第百四十六話 刃向かいし者~絶対的力に、抗いを誓い・・・~
「玲が、元虎族・・・」
いつでも驚きと急激な変化の下で生きてきたが、この一つの衝撃はその中でも光るものがあった。
それがなぜだかはわかっている。今までとなにが違うかもわかっている。自分の意識の中でそれをはっきりと理解している。今の俺の中では、いつも邪魔する景色が霞むような霧などは一切ない。
だって、それが玲に関わるという理由だけで充分じゃないか。少なくとも俺はそれだけでいい。
いつのまにか、俺の中で少しだけ玲に対する感覚が変わっているような気がした。だけどその変化は見えないほどの微々たるもの。考えとして具現化するにはまだまだ遠い先のことだった。
けれど、変化は変化であることに違いはない。自分でも気付かないレベルだけど。
「うん、確かに私は以前まで虎族側に属していた。以前というのはこの学園に入るずっと前から、蓮君に出会って少ししてからまでのことだけどね」
玲は言った。だけどその表情はあくまで冷静だった。焦るわけでなく戸惑うわけでもなく、あくまでいつもの玲の姿がそこにあった。まるでそれはこの時が来るのをずっと前から予測していたかのように。
動揺しているのかと言えば、それはまさしく俺のことだった。ふう、話す側が冷静で、聞く側が一人で困惑するとは、全く情けない話だ。
だけど、この淡く薄い透き通った水色の感覚はなんだ?
「彼女が元虎族であり、ここまでのいきさつをを今あなたに知ってほしいわけですが、その前にあなたは知っておかなければならないことがあります」
すると玲の話を横切るように遮って、工藤が言葉を滑りだす。
「正直、あなたはまだ虎族について良く分かってないでしょう。竜王に反抗するもの、それが虎族ですが、その「程度」というものを知っていただかないと、この話は紙きれのように全くの無意味となります。ですので、面倒でしょうが軽く私が説明させてもらいます」
キュッ、スタ、スタ・・・
そして工藤はその進行方向を俺へと向けて、静かに歩き出す。一歩一歩踏み出すたびに鋭くなっていく視線。神妙な面持ち。少しずつ近づいてくるたびに、不可解な威圧が俺へとのしかかってきた。なぜだかはわからない。だけど、この威圧に俺は・・・
ピタッ
工藤は、俺の目の前に立ち止まって、真っ直ぐに俺を見つめた。刺すような眼光。向こう側の景色がゆらゆらとぐらついてみえた。
「先程私は言いました。今現段階で竜王であるシリウスに勝るドラゴンはいないと。ではそんな最強のドラゴンに、虎族の連中はどうやって刃向かおうとすると思いますか?」
「え・・・」
一瞬、完全に頭が真っ白になった。今まで生きてきた時間の記憶が思わず飛び出てしまいそうになるぐらいに。いけない、その次についでるだろう工藤の言葉に、俺は耐えられないかもしれない。
急速に膨らむ静かなる威圧に、俺は平常心を保つことができなかった。
「これはあくまで我々の見解です。ですが悪い方向に事態が進めば、これが最も現実と化す可能性が高いと我々は考えます。それは」
それは・・・?
「竜王であるシリウスに間接的にダメージを与えるべく、おそらく標的としてあなたを捉えます。もし私がそちら側の存在だったとしたら、間違いなく私もその方法を考えます」
「やはり、俺なのか・・・」
嫌な予感は見事に的中した。ほんの少しの希望も完膚なきまでに叩きのめすように。
標的は俺。その理由は多分、俺が「竜王の息子」であることだろう。ハハ、確かに効果的な戦略だよなあ。力では勝てないシリウスに対して、息子である俺を標的とすることで相手にダメージを与える。実に賢いやり方だ。それが最も有効な作戦だろう。最も簡単で、最も近道・・・。
俺は通常時、なんの力も持たない。紋章の力は今は例外として。俺単体の力では、魔族ともろくに戦えないだろう。それならその魔族をも凌ぐ力を持つドラゴンに、俺が勝てるわけがない。その証拠が前回の戦いの結果だ。あの連中と戦って、俺はものの見事にやられた。相手に傷を負わすことも出来なかった。
もし俺に紋章の力がなければ、俺は確実にここには居ない。間違いなく殺されていただろう。
そんな俺を倒すことなど、本来のドラゴンならなんの造作もないことだろう。故にその戦略は最も有効的な戦略だろう。俺と親父である竜王とでは、力は天と地にも収まらないぐらいに差がある。
自らの力の弱さが生み出した結果、それがこれだ。くそ、情けなさ過ぎて笑いがこみ上げてくる・・・!
