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53、蝉しぐれ(2)

アダムス先生は思っていたよりもテキパキとお茶の準備をする。

でもよく考えなくても先生は獣医さんなのだから手先は器用なのかもしれない。

彼はカップを手際よく水洗いしていた。


そうなのだ。


どういう仕組みなのかよくわからないけれど、少なくとも下水処理、水道関係に関しては不便がない程度にこちらの世界でも機能している。


つまりそれだけの技術がここにもあるらしい。


それは単純にありがたいことだし、異世界なのだから、別におかしくもないのかもしれないけれど、なんだか宮殿とか騎士とか王様とか、ぱっと見たところヨーロッパのそういう時代のようにしか見えなくて、現代に遜色のない技術を目の当たりにするとなんだか不思議な感じもする。


いや、そもそも実際、当時どれだけの技術があったのか自体くわしくは知らないんだけど。


ここが国の中心である王宮だからその設備が整っているのかもしれない。

それを考えると、いろいろ厄介な状況に置かれているとはいえ、真っ先に宮殿へ着いたのはありがたい。


いや、待て。ありがたくないぞ。そもそも異世界に着いたこと自体がありがたくないぞ。



そういえば、さっきアメリとわたしもその水道を使って手を洗った。


陛下と別れたあの後、結局医務室までアメリがその白い両手で運んだのだ。


代わると言うわたしに頑として譲らなかった彼女の手は見事に血やら土やらで赤黒く染まっていた。

それは多分、わたしが形だけでも特一級であるからで、彼女が真実立派なメイドさんであるからなのだろうけれど、なんとなくわたしの心には釈然としないものが残った。


先の罪悪感にも似ている。

桶いっぱいの水が赤く染まっていく様を、わたしは彼女の斜め後ろに立ってじっと見ていた。



そんなことを頭の片隅で思い出しながら、先程から立ってばかりいるアメリの手を引いてわたしは彼女を椅子に座らせた。


汚れは綺麗に落ちて、細く白い腕が目に映える。


「アメリは、」

「はい」


アメリは、わたしのことをどう思っているんだろう。


時々ふとそんなことを脳の端っこで考える。


アメリは、恐らく命令でわたしの世話をしてくれつつ、見張っているのだ。


そりゃそうだ。


彼女は、皇帝陛下を心から敬う宮廷女官であって、対して私はその皇帝陛下から監視される立場にある人間なのだから、別にそれはおかしくないのだけど。


まだほんの数日とはいえ、ほとんど丸一日を傍で過ごした人なのだから、彼女のことが気にかかるのは当然だった。


何も知らない異世界で、幸いなことに得た年の近い同性の子に嫌われて何も思わないほどわたしも図太くない。


迷惑には思っていないだろうか。わたしの我儘ばかりに付き合わせてしまっている。


とはいえ。

アメリは、わたしのことを、どう思っているの

なんて、簡単に口に出せるはずがない。


咄嗟に出かかった言葉を飲み込んで、濁すようにわたしは気になっていたことを声にした。


「・・・アメリ、疲れてない?ごめんね、わたしの好き勝手に付き合わせちゃってるね」


自分の言動を省みたわたしの純粋に様子を窺う言葉はしかし、


「・・・申し訳ございません。煩わしくお思いかもしれませんが、私はスィキ様のお傍に控えるように仰せつかっておりますので、」


アメリには四六時中行動を共にすることへの不満となって聞こえたらしい。

彼女は困ったように、けれど一歩も譲らない雰囲気でそう告げた。


ぎゅ、っとわたしの眉根が寄る。


宮廷っていうのは、ややこしいところなんだろうな。


言葉の裏を読まなくてはいけないから、こういうことが起きる。

それは、樹木の上にいたときのことでなんとなくわかるような気もした。


「そうじゃなくって」


そのまま不機嫌な顔で訂正しようとしたわたしにアメリは気付いたのか曖昧に苦笑した。


「・・・私はスィキ様付の侍女でございますから、あなた様のお好なようになさってください。」


可能な範囲でお応えいたします。


そういう彼女の綺麗な笑顔を複雑な心境でわたしは眺める。

・・・まあ実際、わたしのことなんてどうとも思っていないってところなんだろうけど。



っと、このままじゃずるずる真面目な話になりそうだ。

別の話題にしよう。そうしよう。


ということで、わたしはぱっとアメリの手を放してにこにこと、いっそ白々しいほど全く関係のない話題を提供することにした。

このまま考え込んでしまえばどんどん後ろ向きになる。


正直、わたしは孤立無援な状態でいるのと変わらない。


表面上は陛下もサンファルさんもアメリも良くしてくれてはいるが、それがわたしにとって心強いかというとまた別の話になる。

知らない世界に放り出されて衣食住に困らない現状は厚待遇もいいところだろう。

それは認めざるを得ないし、感謝してはいるのだけれど、これはこれで神経に来るものがあるな。


・・・やめだやめ!じめじめと鬱陶しい。

だいたい二日三日で、どうこうなるはずもない。

突然現れた異分子が、都合よくすぐに馴染めるはずがないのだ。お伽噺ではないのだから。


「そういえば、思ったんだけどね。」


唐突にわかりやすく声音を変えたわたしに、アメリは面食らったように瞬きをした。


「なんでしょう」

