第百二十一話 白銀の弾丸~不可能を可能にする一発~
「空が、赤いな・・・」
道を歩く。行き先も決めずに、ただひたすら歩く。行き交う人の笑顔、幸福そうな顔、会話、はしゃぎ、無邪気な声。そのどれもに耳を傾け、目に映し、この場に構成された誰もが楽しく、誰もが幸せでいるこの場所の、その渦にうもれながら、この道を歩いていく。
その一つ一つの幸せに、この身を優しく浸していく。それだけで体は、充分に満たされていた。
「まあな。今日は一日中良い天気だったし、この分なら明日も晴れそうだな」
今俺は、健と歩いている。ほかのみんな、工藤や伊集院さんは二人一緒にどこかへ行ってしまったし、玲は少しお手洗いに行ってくると途中で別れた。まあ女性には女性なりのやることがあるんだろう。そこに突っ込むのはいささか失礼というものだ。
そして残された俺達はその場でただ待っているだけというのもおもしろくないし、ほかのお客さん達にとっても邪魔だろうからとりあえず歩くか、ということになって今に至る。まあそれでも、やることがないことには変わりはないんだけどな。
「それにしても伊集院さんのあれはある意味衝撃的だったよな」
「まあ、な。しかしあそこまでいくともはや常人の域を超えているよな。それにそこまでしてようやくあれを取れるってのも、店側に大いに問題があると思うんだけどな」
こうしてなにもなかったように歩いているが、あんな超絶テクニックをは見たことがない。もはや遊びの域を超えている。それにしても伊集院さんがあんなに真剣に取り組むとは。色んな意味でさっきの「あれ」は印象に残った一コマだった。
まあ、結局は景品が景品だったからというのが、真相なんだけどな。
あ、そう言えばみんなにはあの伊集院さんの衝撃的な一発、射的に関する場面は教えてなかったな。あれを知らないというのは人生において結構損をしているはず・・・たぶん。
ここは一度その時の一コマを紹介してから、次に進もうじゃないか。
「・・・まさか伊集院さんがこれに興味を持つとはな」
ゆっくりと射的の銃を構える台へと近づいていく。右手には一発の限りのゴム球が込められた銃。そのか細い白い手に握られたその銃は、先程健が持っていた時より幾分か重そうに、そして大きそうに見えた。
しかしまあ、なんだろうかこの緊張感は。伊集院さんが一歩一歩歩くたびに周りの空気が一層ピリピリしてくる。それはまるで命がけの狩りの瞬間のようで、伊集院さんになにかを期待しているからか、それともこの場の空気からか、俺達はそれを息を呑まずして見ることはできなかった。
周りを見渡せばなにやら観客が結構俺達をぐるりと囲むように集まって来たし、この異様な雰囲気はもしかしたら外にまで漏れ出しているのかもしれないな。
誰もがその伊集院さんの一発に注目した。その右手に持たれた、一発限りの銃から放たれる球の行方を固唾をのんで見守りながら。
「・・・・・・」
そんな中でも伊集院さんはなにも変わらず淡々と歩き、位置へとつく。そして目の前にある白い小さい箱をじっと見つめながら、静かに銃を上へと持ち上げていく。
「それにしてもどうするのかな、有希は。正直あれを取るのは不可能に等しい気がするんだけど・・・」
まあ実際、当てたら逆に球の方が弾かれるっていう代物だ。そう思うのも不思議ではない、てかそうとしか思えない。
あの本来銃が本業である健も奇麗さっぱり敗れてもうこんなスルメみたいな状況になってるからな。さすがにこれはと思いたくなるが、なにせ伊集院さんだ。なにかが起きそうで仕方がない。
「だよな。さすがに伊集院さんでもこれは・・・って、え?」
その時、伊集院さんが取ったある行動で緊張の糸が張りつめたこの場の空気に驚きとざわめきの波が押し寄せ、乱していった。
「い、伊集院さん?」
その姿に誰もが疑問を覚えただろう。それもそのはず、伊集院さんがその銃口を向けた先は、あの白い箱へと向けられたものではなかったから。それも
なにもない真っ白な天井。そこに、伊集院さんの銃口は向けられていた。
ざわめく周り。だけど伊集院さんの姿勢は変わらない。もしこれがほかの、例えば健とかだったら、それが気の利いたジョークであると言えるのだが、なにせ伊集院さんだ。伊集院さんがそんなジョークをかますとは到底思えない。だとするとこれは、真剣に、本気でやっていることになる。
