第百二十九話 君を守りたい~血は闇を呼び、闇は血を欲する~
「ど、どうして・・・ぐはっ!!」
ビチャビチャビチャ・・・
血が止まらない。体からおもしろい程に血が溢れ出てくる。一般に人間の体内に含まれる血の量は体重の13分の1。そのうちの20%の損失で意識障害が始まり、さらに30%の損失で・・・死の危険性が高まる。いわゆるレッドゾーンというべき世界。
もしそれがそのまんま俺に当てはまっていたら、俺はおそらくもうそのレッドゾーンに突入していたかもしれない。少なくとも意識は保ってはいられなかっただろう。だけど俺は竜族、ドラゴンだ。いくら魔力が扱えずドラゴンらしくないとしても、ドラゴンであることに変わりはない。人間よりは、幾分か死へのハードルは高い。くさってもドラゴンだからな。
だが、それでも限界はある。いくらドラゴンといえど、一定以上の損傷は命にかかわる。俺という中途半端な奴ならなおさらにな。それにこの状況・・・。策など考えられる状況ではない。こうして意識を保つだけで精一杯だ。
もしかしたら死ぬかもしれない・・・。俺がこうして死なずにいても、どちらかの存在が俺を殺すだろう。それは時間の問題。なら・・・このまま死んじまう前に、俺はやらねばならないことがある。
「くっ・・・一体玲になにをした・・・。お前の仕業なんだろ黒田・・かはっ!?」
俺は血を吐きだしながら目の前で俺を見下ろす、黒田へと尋ねる。もう話すのも辛くなってきた。だが、このまま玲に関することを放ったまま、死ぬわけにはいかない。いや死ねないんだ。たとえ体がもう言うことを聞かなくても、やるべきことはやらなければいけないんだ。
例えこのまま死ぬことになったとしても・・・、今の玲を放っておくわけにはいかないんだ!
「い~や、俺はなんにもしてないぜ。そうだなあ、もしなにかしたとしたらこいつの正直な気持ちを、表に引き出したってことぐらいかな」
「正直な・・・気持ち?」
頭がくらくらとしてくる中、俺はその言葉に反応するように玲へとその視線をなんとか移す。
「そう、あいつの腕を見てみな。赤い紋様が浮かんでいるだろ。あれはPart of floating evilという代物でな。その存在の隠された想い、気持ちを引きだす。誰にだってあるだろ、表面では見せなくても裏では色々と思っていることって。憎しみ、そして怒りとかな。そんなのをずっと表に出していたら、良好な関係なんて築けないからな」
「つまり、あれは自らが持つその隠された思いを浮かび上がらせて表面に引き出すというものだ。故に、なにもなければあの紋様はなにも反応しない。隠している部分が無ければな。だけど、あいつはお前に刃を向けた、殺意を向けた。この意味が、わかるか一之瀬 蓮・・・?」
俺の視線に見えるのは、銀色のくさり鎌をその手に持ちながら俯く、玲の姿が映し出されていた。そのくさり鎌の先につく刃からは、ポタポタと赤い液体、俺の血が一滴一滴滴り落ちていた。その姿には、いつもの玲なんてものはどこにもなかった。
正直な気持ち、隠された想い。そしてそれは俺への刃へと注がれる。この事実が、指すものといえば・・・
「玲は・・・元から俺を殺したいと思う気持ちが、あった・・・」
答えは簡単。単純明快。これだけヒントが揃えば誰にだって解ける問題。だが、導き出される答えはあまりにも非情で、残酷なものだった。解けるけど、解きたくない。解いてしまえば、その解いた存在に非情なまでの現実が叩きつけられるだけだ。それを知ってて、誰が解こうとする、誰が答えを知りたいと思う。
だが、答えは出さなくても出しても現実は変わらない。例え認めたくなくても、それが変わることはない。向き合う以外に、選択肢はない。そんな理不尽な世界に、俺はもう随分と長い間、過ごしてきた。だからそれはわかっていた。けれど、この事実だけは、素直に受け入れることなんてできなかった。