「ここってさ、長髪の人が多いよね」


そう。ずっと気になっていたのだ。


陛下を筆頭に、サンファルさん、それにアダムス先生、加えてちらほら見かけた人たち、長さに違いはあるけれど、総じて髪を伸ばしている人が多いのだ。


ちらりとアダムス先生の後ろ姿を見たわたしの視線を追って、アメリも先生を見遣る。


ああ、と彼女は小さく頷いた。


「高貴な方は御髪を伸ばすという風習があるのです。スィキ様も、綺麗な御髪ですよね」


言われてわたしは咄嗟に自分の髪に触る。


綺麗かどうかは置いておいて、確かにわたしの髪も長い方だ。


今朝アメリが梳いてくれたままに、結ぶでもなく何もしないで垂らしたままでいる。

自分ですると丁重にお断りをし続けたのだが、アメリは頑として譲らなかった。

意外に彼女は頑固だ。


結局髪飾りをつけない、という妥協点を見つけて和解した。

きらきら輝くいかにも、な髪飾りを目の前に、わたしがほいほい付けるわけがない。

そんな繊細で高価そうなもの、壊れたらたまったもんじゃないよ!


という朝の一幕を経て、櫛で梳いただけで放置していたのだけれど、今思えばよく木に引っ掛からなかったものだ。


「うん、まあ、友達に憧れてね」

「ご友人、ですか?」

「うん。綺麗な長い髪に憧れて自分も伸ばしてみたんだよ」


で、切るタイミングを逃して結局伸ばしっぱなしである。


でもそっか。そういう風習があるならこの伸ばしっぱなしの髪も儲けものだ。

少しは特一級らしくなるだろうか。


「まあ、私はそんなに位が高い人間でもありませんけどね」


ちらりと振り返ってそう笑ったのはアダムス先生だ。

準備が整ったのか、ティーセット一式を運んで来てくれる。


どうやらわたしたちの視線に気付いていたらしい。ついでに話も聞こえたようだ。


どうぞ、と差し出されるカップを受け取ってとりあえず一息ついてからわたしはアダムス先生の顔を覗き込んだ。


「先生、あの子の怪我なんですけど」


あの子、の部分で窓際の小鳥に視線を投げたわたしと同じように、アダムス先生も窓の方へ顔を向ける。


「大丈夫。ひどい状態ですが、今のところ命に別状はないでしょう」


もう少しここへ来るのが遅かったら、危険でしたね。


ぽつりとした先生の呟きにひやりとする。

命が取りこぼされるのはなんであろうとあまりいい気はしない。


「猛禽類か何かにやられたんでしょうか」

「・・・いえ、」


そこで中途半端に言葉を濁した先生を不審に思って視線を彼に戻す。

どこか苦々し気な表情を浮かべている。

躊躇うような先生に、わたしは続きを促した。


「女性にお聞かせするようなことではないかもしれませんが、」

「構いません」

「あれは、刺し傷です」

「刺し傷?」


予想外の言葉に鸚鵡返しのように呟いたわたしに先生は頷いた。


「鋭利な刃物で切られたようです」

「それは・・・、人間が意図的に切ったってことですか?」

「恐らく、そう見て間違いないでしょう」

「なんで」

「それはわかりませんが、仮に食用にするなら、まずあんな刺し方はしないでしょうね」


気を遣ってか、アダムス先生は遠回しにそう言ってはくれたものの、直截的に言ってしまえばそれは嗜虐性を含んでいる、ということだ。

別にここで倫理を語るほどわたしは立派な人間じゃないけど、まあ、気分が良くなる話ではない。

無意識にぎゅっと眉が寄る。


「ひどいことをする奴がいるもんだ」


囁き声のような独り言に、アダムス先生は気付いたようで、まったくです、頷く。

それから、どこか試すような視線をわたしに向けるので、わたしも口を閉じて見返した。

ですが、と先程の私に負けないくらい囁くような音量で彼は告げた。



「そんな人間が、ここには当たり前のようにいるんですよ」


スィキ様

と。






それからアダムス先生はお仕事で忙しいらしく先に部屋を出て行った。

彼の仕事場はなにもここだけではないらしい。


部屋には、了解を得てもう少しここに残ることにしたわたしと、わたしを見ていなければならないアメリと、怪我を負った小鳥しかいない。


わたしが黙り込んだままでいるから、アメリも口を閉じている。


時折小鳥がぴい、と鳴くのと窓を抜ける風の音とがするだけで、ひどく静かな空間がここに出来ていた。


窓際の椅子に再び腰掛けて、小鳥の隣でわたしは出窓に寄りかかっている。

確かな静寂が耳を打つ。



静かだ。

・・・ああ、そうか。ここは、



教室の机にするように、重ねた両腕に顔を埋める居眠りするスタイルを出窓でしながら、ここ、この異世界に来て以来ずっと、えらく静かな気がしていたその理由にこの時になってようやくわたしは気付いた。



ここは、



「・・・蝉が鳴かない」



ここではもちろんテレビの音も、車の音も、子供の笑い声も、

そして、蝉の声さえしないのだ。


わたしがこの異世界に突然来るはめになったその直前まで、日本でうるさいほどにしていた蝉しぐれが、ひとかけらも聞こえない。




壁を隔てたどこか遠くへ、蝉しぐれの夏は消えていた。


誤字、脱字ありましたらこっそり教えていただけると大変助かります。

ご協力、いつもありがとうございます。

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