第百六十四話 相川 健人(2)~その出会いに、過ちは浮かぶ~
校門をくぐり、もはや庭園というべき整えられた草花に迎えられながら、その場所に足を踏み出す。
真新しくどことなくぎこちなさを感じる制服、汚れも傷も全くない鞄。俺は今、新しい姿となって新しい時を刻み始める。
私立御崎山学園、今日からここが新しい俺の場所だ。そして俺は高校生としてこの場所に通う。小学校、中学校と、何度も初めての~というのは体験してきたが、それでも今もまた、俺の心は弾んでいた。
新しい場所、新しい姿になったとしても、変わらない。なんにも変わらない。ただ外側だけが変わっただけで中身は微塵も変わらない。舞台が変わっただけで、流れゆく時は変わらない。そう、思い続けていた。
ほら、現にあそこに見慣れた、変わらない姿が居る。長い間一緒に過ごしてきて、そしてこれからも一緒に時を刻んでいくであろう存在が。
遠い彼方に在る校舎をバックに、色とりどりの草花に囲まれた景色に映える金髪のツインテールとそれを留める赤い髪飾り。どんなに遠くに居たとしても、俺はそれを見つけられる自信がある。この目の前に広がる光景に溢れる数々の色の中でもその色だけが浮き上がっていた。変わらない、本当に変わらない光景がそこにはあった。
それだけで俺は絶大な安心感と嬉しさがこみ上げてきて、思わず少年のように駆けだしその場所へと駆け寄ろうとしたが、その時になって俺はようやくあることに気付いた。
「ん?誰かと話しているのか・・・?」
何度も何度も見てきたその金髪のツインテールと赤い髪飾りのほかに、見知らぬもの、というより人影がその光景の中に存在していた。
俺と同じく、御崎山学園の制服を着る一人の男子生徒。別に玲が俺以外の男子と喋ることはなにも変じゃなかった。小学校時代に玲はその時の自分を捨てて生まれ変わり、中学校時代ではもう普通の女子生徒として多くの人と触れ合ってきた。友達も、たくさんできていた。
中学校から一緒にこの学園に入学する奴も結構いる。その中にはもちろん男子生徒も居る。まあ一番関わりが深そうなのは工藤あたりかな。あいつとは中学校で知り合ってからこれでもかと色んなことに巻き込まれていたからな。この学園でもまた、あいつと一緒というのは少し骨が折れる。
だけどそこに居た男子生徒の顔を、俺は知らなかった。少なくとも今までの人生の中で見たことはない。全く初見の人物だった。
一瞬だけ、まさか小学校時代の奴らの誰かがこの学園に入学していて、玲の姿を見つけて絡んできたのかとも思ったが・・・それは違うとなぜかわかってしまった。まあどう考えても玲は困っている素振りを見せているわけでもなく、楽しげに話しているからそれはないってことぐらいわかるんだけど・・・
なんでだろう。そこに居る人物に俺は、なにもかもが初めての感覚を覚えた。
今まで数多くの人達と出会ってきた。そしてそのどれもが様々な特徴を持った人達だった。おとなしい人、やんちゃな人、優しい人、明るい人・・・。似ていることはあっても全く同じ人なんて存在しない。それはわかってる。だけどそこに居る人物はその度合いを大きく突きぬけて、今まで出会ってきた人達と微塵も重ならない、全く初めてのタイプの人物だった。
どんな人物であるかどんな性格でどんな特徴を持っているか今までの経験を当てはめることができないから全く見当もつかない。だけどそれが故に、俺はその男子生徒に大きな興味を抱いた。
なんだかおもしろそうな奴だ。そんな軽い気持ちを抱いて俺は一歩を踏み出す。
「よ~おはよう玲。高校でもまたよろしくな」
まあ、確かに間違いはなかった。おもしろい奴であることに関しては。