玲が俺を殺したいと思うほどの憎しみを抱えていた。俺は、そんなことを考えたこともなかった。今までずっと一緒に過ごしてきた。だけどそんなこと微塵も気付かなかった。そしてこの事実は、もう一つの現実を俺に叩きつけていた。
俺は、玲のことをなんにもわかっていなかった。あれほど一緒にいたのに、俺は、わかったつもりでいた。俺は愚かな存在だ。守りたいと誓った相手を、なにも知らない状態でそんなことを言っていた。その相手が、自分を憎んでいたとも知らずに、なんとバカなのだろうか俺は。
こんな状態になって、やっと気付くなんて・・・
「どうだ?大切な存在に刃を向けられる気分は。最高の気分だろ?お前が必死に守ろうとした奴が、実はお前のことを殺したいほど憎んでいたなんて、こんなに愉快なオチがあるか??だめだ、笑いが止まらねえ。お前が哀れで仕方ないぜ一之瀬!」
高々と笑う黒田。その笑いは誰かを軽蔑する笑いで、汚く、そしておぞましいものだった。本来なら、その笑いに腹を立てて反撃するのがセオリーなのかもしれないが、今の俺は自分でも不思議に思えるほどのそれとは別の想いが働いていた。
「そうだな・・・守りたい人に、一緒に歩んでいきたいと思った人に憎まれる・・・。確かに、笑える・・かもな。だけど・・・もしどっちにしても死ぬのなら・・・、そんな大切な人に殺された方が・・・、嬉しいかもな・・・」
服と地面の間に血が溜まり、少しでも動くとぬにゅっとした気持ちの悪い感触が体全体に伝わる。流れ出た血は俺の顔の下にまで忍び寄っていた。もう例え竜族だったとしても、限界に達していた。周りの声は少しずつ遠くなっていき、目の前の景色が段々と薄くなってくる。
「本気で言っているのか?お前。それは冗談のつもりか、だとしたらなんにも笑えないぞ」
「冗談・・なわけ・・・ねえだろ・・・」
黒田の言葉に、俺は必死に言葉を絞り出して答えた。言葉の一つ一つはよれよれで、相手に届くのもギリギリの範囲だった。だけど、それでも俺の顔には、うっすらと笑みが浮かんでいた。それはあきらめの苦笑いでもなく、そして開き直りからくる笑顔でもなかった。
・・・もちろん、かっこつけでもないぜ・・・?
「ほう、お前はそんなにもこいつに殺されたいのか。えらくマゾフィストな奴なんだなあお前。なら、最後にその願いを叶えてやろうじゃないか。この女の手で、殺されたいという願望をよ!」
「やれっ、柳原。お前の憎き相手をその手で葬り去るのだ!!」
黒田は玲に向かって叫んだ。しかしそこに再びくさり鎌の音がすることはなかった。無音のまま、時間だけが過ぎていく。
「なにをしている・・・、早くやれっ!!」
黒田は更に強く叫んだ。しかしそれでも玲は動かない。視線を向けると、そこには俯きながら全身を震わせながら立ちつくす、玲の姿があった。口元はギリリとなにかを堪えるように強く噛みしめていた。震えた手先で持つ銀のくさり鎌は、それに応えるように細かく揺れていた。
なぜだかはわからない。だけど今玲の中で、なにかが起きているのは確かだった。
「ええい、Bランクのゴミが!!瀕死の奴を殺すこともできないのかお前はっ!!」
ピクンッ・・・
その時、黒田が放ったその一言で、玲はなにかに反応するように体をびくつかせた。そして、硬直から解き放たれたようにくさり鎌を持つ手が動きだし、その刃先を上へと持ち上げ構える。その刃の先は、もちろん俺に向けて。
いいんだ、玲。もし、俺を殺すことで玲の中のなにかが吹っ切れるなら、俺を殺せばいい。もし俺が死んだとしても、お前が生き続けることができるというのなら、その選択も悪くはない。それに、玲の手で殺されるのは正直に本望だ。ターゲットに殺されるよりかよっぽどましだしな。
チャリン・・・
最後に玲の姿を見ながら死ねるのはよかった・・・。だけど、もしも今俺が死なずに生き残れたらとしたら・・・
「さあ殺せ!お前の手で一之瀬 蓮を!!」
ビュッ!!
