第百五十九話 矛盾の存在~悪夢は惑わし刃を向ける~
「キャアアアア・・・!」
廊下に、悲痛の叫び声が響き渡った。今目の前で、今この瞬間に。
その声は俺達に、この上なく最悪の状況を映し出していた。俺達が最もやってはいけないこと、それはこの世界の存在に俺達の世界を知られること。たったそれだけで俺達はこの世界から去らねばならない事態にまで発展するというのに、今俺達はそれ以上、禁じられた領域に立たされていた。
一般生徒がターゲットに襲われる。それはもはや悪夢。そう、俺達は決して許されぬ、自分達の存在に関わる大事態を起こしてしまったのだ。
「そ、そんな・・・」
呆然と立ち尽くす俺。なんということを、なんということをしでかしてしまったのだ。信じられない、俺の中に潜む現実逃避の意志が頭を支配しようとする。
人間が・・・ターゲットである魔族の攻撃を受ける。それも真っ向から、なんの邪魔もなく。その光景を見た瞬間、俺は全てが終わったと思った。今まで必死に抗いながら積み上げてきたものが全て崩れ去ったように思えた。
その先に、命の灯の消える光景が脳裏に浮かんだから
「・・・ターゲットを、再確認」
「え・・・?」
ヒュルヒュルヒュル・・・
その瞬間、俺は急激に脳裏に浮かんだ光景から現実世界へと引き戻された。辺りの光景がはっきりと見えるようになり、意識自体もずっと静まり平常心へと戻っていく。そしてそれと一緒に、今まで受け入れられなかったこの廊下にはびこる気配
冷たき闇の気配を怪しき風と共に再び感知する。
「あ、あれは・・・まさか!?」
コツ、コツ・・・
ゆっくりと、今にも倒れそうな感じに歩きながら一歩ずつ俺達に近づいてくる存在がそこにあった。上は学園の制服、下も学園の制服。学校指定の少し古臭いような白い靴。そこに居たのは、まさしくこの御崎山学園に通う一人の女子生徒だった。だけど、だけどあれは・・・
「ターゲットが、乗り移っている」
その学園の制服から、溢れるように吹き出す黒い霧。その霧は女子生徒の全身を包み込み、生気でも吸収しているかのように女子生徒の体はだらんとしていた。こうして歩けているのが不思議なぐらいだ。むじろそれは、歩かされていると言ってもいいだろう。
もしこの状況を説明するなら・・・認めたくはない、いや認めたくない。だけどきっと誰もがこう言うだろう、そして、現実もそれに応えるだろう。
伊集院さんが言った通り、彼女は、彼女の意識はターゲットに乗っ取られている。それで全ての説明がつく。この、今の状況の全てが。
「そんな・・・こんなの一体どうしろっていうんだよ!?」
いつもと何一つ変わらずただ目の前の存在をじっと見つめる伊集院さん。それとは対象的にあわてふためき混乱する俺。それもそのはずだ。こんなかつてないもっと言うなら有り得ない状況に何も感じない方がおかしいのだ。まあ伊集院さんならそれが普通にできるとは思うけどな。
目の前に居るのは今回のターゲット、闇属性の魔族だ。だけど、だけど目の前に居るのはこの学園の一般生徒でもある。
魔族を討伐する、それが俺達の使命。そしてこの世界の人間達を守る、それが俺達の使命。だけど目の前に居る存在はどうだ、倒すべき魔族であり守るべき人間である。なんだよこれ、どの選択肢を取っても全てバッドエンド行きじゃねえか。どうやっても誰かの犠牲が生まれるじゃないか!
ここであの女子生徒もろとも殺せばターゲットは確かに倒せるかもしれない。だけどこの手で、なんの罪もない一人の人間の命を奪うことになる。反対にこの状態を放置してみよう。ターゲットはなんの邪魔も入らない状態で殺戮を繰り返すだろう。たくさんの、なにも知らない一般生徒が死ぬ。
もしこの状況に工藤が居たら、もしかしたら被害を最小限に食い止めるために一人の犠牲を払うかもしれない。一人を殺せば後の命は助かる。一つの命を取るか、多くの命を取るか。そんなの考えるまでも・・・
じゃないじゃない、そんなんでいいわけがない!何を考えているんだ俺は。そこまで落ちぶれたのか?一つだろうと大勢だろうと、それが命であることに変わりはない。たった一つも、犠牲にしていい命なんてこの世界には存在しないんだ。そんなことも忘れたのか俺??
最優先すべきは命を守ること。それは、俺達にとって最も基本的なことであった。
(くそっ、だけどどうすれば・・・)
しかしそうはいっても俺達は身動きが取れない。ターゲットが乗り移っている限り、俺達は手出しができない。この状況で生徒を無傷で助け、ターゲットも倒すというのはあまりにも贅沢なことだった。
チラッ
俺は廊下の時計に目を向ける。昼休み終了まで残り10分を切った。もしかしたら早い人ならもうこの実習棟へむかっているかもしれない。この状況を一般生徒に見られたら、その瞬間ジ・エンド。もう本当にギリギリな状態だ。精一杯オマケを入れてもタイムリミットは後5分。
もしかしてこれが絶対絶命ってやつか・・・?いやそれとも背水の陣か。まあどっちにしたって同じか。今の戦力は俺と伊集院さんの二名。俺はともかく伊集院さんなら普通の、一般的な戦闘ならどんな状況でも打開できるだろう。しかし今はそうはいかない。なにしろ、どうしていいかさえもわからないんだからな。
こんな時、一番力になりそうな奴と言えば・・・
ダダダッ!
