第百三十九話 両極の歓声~想いはその手に走り出す~
ドパン、パン、パン、パーン・・・
いよいよこの日がやってきた。皆が待ち望んだ体育祭。どのクラスも自分のチームの勝利を信じ、一致団結して一生懸命に取り組んできた。いくら頑張っても勝たなくちゃ意味がないと言うけれど、もしかしたらこうしてこの場に立つことができたことに喜びを感じる人も少なくないだろう。
「へ~、なかなか賑わってるな・・・」
澄み切った青空。天候は快晴、まさに体育祭日和だ。しかし体育祭というのはどこもこんなにも盛大なものなのだろうか。生徒の父母などの来校者の数もまた凄いものだが、それよりもこの会場は賑わっている。
さすがに陸上の大会などに使われるトラックではないが(ちなみに校外に設備が整ったトラック競技場もある)、それでも元々かなりの面積を誇っていたこの運動場。その運動場に白い石灰で楕円形に線が描かれ、その白線でできたトラックを挟んだ向こう側が俺達生徒が待機する場所、手前側が父母席となっている。
しかし生徒席の後ろにはそれぞれの団が作った大きなアートのようなものが飾られ、トラックの左右には団の象徴ともいえる旗が置かれている。旗もこれもまたかなり手の込んだものが描かれていて、紅い竜や黄金のトラ、蒼き獅子まで描かれている。まだ始まるまで少し時間はあるが、上級生の席ではもう円陣や気合い入れなど、既に盛り上がりを見せていた。
「まあこの学園における二大イベントの一つだからな。体育祭と文化祭、どちらも生徒にとってはこの上ないイベントだ。ああ、ちなみにこの学園の文化祭は12月24日、クリスマスイブの日に開催されるぞ」
ぞろぞろと待機場所に集まりだした生徒達。待機場所って言ったってただイスを外に持ち出して置いただけのいたってシンプルなものだ。開会式が近付くにつれてそこら辺にたむろしていた生徒が自分の席に着きだす。俺と健と玲はもう既に着席していて、適当に会話しながら始まるのを待っていた。
「ふ~ん、体育祭がこの賑わいならそっちもかなりのものになるんだろうな」
文化祭か、ここの世界に過去が無い状態で来て良いこともあるんだよな。その一つとして全ての行事が俺にとっては初体験なわけで、この学園では初めてでも何度かは同じようなことを体験しているみんなよりは楽しさも増すってもんだ。まあ少し開き直っている感じだけど、とても楽しみに思うのは素直に本当のことだった。
「えっと、最初は開会式をして準備運動して、それから競技に入っていくんだよな。最初の競技ってなんだっけ・・・」
俺はポケットに無造作に折りたたんで詰め込まれたこの体育祭におけるプログラムを取りだそうとする。しかしその時、頼んでもいないのに突然ある奴のご丁寧に解説付きのコメントが耳に届いてきた。
「最初は借りもの競争からですよ、一之瀬さん。この学園では借りもの競争がプログラムのはじめを飾るというのが伝統らしく、毎年多くの伝説を残してきたんですよ。まあ最初はぐっとくだけたやつから入った方が観客は競技にのめり込みやすいですからね。この最初に先入観を与えて安心感を・・・」
「あ~わかったわかった。頼んでもいないのに競技を教えてくれてありがとう。だがいらん解説はノーサンキューだ!」
見上げると、そこには工藤の姿があった。たくっ、A、B、C・・・と、あいつの席とは一クラス挟んでるから俺の横の道を通る必要はどこにもないってのに、わざわざ遠回りしてこいつはここに来た。全く、つくづく面倒な奴だ。
「おう工藤!今日の勝負は俺達がもらうぜ。総合ではどうなるかわからないがこの一年の部では俺達A組が優勝は頂きだ。覚悟しとけよ!」
そしてその工藤に待ってましたとばかりに挑発する健。いつもながらの勝気な性格ゆえに、工藤達がいるC組には負けたくないんだろう。それにあのゆるぎない自信、あそこまではっきり言ってくれると、頑張りたいと思う気持ちになっちまうんだよなあ。ほんと、みんなを盛り上げることに関しては健の右に出る者はいないだろうな。
