第百四十七話 誓いを、あなたに~偽りをも超える、絆がある~
「私があなたという存在について与えられた情報は、竜王であるシリウス同様冷酷で劣悪で圧倒的な力を秘めている、非常に危険な人物であること。例え一之瀬 蓮がこちらと親密な関係になろうとも、必ずそこには裏がある。故に、自らの意志を保ち、自らの意志の元、奴に接せよ・・・ってね」
そういえば、その一言で過去のあの日の、あの時間の出来事を思い出す。
あの、初めてこの学園へやってきた時のことを。なにも知らない、なにもわからない、周りのなにもかもがなんなのかわからない状態でその場所まで辿りついたあの時。目が覚めてまだ数時間、赤ん坊と変わらない状況で立っていたあの瞬間。
驚嘆の渦に身を費やしていた俺に、さらなる驚きと変化をもたらしてくれたあの出来事を、俺は忘れることができない。
「だ~れだ!」
思えば、あれから俺とみんなの全てが動きだした気がする。この世界で目を覚ましたのはあの傍に親父が居た、白く竜の紋様が刻まれた部屋。だけどこの世界で本当の意味で俺の運命が動きだしたのはおそらくあの時だろう。
みんなと知り合って、みんなと時を過ごして、そしてみんなと一緒に戦った今までの日々。その始まりの息吹を吹き込んだのは間違いなく彼女の一言からだった。
だけど、彼女の姿をその時俺は知らなかった。ふさがれた視界が開けた時に、映ったその彼女の姿にただ呆然と見ていた。けれど彼女は俺のことを知っていた。会ったことないはずなのに、彼女は俺の存在を前もって知らされていた。
その時の彼女は、俺にこう言っていた。
「あなたのことは母さんから聞いたの。同じ高校に同じドラゴンとして入学してくるから仲良くしなさいねって」
あの時の彼女のすがすがしい表情を俺はよく覚えている。なにもかもが初めての光景に、一点だけ浮き上がる一つの花のように美しく華やかなその姿。突然の出来事にも、その姿を見ただけで自然に心の乱れは抑えられ、涼しげな風が俺の心に吹き込んだ。
本能的に彼女を俺は全てを受け入れて良いと思える存在と認知した。だけど、一つだけその時気付けなかったことがあった。それは、彼女が「嘘」をついていたことだ。
母さんから俺のことを聞いたのではなく、虎族における上層部からその存在について聞かされ、それぞれの目的を果たすために俺へ近づいたということだ。そして彼女は自ら口にした。それはスパイと同じようなものだったと。
もしこれまでの情報を組み合わせ、構築すると、結論的に玲は俺を「騙していた」ことになる。そのたった一言だけの事実が、今までの幻想の全てを打ち砕く。確かに流れていたはずの時間が偽りとなって、全てが姿かたちを変える。騙されていた、ずっと俺は玲に最初から・・・くそっ、許せねえっ!!
・・・と、なるわけないだろ。
例えそこに偽りがあったとしても、例え結果的に騙していたことになっていたとしても。今まで共に過ごした時間が変わることはない。記憶は変わらない。俺という存在の中の柳原 玲は、どうあってもやっぱり仲間、大切な存在なんだ。
こんなこと・・・って言ったら悪いんだけど、これで玲に対する俺の意識が変わることはない。どれだけ悲観するような出来事があっても、俺達はそれ以上に輝きを放つ時間を持っているから。
「でもね・・・それが間違いだったってことはすぐにわかった。あの出会った時から、あなたが冷酷で劣悪な存在なんかじゃないってことはすぐにわかった。もしかしたら装ってるのかも、とも思えなくもなかったけど、それはないなと直感できるほどにあなたは完全に素の状態だった(笑)」
うっすらと笑みを浮かべる玲。その笑顔はなにかどうしようもないほどに仕方ないことがあったような、そんな皮肉めいた笑みをふくんでいた。
「圧倒的な力を秘めているというのは結果的に本当だったけど、それでもあなたはドラゴンについても、そしてこの世界のこともなにも知らない赤ん坊同然の状態だった。伝えられた情報のあなたと、実際に会ったあなたとの違いがありすぎて思わず笑ってしまったわ。だってもはや別人なんだもん」
「あなたに記憶がなかったことを知らなかったことを含めたら、もしかしたらその情報も正しい可能性がゼロではなかったけど。でもいやおうなく私は悟った。どう考えても上からの情報は間違っている。嘘の情報を持たせてこんな任務を負わされている。そう思うと、今まで正しいと思ってやってきたこと全てが、間違っているように思えた。わかっていたようで、なにもわかっていなかったって思った。そしてその想いは、あなたと過ごしていくうちに決定的なものに変わった」
フッ・・・
その瞬間、玲の表情が変わった。悲観でも皮肉でも怒りでも憎しみでもない、ただただ全てを受け入れ包み込むような、そんな柔らかな表情だった。思わず、俺は胸がかきむしられるような感覚を覚えた。
今までかすかに曇っていた玲の姿が、今ははっきりと見える。異常なまでに部屋の雰囲気と合っていないスティックバーの包装紙の色よりもはっきりと俺の目に映った。そのなだらかなウェーブがかかった、金髪のツインテールが浮かび上がる。体の動きでかすかに揺れる髪の先までしっかりと見える!
