第百六十三話 相川 健人(1)~偽りの正義、偽りのシアワセ~
※今回と次回にかけて、健の過去のお話となります。
あの頃の自分。楽しいこと悲しいこと、色んなことがあっても平凡な日々という殻の中に居続けていた自分。誰とも変わらない、ありふれた日々を過ごし、いつしかそれに安らぎを感じ、この日々がずっと続けばいいと望んでいた自分。
「健人、お前に我が一族の宿命を授ける」
そしてそれはなんの前触れもなく、唐突に告げられた言葉。
この頃の俺にはわからなかった。普段俺に対し比較的冷たい態度というか、威厳を飛ばしていた父親。そんな父親が俺に話しかけてくることなんてそれだけで珍しく、貴重で、ただ嬉しいと子供ながらに感じるに過ぎなかった。
それが普通なんだろうな。実際本当に嬉しかった。ほとんど話したこともなくその威圧に話かけることもできなかった時に、父親から話しかけてくれたことは本当に素直に嬉しかった。
だけどその時父親が放った言葉はとてつもない意味を持っていた。俺という存在に関わり、人生さえ揺さぶる。・・・大きすぎた、その言葉を本当の意味で理解し、受け止めるにはあまりにも幼すぎた。
今この瞬間だって、全てを受け入れることなんてできていないんだから・・・
「ここ、か・・・」
大きな校舎を見上げ、少しばかりの驚きと期待を抱きながら俺は校門をくぐる。
実はというとそれが俺にとって初めての登校というものだった。それまで学校には行っておらず、ずっと家に居て適当に一人で遊んで一日は終わっていた。特に学校に行くのが夢だったとかいうことはないが、それでも新たな一歩に心が躍らないわけがなかった。
なんかいいとこの奴らが集まってるってのも聞いたけど、そんなこともどうでもよかった。相手の地位なんか知ったことではない。俺は俺だ。興味もないしそれ以上に俺にはやらなければならないことがあるんだ。
俺はこの場所で、自分に与えられた宿命を立派に全うする。そうすれば、きっと父親だって・・・
この時の俺はバカだった。本当にバカだった。自分でも笑っちまうぐらいにバカだった。
俺に与えられた宿命、それはこの学校に居る「柳原 玲」という子と共に行動し、できるかぎり近付いて動向を探る。そして、その子の気持ち、心が決して変わることのないように見守る。それが幼き俺に与えられた任務。なんかまわりくどいな、まあ簡単に言えばそれは「監視」だった。
だけどその時の俺にとって、その自分の任務の中の「柳原 玲」という名はどうでもよかった。いや、誰だって良かった。ただ任務が与えられそれを遂行する。それができればなんだっていい、監視でもなんでもやってやる。
この任務を全うすれば、きっと父親は俺を認めてくれる。俺へ振り向いてくれる。これは父親が俺を試しているんだ。そしてこれは、俺にとって大きな大きなチャンスなんだ。貴重なチャンスなんだ。・・・そんな思いが、その時の俺を支配していた。
その柳原 玲って子なんてどうだっていい。それで俺が認められるならそれでいい。俺は、柳原 玲という存在を利用して自分のために、いわば仕立て役のように思っていた。全ては一部でしかないと思っていた。
・・・本当に最低だ。その柳原 玲という子が、一体どれだけの苦労や苦しみを味わってきたかも知らずに。俺はその子を易々と利用しようとしていた。まだ幼いというのに、俺の心は汚れていた。真っ黒に染まりきっていた。
親からの愛情を受けなかったから、あまり人と接しなかったから一般的な子供に比べて少し、いやかなり卑屈だっただなんて、完璧に言い訳に過ぎない。
だから当然なんだよ、それ相応の報いを受けることは。それだけのことを俺はしていたんだから。
「え~と確かこの教室だっけ・・・」
初めての学校に人並みに心を弾ませながら俺は言われた教室に辿りつく。俺は転校生という扱いで今日からこの学校の一員になる。そしてこの学校の一員として自分に与えられた任務を全うする。その時の俺にとって、学校という所に来れたことよりもそっちの方が心弾ませていたのかもしれない。いや、きっとそうだったんだろうな。
スッ・・・
俺はドアへと手を伸ばす。このドアを開けた瞬間から俺の挑戦は始まる。微妙に緊張感を覚えながらドアに触れ、この手で開けてその先へ進もうと思った瞬間、ふと俺の耳に声が届いた。
「おい、出来そこないのくせにこの俺様に立てつこうってのか?柳原。全く、自分の立場をわきまえろよ。出来そこないは出来そこないらしくAランクである俺達に従ってろ!」
ピタッ
ドアへと伸びる俺の手が止まった。
(今、柳原って言わなかったか・・・?)