「おやおやそれは怖いですね。確かに一之瀬さんに相川さん、それに柳原さんも居ればこれはもう優勝候補筆頭と言っていいでしょう。しかし、我々もそう簡単には負けませんよ。我々C組にはあなた方A組を破る力は大いに備わってますからね。こちらも全力で取り組ませてもらいますよ」
たくっ、一度は俺達を持ち上げといて結局勝つ気満々かよ。でも実際、この体育祭で一番のライバルとなるのはC組に違いないからな。それに工藤がただ普通に体育祭に取り組むとも思えないし。総合的な力から言えばあっちのほうが若干の分があるような気がする。まあ差はほとんどないけどな。
「ではまた後ほど。お互い正々堂々と戦いましょう」
そして工藤は俺達にいつもの笑顔を見せながらそう言うと、自分の組の場所へと戻って行った。
「ふん、あいつらにはぜってえ負けねえ。今日は絶対勝つぞ蓮!」
「ああ、そうだな。あいつにも目にものを言わせないとな」
しかしわざわざ始まる直前に俺達のところへ来るって、なにか意味があったのだろうか。あいつが無駄に俺達に挨拶を交わすことになんのメリットもない気がするのだが。
「では、これより開会式を始めます。選手一同は整列してください」
ザッ・・・
ま、そこまで気にすることもないか。
競技は滞りなく究めて順調に進んでいった。
初めの借りもの競争を筆頭に、大玉転がしにパン食い競争、タイヤ引きにムカデ競争などなど・・・、順調に競技をこなしていった。まあ正直、今のところ俺達一年が出ているのは最初の借りもの競争と大玉転がしぐらいのもので、今のところはさほど勝負になるような感じではない。
「お、絶対勝てよ玲!」
そして次は女子生徒限定の二人三脚だ。学年別各クラス対抗でそれぞれリレー方式で順位を競う。クラスの全女子生徒が参加する競技で、人数が奇数だった場合は一度走った人と組むことも可能だ。言わずともどれだけ息を合わせて走るかが勝負のポイント、ただ脚が速くてもコンビの人と合わなければ逆にロスになってしまう競技だ。
「頑張れよ玲。組む相手は・・・確か篠宮さんだっけ?」
「うん。優菜とは気が合うしそれにこの組のアンカーだしね。できるだけ上を目指してみる」
玲と篠宮さんとのコンビか。どっちかっていうと性格的には正反対に近い二人。だけど不思議と仲はとても良く、中学校の時からかなり親しい関係だったらしい。おとなしめであんまり運動が得意じゃなさそうな篠宮さんだが、玲がうまく篠宮さんをリードしてくれそうだ。二人三脚としてのバランスはかなり良いと思う。
「二人三脚に出場する選手は、入場してください」
「じゃあ行ってくるね」
一言そう言い残して玲を含めクラスの女子生徒達が入場する。男よりも結束は固いところがある女子、その勝負もかなりの熾烈を争う戦いになる。
パーンッ!!
そして女子生徒による二人三脚がスタートした。グラウンドのコースを半周して次の人にバトンを渡す。二人三脚という事で少しばかり展開の遅さを予想していたが、それは大きな間違いだった。どの組も練習を積んできたのか、息のピッタリ合ったレース運びで、そのスピードは思っていたよりもずっと速いものだった。
一生憲命ひたすら走る女子生徒達。そこには俺達男子達にはない華やかさと爽やかさがあった。二人三脚ということでチーム同士にレベルの差がほとんどなくレースは接戦となり、転んだり猛烈に追い上げたりと急展開が多く、レースは盛り上がりを増していった。
「さあ現在のトップはC組、そのすぐ後ろにA組がピッタリとつけています。そして少し開いてB組D組と・・・」
そしてレースは終盤へと差し掛かる。二人三脚という事でそこまで差は出ないが、それでも時間が経つにつれて少しずつ集団がばらけてくる。レースは予想通りC組とA組のトップ争いになり、後続を引き離していた。両者とも差は僅かだがもう少しのところで縮まらない。追いついては突き放してと、非常に手に汗握る勝負となった。
「くっそ~あとちょっとなのにな~!」
あと少し、あと少しなのに差が縮まらない。そして刻々と二人三脚のペアは少なくなってくる。もうすぐそこだというのに追いつけないまま時間が過ぎ去っていき、徐々に焦りが生まれ始めてきていた。いつのまにか拳を握る俺の手も汗が滲んできていた。
パシッ、ダダダッ!
