第百十六話 制止する矛先~それなら俺は悪になる~
「しっかしまあ、お前はどれだけ年月が流れても変わらないな。その姿勢その眼つき、あの頃となんら変わってないぜ」
「なあ、相川 健人よう」
黒田 大吾と名乗ったその男は、不敵な笑みを浮かばせながら健を食い入るように見つめる。その視線はどこか挑発的にも見えて、だけどそれに健が乗ってきたところでなんら困ることはない、自分にはそれに対応するだけの力があると自信たっぷりに示しているようだった。
そんな黒田の視線に対して、健は全く表情も視線も変えず、ただその視線に対して真っ正面からぶつかっていた。黒田の今の表情の意味はわからない、だけど健の今の表情は間違いなく怒りの表情だった。
「お前の名前なんてどうでもいい。そんなもの知ったところでなにか役立つとも思えないしな。今俺が聞きたいのは、どうしてお前らが今さら玲に関わっていたのか、それだけだ」
健の声はいつものに比べればずっと低く、湧き上がる様々な感情を押し殺すように、その声は黒田へと向けられていた。玲とこの目の前に居る存在とが、再び少しでも関わりを持つことが許せない。そんな気持ちが伝わってきた。
「な~にこいつらもえ~と柳原だっけ?とりあえずそいつの姿を見て懐かしくて声をかけただけだろ?そうだよな、お前ら?」
黒田が、周りにたむろしている男連中に尋ねる。それに対してその男連中はさも当り前かのようにその問いに対して頷く。くそっ、見ていてイライラする。なにが懐かしくて声をかけただ。というよりもこの状況でよくそんなことが言えるものだ。むしろそれはこちらに挑戦状を叩きつけていると言ってもおかしくはなかった。
「そりゃあ確かに小学校時代に少しいざこざはあったかもしれないが、今となっては同じ小学校のよしみだろ?そんなにカッカするなって相川」
ポンッ
そう言って黒田は微笑みながら健の右肩に手を置く。だがその肩から下の腕はぷるぷると小刻みに揺れていて、手のひらはぎゅっと固く握られて、震えていた。
それは怒りの震え。今の健は、もうすでに感情のコントロールの許容範囲をとっくとうに超えていた。高ぶる感情は拳へと。その手はいつ爆発してもおかしくないぐらいに震え、そして最後の一線を超えまいと必死に我慢している証でもあった。
「なにが・・・なにが少しのいざこざだ・・・。お前らにとって、あの時の玲への仕打ちは少しのいざこざ、それも時間が経てばどうにでもなるものだと思ってんのか・・・」
パンッ・・・
そして健は、肩におかれた黒田の手を払いのける。
「ふざけるなあ!!あれがどれだけ玲を苦しめ、そして傷つけたか。お前らにわかるか!?いやわからねえだろうな。平気で人を踏みにじる奴に、そんなことがわかるはずもねえわな。お前らの中で勝手に解決して、責任を逃れて・・・」
「そんな奴を・・・、そんな奴をどれだけ時が経とうが許せるわけないだろうがあ!!そんな最低なゴミ野郎が、気易く馴れ馴れしく俺に触れるんじゃねえっ!!!」
健は叫んだ。必死に今まで耐えて耐えて、そして堪えてきたことを、その全てを目の前の黒田に全力でぶつけた。
許せなかった。いや許せるはずがなかった。例えこいつらが改心して、必死こいて謝って来たとしても許せるわけがないことを、こいつらはそれどころかなにも悪気がないように振る舞っていた。そのどこまでもふざけた行為と態度に、健が守ってきた一線がとうとう崩壊したのだ。
決して拭えない過去を、こいつらは向き合うのではなく開き直るという、それも流れゆく時の流れのせいにするという最も最低で、最も人としてやってはいけないことをこいつらは何食わぬ顔でしていた。
心の傷が癒えることはない。例えどんなに楽しいことや嬉しいことがあったとしても、それが完全に無くなることは決してない。だけどそれを忘れ去ることが大事なんじゃない。その傷とどう共存していくかが大切なのだ。そしてそれは傷を負わせた方も同じだ。