それでも俺は、君を守りたい。
「ならその願い、俺が手伝ってやるよ」
意識が遠のき、周りの景色が真っ白になっていく中で、突然、その声は聞こえた。
シャキーン・・・
この空間に、一筋の音が響き渡った。どこまでも、ずっとずっと遠くまで突き抜けるような、そんな澄んだ奇麗な音が、この場に響いた。
「お前がそう望むなら、俺はそれの力になってやる。お前が自分で決めた道を歩くなら、俺はその手助けをしてやる。俺はお前でありお前は俺だ。二つで一つ、それが俺達の存在。その言葉に、嘘偽りはない。だから我が力の全てを、お前に捧げる」
「お前の決めた道を進むために、俺が力になってやる」
スクッ・・・
立てるはずのない存在が、確かに今立ちあがった。全身を血で赤く染め、地面には血の水たまりができていた。だけどそこには、確かに一つの存在が立っていた。まぎれもなく、そこに先程までそこに倒れていた一之瀬 蓮の姿がそこにあった。
「我が名はフェンリル。今我の持つ力を解放し、我が志を邪魔する存在を、殲滅する」
スッ・・・
そしてその存在は、血だらけになっている手を顔の前まで持ち上げ、そしてその人差し指を頬へと近づける。人差し指が触れた肌には赤い染みができ、そしてそのまま人差し指を滑らかに滑らしながらある紋様を描いていく。
それは血塗られた刻印。その存在に、本来在るべき紋様。それが今その手によって、描かれる。
ピキーン・・・!!
「・・・認証完了。さて、黒田 大吾とやら。俺、そして仲間を散々惑わし、傷つけ、あまつさえその手を汚そうとした。その罪、その責任、どうとってくれるのかな?」
フェンリルは黒田に鋭い視線を飛ばしながら剣を構える。辺りには先程まで存在もしなかった強大な魔力の気配がはびこり、不穏な風がこの場をうずめくように吹き荒れた。その手に持つ漆黒の剣はその身を暗く冷たい霧を宿し、紅き竜の紋様は不気味に光り輝いていた。
「ま、まさか・・・あの状態から覚醒だと!?バカな、本体はもう瀕死の域に達していたはず・・・。これほどの余力は残っていないはずだ。それにさっきの戦闘で紋章の力を使い魔力も残っていないはず。なのになんでお前はそんなにも魔力を宿し、俺の前に立ちふさがっているんだ!?」
黒田はうろたえる。その顔にあきらかに動揺を映しながら。それもそうかもしれない。今まで散々色々な工作をしかけ、大きく遠回りをしてこの状況を作り出したのだ。そしてその工作は成功した。俺はその前の戦闘で負傷し、そして紋章の力を使い自らの魔力を著しく損失した。工作自体は大成功と言っていいだろう。
「さあ、なんでだろうな。だが、こうして俺がいることに変わりはない。そんな細かいことは置いとこうじゃないか」
だが、それなのに目の前には凄まじい魔力を放つ存在がいる。自らの工作の結果に、存在しないものが存在している。動揺するのは、むしろ必然的だったのかもしれない。
「くっそ・・・なめやがって!!おい柳原、なにをしてやがる!!さっさとこいつを殺せ!そして俺を助けろ!!」
黒田は玲に叫んだ。しかし玲はピクリとも動かなかった。俯いたまま、まるでその身に流れる時が止まったかのように、その動きは完全に止まっていた。
「お前との決着はもう一人の俺が着ける。だから今は少しばかりそこで待ってな。ちゃっちゃとこいつを闇に葬り去るからよ」
ザッ・・・
そして視線を黒田へと戻す。今日という短くも長い一日に、二度目の本当の意味での戦闘が、今始まろうとしていた。