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第百十二話 Last night~冷たき闇に想いを馳せて~

「ふう・・・」



 

 夜の風は冷たい。この暗闇の中で渦めくように押し寄せる風は幾重にも重なる層をつくり、この闇に一人浸る俺の体を優しく冷やしていく。



あまり夜風にあたるのはよくないのだが、時にはこうしてその闇に浸りたくなることもある。それは落ち込んでいたり悲しんでいる時も、そして楽しく嬉しく、優しい感情で体が一杯になった時にも、夜風の、そして闇の冷たさを欲したくなる時がある。



それもまた人の欲求。この世界にもしも闇がなく、光しか存在しなかったら、人々は平和に暮らせていたとしても今に比べれば幾分かおかしく、もっと言えば壊れていたのかもしれない。



光と闇、この二つの相反する存在があってこそ人々はバランスを保てる。光を愛し、闇を嫌う者は多い。だけどその多くも、闇がなければ自分という存在を維持することができない。自分として在り続けることができない。



結局、この世界の生き物は闇に生かされているのだ。そして最後には、その闇に消されていく。それは残酷なことでもありながら、神秘的なことでもある。これを繰り返すことが生きるということであり、光と闇の両方があるから人々は、存在は生きていける。この二つがあるからこそ生きている者らしさが生まれてくるのだ。




ただそれが、どちらかが一方が極端に上回ってしまえば、その存在は壊れる。自分として生きていけなくなる。それが幾多の悲しみを、そして死を生んできたのだ。




だからこそ俺達は、光があることに、そして闇があることに感謝しなければならないのかもしれない。




「おや、どうしたんですか一之瀬さん。こんなところで一人夜風に当たっているなんて。悪いものでも食べましたか?」




 ふと気がつくと、そこに工藤が居た。もしかすると結構前からそこに居たのかもしれないが、俺は完全に自分の世界に浸っていて、気配もなにも気付けていなかった。




「いやまあそんなはずはないんだけど。たまには一人でいるのもいいかなって思ってさ」




今日一日、俺達は伊集院さんのお母さんのお墓に行った後、いくつかのドラゴンに関する遺跡などを巡った。古代のドラゴンに関する貴重な場所や跡地に触れ、その時になにがあってどうなったかなどを工藤がこと細かに説明しながら回っていった。工藤の説明はどれも詳しく、俺達は工藤をガイドにしてドラゴン観光ツアーのようにして、数々の場所を回った。



俺はドラゴンに関すること、そして過去にあった出来事などに関する知識は皆無だ。だから今日みたいにしっかりと理解できなくてもその雰囲気に触れられたことは貴重なことであり、俺にとってはとても充実した日となった。まあ健は結構退屈そうにしていたようだが・・・




 確かにどれもこれも貴重な所ばかりで、こうしてちゃんと見て回るだけの価値は十二分にあった。素直に行ってよかったと思う。だけど、それ以上にその遺跡巡りを上回る出来事が初っ端からあったもんだから、その有難味は少し小さく感じてしまった。



「ふむ、さしずめ今日の遺跡巡りに関して考えていたんじゃないですか?特に、伊集院さんの母君のお墓に行った時のことを」




工藤はなにか推理でもしているかのような素振りで俺に言った。



「・・・はあ、お前はエスパーか?さすがにそこまで正確だと、少しインチキしてるんじゃないかと疑いたくなるぞ。まあいい、そうだよ。今思っていたのは今日行った、伊集院さんのお母さんのお墓に行った時のことだよ」



なんだかその素振りもわざとらしいようにしか思えないが、実際工藤の言っていることは見事に当たっていた。



 この一日、俺の頭の中はそのことで一杯だった。足を踏み出した時に感じたあの温かい感触、そしてお参りした時に感じた優しい感触。それはどれも今まで感じたことのないもので、だけどそれで体は素直に満たされていて。



まるで、今の俺の体がもっとも望んで、もっとも欲していたことのような、そんな気持ちにさえなっていた。



「なあ工藤。母親って・・・なんなんだろ」



 