「あなたは、私を守ってくれた。命がけで、全力で、自らの危険も押しのけて私を助けてくれた。ううん私だけじゃない、あなたはいつでもみんなのために懸命に、命を張って守っていた。どれだけ負担が大きくても自分よりも誰かを助けようとした」
「・・・そんなあなたを、一体どうやってスパイしろって言うの?あなたと共に居れば居るほどに、あなたを監視しようと近付いた自分が途端に情けなくなった。嫌いになった。こんな人を、私は自分の竜王への憎しみだけで汚そうとしていた。私は・・・最低だった」
「玲・・・」
玲の放つ言葉の一つ一つが心に重くのしかかった。痛みさえ感じた。俺がただ普通に接している間にも、彼女は計り知れない重みと苦しみを味わってたんだ。竜王への憎しみ、そして俺への罪悪感。
君が最低だと言うのなら、俺はもっと最低だ。俺や親父への憎しみは今の俺にはどうしようもないかもしれない。だけど、もし気付いてあげられたら、力になれてやれたら。どんなに彼女の苦しみを持つことができていただろう。
どうしてこの一人の少女にそんな重荷を背負わせなければいけないのだろう。憎しみ、怒り、なぜ彼女にそんな感情を抱かせる。
「それなりの理由」、それはなんだ。今の俺には到底抱えられっこない問題なのか?
「それで、私は決心した。こんなんじゃいけない、こんなの間違ってるって思って、私は虎族から脱退した。かつての仲間を裏切るような行為だけど、それ以上にこのままの状態であなたに接することが耐えられなかった」
「私はあなたを信じ、あなたと共に歩いていきたい。だから私は、今ここに居るの」
・・・あなたを信じ、あなたと共に歩いていきたい・・・か。
俺には、もったいなさすぎる言葉だった。人にそれだけの想いを抱かせるほど、俺はまだ大きな存在ではない。むしろ俺が付いていっている存在かもしれない。けれど、確かにこれだけは真実だった。
あわよくば、俺もそんな存在になりたい。誰かに全てを託され、信頼され、そして共に歩いていける。そんな存在に、俺もなりたい。
みんなと一緒に、歩いていきたい!