心の傷を負わせた奴は、一生その責任を負い続けなければならない。どんなに時が経とうとも、その責任が消え去ることは決してない。だけど過去は変えられない。だからその責任にどう向き合っていくか、それが傷を負わせたものの使命である。
だけどこいつらはその責任に向き合おうともせず、認めもしなかった。自分達は傷など負わせていない、誰がどう見ても傷を負わせたことは明白なのに、それでもそう言い放った。そしてそれが健の怒りに触れたのだ。
当然の怒りだった。怒り以外になにを芽生えさせればいいのか、逆に聞いてみたいほどだった。
「はあ・・・はあ・・・」
感情を爆発させた健は荒く肩で息をしていた。周りには騒然とした空気が流れる中、一人だけそれにも構わず興味の視線を向けている人物がいた。
「へえ・・・。まだやってんだお前。そこにいる柳原の騎士みたいなこと」
「!!」
この空気をも切り裂き、もろともしない人物黒田 大吾がそこにいた。むしろその言動は先ほどよりも攻撃的で、今のこの状況を考えると非常にマズい言動だった。だけどそれでも全くひるむことなく言っている。度胸があるのかそれともわざとそうしているのか、よくわからない人物だった。
しかし、この状況があっちにとっても俺達にとっても良くないものであることは間違いない。
「・・・今、お前なにか言ったか?言ったならもう一遍言ってみろや・・・」
一度吐き出された怒りは再び急速に湧き上がってくる。それもさっきよりもずっと強い怒りが。今の健は、いつ相手に殴りかかってもおかしくない状況だった。しかしそんな状況でも、黒田は臆することなく言葉を繋ぐ。より攻撃的に、より挑発的に。
「全く本当になにもかわってないなあ~お前。いつまでそんなに仲良しごっこしてんだ。そんなにそいつのことを守るのが楽しいか?あ、それともなんだ。もしかしてお前・・・」
黒田がそう言った瞬間
「っ・・・!!」
健の怒りが炸裂する。
「惚れて・・・」
ビシィイ・・・!!
その光景を前にして、誰も言葉を出すことはできなかった。その気迫のぶつかりに、空気は著しく乱されこの場から音というものをかき消した。健の怒りは、既に限界を超えていたというのに。黒田の言葉で健は完全に踏み切ってしまった。おそらく無意識に、それは相手へと向けられたのだろう。むしろ今までそうならなかったことの方が凄いくらいだった。
だけど・・・
「・・・れ、蓮」
今それが本気でぶつかれば、おそらくかなり面倒なことになる。自分でもこうすることが間違っていることはわかっている。ぶつかるべきものをぶつけさせない。それがどんなに相手にとって不服で、しかも取っている本人にしたら情けない行動であるか。それもわかってる。だけどさ健・・・
「すまん健。少しばかり邪魔させてもらう」
お前がこんな奴らに、その拳を汚す必要はないんだよ。
「本来なら止める必要はないんだけど。今回だけは少し堪えてくれ。それに、お前がこんな奴らにわざわざ手を下すこともないだろう」
俺の手の中で、健の腕が激しく揺れている。その全てが怒りで、そしてその先にいる存在目掛けて放たれていることが痛いほどにわかってくる。おそらく今の健の気持ちは、俺では計り知れないぐらいの怒りに包まれているだろう。その当然の怒りを、こうして止めることは本来ならやってはいけないことかもしれない。だけど俺はそれでも止めていた。この手で、健の腕を掴んで、その怒りの矛先を止めていた。
なにかが違う。普通なら健がこの怒りを黒田にぶつけることは当然のことなのに。だけどなぜか今、それが間違っている、いややってはいけないことのような気がした。根拠はない。全ては直観だ。だけど、今の健に怒りの矛先を持たせてはいけない。俺はそう感じていた。
「くっ・・・すまん蓮。少し取り乱したようだ。冷静さを失っていた、すまん・・・」
そう言うと俺の手の中にある健の腕の震え、そして力が弱まっていく。そして健は俯いた。いや、今の表情を見られたくなかったのかもしれない。玲にも、そして俺にも。