「あ、紹介するね。こちらは一之瀬 蓮君。あなたも聞いてるでしょ、彼もドラゴンよ」
どこにでもあるような出会い。きっと、世界中で1秒の間に数えきれない同じような出会いがどこかで起きているだろう。これもそんな無数のありふれた出会いの一つ。
「おう、お前が一之瀬 蓮か。俺は相川 健人、健って呼んでくれ。これからよろしくな蓮」
一之瀬 蓮という、一人の少年との出会い。だけどこの出会いがこれほどまでに事態を揺さぶるものであることに、気付けるはずもなかった。いや、気付いていたとしてもきっと結果は変わらなかっただろうな。
一之瀬 蓮・・・もとい蓮についてその時知っていたことと言えば、彼が俺達と同じドラゴンであること。たったそれだけだった。彼がどんなドラゴンでどんな力があるのか~などは全く知らされておらず、ただ高校でまた一人ドラゴンが同じく通うということしか知らされていなかった。
はっきり言ってものすご~く謎に包まれていた存在だった。しかし蓋を開けてみると当の本人は全く、いたって普通の少年だった。そしてそれ以上に驚いたのは
「クラスってなんのことだ?」
驚くほど無知だったことだ(笑)。ドラゴンである限り知らないはずはないことを蓮は余裕で知らなかった。なぜ今までそのワードに関わってこなかったのか不思議なほど。まるでそれは、図体は普通の高校生でも中身はなにも世界のことを知らない生まれたばかりの赤ん坊のようだった。
最初はわざとなのかとも思ったがそれも違った。完全に天然だった。というより嘘をつけるタイプでないことはみんなとっくのとうに知っていたんだ。だからみんな気兼ねなく接することができて一之瀬 蓮という存在は俺達に自然に溶け込んでいった。
そして俺達・・・俺と玲はいつしかそんな蓮に一種の憧れのようなものを抱いていた。蓮は純粋とか汚れとか関係なしに、全くの「無」の存在だった。例えるならまだなにも描かれていない真っ白なページ。蓮は俺達のように「過去」や「今」を生きる者ではなく、「これから」を生きる者だった。そんな蓮に、過去を背負う者として憧れを感じるのはもしかしたら必然のことだったのかもしれない。
だけどそれは違ったんだな、蓮。お前はただ前だけを見ているのではなく、最初から後ろがなくて前しか見れなかったんだな。
蓮についてちゃんと知ったのは最初のターゲットと戦った後。蓮が覚醒し、ターゲットをいとも簡単にぶっ倒した後だった。
あの時は・・・本気で鳥肌が立ったな(笑)。もう驚くとかそんなの通り越してただ呆然とする感じ。なにかその時今まで見えなかったもう一つ先の世界が見えた気がした。常識とかそんな言葉なんて一瞬でぶっ壊すような、そんな一撃だった。
だけどそれ以上に俺達の衝撃を与えたのはその後だった。蓮が目を覚まし、自分の存在についてまあなぜか出だしは工藤だったけど語りだしたあの時あの瞬間・・・
蓮は竜王の息子であるブラックドラゴン
それを聞いた時はただただ驚いた。大げさなほどに驚いた。いや、それほどまでに驚かなければならなかったんだ。その事実がもたらす、俺達の中の本当の事実を蓮に知られるわけにはいかなかったから。
玲は虎族に属していた。ドラゴンでありながら竜王に反抗する者、それが虎族だった。
何百年と時が経てばそりゃあ不満も出るだろう。ずっと誰か一人が上に立ち続けることなんて不可能に等しい。だけどそれだけなら最も力の強き竜王に反抗するまでには至らない。まあ一部は違うかもしれないがそれも少数だ。
全ては「あの日」から始まったんだ。「あの日」があったから今の世界は出来あがったんだ。人と竜族は共存の道を諦め、竜族が人間界に紛れて行動する。それが今の俺達の状況だ。今まで少数だった虎族が急増したのも「あの日」がほとんど原因だろう。
