第百三十六話 日常は変化する~過ごした者のみ知り得る答え~
<9月1日 二学期初日>
「ふあ~あ・・・」
またこの道を歩く。同じ場所、同じ景色。なにも変わらない、なに一つ変わらない歩き慣れたこの道を、俺はまた歩いていく。
だけど、この変わらない景色の中でも、そこを歩く俺は間違いなく変わった。この夏という季節を過ごし、色んな事を体験して、今の俺と夏休み前の俺では大きく変わったと思う。
この夏は俺を成長させてくれた。他の人から見たら微々たるものでも、確実に前へと進むことができた。この夏は、俺にとってかけがえのないものとなった。色んな出来事、プラスやマイナス、様々な出来事が俺を待ち構えていたけど、乗り越えた先には、自らの進歩が出迎えてくれていた。
夏に・・・感謝、かな・・・
学校へと続くこの道にも、本来の姿が戻っていた。夏休みの間は部活や自主的に勉強する人などで誰もいなかったということはないけれど、基本的に俺がここを歩く時には誰も居なく、閑散としていた。まあ時間が時間だっただけなんだけどな・・・。
登校する生徒で賑わうこの道。真っ黒に日焼けをした者もいれば夏休み中の出来事をさも楽しげに友達と話し合う姿もある。いつもよりも話のネタが多くあるこの日、この時、それでもその姿は変わらない。なにも変わっていない日常がそこに広がっていた。
今改めて感じる。やっと、また平凡な日常がスタートする・・・はずだったのだが。
あきらかに無視しがたい状況がなぜか目の前に広がっていた。
「・・・なんなんだこの状況は・・・?」
さっきから妙に俺に視線が注がれている。いや妙なんてものじゃない、道行く人々のほとんどから俺に謎の視線が送られている。しかもその大半が女子生徒で、なにやら笑みを浮かべながらひそひそと話している。普通、こんなにも女子から注目されている状況は羨ましい~とか思うかもしれないが、大きな間違いだ。こういう視線ってのは感じるだけで平常心で居られなくなる。しかもなにやらひそひそ話をしているのを見ると今度は不安が襲ってくる。
女子の視線と言うのはある意味怖い。なんだか色んな意味を含んでいそうだから。・・・一体なんなんだこれは。
(俺、なにかしたっけ?それとも今の俺が変なのか??だけど特に変なところはないはずなんだが・・・)
俺はじろじろと自分の体を眺める。しかし特に変わったところはない。制服も汚れもなくいたって普通だし、特に寝癖がひどいわけでもない。注目されるような要素は一つもないはずなんだが・・・。
ダダダダッ!!
すると、背後から音を立てながらなにかが迫ってきた。力強く地面を足で蹴る音。しかしなんとなく俺はそれがなんであるか、把握しなくても大体の予想はできていた。
ま、それでも少し予想外ではあったが。
「ようっ蓮。久しぶりだな!!」
ガシッ!
後ろからいきなり飛びかかってきて首に手をかける人物。その威力はなかなかのもので、朝の気だるさが残る体には少々強すぎるものだった。しかし、その人物が発した声を、俺はよく知っていた。
「イテテッ!っていきなり飛びつかれるとなんの準備もできてないんだから危ないからやめてくれ、健」
その人物に視線を向けると、そこには予想通りの人物の姿があった。いつもの笑顔にいつもの声。今さら紹介することもない仲間である、相川 健人の姿がそこにあった。
して、この展開でいくとまたもう一人姿を現すわけで・・・
「おはよう蓮君。また学校が始まるね」
「ああ、おはよう。夏休みもあっという間だったな」
いつもの会話、いつもの風景。この暖かで安心感さえ生まれるこの雰囲気に和ませられながらまたこの道を歩いていく。とりとめもない会話の一つ一つが俺にとっては貴重なものだった。普通にこうしてなんでもないことを話していられる時間の余裕、それはありそうでなかなか手にすることができないものだったからな。
「ああそうだちょっと聞きたいんだけど・・・。なんか俺さっきから変な視線を送られまくりなんだよ。自分じゃなんでかさっぱりわかんねえんだ。お前らなにか知ってるか?」
俺がそう聞くと、二人はいかにも驚いたような顔をして見つめ合う。あれ、この展開は何度となく見てきた展開だぞ。それもこれも俺が知らない、わかってないことが不思議に思うような感じなんだよな。ってことはもしやこれも・・・
「・・・まあ、さすがにもう蓮君のそれには驚かなくなったけどね。だけどこれだけ騒がられてて気付かないって言うのが、不思議で仕方ないわ・・・」
「さっすが蓮。相変わらず自分絡みの情報に疎すぎるなあ~。まあ今回は当事者だし、さすがに気付くと思ってたんだが。やっぱ期待を裏切らないな、蓮は」
健はそう言ってポケットに手を突っ込んで携帯を取り出す。そしてなにやらせわしなく指を動かして携帯を操作する。ボタンを押すかすかなプチップチッという音が妙に耳に届いてくる。
「ほれ、一番の主役が見てないってのも変だがこれがその代物だ」
スッ
そして俺に携帯のディスプレイを向けて差し出す。そこには
「実は良い人!! 1年A組一之瀬 蓮・・・ってなんじゃこりゃあっ!?」
見慣れたこの景色に響く俺の叫び声。道路の真ん中で大声を出した恥ずかしさや困惑など微塵も感じないぐらいに、俺はそのディスプレイに映っているある一つの文面に驚きを隠せなかった。
「蓮、昨日お前御崎シティプラザに行ってただろ?そんでそん時に千堂先輩ご一行と誰だかは知らんがチャラそうな男グループとが争ってる場面に出くわした。そしてその男グループの一人が千堂先輩に手を出そうとした時に蓮がそれを食い止めて撃退する!!・・・っていうことを体験しただろ?」