浮ついた心を覚ますようにその言葉が俺に突き刺さる。
「やめて!それは私の宝物なの。返してよ!」
「うるせえ、お前みたいのにはこんなのもったいなさすぎんだよ。俺がもらってやるぜ!」
ドクンッ・・・
それが、運命の分かれ目だった。
「返してよ!!」
「イテッ!こいつ・・・調子こいてんじゃねえぞ出来そこないがあっ!!」
ギュッ!
よせばいいものを。その時の俺は大きな過ちを犯した。勇気ある行動、正義感のある行動、端から見ればそれはとても良いことのように思える。確かにそうさ、それに間違いはない。だけど、その行動を俺が取るには大きな欠落があった。
誰かを助けるという行動には、ただそれだけに想いをぶつける必要があった。助けたい、守りたい。ただそれだけの単純で純粋な想い。だけどその時の俺は違った。純粋さの欠片もなかった。俺がこのドアに手をかけた理由は、ただ誰かを助けるという正義感に浸りたかったのと、「自分の任務の邪魔をさせない」ため。そこに、柳原 玲という名は存在していなかった。
ガラガラガラッ
「おい、お前ら!!」
本当にバカだった。中途半端な気持ちで誰かを助ける、その先には誰かが傷つくか、自分への苦しみしか待っていないというのに。それぐらいなら助けなかった方がよっぽど賢明だった。中途半端に踏み込んで、中途半端に誰かに関わって・・・
それが全ての始まり。幼き少年は微塵も思わなかっただろう。今この瞬間に歪んだ時を刻み、そしてこの瞬間から流れ出したということに。
今でもふと思うことがある。もしあの時、そのままドアを開けずにやり過ごし、普通に平凡に学校という空間に入り込んでいたら、一体どんな未来が出来上がっていたんだろう、と。
もしかしたら、誰も傷つかず誰も苦しまずに時を刻めたかもしれない。平和で、平凡で、素直に時を過ごせていたかもしれない。
だけどそんな未来に、果たして俺は満足できていたんだろうか。
どこにでも居るようなごくごく一般的な生徒となり、玲ともそりゃあ少しは関係を作るかもしれないが、あくまで監視対象として一線を置きここまで深い関係には決してならなかっただろう。
その行動は確かに失敗だった。大失敗だった。だけど今だからわかる。きっと、その時選んだ未来が俺には一番似合っていたんだ。プラスな面もマイナスな面も、ぜ~んぶひっくるめて俺の選択は俺にとって正解だったんだ。
どれだけ苦しみを味わったとしても、俺は大切な、かけがえのないものに触れることができた。それだけでもう充分に意味というか意義のあるものだったと思う。
もしかして相当自分勝手なことなのかな。だけどだからこそ俺は秘めたる想いを自分の中に閉じ込めたんだ。誰かが傷つかないように、いやそれ自体に気付かないように、自分だけを苦しめて適当にバランスを保っていたんだ。それでバランスが保たれるならそれでよかったんだ。
後悔はしてない。むしろその時の俺に感謝したいぐらいだ。お前のおかげで大切な人達と出会えた。例え短い時間だったとしても出会えたことは事実だ。それだけでもう充分満足満足。俺の人生はそれなりに輝いていたと、心から思うよ。
そしてそれからというもの、こうなることはわかっていたが・・・というよりこうなることを俺が望んだんだが、俺と玲は親しい関係になった。同じBランク同士、同じ年齢、同じ学校、同じクラス。仲が良くなる要因なんていくらでもあった。
「行こうぜ、玲」
