52、蝉しぐれ(1)
「それにしても」
手にしていた最後の器具を所定の位置に戻して、アダムス先生は布で両手を拭きながらわたし達へ体を向けた。
亜麻色より少し暗めの髪を後ろで一括りにしている。
覗く瞳も髪と似たような色をしていた。
知性的な顔とは裏腹に全体的に柔和な雰囲気を持った人だ。
「まさかこのような場所に特一級のお方御自らお見えになるとは」
彼はその穏やかさそのままに苦笑めいた笑顔をわたしに向けた。
不思議だ。
ともすれば、先程木の上で聞いた嫌味にも似たセリフであるのにアダムス先生の口から出た言葉は素直に純粋な驚きを表しているだけの言葉となってわたしに届く。
だからこそ余計に「特一級」という言葉の効力を思い知らされるようでもあった。
考えれば考えるほど、特一級はわたしにはおよそ似つかわしくない場所にあるように思えてならない。
ひやりとした感触が胸を滑る。
それを自分にごまかすようにしてわたしはアダムス先生へ曖昧に微笑んで、言おう言おうと思っていたことを伝えるために掛けていた椅子から立ち上がった。
「突然押しかけてすみませんでした」
言うタイミングを見計らっていたのだが、
小鳥をお願いしてからばたばたとしていて、頃合いを逃してしまったのだ。
結果、なんだか間の抜けたタイミングになってしまったが、忘れてしまう前に伝えておきたい。
頭を下げたわたしを、すぐ傍にいたアメリが「スィキ様、」とどこか嗜めるような声音で呼んだ。
アダムス先生は何も言わない。
数日連れ添ったアメリでも未だ動揺の色を見せるのだから、先生がどんな表情をしているのか顔を見なくてもなんとなく察することが出来た。
大方、特一級のわたしがいちいちこういったことへ言葉をかけることに驚いているのだろう。
ということは、言うまでもなくわかる。
でも、わたしが突然飛び込んだことで、アダムス先生の通常業務に仕事をプラスしてしまったのだから、それに対して感謝するなり謝罪するなり一言伝えるのは当然のことのはず。
少なくとも、地球でわたしはそうするように育てられたのだ。
これまでのことで、だいたいの当たりはつくから、驚かれるのは予想が出来ていた。
要は現代日本よりも身分制度の観念が色濃いこの土地では、身分の高い人間が下々に頭を下げるということはめったにないらしい、というのはいい加減わたしでも把握しつつある。
でもそれは、今までわたしが当たり前にしてきたこと、したいことを、しないことの理由にはならない。
従ってやるものか。
というのがわたしの心境だった。
これはわたしがわたしであるための矜持にも近い。
異世界だなんて異常事態にいるからこそ、些細な事にも縋り付くようにこだわってしまう。
その自覚はあった。わたしは半ば自棄気味で意固地になっている。
わたしはわたしの姿勢を崩してはならないのだ、と。
それは例えば豪奢な廊下とか、柔らかなソファとか、繊細なレースのシューズとか、そういうのを目の当たりにする度に。
と、ごちゃごちゃ言ってはいるが。
・・・まあ、ぶっちゃけ、単純に人が驚く様子を見るのが楽しいっていうね!
人の意表を突くというのはなかなかどうして面白い。
それが、わたしにとっては当然の言動であったりするとなおのこと清々しい。
突然異世界くんだりまで何の因果かやって来てしまったことで知らず知らずに積もっていた鬱憤もその時ばかりは相手の反応に集中して散っていくような気がしていたわたしは、味を占めつつあった。
わたしが軽く下げた頭を再び持ち上げるとアダムス先生の瞳とぶつかる。
案の定、意外だと考えているのがありありとわかる目をしている。
何度目かの反応にそろそろ慣れてきたわたしは余裕が出て来て機嫌がいい。
いうなれば、してやったり。まさしくそんな感じだ。
それが表情に出てしまったのか、思わずにやけてしまったわたしに、アダムス先生は微かに目を細めた。
飼い猫のいたずら、あるいは我が子の我儘に微笑むような仕種だ。
生暖かい視線に一気にわたしは居心地が悪くなる。
喧嘩をした相手に「ごめんね」と伝える直前のような落ち着かない感じだ。
彼は微笑を浮かべたまま、物柔らかに「いいえ」と言った。
「・・・これが私の仕事ですから」
こんなところでなんですが、と前置きをしてアダムス先生は小さな食器棚のようなものへ足を向けた。
医務室、と一口に言っても、そこはやはり王宮。
そうそう医務室というものにお世話になったことがないから普通がどういったものなのかわからないけれど、ここの医務室は機能的で、かつ宮殿の一部であるということを忘れてはいないと言わんばかりの造りをしていた。
実際の所はわからないけれど、わたしが把握できただけでも3つは部屋がある。
ひとつは大小、様々な器具が揃った治療室。
ひとつはどうやら専門書のような書物で埋もれた資料室。
で、現在わたしたちがいる客間のようなこの部屋だ。
医務室に客間って、と思わなくもないけれど、要は待合室のようなものなのかもしれない。
客間よりも待合室のほうが雰囲気出るからここは待合室、ということにしておこう。
その待合室に備え付けられている簡単なキッチンの食器棚の前に立ち、アダムス先生はティーセットを取り出しながらくるっと首だけを軽くこちらに向けた。
「お茶でもいかがですか?」
温厚な笑顔のお誘いに断る理由もなく、はあ、とわたしが頷くと、押しつけがましくなくかつ素早い絶妙な加減でアメリがすっと足を一歩前に出してメイドさんの顔で名乗り出た。
「それでは私が」
こういったところを見ると、素直に圧倒される。
わたしより年下の彼女が周囲に敏く、誇りを持って仕事に励む姿は今のわたしを叱咤するようでもあり、また日本では縁のなかった姿に、本当に異世界なのだと認識させるものでもあった。
そんなアメリにアダムス先生は手を振ってやんわりと断った。いわく、
「あなたもお客さんだ」
やだ、アダムス先生男前!