「すいません、遅くなりました」
工藤真一。この男以外に居ないだろうな。
「ああ確かに、あともう少しだけ早く来てほしかったな。もうこれ以上無いってぐらいに最悪の状況になっちゃってるよ」
「いやはや申し訳ないです。何分ターゲットもそしてあなた達もほとんど魔力を使ってなかったようなので感知できませんでした。感知できたのは先程の伊集院さんの魔力のおかげですよ」
ターゲットを挟んで向かい側に工藤達一行が到着する。工藤達は俺達とは正反対の場所を探していたわけで、さっきの伊集院さんの魔力を感知してからだとかなり急いで来たことぐらいはわかる。だけど、それでも愚痴ってしまうほどに俺は追い込まれていた。
「ど、どういうことなのこれ・・・?」
「なんてこった・・・」
すかさず驚きの声を漏らす健と玲の二人。それが普通の反応だ。目の前に広がる光景は、平常心の状態ではあまりにもインパクトのありすぎる状態だからな。
「ふむ、これは困ったことになりましたね・・・」
そしてあの工藤でさえも、この状況の前ではさすがに困っているようだった。この状況で余裕でいられるほうが存在として疑いたくなる。しかしそこまでとはいかないにしても、不思議と工藤の様子は俺達ほど動揺していないように思えた。
「しかしよくもまあこれだけおもしろいことを思いつけるものです。しかしまあ、これは良い機会ですね。これからのためにも、試しておく価値はある。・・・いいでしょう、一之瀬さん!今から私が言うことをしっかりと聞いてください!」
その時工藤はなにかを呟いているような気がしたが、無論今の俺にそんなことを気にしている時間も余裕もない。今はただこの状況を打開する策が欲しい、それだけだ。
「もうこうなった以上、ターゲットを無理やりこの体から引き離す以外に方法はありません。討伐しようにもこれではどうしようもないですからね」
「引き離す・・・そんなことが可能なのか??」
工藤が言った言葉は予想外に単純で、直線的というかそのまんまの言葉だった。
女子生徒からターゲットを引き離す。確かにそれは一番良い方法だ。ていうかそれ以外に方法はないか。女子生徒の体からターゲットが離れてしまえば後はどうにでもできる。あ~でもあの伊集院でも倒せなかったから討伐は難しいかもしれないが一人の命を救う事はできる。
しかし一体、どうやって引き離すというのか・・・
「憎い・・・憎い!!」
「一之瀬さん、前!!」
「はっ!」
シュルルル、ブウォンン!
その瞬間、黒き霧が渦を巻いて槍のように変形して襲いかかってきた。
ピキーン・・・!!
「・・・やらせない」
少し遅れて冷たい身のけがよだつような冷たい風が俺と伊集院さんを包んだ。それは一瞬の出来事、その一振りで巻き起こる風がこれほど遅れてくるほどに、剣は闇を一瞬で切り裂いた。もちろん、肉眼では動作は見えるはずもない。
「目の前に集中してくださいよ、一之瀬さん。これからの作戦にとっても、あなたの力は必要不可欠ですからね」
「・・・すまない、完全に油断してた。ターゲットだってことも一緒に。ありがとう伊集院さん、また助けられてしまった」
「・・・構わない」
そういえば俺は武器さえも持っていなかったな。なんという無防備な姿、それは俺達の世界において自殺行為とも言えることだった。今隣に伊集院さんが居なかったら、確実に俺は死んでいた。集中が乱れれば、それだけ死へと近づく。もう嫌というほどにそれを体験したはずなのに、俺はいまだに体に染みついていなかった。
「さてもう時間もないので次の段階に進みますよ。とにかく今はターゲットを引き離せればいいんです。そこであなたと伊集院さん、相反する属性を利用してターゲットを引き離します」
「相反する属性を利用する??」
「説明は後です。今は剣をその手に出して私の指示に従ってください」
工藤はせかすように俺に促した。もう今からすることを理解する時間なんて残っていない。1分1秒がおしい。今の俺の思考ではこの状況を打開できない。今は全てを工藤に委ねて前へ突き進むだけ。それ以外のことを考える必要はない。集中だ!
「では一之瀬さんはこちらに・・・と、今のあなたにそう簡単にできることではありませんね。伊集院さん、よろしくお願いします」
工藤が眼で合図すると伊集院さんはそれに無言で頷いて答えた。なにかが起きる、しかしなにかはわからない。さすがに命には関わらないだろうがこの二人の組み合わせは不気味すぎる。せめてなにをするかだけでも・・・
「いきます、3、2、1」
ガッ
「え?」 「Pierces wind end through arrow」
ブンッ! シュバアーンン!!
また一瞬だった。一瞬すぎてなにもわからない状態、無心の状態で俺は宙を舞う。伊集院さんが俺の首根っこを掴んで向こう側に放り投げる。それと同時に工藤がターゲットの足元に矢を放ち地面に矢を突き刺す。
まあ簡単に言えばターゲットの注意を下に向け、その頭上を俺が通過するというえらく直球勝負な動作だが、それを一瞬でやり遂げるこの二人って一体・・・。そしてそれに翻弄されまくる俺って・・・
ドサッ!
「ぐえ!?」
そして俺は思いっきり頭から床に突っ込む。この態勢から察するに、さぞかし空中での俺の軌道は美しい放物線を描いていただろうな。ぜひとも俺も見たかったよ・・・・・・痛い。
「さてと、これで駒の配置は完了です。では始めましょうか」
「光と闇、この世界を二分する二つの属性が奏でるソナタを」