第百四話 迫る夏休み~いきなりの告知は歓喜の声で~
<7月15日>
変わらぬ日常は淡々と過ぎ去っていった。
毎日学校に行き、友達となんでもない話をして、そして授業をうけて。そんな感じに適当に時を過ごしていく毎日が今日も明日も続いていく。そんな普通な日々は俺自身が望んだものであり、そうした日々に身を投じるのはささやかな幸せであり、喜びであった。
それが今までの俺。こういう日々を望んで、自分の置かれている現実を呪い、自分がそんな存在であることを呪いながら生きてきた。俺は普通な生活を送りたい、だけどそんな小さな願いも聞き入れてくれない神様、運命を嫌いながらどこか仕方ないという思いを心の隅にしまったまま、ターゲットとの戦闘に臨んできた。
だけど今は違う。今の俺には以前の俺とは決定的に違うところがある。それを自分で見出すまでに、一体どれだけ時間がかかっているんだと自分でもツッコミを入れたいほどだ。
それは自分の力を自覚し、その自らの持つ力をどう使うべきか。それを俺はまだ駆けだしながらその片鱗を掴むことができた。その片鱗はわずかなものでも、俺にとっては間違いなく大きな一歩だった。
だから今の俺は違う。この単調な日々にただ流されていくのではなく、自らの意志をしっかりと持ち、自らの足でこの道を歩いていこうと、俺は考えられるようになったのだ。
・・・まあそれが普通なんだけどな。
キーンコーンカーンコーン
「ふう・・・。やっと終わったか」
ようやく今日の授業の全てが終了した。この授業終わりの気だるさと解放感は毎日体験していても変わることのないものだった。
「はあ・・・なんも書いてねえな(笑)」
机にはノートと数学の教科書とシャープペンシル。しかし数学の授業というのは本来今日の1時間目に行われたもので、その1時間目から今の時間までずっと変わらずこの机に出ていたことになる。もちろんノートの方もすがすがしいほどに真っ白なページが見開いていた。
実はというと、もう夏休みも近いせいで授業の大半はもう終わっているのだ。一部の教科はもう既に二学期の範囲にまで入っているが、なんにせよ二学期の範囲だ。今やって意欲がわくわけがない。
その間には夏休みというみんなが待ち望んだ長い長い休みが控えている。その夏休みの前に、今勉強したところでその夏休みが終わって二学期が始まるころには、もう奇麗さっぱり忘れてしまっている。ならやる意味ないじゃん、と、思ってしまうのはいたしかたない事だ。
・・・まあこの有数の進学校の生徒ならば、休み期間中も変わらず勉強に打ち込んでいるのかもしれないが、まあ今はそれは置いておくとしてだな。
(夏休みか・・・)
そう、俺にとっては初めての夏休み。今まで体験したことのないような休みの連続に、心が躍らないわけがない。
約1ヵ月間の休み。それはあまりにも自由度が高く、そして心が弾み過ぎるもので、あれこれと考えすぎて色んな予定をいれたくなる。まだ夏休みが来てもいないのに、こうして休みに想いを馳せて考えるだけでも既に、夏休みというものを楽しんでいるような気分になる。
ただでさえ夏ということでテンションが高めに設定されるのに、そこで休みとくれば気分が躍るのを抑えることはとてもできなかった。それほどに、夏休みというものが魅力的に感じていた。
今の俺は夏休みを目前に迫る中、それに気分を躍らせる普通の少年だった。
「お~い蓮。部活に行こうぜ!!」
と、ここで一番この夏休みとやらを心待ちにしていそうなやつがやってきた。
「ああ今行く。ん?やけにテンション高いな健」
まあ夏休み直前でテンションが高まるのも無理もないが、今の健のそれは少し異常と言えるほどのテンションだった。まるで、今からとても心弾むような、そんな出来事があることを知っているかのように。
「ん~?いやな、今日は部活で今年の夏休みになにかやるぞ的なことを言うらしいんだけどさ。そのなにかってのはわかんねえけどとりあえずめっちゃ楽しいものらしいんだよ。そう言われたらなんかわくわくしてさ。テンション上がりっぱなしよ!!」
健は今にも飛び跳ねそうな勢いで満面の笑みを浮かべながら俺に言う。そんな健を見ているとこっちまでテンションが上がっていきそうになるが、その前に俺は一つの不安要素があった。
「あ~健。その情報は一体誰から聞いたんだ?玲か、それとも伊集院さんか?」
俺はその一つの不安要素がなるべく的中しないように心がけて健に聞いた。次の健の返答次第では俺はテンションが上がるどころか不安で一杯になっちまう。しかしそんな俺の不安をよそに、健は一番最悪のパターンであることを俺に告げる。
「ん?いや工藤からだけど?」
・・・・・・
終わった。
今この瞬間、健のそのたった一言で俺の中で不安が急速に広まっていった。いや~な汗が吹き出て、ツーッと俺の頬をつたっていく。
簡単に言えば、工藤の言う楽しい事が万人が言う楽しい事と一致したことがない。むしろそれは楽しいよりも恐怖で、一体今度はどんな恐ろしいことが待っているのだろうと、考えるだけで気が気でなかった。
健はいいなあ、どんなことでも素直にそれを受けとめることができるから。それはある意味才能で、もしかしたら健は大物なのかもしれないと、俺は少し思ってしまった。
・・・いや単純にバカなだけか。でもその方が人生は何倍も楽しそうだけどな。
「と、とにかく部室に行くか。玲はもう先に行ってるみたいだし、俺達も急がないとなっ!」
そう言って俺は慌てて立ち上がろうとする。しかしいかにも動揺してます、っていう動作をしてしまった。自分でもこんなにも体が動揺してることに驚いているぐらいだ。
ふう・・・。今まで何度となく工藤のそういうのには付き合ってきたじゃないか。今さらこんなに動揺してどうする。そりゃあまた面倒なことが起きるかもしれないけど、それもまた良い経験として捉えておかないと身が持たない。
そうでなかったら俺はもうとっくに4回は死んでるっつうの。ここはあくまで平常心でマイペースマイペース・・・
「ああ、それはいいんだがなんでそんなに動揺してんだ?なんかおかしなことあったっけ?」
そう言って健は首をかしげる。
「ああなんでもないなんでもないぞ~健。さあ行こう。さあさあ行こう!こうしている間にも楽しいことは過ぎ去っているかもしれないからな!」
そう言って俺はひとりでに走り出す。もう自分でもなにやってるかわあからなくなってきたが、とりあえず思うのは今の健にはなにも考えずに楽しんでもらいたいということ。少年のように純粋な健に、こんなめんどくさそうな雑念を抱いてほしくなかった。
・・・俺は一体健のなんなんだ?