「くっ、あと残すところ二組か。ここら辺で追いついとかないと少し辛いか」
玲と篠宮さんのペアは充分に実力はありそうだが、相手の方もアンカーはアンカーだ。それもまさかの伊集院さんが居るペア。そう簡単には抜くことは難しいだろう。こういう展開では、結局最後まで追いつけず~という展開が多い。なにか勝負の行方に関わるアクションが欲しいところなんだが・・・。
パシッ!
そして最後から二番目のペアにバトンが渡る。先頭のC組のペアはすぐそこ、その背中目指して全力でスタートした、その瞬間だった。
「あっ・・・」
カランコロン・・・
あれだけ盛り上がっていて、なぜその音だけこんなにも鮮明に聞こえるのだろう。全ての景色から浮き上がるように、そのバトンは寂しげに地面を転がっていた。置いてけぼりのそのバトンは、この空間の空気を大きく歪ませた。
「な・・・」
ワアーー!!
今までと同じ歓声なのに、それとは違う歓声がその時湧き上がった。誰もがそのバトンの動きに眼がいき、感嘆の歓声と急激にこみ上げた敗北という文字に打ちひしがれてつい出たため息。両極端な空気がこの場を錯綜した。
バッ!
落ちたバトンを慌てて拾って再び走り出す。すぐそこに居たはずの背中はまだ遠いとは言えなくても、確実に目の前からは小さくなった。あと残すはアンカーの一組。この時点でのそのアクシデントはもはや致命的としか言えなかった。
「くっそ~・・・ここまでか」
1年A組の待機場所にあきらめの空気が立ち込める。さっきまであれだけ大きな声援を送っていたのに、あまりの突然の出来事に言葉を失っていた。それほどに、今の出来事はショッキングなものだった。
しかしそんな中、ある一人の人物がその空気を切り裂く。
「大丈夫だ!まだアンカーの玲達がいる。あいつらならどんなに差が広がっても追いつくことは可能だ!最後まであいつらを信じようぜ!!」
暗くなり始めるクラスメイトに、健が大きく叫んで喝を入れる。その声に、あきらめなど微塵もなかった。それも当り前か、この窮地でも決して下を向かないこと、それを健は当たり前にしてくれる。そしてみんなの顔を上げて前を向かせてくれる。それが、相川 健人という人物だ。
「さあ蓮も一発かましてやれ!玲達にでっかいエールを送ってやれっ!」
「ああ・・・まかせとけ!!」
スッ・・・
俺は向こう側にバトンがくるのを待つ玲達を見つめる。健同様、その姿に陰りはない。アンカーは他と違いこのコースを一周する。故に追いつく時間は厳しいけれどゼロではない。やってる選手がヤル気で応援する奴があきらめてどうするんだ。そして俺は、手を口を囲むように添えて思いっきり声を弾けさせた。
「玲、篠宮さん!!ガンバレーーーーーッ!!!」
「!!」
俺の突然の叫びに周りは騒然となるがそんなことはもうどうでもいい。今はただ、俺達の願いが玲達に届いて、そして少しでも力になってくれればそれでいい。彼女達が目指す先は、彼女達だけに背負わせるには酷なものだから。だけど、みんなが力を合わせればきっと手が届くはず・・・。あの、ゴールの先へ!!
玲と篠宮さんは驚いたようにこちらに振り向く。だけどその表情はすぐに勝負の顔になり、一度だけコクリと俺達へ向かって頷いた。
パシッ!
C組のバトンが一足先にアンカーに渡る。アンカーの一人にあの伊集院さんの姿。相方の一人とその細い体をガッチリと固めて、走り出す。
ダダダッ!
そして遅れてA組のペアが玲達の元へと辿りつく。その表情は自らが犯したミスを責めて、ただひたすらに玲達の元へとバトンを渡そうと必死だった。今にも、その眼には涙が浮かんできそうなぐらいだった。
「さあ思いっきり行け、玲、篠宮さん!」
パシッ!!
そしてその手に、砂にまみれたバトンが渡る。