第百四十一話 試練はいつも最後に~決心は揺らがない、多分~
「やはりこうなるか・・・。まあ予想はしてたけど、それでもこれはなにかある気がするな・・・」
閑散とした競技場にポツンと置かれた得点票。そこに刻まれた数字を見つめ、様々な想いを描く。服やズボンには地面の砂が所々に付着し、どうかしたら顔にも付いている。ボロボロになりながらも表情には強い意志が宿り、息を荒げながら行く末を見据えていた。
「まあ仕方ないよな。でもここまで来たら優勝を逃すわけにはいかない。ここまで来て負けたらそれこそ苦い思い出にしかならないぜ」
健がうっすらと笑みを浮かべながら言った。同じく視線を得点票に向けながら。健は俺よりも全身砂だらけで、もはや気にするのも面倒なほどに汚れていた。だけどその砂の一つ一つが歴戦の証し、健がどれだけ全力で立ち向かっていったかのいわば勲章のようなものだった。
「・・・考えることはみんな同じだよね」
この一日という非常に短い期間に様々な驚きや感動を刻んだ体育祭もいよいよ大詰め。午後に入ってからも午前と変わらず、いやそれ以上に生徒が見せる気がこもった数々の名勝負に観客はヒートアップしていった。
ただ自分達のクラスの優勝のために、ひたむきな姿に誰もが引きつけられていた。
そして俺達A組と工藤達C組の戦いもまた、熾烈を極めていた。そもそも高校の体育祭とは思えない熱い勝負の連続で、あちらが勝てばこちらが勝ち、こちらが勝てばあちらが勝つというようにどちらも優勝を譲らない戦いが続いていった。
だけど、それももう最後。全ては今から行われるクラス対抗リレーで勝負は決める。泣いても笑っても最後は最後、これを制したクラスが学年の頂点を究める。あのゴールに一番最初に飛び込んだチームが・・・
「さて蓮、円陣を組もうぜ。最後の最後の大一番だ。ここまで来たら後は精神力と運だ。だからせめて精神力で負けないように、気合いを一発入れようぜ!」
健は俺の方を向いて言った。その顔は実に爽やかで、これから始まる最終決戦に不安など微塵も感じていなかった。まあ、それだけ自分のクラスに自信があるってことか。それは、多分みんなも同じだ。
「よしやろう。みんな集合~ってあれ??」
俺がみんなを集めようと振り向くと、そこには既に俺達以外のクラスメイト達が円になって俺を見ていた。まるでそれがさも当り前のことであるかのように。
「もう言わなくてもみんなわかってるってことね」
「後は、リーダーの意志次第ってことだな」
ザッ
そして玲と健もその円に加わる。そこに、一人分の隙間を残して。
「・・・たく、こういう時ぐらいカッコつけさせてくれよ。まあいいか、よし!」
スッ
そして最後にそこに俺が入り、一つの円が完成する。男も女も関係なしに砂だらけの泥だらけ、だけどみんなしっかりと前を向いていた。そこに悲観の色なんてどこにもなかった。あるのは勝利を信じてみんなを信じることだけ。
「・・・よし、今まで俺達は全力で戦ってきた。そのおかげで今俺達はC組と並んで1位タイ、優勝はすぐそこまで来ている。ここまできて、みすみす相手に優勝を譲ることなんて、みんなできないよな?」
俺がそう言うと、みんなはしっかりとした頷きでそれに応えた。みんなの意志は揺らがない、ただひたすらに優勝を見据えていた。俺なんかが心配する要素なんてどこにもない。
今の俺達なら、どんな相手にだって絶対に勝てる。勝ってみせる!!
「走って走って走り抜いて、そして・・・絶対このリレーで勝って、絶対に」
「優勝、するぞーーーーーーっ!!!!」
全員「オォォオオオッ!!!」
「よ~い」、パーン!!
ダッ!!
そして火ぶたは切っておとされた。学年別クラス対抗リレー。この体育祭の最後の競技、優勝を決める戦いが今始まった。
「くっ、いきなり工藤が一番手に来るなんて」
C組の1番手はなんとあの工藤だった。てっきりあいつはもっと最後の方だと思っていたのに。しかもあいつの走りがどんなものかは知らなかったが、今見るとそれは憎たらしいほどに正しい走り方していた。しかも速い、うちのチームの1番手も陸上部の奴なのにそれを突き放してトップに躍り出ていた。
「それだけ選手層に余裕があるってことか・・・。上等だ、そっちがその気ならこっちもやるまでよ!!」
パシッ
そして早々と次のランナーにバトンが渡る。このリレーは午前にあった女子生徒による二人三脚と同じルールで、トラック半周で次の人へバトンを渡し、最後のアンカーが1周を走るというものだ。なにせクラス全員が走るからな、半周といえど全ての走者が走り終えるまで結構時間がかかる。
だけどそんな余裕をぶっこいていたらあっという間に戦局は傾く。リレーはたった一つのミスが命取りになるからな。最初から最後まで全力でいかなければならない。しかし問題は最後だよな。
最後の走者であるアンカーはA組が俺でC組があの朝風 隼とかいう奴。あの朝風という奴はわざわざ昼休みに俺に宣戦布告をしてきたやつだ。それも必要以上に自信たっぷりに。正直、あいつに不安要素を抱えているのは嘘とは言えない。一体、どれほどの力を持っているのだろうか・・・
「玲、かっ飛ばしていけよー!!」
「ん?もう玲の出番か」
今回俺達のチームは初めに力を入れるというもので、女子でも男子に全くひけをとらない玲には序盤の方に入ってもらった。ここら辺から相手に差をつけて、余裕をもって最後に繋げられれば・・・
ダダダッ!!