「・・・どうやら少し刺激が急すぎましたね。大丈夫、ご安心ください。これは全くの空想、架空の話です。現実ではありません。実際現状で虎族がそのような過激な活動は一切していません。それにこれからもおそらく、そのようなことも起きないでしょう。起きたとしても、その可能性は限りなくゼロに等しいと思います」
「ただ一応記憶の片隅にでも、虎族のことを覚えていてほしく、少し起きるはずのない最悪の状態を言わさせてもらいました、すいません」
「え、ああ、おう・・・」
空想、架空の話・・・か。
一体どこまでがそんな話だと言うんだい?
「では長々とお話してしまいましたが、ここで玲さんに発言権をお返しします。元々はこれがメインですからね」
スッ
そして工藤は何事もなかったようにいつもの笑顔へと戻り、自分の場所へと戻っていった。一度だけの沈黙の間が続いた後、玲がその沈黙を破って話は始まった。
「私は確かにここに来る前までは虎族側に居た。工藤君の言った通り、虎族は竜王率いる竜族に悟られぬよう大きな行動は慎んでいるの。だけど皆が思っていることは同じ、竜王であるシリウスに刃向かう。そしてみんな、それなりの「理由」を持って行動していた」
「勝つことはできないと知っていても、抗うための理由が」
信念というものはある意味で恐ろしい。だがそれ単体にはなんの力もない。姿かたちさえもない。だけど、時にそれは存在を闇に飲み込むほどの強大な力を持つことがある。信念という恐ろしさの大半は、その意志の強さ、そして諦めの悪さにある。
どれだけ弾き返されても、どんなに突き飛ばされても。どれだけ力の違いを見せつけられても。それでも何度も立ちあがり防御なんて気にせずがむしゃらに立ち向かう。
存在はがむしゃらになるほどに全ての壁を突き破る力を得る。鉄壁とも言える高き壁も、登るのではなく破壊する。そんな力に、一体どれだけの力を持っていればその全てを封じることができるだろう。
不可能?いや不可能じゃない。ただ、可能なことではない。
「理由・・・か」
例え相手が竜王であっても、抗い続ける存在。その固き信念は今の俺には到底持てっこない。だけど、俺以外の普通の存在にも持てっこない。それほどの信念を持つには、ある「特定の感情」が必要だ。
それを言葉で表すなら、そう・・・憎しみ、またはそれに類似する感情でしかない。
「なら、玲にもなにか理由が・・・いや、ごめん。なんでもない」
俺はその言葉を口にするのを自ら拒絶した。一瞬だけ捕らわれそうになる意識も、目の前に居る柳原 玲という存在を目にして、捕縛から解放される。
「今は、話せないよな。その理由とやらは・・・」
「・・・うん、ごめん。今はまだ無理かもしれない。でもきっと必ず蓮君に私の口から話すから。その時まで、少し待っててくれる?」
今まで何度となくこんな場面に出くわしてきた。雰囲気に流されて、欲望が思うがままに存在の秘めたる想いに足を踏み入れる行為。わかっていたのに、わかっているのに俺はその行為を平気でやろうとする。
もし今玲がそのことを話すなら、まず真っ先にそのことを俺に言ってくるはずだ。なぜ虎族に居たのか、なぜ竜王であるシリウスに憎しみを持っているのか。
存在には許可なしに踏み入れてはならない世界がある。もしそこに無断で立ち入ったら、その立ち入った存在か立ち入れられた存在のどちらかが傷つき、苦しみ、そして最後には壊れる。そこに残るのは悲しみ以外のなにものでもない。