ザッ
「ん?」
気が付くと、玲はスッと後ろへ下がって胸のあたりに拳を置いて、ゆっくりと俺を見据えた。
「ごめんね、でも一応ちゃんとけじめをつけときたいから」
なにがなんだかわからず戸惑う俺。周りの景色に視線をあちこちに向けてから、最終的に工藤の元へとその視線は辿りついた。工藤もそれに気がついたのか、俺の方へニッコリと微笑んで言った。
「これから彼女が自分の本当の想い、決意を見せますから、ちゃんと見ててあげてください」
「・・・決意?」
スッ
そして俺がそう言う間もなく、玲は拳を胸に当てたまま目をつむり、その場にしゃがみこんだ。それはまるで、王国の騎士が王様に対して忠誠を誓う、そんな姿勢のようだった。
「私、柳原 玲はあなたを信じ、未来永劫あなたに付いていくことをここに誓います。力もなにもなく、なんの役にも立てないかもしれませんが、どうかこれからもあなたと一緒に、あなたの傍に居続けることをお許しください」
「え、え、なに、どうなってんだこれは??」
突然の出来事に最高に困惑する俺。そんな俺に、横に居る工藤は俺とは真逆に非常にいつもどおりの冷静さで俺に教えてくれた。
「さあ返事を。許すのか許さないのか。それだけのことですよ」
「許すのか、許さないのか・・・」
俺はしゃがみこんでいる玲を見つめた。顔を下に向けて、じっと俺の返答を待つ玲。玲の決意に俺がどう応えるか。全ては俺にかかっていた。俺次第だった。
だけど、俺に残された選択肢は一応は二つあるが実質一つしかない。それ以外の選択肢も選べないし選べるわけがない。また、考える必要もないし迷う必要もない。
玲が俺と共に居たい、付いていきたいという想いを、拒む理由なんて一体どこにあるというんだい?
「許すも許さないもなにも、そんなの良いに決まってるじゃないか。むしろ俺がお願いしたい。玲にはこれからも俺と一緒に居てほしい。こんな俺だけど、それでも良いならどうか傍に居てほしい。だから顔を上げてくれ玲。こんなの俺達には似合わないよ」
「・・・はあ~~良かった~・・・」
俺のその言葉を聞くと同時に、玲は安堵のため息をもらしてその場に崩れてちょこんと床に座った。よっぽど緊張していたのか、その脱力感は凄いものだった。もうふにゃふにゃだった。
「これからまた色々と戦っていく前に、ちゃんとしておきたかったんだよね。でもありがとう蓮君。こんな私だけど、これからもよろしくねっ!」
「ああ、こちらこそよろしく。・・・けど、これはちょっとなんか恥ずかしいな・・・」
パチパチパチ!
すると拍手をしながら工藤が俺達の元へ歩み寄ってきた。相変わらず憎たらしい笑顔を浮かばせながら。
「いやはや良かったです。これからも魔族との戦いは続きます。そんな中でもこうして団結して絆を深めあう事には大きな意味があります。これから先、決して一人では通れない道が続きますからね」
「・・・もしかして、お前最初っからこの展開になることを仕組んでたな。はあ、もうそれならそうと普通にそう言ってくれればいいのに。なんかめっちゃ緊張しすぎてくたびれちゃったよ。でも、まあいいか。こうしてちゃんと玲もけじめをつけられたことだし。万事OKだよな、健」
俺が振り向くと、そこには誰もいなかった。あるのは部室の白色の素っ気ない壁と、手前の机に置かれている布地が緑色の、中央の4マスに白と黒の駒が交互に置かれたオセロの盤が置いてあるだけだった。
「健・・・?」
俺は辺りを見渡した。目の前には玲、そして工藤。その横にはイスに座りながらこちらを見ている伊集院さんの姿。しかしどこにも健の姿はなかった。そして、健のイスの横に置かれていたはずの鞄も、いつのまにか無くなっていた。
「おかしいわね。確かにさっきまでそこに居たはずなのに・・・」
不自然に開けたその光景。確かにあったはずの人影が消え困惑する俺と玲。しかし工藤はその光景を見ながらもどこか遠目で見つめるように見て、そしてぼそりと小さく呟いた。
「逃げたか。いや、それとも安心して身を退いたのか。どちらかと言うと後者ですが、どちらにしても面倒な状況ですね。彼にとっては・・・」
「工藤、お前なにか知らないか?」
どう考えてもなにか俺達とは別のものを見ている工藤。そんな工藤に俺は単刀直入に尋ねてみた。こんな状況で、最も真相の近くに居るのはおそらくここに居る、工藤 真一であることは間違いないだろうから。
「知っていると言えば、一応知っていますかね。第一、元々今回これまであえてあなたに教えなかった虎族についてお話したきっかけの中に、相川さんも十二分に含まれていますから」
「・・・健が?」