いくら伊集院さんでもそれはと言いたかったが、その眼つき、その気迫に誰も言葉として表すことはできなかった。そして伊集院さんはそんな俺達をよそ目に、銃口の位置を定め、ピタリと止まる。
そして、その引き金に伊集院さんの指が添えられる。誰もがその瞬間に息を呑んだ。伊集院さんの銃から放たれるその銃弾の軌道に集中した。そして、その時はあまりにもすんなりと、訪れる。
パンッ・・・
伊集院さんは引き金を引いた。それと同時に目にも見えない速さでゴム球が発射される。景品が置かれた棚ではなく、あくまで白い屋台の天井目掛けて球は飛んだ。
バシュッ
ゴム球は天井へとぶつかり、衝撃でその進行方向が今度は下へと向けられる。屋台の天井は柔らかかったのか、球が当たる瞬間に幾分か球が食い込んだような気がした。
そして
ピキーン・・・
球はあの当ててもビクともしなかった白い箱の上部分にヒットする。するとその動かないはずの白い箱は球が当たると同時にくるくると回りながら空中へと舞い上がる。高く、高く舞い上がり、思わずその様子にここにいるみんなの視線が集中した。その白い箱の軌道に誰もが呆気に取られ、箱は見た目以上にゆっくりと動いていた。
ポス・・・
やがてその白い箱はある一点から上昇から下降を始め、ゆっくりと棚の向こう側へと落ちていった。静まり返ったこの場所で、その箱が落ちる音だけが、妙に際立って聞こえた。
落ちた後もこの場に音が生まれることはなかった。この場にいるみんなが、その様子に圧倒されて言葉を出すことができなかった。みんなこの場に音を吹き込むことを遠慮してるんじゃない、その静かなる威圧に、音を吹き込むことを許されなかったのだ。
ただ一つの音で、その均衡は破られる。そしてその音を奏でるのは多分おそらく
「・・・これでいいの?」
その均衡を作った、伊集院さん自身だった。
「まさか、本当にあれを仕留めたのか??いや、そもそもなんで仕留められたんだ??」
威圧が消えた後に来たのはそれに対する疑問と驚嘆。この一連の出来事で、すんなりと今の状況を呑みこめる者は、おそらくというより絶対にいないだろう。
全ての事柄が俺達の常識というものを覆し、ぶち壊していた。わかっているのはその結果だけ。それまでの過程に関して、俺達はなにもかもを理解できなかった。なぜ銃弾を天井へ放ち、そしてなぜそれであの難攻不落と言われた白い箱が弾け飛び、見事に仕留めることができたのか。
ここは、伊集院さんからの解説が必要だな。うん。
「球をも弾くあの白い箱。一見頑丈そうで絶対に当ててもびくともしない難攻不落と言われるあの白い箱。だけどそれは見た目だけ。最初に人の頭に不可能という認識を植え付けておいて、それが無理だということを認識させる。言うなればカモフラージュの一種。これがこの屋台の店主のイタズラ心だとその認識から導き出し、理解する。そして難攻不落という勝手なイメージを付け、納得する」
「だけどこれは不可能なことではなかった。確かに常人には難しいことではあったが、可能性はゼロではなかった。ただそれを最初の印象でかき消していただけ。そしてその可能性は、あの箱は前方から当てても動かない、そしてそれはどの方向から当てても同じであるか、それとも否か。それが残された可能性」
「そしてそれは私がやる前に、相川君がやったのを見てわかった。相川君が放った球があの箱に当たった瞬間、そこから発せられた音はあの箱全体から響いた音ではなく、あの正面に見える一面だけから発せられた音だった。もし全ての面が頑丈だったなら、その音は全ての面にいき渡っていたはず。だけどその音はあの一面の表面だけだった。なら結論は簡単。あの箱は正面の面だけが非常に頑丈で、それ以外の面はいたって普通、ほかのものと同じように球の衝撃で動かすこと出来る、ということ」
伊集院さんは無表情のままでずらーっと言葉を並べた。しかし言っていることは不思議としっかりと頭に入って来た。まあ中には聞きとるのも辛くなった人もいただろうが、その解説は意外にも脳に染み込みやすく、一応常人である俺達でもなんとか理解できる範囲だった。
「そ、それで天井を狙って打ったの・・・?あの正面の面以外の面に球を当てるために・・・」
だけど理解すればするほどに、その凄味が増してくる。常人の域など余裕で突っ切っていたことがますますわかってくる。