・・・そろそろ学習してほしいねえ俺。みなさんも何度も同じことを繰り返してる俺のこと、正直もううんざりしてるでしょ?だけどもう少しだけ頑張って見ていてほしい。俺は速く大きく前へ進む事なんてできないが、それでも確かに前へと進むことはできているはずだ・・・多分。
「そのことは話せないけど、今日は私がなぜ虎族から脱退し、ここにみんなと居るかだけでも蓮君に話したいの。・・・聞いててくれる?」
「ああ、もちろん。話してもらえるだけでもありがたいことだから」
「・・・うん、ありがとう」
拒む理由なんてどこにあると言うのだろうか。むしろそっちを俺は知りたい。大切な仲間が努力して自分を伝えようとしている、それを拒むことなんてできるものか。いやできるはずがない。
むしろ、是がひにでも聞きたいと懇願している俺がそこに存在している。
「確かに私は竜王であるシリウスに刃向かう側に居た。それはそこに居たみんなも同じ。同じような想いを抱いてみんなは一つになり、共に助け合っていた。そんな場所に私は喜びを抱いていた。同じような想いを抱えている人がいる、同じ志を持つ人がいる。それが、大きな大きな安心感になっていた。もはやそれは仲間と言っても良かった。だけど・・・」
「だけど、時が経つにつれて同じ志を持っていたはずの仲間は、気付いたらその憎しみを増幅させ、いつのまにか私が思っていた以上に進んだ場所に居た。仲間はもう、本格的に考えを行動へと移そうとしていた。竜王へと反抗する、今まで以上に攻撃的な考えが全体を占めていた」
「そして虎族の上の人は私のようなまだ成熟していないドラゴン達に伝えた。「竜王の息子である、一之瀬 蓮が御崎山学園に入学する。お前達はその一之瀬に近づき監察、監視、あらゆる情報をこちらに提供しろ」と」
「つまり、蓮君に故意的に近づいてその行動を見張る。言うなれば「スパイ」めいたことをしろと言ってきたの」
スパイ
その単語が妙に心に響いた。それがなぜだかはわからない。だけどその言葉が重く心にのしかかった。締め付けて、縛りつけるように。
虎族の上層部がどんなやつらなのかはわからない。だけど俺と同じ未成熟のドラゴンにスパイのようなことを命令した。それは事実だ。この学園での生活を純粋に楽しんでいるように見えて、実は誰にも知られずまだ学生である身には酷な指令をその上層部から下されていたのだ。
くそ・・・考えれば考えるほど腹が立ってくる。だけど、それに俺が口を出すことはできない。虎族の連中の大半は竜王を憎み、そして俺をも憎んでいる奴が占めている。もしかしたら、それを自らの目的のためとして、進んで遂行した奴もいるかもしれない。
だけど、そんなのってねえよ。俺や親父なんかへの憎しみで、大切なかけがえのない自分の時間を犠牲にするなんて。そんなのってねえよ・・・!
「虎族に居る限り上層部からの命令は絶対。そして私達もそれを承知の上、いやそれが自分の進むべき道だと決めてそこに居たのだから、私達はその命令に従い、この学園に入学した」
「その中でも私は、最も蓮君に近づくことを命じられていた。それがなぜだかはわからない。だけど竜王への憎しみがあったのは事実だった。そして仲間であるみんなのためにも、必ず任務を遂行してみせる。そう誓って私はこの学園にやってきた」
「だけど・・・」
スッ・・・
その時、玲の眼差しが変わった。俺をじっと見るその瞳。だけど一瞬、キリリと締まった真剣な表情に、淡い柔らかな感情が混じったような気がした。
「あなたに出会ってあなたと共に過ごしたことは、その時の私にとってこれ以上ないってぐらいのマイナスだった・・・」