「お~とここでA組がC組を捉えた。そして一気に抜き去った~!!」
「よしっ、さすが玲!」
最初の工藤に奪われたトップの座を玲が取りかえす。バトンを受けて一気にトップスピードに駆けあがり、美しいフォームで力強く大地を蹴りあげ走る。ここまでC組に首位を明け渡していたが、ここでようやくその座を奪い取る。問題はここから、いかに後ろとの差を広げるかが勝負の分かれ目だ。
「さあレースは既に中盤を迎えています。先頭はA組、次いでC組。その差はトラック4分の1ほど。その後にD組・・・」
レースはあっという間に過ぎていった。俺達A組はなおも先頭を走る。しかしその差は思ったよりも広がっていない。これでは後半勝負にもつれ込むと追いつかれる可能性がある。うちのチームもがんばってはいるが、足の速い奴が多いC組相手ではそう簡単にはいかない。差はあってもしっかりと後ろに付いてきている。さてどうしたものか・・・?
「お・・・これはまた良いタイミングで」
俺は目の前の次の次の走者が待機する場所に立ち尽くす、及川の姿を見つけた。あいつ、ただガリ勉なだけと思ったら大間違い、実はかなり足は速い。俺も追いつくのにかなり苦労したほどだ。あいつなら今の差をグッと広げることも可能だろう。
だが問題が一つある。それはあいつがその時の力を発揮してくれるかどうかだ。基本的にあいつは自分の運動能力に関してあまり人に見せたがらない。おそらく今回も一応は頑張って走るだろうが、なにかが足りない。あいつにはどうしても本気で走ってもらわなければならないのだが・・・。
よし!
「なあ及川、ちょっといいか?」
「ん?なんだい一之瀬君」
いかにもなにも考えていない感じに振り向く及川。普通こういう時ってなにも考えずにただ走るってほうがいいんだけど、こいつの場合はそれでは一味足りない。こいつの秘められた闘志に火をつけるには、やっぱり
「このリレーは俺達チームにとって大事なものだが、お前にとっても大事なものなんだぜ?あの伊集院さんに近づくためにも」
「!!」
俺がそう言うと、及川はあからさまに興味を示した。その度の強い眼鏡の下の目はきっと、今まで以上に鋭いものとなっているだろう。
「いや~もしここでお前がいい走りを見せたら、きっとカッコいいと思うんだよなあ。それに、伊集院さんは「身体能力の高い」人が好みらしいしね」
「なっ!?」
我ながら適当なことを言っているが、一応伊集院さんに振り向いてもらうことに繋がらないわけでもない。まあもし本当に身体能力が高い人が好みだとしても、伊集院さんの言う身体能力はきっと人間では辿りつけないものだろうけどな。
「わかったよ一之瀬君。僕は・・・この走りに全てを賭ける!!」
なんか悪い気がするが、まあでも双方共に損はしないだろ・・・多分。
「ぬうおおおおおお!!!」
ズダダダッ!!
「お~とA組の走者、及川君の激走だ~。速い速い、後続をぶっちぎっています!!」
「・・・なんだ、あれ?」
俺以外の全てのこの場を見届ける人が唖然とした。その及川の走りに。あの姿から誰がこんなにも足の速い奴だと想像できるだろうか。あの健でさえも度肝を抜いているぐらいだ。
「及川・・・グッジョブ!&すまん!!」
そして勝負は終盤に差し掛かり、最終局面を迎えようとする。
「いけーー、頑張れーーー!!!」
更に高まる声援、最後の大勝負も終わりが近づき選手も観客もみなヒートアップしていた。バトンを受けて走る一人一人の走りに大きな歓声が起き、瞬く間に順番は消化されていった。
「さてもうすぐ俺達の出番だな。まあまだこれだけ差があったら大丈夫だろうけど。そういえば、C組のアンカーって誰だか知ってるか?」
終盤に差し掛かり序盤に主力を固めた俺達A組は、序盤に作ったリードから比べれば少し縮まってきてはいるがそれでもまだ余裕はある。この相手チームの追い上げにもしかしたらつかまるかもしれないが、それでも健や俺につながればなんとかなる気がする。もし、このままいってくれたら・・・
「ん、ああえ~と、確か朝風 隼ってやつだったかな・・・」
「・・・は!?」
俺がその名を口にすると、健は目を丸くして異常なほどに驚いた。
「朝風 隼!?お前本気で言ってるのか??」
「えっと・・・一応本気なんだけど」
すると健は手を頭に添えていかにもしまったーというポーズを取る。俺はというとなにがなんだかわからずはてなマークを頭上に出し続けていた。
「くっそ~まさかあいつがC組だったとは。完全に盲点だったぜ。あいつはな、一年の身ながらインターハイに出場、しかも100mで決勝、全国のベスト8まで上り詰めた陸上界の超期待の新星だ。この間のスポーツテストでも校内1位だった奴だぜ?」
「インターハイ、決勝、ベスト8・・・」
その言葉に、真剣に景色がぐらついた。今までなかった不安が突然急激に膨らんで、抑えきれないぐらいに膨張し、俺を支配した。
健と俺に繋がれば勝てる、そう思っていた。例え追いつかれても俺達ならやれるだろうと思っていた。だけど違う、後ろとの差が僅かなら、俺達A組は負ける。それも俺のアンカーで後塵を舐めることになる。これまで懸命に繋いできたバトンを、俺が失うことになる・・・。
いかん、心臓の鼓動が早まる、周りの景色をしっかりとみることが出来ない。立っているのが辛くなるほどに気分が悪くなってきた。
「いまごろ気付いたか、バカめ」
その時、そんな俺の背後からある声がした。