「おい待てよ蓮。蓮!!」
そして俺達は部室を目指した。半ば無理やりにだけど。これからどんな面倒なことが待ち受けているかはわからないが、今はただ進む以外に道はないと、そう思いながら廊下を走っていた。
ガチャリ・・・
このただのドアを開ける音に背筋がゾッとするのはなぜだろうか。いやしかし、そうなるほどに今まで散々色んな事がありすぎたのも事実。いつも毎日開けるときにはなにも思わないが、こうしてなにかあると思う時のその音は、まるで別の音のような悪魔のささやきに聞こえてしまう。
そろそろ結構病んできたのかもな、俺。
「やあどうも。お二人ともお待ちしてましたよ。これでようやく全員が揃いましたね」
出迎えてくれたのは毎度おなじみ工藤スマイル。誰がそう名付けたのかは知らないが、それが良いものとは決して思えない自分がそこにいた。
「お待ちしてた、ってことは、やっぱりなんかあるんだな」
わかっていたが本当にそうなるとやっぱり落胆してしまう。だがしかし、今回のそれはいつもとなにか違う雰囲気を感じていた。
いつもはありがた迷惑のこの展開も、今回はもしや俺自身が望んだ展開だったのかもしれない。決してそう思いたくはないが、このマンネリ化した日々に、贅沢とわかっていながら少し退屈感を抱いていたのかもしれない。
そうなるとこの展開を肯定してしまうことになるが、できればそれは遠慮したいんだがな・・・
「ええよくわかりましたね。大正解です」
そして俺の言葉に対して満面の笑みを浮かべて応える工藤。今までそんな光景を何度となく見ていたが、いずれも当てる自分を凄いなと思いながらそんな自分を恨めしく思っていた。
「では、そろそろ発表しましょう」
そして工藤はスクッと立ち上がる。この場にいるみんなの視線がそこに注がれる。
俺も息をのんでその瞬間を待つ。お願いだから命にかかわること以外でと、必死に祈りながら。
「今年の夏休みは初っ端から、DSK研究部海の合宿に行くことが決定しました!!」
・・・・・・
え?
その言葉にみんな言葉を失っていたが、その言葉の意味を次第に理解していくうちに、みんなの表情がみるみる変わっていく。
もちろん、良い方向へとね。
玲・健「やったーーーーっ!!!」
空間に響き渡った二人の声。それは甲高くそれでいて明るく、歓喜に満ちていた。
「やったぜ海だぜ海!しかも合宿ってことは泊まり込みなんだろ工藤??」
テンションが最高に上がりきった健は子供ようにはしゃぎながら、工藤に尋ねる。
「ええ、一応二泊三日の予定で組んでいますよ。ちなみに場所は伊集院さんの家の別荘です」
そしてそれに冷静に答える工藤。だけどその声は少し弾んでいて、少しというかかなり意外だったけど、工藤もそれなりにテンションが上がっているようだった。
こいつも人並みに気分が躍ることはあるんだな。少し安心したような気がした。
「それにしても海かあ~。やっとあの時に交わした約束を果たせるね、蓮君!」
「え、ああそうだな」
玲も飛び跳ねるように喜んでいた。その笑顔は眩しく、思わず見とれてしまうほどだった。
しかし海か・・・
もちろん俺は海に行ったこともないし見たこともない。一応でっかい塩水の水たまりみたいなイメージはあるのだが、でもみんながこんなに喜んでいるところを見ると、そこはとても楽しいところのようだ。
まあ一人海をあまり知らない俺だけがあまりはしゃげていないのはいささか問題があるが、でもこれは・・・。
喜んでいいってことだよな?
今まで何度となくこんな時不幸な目に遭っていたが、今日この時初めて素直に喜べる時がきた。それは本当に心から嬉しかった。
「夏休み初っ端から合宿があるなんて・・・。これは水着も新調しなきゃね!」
「!!」
そして今この時、男として一番大事なことを思い出した。
(水着・・・)
それは海に行くなら必要不可欠なもの。そしてそれは海の代名詞。そしてそれは海の・・・
「蓮。男として、こんなに素晴らしいイベントもないとは思わないか?」
そして健は俺の肩に手を置いて語りかけてくる。その声はいつもに増して低い声だった。
「ああ・・・そうだな」
こうして、夏休みいきなり海で合宿という一大イベントが執り行われることとなった。
突然とはいえ、それは今までにないほどに楽しみなものだった。
海、合宿、そして水着。
これを聞いてテンションが上がらないわけがない。特に男なら尚更にな。
夏休みまであと少し。また一つ、日々を過ごしていく上で非常に心躍るイベントが、時の流れと共にいまかいまかと俺達を待ちかまえていた。