第百一話 望んだ日々へ~終わりと喜び、始まりと影~
「・・・わあっ!?」
俺は跳ね起きるように目を覚ました。目の前の視界が揺らいで見える。息を荒げ、苦しそうに息をしているのが自分でもわかる。心臓の鼓動は今にもはちきれんばかりに俺の胸の中で脈動していた。
「はあ・・・はあ・・・」
落ち着く間もなく俺の中の思考がひとりでに今の状況を把握しようと働きかける。今見えている天井、そして周りにある景色、その全てから情報を抽出し、この空間に関する情報をはじきだす。
・・・戻ってきたのか
そう気付くのに時間はそうかからなかった。今見えているもの全てが、とても見慣れたものだった。この空間の景色、そして空気、それは俺がよく知るものだった。
俺は過去の世界から戻ってこれたようだ。そしてこのDSK研究部の部室に目を覚ますことができた。これは一応、喜んでもいいことなんじゃないか?
「ふう~・・・」
俺は一度大きく息を吐き出す。吐き出された空気はとても乾いていて、口の中でむわっと、いやな温かさを含んでいた。
「蓮君大丈夫??」
そこでようやく、いつも聞きなれた言葉が俺の耳に入ってくる。
「ああ・・・なんとか大丈夫・・・と言いたいところではあるんだが」
俺はそう言ってから起き上がり、そっと自分の頭に手を当てる。額にはびっしりと汗が浮かんでいた。
(さっきのは・・・一体・・・)
玲の声も聞こえて今のこの状況にも慣れたところで、俺は先程までいた過去の世界、そしてそこで起きたことを思い出し、記憶の整理に入る。
夕焼けが奇麗なその時、そこに二人の少年と少女がいた。そして二人が別れ、少年がその場を立ち去った後、少女は・・・
(・・・わけがわからない)
あの映像、あの世界は一体なんだったんだろう。今回の過去へのジャンプは、謎だらけで俺の頭は一杯一杯になっていた。あらゆる思惑と情報が頭の中で錯綜していた。
あの世界はもう一人の俺、フェンリルの過去のはず。だけどあそこにフェンリルはいなかった。フェンリルの知り得ぬその時、その時間軸の映像を、俺は今見せられた。この眼で見つめていた。
なぜだ?なぜ俺はあの場に居た?
いや、今のはもしかしたらカケラがあえて俺にあの場面の様子を見せたのかもしれない。もしそうだったとしたらなおさらわけがわからない。
俺があの場面を見ることに、一体なんの意味があるっていうんだ??
「蓮君・・・?」
気付くと、玲が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。どうやらまた、いらぬ心配をかけさせたようだ。いかんいかん。個人的事情で、無駄な負担をみんなにかけちゃいけないな。これは俺の問題でもあるわけだし・・・
「ふむ。その様子だと、今回の過去への旅では色々となにか問題があったようですね?」
そしてここで、俺の思惑に反して案の定工藤が俺に直球を投げ込んでくる。できればその話を避けたい、そう思っていたのにあっちから言ってきたらその方向に進むしかないじゃないか。
ふう・・・毎度のことながら、やっぱり工藤は、厄介な存在だな・・・
「あ~いや、その話は・・・」
俺がそう言いかけた時
「今は我々に言うことはできない、でしょ?一之瀬さん」
突然、工藤は自らが作りだしたはずの流れを断ち切るように、そしてまるで俺の心の中を見透かすようにそう言った。
(・・・はあ、全く。意味わかんねえ・・・こいつ)
工藤の発した言葉で精神が乱れ、そしてまた工藤の言葉で、俺は落ち着きを取り戻すチャンスをもらう。人を海に突き落としておきながら助け舟をだす、今の俺はそんな工藤の訳が分からない言動に振り回されていた。
「ああ、すまん。今度のは少し前のとは違っててな。正直自分でも困惑してるんだ。だから・・・、自分の中でそれが一区切りがついたら、その時にまた俺から話す。少しわがままで悪いんだけど、それでいいかなみんな?」
俺はみんなの姿をぐるりと見渡しながらそう言った。正直、今の状態では話そうにも話せなかった。
そんな俺の気持ちを察してか、それとも気遣いか、みんなは優しい表情を浮かべながらこくりと頷いた。
「もちろん、これはあなた自身の問題なんだし、私達のことなんかに気を遣わないで。誰も問いだたしたりなんかしないから」
玲はそんな俺に優しく語りかけた。その言葉の一つ一つに安心感を振りまくような優しさがあって、俺の中で芽生えていた混乱と困惑の気持ちは、少しずつ癒されていった。
しかしそんな玲の姿を見ていると・・・
(あの少女は一体・・・)
ふと、あの過去の世界で見た少女と玲の姿を重ねてしまう。
あの少女は、おそらく、いや確実にフェンリルにとって大切な人であることに間違いはない。親しげに言葉を交わし、手を振って別れるその光景には、二人の間に固い確かな絆が結ばれているようだった。
実際、俺があの場面に出くわした時にはもう別れの時で、その前に一体どんなことをして、どんな時を過ごしていたのかはわからない。だけど、夕日に照らされた二人の姿はとても幸せそうで、幸福に満ちているような気がした。今の俺が感じたことのない、なにかがそこにあったような気がした。
そのなにかとは・・・。その後の少女の言葉でなんとなくわかったような気がした。
「好き、あなたのことが大好きって・・・」
あれはいわゆる、「恋」というやつなんだろう。
俺は今まで感じたことも体験したこともない「恋」という概念。それがどんなものであるか、どんな感情を抱くのか、本能的にそれに興味はもちろん抱くが、なぜか俺はそこに、少量の恐怖も持ち合わせていた。