 その時、俺から突いてでた言葉は自分でも予想だにしなかった言葉だった。それは無意識で、偶然たまたま出てきた言葉。だけど、それは今俺が最も知りたかったこと。



「母親、ですか・・・」



自分が一番驚いていた言葉に、工藤も少なからず驚きを表情に浮かばせながら少しばかり考え込む。



「一之瀬さんは、母親というものに会ったことがないんですか?」



「・・・ああ。一度も会ったことがない」



 そう、俺は一度も母親というものに会ったことがない。



会う会わない以前に、自分の母親がこの世界に存在しているかさえもわからない。生きていてこの世界のどこかに存在しているのか、それとももうこの世界には存在していないのか。自分の母親だというのに、俺はそんなことさえ知らない。



俺が母親について知っていることはただ一つ。この俺の名前、「一之瀬 蓮」を付けたのが、その母親であること。この名前が、俺と母親との間に繋がっているたった一本の糸だ。それ以外はなにもない。顔も知らないし名前も知らない。ただそれだけが母親が確かに居た証し。



だから俺は、母親に会ったことがない。それがどんな存在で、どういう意味があるのか、俺にはなにもわからない。そして今までこの時まで、それを意図的に考えたことはなかった。それ以上に、俺の周りで起きていた様々なことがその考えを隠していた。



だけど、俺はあの時その気持ちが芽生えてしまった。そして考えていた。あの時の、あの時の初めての優しく温かい感触は、もしかしたらそれが母親という存在から来るものだったんじゃないかと。



今まで考えもしなかったこと。それは俺に欠けていた一つのファクターなんじゃないかと、俺は沸々とそう感じていた。



「う~ん、それに関しては私も少しコメントしづらいですかね。母親という存在を言葉に表すのは非常に難しい事ですし、むしろそれは感覚だけで感じるものじゃないですか?理屈うんぬんよりも。まあ一つ言えることは、母親という存在はその存在に対して特別な存在である。それだけは間違いないと言っていいでしょう」



「そうか・・・」



 工藤は少し困ったような感じにそう話した。だけどそれは、どうかしたら予想していた通りの答えだった。



母親という存在を言葉で説明するのは難しい。それはわかっていた。もし説明できていたとしたら、俺はとっくのとうにその答えを見つけていたはずだ。だけどそんな簡単なことではない。いやむしろそうであってほしい。



たぶん、母親というのはその人にとってとてつもなく大きな存在だ。そしてそれは俺も例外じゃない。だけど俺はそれを知らない。母親がどういうものであるのかを。だから雰囲気だけでも感じたくてそんなことを工藤に聞いたのだが、やはりそんな中途半端なことではわからないことだな。今のは俺が間違っていた。



だけど・・・



「なあ工藤。伊集院さんのお母さんって・・・」



 その時、俺は次に出てくるはずだった言葉を全力で飲み込んだ。



「ん?どうしました一之瀬さん」



「いや、すまん。やっぱりなんでもない・・・」



今俺が聞こうとしたこと。それは



「伊集院さんの母親は、どんな人だったのか」ということ。



(・・・違う)



 確かにそれは聞きたかったことだ。それは間違いない。だけど俺はそれを聞けなかった。もしここで工藤にそれを聞けば、俺は伊集院さんの領域に土足で足を踏み入れることになる。伊集院さんの思い、そして世界に、俺個人の興味本意で踏み入れることになる。



もしそれを聞いて工藤が答えたとしよう。ならどうだっていうんだ。伊集院さんの母親が例え正義の味方であれ悪の化身であれ、それを聞いて俺はどうしようとしていたんだ。自分が母親に会ったことがないということで、他人の母親、大切な存在を身代りにしようってのか?違うだろそれは!