「うん」
最初こそ周りから色々と野次が飛んだが少しばかりのしてやったらなにも言わなくなった。相手は皆、Aランク以上のドラゴン。だけど幼きドラゴンにランクとかいうほど力、魔力は存在しない。しかしそれをわかっていたから微塵も恐れずに立ち向かえたんじゃない。俺にそんなこと考えられるわけもないしな。
どうでもよかった。ランクとか自分がBランクだとか全てただひたすらにどうでもよかった。むしろ意味がわからなかった。なぜそんなことで威張り、他人を罵ることができるのだろうかと。幼い中で、自分では気付かない間に俺はその理不尽さに気付き、抗っていたんだ。だからどんなことを言われてもなにも感じなかった。怒りさえ生まれなかった。
そしてもう一つ、実はこれが一番の理由だったりするんだがどれだけ野次られても気にしなかった理由がある。それは
玲と過ごす日々が、楽しすぎた。
最初は確かに玲を監視対象でしか見ていなかった。だけど一緒に時を過ごすうちにその玲と一緒に居る楽しさに俺は完全に取り込まれてしまっていた。
なぜこんなにも楽しいんだろう。理屈じゃ全く言い表せられない。なにげない行動でも、どうでもいい会話でも、その全てがなによりも輝いていた。
俺は知らなかった。世界はこんなにも楽しく輝かしいものだということを。ほとんど両親から関心を持たれることなく過ごし、人ともあまり接しなかった俺にとってそれは新鮮に思えたからかもしれない。だけどそれだけではこの気持ちには足りない。
それが玲だったから俺はこの輝きを感じることができたんだ。心が真っ黒に染まりきっていた俺にとって、玲という存在は眩しすぎた。玲は本当に純粋な心を持った少女だった。俺なんかと違って汚れてない。確かに俺が学校に来るまでずっと苦しんでいたかもしれない。だけどそれでもその心だけは、変わることはなかった。
汚れた存在の俺は、本当に自然にその玲の輝きに魅かれていたんだ。そしてその輝きに、心から癒されていたんだ。
俺と共に時を過ごし、玲は確かに変わった。むしろそれが本当の玲の姿なのかもしれない。前を向き、今まで見せられなかった笑顔に溢れ、純粋な心と強き意志を併せ持つ。
そういえば蓮が言ってたな。玲は本当にお前に感謝してるって、お前に救われたって。確かに玲はそう言ったかもしれないな。だけど、それは間違ってるんだ。
玲が変われたのはそれが玲だったからだ。俺はただ、邪魔をする奴らを消しただけだ。変われたのは玲自身の力。俺はなんにもしてない。いや、むしろ逆に・・・
本当に救われていたのは俺の方だった。感謝しなければいけないのは俺の方だった。玲に出会い、玲と一緒に居れたからこそ俺は今のままでいれる。もしあのままだったら、俺は一体どんな悪党になっていただろうな(笑)
そしてそのまま俺達は小学校、そして中学校と順に時を過ごしていった。変わらず玲と一緒に、同じ時を刻んでいく。
ずっと続けばいい、ずっとこんな時が流れればいい。俺は心からそう感じ、思い続けていた。これからもずっと、ずっとこんな日々が続けばそれだけで俺はもう幸せだった。
だけど
偽りから始まった幸せなんて、一生続くわけがない。むしろその幸せをこんなにも味わうことができたことが、めちゃくちゃ運が良かったことなんだ。それこそ神様に感謝ってもんだ。
桜舞い散る春。高校生として初めて御崎山学園に足を踏み入れたその時、俺は運命の出会いを果たす。