからだ。
「あなたはもうわかっているはずです。わかっていないはずがない。彼がどんな存在であるか、彼がどんな道を辿ろうとしているか、彼がどうこの世界で生きているか。あなたは少しでも、いえ、もう既にほとんど知っているはずです。今までのあなたならこんな軽い揺さぶりに反応することはなかった。だけどあなたは反応してしまった。それが動かぬ証拠です」
「・・・・・・」
私は、彼の言葉を耳に一つ一つ入れながらゆっくりと目をつむった。風に揺れる草木が、青空が、屋上から見える山や家々、遠い向こう側に見える大きな街並みも含めて、全てのこの場における景色が漆黒の闇へと姿を消す。
「あなたに止めることはできない。あなたがどれだけの力と想いを、彼に照らし合わせようとしても」
「・・・・・・」
その言葉が、漆黒の闇の中におぼろげな白き文字で浮かび上がった。
「・・・我ここに存在を世界から切り離す。だけどそれは広がらない。置いてけぼりは少しで充分。今必要なのは二人分の招待券だけ・・・」
シュウン・・・
「ほう・・・」
邪魔だ。こんなことしたくないけれど、私の中の私の意志に、他人が踏み入れることは許さない。ましてやそれが例え仲間とでもいう集団の総称の一人だとしても。私は許さない。誰一人として!
「我の手に収めよ、悪しき魂を打ち砕かん世界を導く気高き聖なる存在の加護に護られし剣よ」
・・・シュオン!
「我ここに宣言する。大地を作り、生命の風を吹き込み、知と力の礎を創造せし神々よ。ここに汚れし魂に制裁を加えることを許したまえ・・・」
シュバアアッ!!
体の中から弾けるように力が溢れだし、体内を突き抜け外にまでその光は溢れだす。髪は光の力の勢いに押され大きくたなびき、制服の服もスカートも向かい風を受けているように揺れて、時が止まりしこの寂しく冷たい空間を鮮やかに照らし出す。両手には剣、眩い光に包まれしその剣は、きっと他人から見れば光の棒にしか見えないだろう。この剣の本当の姿を、私以外に誰も知らない。だけどこれだけはわかるはず。
スッ・・・
これが、あなたに向けられるべき刃であることを。
「部分結界・・・ですか。この一部分だけに結界を張るとは・・・さすが伊集院さんですね。本来なら結界を張るだけでも莫大な魔力を使うというのに、あなたはこうしてコントロールまでしている。凡人には決して辿りつけない場所、さすがは伊集院さんです。・・・まあしかし」
目の前に居る工藤真一は一切の動揺を見せず、私から発せられる光の波動に浸りながらなにもなかったように手元に置かれたブラックの缶コーヒーを手に取っていた。
この世界の普通の存在なら、こうまでする必要はないだろう。だけど彼は違う。彼という存在は決して普通じゃない。そして私とも違う。彼のような存在は、この世界に彼しか居ない。いや、彼しか存在し続けることができなかった。
工藤真一。彼を侮ってはいけない。彼の向ける視線、思考は柔らかでありながらなによりも鋭く、深く、なにもかも突き破り、魂とも呼べる存在の核に迫る資質を秘めているから。その資質は・・・危険。
「その様子から察するに、どうやらヤル気ですか。いいでしょう。私もあなたとは刃を交えてみたかった。まあ結果は見えているかもしれませんが、せいぜい私も悪あがきをさせて頂きますよ」
「大地よ、我が手に語りかけろ。今滅すべきはお前の行く手を阻む壁。吹き抜ける疾風に道の調べを、風は時に刃と化して旋律に傷を与える!」
シュバッ!
彼の手に深緑の剣が収められた。剣の柄の中心には向き合いながら輪を作る二匹の竜と、その中心に疾風が織りなす二つの輪っかが組み合わされた独特の風の紋様が刻まれていた。
やはり・・・彼はそうなのか。幾度となく彼の弓にも描かれたその紋様を見てきたけれど。その度に思い知らされる真実の重み。信じたくない現実と過去の痛み。
その紋様は真なる者だけが刻むことを許される紋様。私や一之瀬 蓮はもちろん、柳原 玲、相川 健人のように竜王に従える中で最も権威ある一族の数々、その中でも特に選ばれし者だけが持つことのできる紋様。
だけど彼のは違う。例え紋様があろうとも、彼という存在は「世界に反する」存在であるのだから。その紋様がもたらす現実は決して華やかなものではない。それこそ、あってはならない闇に包まれし運命。
「無制限一本勝負・・・勝敗はどんな形でも相手に致命傷を与えた方の勝利。もちろん、その中には「死」を入れてもなんの問題もありません。・・・では、いきましょうか!」
ダッ!
足を踏み出した瞬間、「決闘」は始まる。この世界で決闘なんて言っても本気でとられることはほぼ無いに等しいだろうけど、竜族の間での決闘は古来から幾度となく行われている。例えどれだけ平和に穏便に話し合おうとも、いつかは力でしか証明できないことに繋がる。だからこそ、決闘というものが存在する。
決闘のルールはいたってシンプル。勝敗は一方が負けを認め降参しなおかつ相手に許しを得るか、戦闘を続けられない状態だと双方が認識するか、そして一方が命を落とすか、だ。
ピキーンッ!
だけど今回の場合、ただの決闘ではなく「聖戦」という名の戦いになる。その理由は私という存在が聖属性であり、もとより光そのものであるから。光は原来誰かの闇を照らし救い、幸福をもたらすもの。それを個人的な争いという名の場に単純に力としてそのまま利用することは許されない。それこそ、自らの光に反し汚すものであるから。
だから私はあらかじめ戦うことを宣言し許しを講じた。そして結果として私の光は私に力をもたらしてくれた。戦うことを、いや、戦うべきだと言ってくれた。
「最後に一度だけあなたに聞く。本当にこのまま戦い続けるか。それとも、すぐさま私の前から立ち去るか」
だけど許しをもらえばなんでもしていいわけじゃない。聖戦という名の戦いには、私だけにある条件が課せられる。
「ここまで来てまだ選択肢を与えようとしますか。いつのまにか、あなたはすっかり角が取れたようですね」
私だけに与えられる条件。それは、絶対勝利。
「なら・・・容赦はしない!」
聖戦において私は負けることを許されない。もし負けてしまえば、光がなにものかに屈することになるから。そうなれば、誰かを照らし救うことは永遠にできなくなるから。
ジャキッ
この、母がくれた聖なる光の力を。大切な、大切な私の光を。私は絶対に失ったりはしない。絶対に汚したりはしない。必ず、なにがあったとしても。これだけは守ってみせる!!
光の名のもとに、今戦いは始まる。聖戦という名の、二人だけの戦いが。
※本当はこの回で勝負は決着する予定でしたが都合により次回に回します。