そして玲もまた、「あの日」によって虎族に入った者の一人だった。玲はあの日、大切な、大切なものを失った。そしてそれに、ブラックドラゴンという名は大きく関わっていた。だから俺はあの時凍りついた。こんなタイミングで、こんな状況でまさかこんな事実に出くわすなんて・・・。
だけど玲は違った。俺が想像していたのとは裏腹に玲は蓮が過去を知らないこと、そしてその蓮の過去を案じていたのだ。無理をしているわけでもなく、玲は自分自身の判断でその想いを抱いていたのだ。
それを証拠に、それからも蓮と俺達は変わらず同じ時を仲間として、友達として過ごした。途中少しばかり俺のせいで蓮を傷つけることもあったけど、それでも乗り越え一緒に戦ってきた。
そして俺は気付いていた。蓮と時を過ごしていけばいくほどに、玲の心は揺らぎ新たな想いが芽生えていたことに。
そして俺自身が気付いた。その想いは、本来俺が消さなければならなかったものだったことに。
自分でも情けないことに、俺は本来の目的を忘れかけていた。全く・・・この期に及んでようやく思い出すとは、笑っちまうよなあ~ほんと・・・。でも、こんなにも当り前で大事なことを忘れてしまうほどに、玲に出会ってから俺は満たされていたということだった。
そしていつしか、気付いたころにはもう玲の中の心は新しく芽生えた想いに支配されようとしていた。もうなにをしてもどうしようもない状態。もう玲の想いを変えることはできない。いや、俺自身が変えたくなかった。
玲が蓮の歩みに魅かれていったように、俺も蓮の歩みに魅かれていた。俺は蓮を突き放し、傷つけたというのにそれでも蓮は笑顔で俺を親友と言ってくれた。どんなに大変な事態に陥っても蓮は救い出してくれた。そして、俺が自分を見失った時にも、蓮は本来在るべき姿へ導いてくれた。
なんでだよ、なんでお前はそんなにも優しいんだ、強いんだ。それじゃあ俺は、お前に刃を向けられないじゃないか。中途半端に、ただ普通の存在であったらこんなにも簡単なことはないのに。できない、俺にはできない。お前を憎み刃を向けることなんて俺にはできないっ!
俺も一緒にみんなと居たい。みんなと一緒に歩んでいきたい。みんなと一緒に戦っていきたい。だけど俺にはそれが許されない。俺はそれを妨げる存在でしかないから。そうならないようにするのが俺の任務であり俺の全てだから。
もしそれができなければ俺はこの世界から消される。もう二度と工藤、伊集院さん、蓮、そして玲とは会う事はできなくなる。・・・嫌だっ、そんなの嫌だ!俺はこの世界から消えたくない、この世界で生き続けていたい。だけど俺に残された選択肢はもう僅かでしかない。蓮をこの手で殺すか、それとも自分がこの世界から消えるか・・・
ようやく、俺は気付かされたのだ。自分が犯した過ちについて。自分がどれだけ愚かでバカであったか。自分が選んだ道の末路がこれだ。全ては自業自得だ。そしてこれは報いなんだ。偽りで築いてきたバランスに、神様からの罰が下ったんだ。
過去を変えることは決してできない。その先にどんな未来が待っていたとしてもそれが自分自身が選んだ未来なんだ。運命なんだ。
この世界から消えたくない・・・みんなと一緒に居たい。だけど蓮に、一之瀬 蓮に刃を向けることなんてできない・・・。俺は・・・俺は・・・っ!!
「できるさ、あいつさえ殺せばお前は自由になれるんだ」
「・・・だ、誰だっ!!」
なんにもない真っ黒の世界に映し出されていく数々の光景。記憶の彼方とでも言うのだろうか。そんな空間に一人迷い込んだ俺に語りかけるように、その声は届いた。
「この世界に居たいんだろ?なら簡単じゃないか・・・」
「奴を、お前のその手で殺せばいいんだ」