それはその後に起きた出来事によるものか、それとも今まで過ごしてきて思ったことなのか、それは今の俺にはわからなかった。
「そういえば一之瀬さん。紋章の方はどうなってますか?」
不意に、工藤が俺に尋ねてくる。
「え、ああそういえば・・・」
俺は工藤に言われて始めてそのことに気付く。長らくそれに触れていなかったので完全に忘れていた。というよりその俺の中で芽生えていた新たな気持ちで心が一杯になり、それ以外のことが入ってこなかった。
そして俺は、自分の手の甲を見つめる。
「・・・まあ、そうなるよな・・・」
手の甲には、以前できた赤い引っかき傷のほかにもう一本、同じような赤色で、前の傷に交差するように傷が刻まれていた。反対の手で触ってみても血がつくこともないし、感触もない。てことはやっぱりこれは
「工藤の言うとおり、また新しく紋章が刻まれてるよ」
俺はそう言ってみんなにその傷を見せる。
「ふむ・・・やっぱり一度過去に戻る度に紋章は刻まれていくようですね。今回でそれがはっきりしました。さあて、今度のは一体どんな力を見せてくれるんでしょうね・・・」
工藤はその傷を不気味な笑みを浮かばせながら見つめる。俺はその笑みにさすがに気味が悪くなって手をしまうが、その言葉に対しては俺も同感だった。
一つ目の傷の力は全ての魔力を無に帰する力。その力だけでも、凄まじい威力を誇るものだった。あれを見た時、自分に刻まれたこの紋章が物凄く恐ろしく見えた。
そして今度のこの傷。前回の結果を見れば、これも非常に強い力を秘めていることは間違ない。それに対して期待が沸くのはいたしかたないことだ。だけど俺は、それに素直に関心を向けることはできなかった。
どっちにしたって、この傷が伊集院さんの力のように良きものであるようには見えなかった。だからできれば、この紋章の力を使う時を迎えたくなかった。そんな場面に出くわしたくなかった。
絶大な力は、時に人に恐怖を与える。それは使われる側はもちろん、使う側にだって・・・
「ま、これで今回の一件は一区切りついた、ということですかね。ターゲットも倒しましたし、一之瀬さんも新しい過去と力を手に入れましたし。これで一見落着ですね」
そう言って工藤はふうと息を吐き出して一息つく。その言葉と動作に、部室内の空気にも穏やかな空気が入り込んできた。ピンと張りつめていた緊張もなくなり、そこには本来在るべき姿の部室が、姿を現そうとしていた。
「ふう・・・なんとか一段落って感じだな。しっかし今度のはほんと、大変だったよなあ~。でもまあ、色んな事があったけどこうしてみんな無事な姿でここにいるわけだし、万事オッケーってことだよな」
一段落。それは俺達がそうなることを願い、そして掴み取ったものだった。幾多の困難に立ち向かい、そして絶望に陥ったこともあった。だけど終わってしまえばそれも一つの過去の出来事でしかない。今こうして感じている達成感と安堵の喜びの前では、そんな過去も居場所をなくして逃げだしてしまいそうだった。
ガタガタガタ・・・
そしてみんな悟ったように自分のイスを机の下に入れ、思い思いに自分の鞄を担ぐ。その表情は皆、優しく、和やかなものだった。
「情報部の連絡によると、当分の間はターゲットも来ないだろうとのことです。最近は少し色々ありすぎましたから、ここらで一息といったところでしょうか。これから当分は、比較的落ち着いた日々を送れると思いますよ」
(落ち着いた日々、か・・・)
はあ~、なんて良い響きなんだろうな。俺が心から望んでいた日々、普通の日常がこれからやってくる。それは一時の間だけかもしれないけど、それでも、普通の高校生としての日々を送れると思えば、非常に心躍るものがあった。
それほどに、普通な日々が嬉しかった。だけどその影には、それに裏打ちされた身体的、そして精神的な疲労があった。無理もない、今まで体験し、感じてきたことは普通の人間でも一生で体験するかしないか程の出来事があった。てか普通ないだろ絶対。
俺達には休息が必要だった。それをこの高ぶる気持ちがはっきりと証明していた。
「では・・・解散!!」
そして、俺達の今回の戦いは終わった。みんなそれぞれ色んなことを思い、感じながらそれぞれ帰路についた。
「いや~ようやく終わったな~。く~・・・!!風が気持ちいいぜっ!!」
「たくっ、現金ねえ。でもまあ、実際こうして終わりを迎えると、やっぱりなんだかホッとするね・・・」
「・・・・・・」
これからは普通な日々が俺達を待ちかまえている。それは喜びであり、俺が心から望んだ未来だ。
だけど・・・
「ん?どうした蓮。なんか元気ないな」
「ん。あ、いや、別になんともないんだ。まあ少し、疲れたかなと・・・」
「もう・・・蓮君は人一倍大変なことがあったんだから疲れて当然でしょ?むしろなんであんたはそんなに元気なのよ・・・」
望んだ未来、普通の日常。それは確かに心躍るものだ。その望んだ日々に、楽しさや嬉しさを感じるのは当然だ。だけどその日常も、永久に続くことは決してないこともまた現実。
「そりゃあお前、俺は気合いが違うんだよ、気合いが。どんな困難にも物怖じしない精神力が俺にはあるんだよ」
「はいはい。その困難が困難とわからないいわゆるバカってことね」
そんな遠い彼方に見える日々の陰りと影に
「なんだとー!?今バカって言ったなお前!!」
俺は一人そんな見えない恐怖と不安を感じながら、この夕日に照らされた坂道を歩いていた。