おそらく、いや、確実にやり切れなさがあるだろう。我慢に我慢を重ねてきたものが、ついに我慢できなくなって相手にぶつけようとしたのに、それを止められた。それもあっちの人間ではなくこっち、仲間であるはずの俺に。今健が俯いているのは、多分俺に対してにも少なからず怒りににも似た感情が生まれ、その事実を見られたくない。そう思いたくない自分が居てそれを隠すために俯いているのだろう。
それでいい。俺にどれだけ怒りを、そして憎しみを持ってもいい。もしそれで拳と拳のぶつかり合いにならなくちゃいけないなら、俺はなにも言わずに受けてやる。だけどそれを、他人に向けるな。お前の怒りは一般人には真っ直ぐすぎる。素直すぎる。曲がったことしかしないあいつらに、そんな怒りをぶつければ傷つくのはおそらく健の方だ。例え物理的な傷があいつらについたとしても、お前はそれ以上に深い心を傷を負う。もしかしたらあいつらの狙いはそれなのかもしれない。
だったらその怒りを、俺が受け持つ。俺がいくらでも受け持ってやる。だからその拳を、あんな奴らに使うな健。お前のその拳はあいつらには・・・もったいなさすぎる。
「おい。さっきから俺達がなんだか酷い言われようだが、お前は誰だ?大体これは俺達とそこの二人の問題だ。部外者のお前が、今の俺達とその二人の間に入っていいと思って・・・」
「御崎山学園一年、一之瀬 蓮。この二人とはクラスも部活も同じでね。つまり友人ってわけだ。友人が困ってる時に、ただ見てるだけってのも良くないだろ?」
俺がそう言うと
「い、一之瀬 蓮!?」
黒田以外の男グループ達は、露骨にその表情に恐怖の色を浮かばせた。そしてなにやらひそひそ話を始める。それも俺から距離を置いて。ふう・・・やっぱりこの手の奴らにはこういうのが一番だな。俺としては一番やりたくなかったことだけど、今は仕方あるまい。
竜族においても人間においても、特に学生の中では俺の名はもうかなり広まっているらしい。それは御崎山学園だけではなく、周囲のいたる学校にまで。一応自分がそこそこに有名人になっちゃってるのは御崎山学園内ではもう痛いほどにわかっていた。だけどこうして見ると、それが御崎山学園内だけではないってことがよくわかるな。
前もってハッキリ言わしてもらうが、今俺が取った行動は最低な行動だ。自分の名を使って相手を脅かす。人間なら一之瀬 蓮として。そして竜族なら、おそらく知っているだろう「ブラックドラゴン」として。その行為は本当に最低だ。名前だけで脅迫しているんだ。言わずともそれが悪のすることだとわかるだろう。
だが、それなら俺は今だけ悪になってやる。こいつらが悪なら、俺は正義の味方にでもなるべきなのかもしれないが、なにせ面倒だ。それにこいつらに対して正義の味方になりたくもない。
それなら悪になってやる。悪には悪で対抗してやる。目には目を、歯には歯を、だ。
「ほう、お前があの一之瀬か。まさかこんなところで会えるとはな~。それに、まさかこの二人と関係があったとは。さすがに意外だな」
そんな中黒田は、俺の名を聞いても動揺せず、一応驚いてはいるようだがそれ以上のものはなかった。この手法、効く奴には効くがこういう本物的な奴には全く効かないんだよな。むしろそいつが本物だってことがわかっちゃうから逆に困りものだ。
さて、どうするかな。こうして出てきたのはいいが、実はプランやそういうのはな~んにも考えていない。いわゆるノープランってやつだ。まあなんか行っちゃうとこまで行っちゃったって感じだし。さてさて・・・、どうしたもんかねえ~。
素手の喧嘩ならともかく、魔力勝負になっちまったらこっちには勝ち目ないしな・・・。
俺はあれこれ解決策を考えていた。そしてそれはまさにその時だった。
「なにをしているの?」
俺達の後ろから、なにやらものすご~く聞いたことのある声が一つ聞こえたのだった。