俺が望んでいたことはそんなことじゃない。ただ少し、母親という存在について知りたかっただけだ。あの温かさがなんだったのかを知りたいだけだ。それ以上の思いもないし、聞く必要もない。余計な事で、人の大切なものに触れてはいけない。特に、伊集院さんが守ってきたその世界には。



「ふう・・・。さすがにずっと夜風に当たってたら寒くなってきたな。そろそろ戻るか。ここで男二人で会話してるのもなんか寂しいしな」



 俺はそう言って、別荘の中に戻ろうとする。だけど工藤はその俺の歩みを手で遮った。



「あなたがそのことに興味を持つことは人として当然のことです。むしろそのためにあなたにあの場所へ訪れてほしかった。だから忘れないでください。これからもおそらく困難は多々あるでしょう。でもこの世界には、そんな優しい一面もあるのだと」



「私にはあなたがこれからどうやって生きていこうとしているのかはわかりません。だけどどんな深い闇の先にも必ず光はある。それだけは忘れないでください」



スッ・・・



そして工藤は手を下ろして後ろへ体の向きを変える。



「さて、では戻りましょうか。この合宿最後の夜です。今の時間を、じっくりと楽しんでください」



そう言い残して、工藤は中へ戻っていった。



「・・・どんな深い闇の先にも必ず光はある、か」



そして俺はこの暗闇に吹く夜風に乗せるように、そう呟いて中へと戻っていった。






<帰りの電車内>



ガタンゴトンガタンゴトン・・・



 一定のリズムで刻む電車の音。それは行きの電車でも聞いた音だ。窓から見える景色も一度は見た景色で、動いていく方向が違うだけでなんら変わらない。



だけど周りはなにも変わらなくても、行きと帰りの俺が全く違うものだったことは確かなことだった。



「ZZZ・・・」 「んがー、ぐぉ~!」 「・・・・・・」



周りを見渡すと、玲はすうすうと可愛い寝息を、健はなんとも豪快ないびきをたてながら眠りについていた。そんな二人の顔はとても満足気な顔をしていて、見ていてとても微笑ましい光景だった。



「たく、遊び疲れて熟眠か。本当に幸せそうに寝るな、この二人」



結局二人とも帰りの時間ギリギリになるまで遊びまくっていた。まあ若干無理やりな一面もあったような気がするが、それでも楽しんでいたことは間違いない。もちろん俺も充分に楽しんだ。今までで一番楽しいひと時だったかもしれない。いや間違いなくそうだ。



「一之瀬さんはどうでしたか、今回の合宿。いい思い出になりそうですか?」



 そんな中工藤が俺に尋ねてくる。その顔はいつもの工藤スマイル。一応工藤もそれなりに俺達に付いてきていたはずだが、その顔には疲れの色は微塵もなかった。意外と体力があるのかもしれないな。



「ああ、もちろんさ。こんなに充実した時間を過ごせたのも初めてだしな。本当に、心から来て良かったと思うよ」



充実した時間。いや充実し過ぎていたと言ってもいい。それほどにこの合宿では色々なことがあった。



玲の過去を知ったこと、健の裏の部分に触れたこと、伊集院さんのお墓で初めての感触、優しく温かな感触を味わったこと、そして母親について考えさせられたこと。挙げればキリがないほどだ。そしてどれも皆、俺にとってとても貴重な出来事だった。



「そうですか、それは良かったです。提案した身としても全員に楽しんでもらいたかったですからね」



きっと、これから先もずっとずっと、この合宿で過ごした日々は忘れないだろう。どんなことがあっても、この過ごした日々だけは忘れない。きっといつまでも記憶の中で輝き続けるだろう。



「そうか、ふわぁ~あ・・・。なんか眠くなってきたな」



「ああ、もちろんちゃんと着いたら起こしますよ。今回の合宿は色々と慌ただしかったから疲れたでしょう。だから安心して眠ってください」



今回感じたこと全て、いずれは深く俺に関係してくるものばかりで、そして考えなければならないことだろう。



だけどまあ、うん。



「そうか。ならお言葉に甘えて・・・」



今ぐらい、この充実した日々の余韻にひたっていてもバチは当たらないだろう。俺も、この満たされた気分のまま眠って、幸せをかみしめたいしな。



「ZZZ・・・」




 色々な思惑、そして想いが交錯した合宿は、こうして終わった。



これから先には、きっと多分大変なことも待ち受けているだろう。だからこの合宿は、少年にとって大切な、大切な一時の休息でもあった。



少年は眠る。電車に揺られながら幸せの余韻に浸り、またみんなとこんな充実した日々を送れることを、願いながら・・・





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