「あの台の横の長さでは、側面に球を当てるには角度が足りない。後ろの面では例え当たったとしてもあちら側に飛んでくれない。となれば残されたのは上の面。その面のなるべくこちら側に球を当てることができれば、あの箱は棚の向こうへ飛んでくれる。そしてそれを実行するには、この方法が一番適していた。ただそれだけ」
伊集院さんは俺の問いに一度頷くと、そう答えた。そしてそれで俺はわかった。この箱が難攻不落である理由もなにもかもを。
不可能ではない。確かにそうだ。だけど普通の人間では、それは不可能と言ってもいい。もし奇跡的にその可能性に気付けた奴がいたとしても、それを実行することは到底できない。てかこんなの普通の人間が出来るわけがない。
天井へどのぐらいの角度で当てればその反動で丁度あの箱の上部に当てられるか。それも正確に、ほんの少しでもずれれば球は当たらない。それに天井の材質も関係してくる。どの程度の柔軟性で球を食い込むか。その材質によって球の反射の軌道も変わってくる。そもそもあの小さい箱に正面か当てること自体容易ではないのに、そのあらゆる球の軌道に関する事柄を計算し、そしてそのとおりに実行するなんて、到底一般人にできるものではない。てかできたらむしろ怖い。
難攻不落という言葉はある意味正しい。確かに一般人には不可能だ。ただ、伊集院さんクラスの存在は例外だが。それにしてもこれはめちゃくちゃだ。祭りの景品としてあきらかにおかしい。ある意味店主なりのネタだったとは思うが、これはあまりにも行き過ぎている。
まあそれよりも、そのネタをぶち破る伊集院さんの方が、実際には怖いんだけどな・・・
そして伊集院さんはその景品であるこの祭りにおける食べ物全て一日食べ放題券を手にした。まあおそらく多分店主もあげるつもりは端からなかったのだろうけど、こうなってしまっては仕方がない。苦笑いを浮かべながら伊集院にその券を渡す、店主のおっちゃんの顔がなんだか悲しげで印象に残っていった。
その後伊集院さんはさっそうとどこかへ歩いて行った。まあおそらく屋台巡りに出かけたのだろうとは思うのだが、もしかしてあんなに真剣だったのは、それが欲しかったからだったのかな。
以前のたこ焼きを見ても、伊集院はこういう祭りでの食べ物は好きそうだったし。だけど今回の祭りでも一応そういう屋台には入ったけど、その時はなにも買っていなかった。お金を持っていないというのもあるだろうが、言ってくれればいくらでも買ってあげたんだけど・・・。
もしかしたら誰かに買ってもらうというのが申し訳なくて、なにも言わなかったのかな。実際伊集院さんは、結構色んな面で遠慮がちだし。そう言われれば、そんなことが何度か過去にもあったような気がする。
まあとにかく、今伊集院は屋台の食べ物を食べているだろう。それになぜか工藤も付いていった、というわけだ。そしてさっきも言った通り今俺は健と二人で歩いている。どこも当てもなく、男二人という非常にむさくるしい感じで歩いている。
でも実際には、健には少し聞きたいこともあったし、これはある意味で一つのチャンスだ。玲も工藤も伊集院さんもいない、健と二人きりという場面はそう多くはない。そういう意味では貴重な時間ではある。
自分の中のもやもやを拭い去る、絶好のチャンスであった。
「あのさ健。今日のお前は・・・」
しかし、そこで次の言葉が俺の口から出ることはなかった。
「ん?どうした蓮」
「いや、なんでもない・・・」
それを言いたかった。どうしても聞きたかった。「今日のお前は、なんでそんなにいつもどおりなのか」と。だけど言えなかった。言葉は浮かんでいるのに、口から声として出てくれなかった。
今あの時のことを掘り起こせば、きっと健はいつもどおりではなくなる。せっかくいつもの雰囲気に戻っているのに、わざわざ悪くしてどうする。それに、もしかしたら健の中でなにか決意めいたものがあったのかもしれない。それを自分の欲望で邪魔をするのは、よくないのではないか。
だけど、このままで本当にいいのだろうか。そんな二つの想いが俺の中でずっと渦巻いていた。
そして俺がそんなもやもやを抱えたまま健と歩いていた時、その迷いを根底から覆すような、そんな声が後ろから聞こえた。
「よう、二人とも。偶然だなあ」