その文面に書かれている一つ一つの文と俺の記憶とが重なり合う。しかもえらくこと細かに書かれていて、相手の左フックを片手で受け止めた~とかその鋭き眼光で男を圧倒したとか、なんかやけに無駄に丁寧に書かれている。
「その場面を見てたのかそれとも関係者か。それはわからんが誰かがそれを掲示板に書き込んだんだな。蓮は知ってるか知らんがこの学園の生徒の多くが利用している生徒専用掲示板があるんだよ。まあ学校の裏ホームページってとこだな。そこにそれが書き込まれたおかげで、瞬く間に知れ渡ったってわけだ。それに反響も凄かったんだぜ?たった数時間の間にそれだけの閲覧回数とコメントを叩きだしたんだから。なんでも新記録らしいぜ?」
文面の下に記されているコメントの数々。そしてページの一番下に小さく載っている閲覧数の数。コメントの方はゆうに200を超え、閲覧数はもう500を突破していた。しかもそこに載っているコメントの数々は、妙に俺のことを持ち上げたような自分で見ていて恥ずかしくなるような、そんなコメントばかりだった。
「・・・・・・」
チラリ
俺は恐る恐る視線を他へと向けてみた。すると
「キャッ!」
タタタ・・・
数人の女子のグループが、一斉に顔を赤くして走り去っていく。そして俺達よりもずっと前でまたわいわいと会話を弾ませている。俺をちらりちらりと見つめながら。
「・・・はあ~。俺の平凡な日常が・・・」
幸せのようで不幸でもある状況だった。いや間違いなく不幸だ。まさかあの出来事がこんなことにまで発展するなんて。しかも常時こんな状態だなんて・・・はあ。考えただけで鬱になる。
「ま、とりあえず女子の大半はこのことを知ってると思うぜ?なにせ噂が広まるのが早いからな。まあ当分は大変だろうが、それでも一応男としては誰もが夢見ることだからな。こうなったら楽しんじゃえよ、蓮」
「・・・励ましになってねえよ。てか今の俺はそんなにポジティブに考えられません・・・」
戻って来たはずの日常。俺の安らぎの時間というべきその日常は、幸か不幸か普通ではなくなっていた。二学期初日の登校から、ため息が絶えない一日の始まりとなっていた。
しかし、一体誰がこんなことを・・・
<1年A組教室 HR>
ガヤガヤガヤ・・・
二学期最初のこの日。久しぶりに会う者や夏休み中にもよく会っていた人も含め、みんな会話が弾んでいた。楽しい一時を過ごしている時も楽しいが、それを友人に話すこともまた、楽しいものであるらしい。まあ正直、俺もこの夏休みはとても良きものだったからな。テンションが上がるのもわかる気がする。
「はいはい静かに。今から体育祭についてのお話をします」
「体育祭??」
ざわめく教室内の空気をなだめる担任の先生。そして次に放った言葉は俺には聞き慣れない言葉だった。しかし周りを見渡せばなにやらまたざわめくクラスメイト達、どうやらその「体育祭」という言葉に反応しているらしい。
「お、そっか。蓮は体育祭を知らないんだったな」
後ろの健が席を乗り出して俺に話しかける。
「え、一之瀬君体育祭を知らないの?今までの中学校や小学校は・・・」
しかし隣の席の篠宮さんがそれに不思議そうに反応する。それを見て健の隣の玲が血色を変えて健にささやいた。
「バカッ!なに普通に怪しまれる発言しちゃってんのよ!」
「あ、そうか。蓮にそれまでの過去がないってのは俺達以外知らないんだった!」
健は慌てて居直って篠宮さんの方向へ向き直す。
「いやあ実は蓮はちょっとした英才教育的なものを受けててさ。そういうのはあんまり知らないらしいんだ」
「英才教育?」
そう言って篠宮さんは首をかしげながら俺の方へと視線を向ける。
「バカッ!なに適当なこと言ってんのよ!余計に訳がわかんなくなっちゃってるじゃない!!」
「すまん、つい・・・」
英才教育。もちろん俺はそんなもの受けていない。しかしもう少し現実味のある嘘をついてほしかった。まあ健にアドリブ能力を求めるだけ酷ってもんだが、それにしてもそれは非現実的だな。まあこの世界のどこかでは受けている人もいるだろうが、こんな身近に居るものではない。これじゃあいくらなんでも篠宮さんに怪しまれる・・・
「へえそうなんだ。すごいね、一之瀬君」
「え、ああ、うん。ありがと・・・」
普通に受け入れちゃってる!?むむ、篠宮さんて意外と順応性のある人なんだな。まあただ天然なだけってこともあるけど、そこは前者であると信じておこう。
(しかし、それにしても・・・)
俺は自分の世界に少しだけ浸る。
体育祭。また一つ、体験したことのないものが俺の前に近づいていた。みんなの反応を見るにそれは楽しいものであると思う。むしろ楽しみにするものなんだろう。
それを初めて迎えようとする俺にとっては、もっと楽しみなことなんだと思う。この日常と言うべき世界で、それは記憶にしっかりと残るような、そんな貴重なものな気がする。不安じゃなくてわくわくする、それは俺にとっても願ってもない貴重なことだった。
クルッ
日常はなにも変わらずこの時を流れている。だけど、少なからずなにか変化が起きていることも確かだった。それは重大な事かそれともどうでもいいレベルの些細なことか。それはわからない。それはそれを体験した俺にしかわからない。
霞んだ未来の先の自分は、果たして幸せでいられているだろうか・・・