「ですが、」
なおも言い募ろうとするアメリの手をわたしが取る。
彼女は不思議そうな顔をしてわたしを見た。
「折角だから、いただこうよ」
「スィキ様」
「アメリのお茶、わたしも大好きだけど、アメリと一緒にのんびり飲んでみたいなあ、なんて」
思うんだけど、
とへらりと笑ってみせる。
そうなのだ。実の所、彼女はなんだかんだとわたしの世話ばかりで、ゆっくり一緒に座ってお茶をしたことがない。
アダムス先生の申し出は、わたしにとって渡りに船だった。
逃してなるものか。
きゅっとアメリの両手を放さないわたしに観念したのか、淡い溜息と共に彼女は軽く握り返してくれた。
「・・・アダムス様、お言葉に甘えてお茶をいただきます」
そう言った彼女によっしゃ、と内心ガッツポーズしたわたしとは反面、アダムス先生はおや、と意外そうな顔を覗かせた。
「仕事熱心で有名なレディ・コーネイルも特一級のお方には甘いようですね」
「れでぃ、こーねいる?」
依然として彼女の手を握ったまま首を傾げたわたしにアメリがはい、と首肯した。
「アメリア=コーネイルと申します、スィキ様」
「アメリ、コーネイルさんだったんだ」
「・・・はい」
もう一度、そう言って今度は仄かな笑みを口元に乗せたアメリは頷いた。
コーネイル、コーネイル、
「アメリ」
聞いたばかりの彼女の名字を覚えるように心中で反芻していたわたしは無意識につるっとアメリの名を呼んでいた。
アメリ。
今更コーネイルさんと呼びはしないけれど、アメリはコーネイルよりもやっぱりアメリの方が似合う。
なんてたって、かわいい彼女にぴったりだ。
「はい」
「アメリ」
「はい。・・・あの、スィキ様?」
「いや、素敵な名前だなあ、と思ってね」
何度も確かめるように彼女の名前をなぞるわたしを不審げにアメリが見つめてくる。
今まで「アメリ」のような響きの名前を持つ友人はいなかったから、なんだか特別な息遣いでその名前を発しているような気分になる。
正確に言えばご近所さんのイギリス人女性だってばりばり欧米の名前だったわけだけれど、何故か彼女は自分のことを「スケさん」と呼ばせたがった。
いわずもがな某有名時代劇を彷彿とさせるわけだが、なにせ彼女の姓はスケフィントンさんだったため妙にしっくりきてしまい、定着してしまったのだ。
当時アメリカのドラマにはまっていたわたしは、ほんのりとエリザベスとかキャシーとかメアリーとかに憧れていたために人知れず惜しい思いをした。
それはさり気なく尾を引いて今もわたしのなかにあるようだ。
あ、名前と言えば。
「そうだ、アダムス先生」
「はい?」
突然呼ばれた先生は虚を突かれたのか目を少し見開いた。
「わたし、識 佐藤って言います。あの、良かったら特一級じゃなくて、名前で呼んでもらえませんか?」
アメリがいつも持ってきてくれるティーカップよりも幾分かシンプルなティーセットを両手に、アダムス先生はぱちぱちと2回瞬きをした。
それから先程の穏和な笑みを覗かせてみせる。
「お許しいただけるのでしたら、よろこんで」
長く更新が滞ってしまい、申し訳ありません。
見捨てられてもおかしくないのに読んでくださっている方がたくさんいらっしゃって嬉しいやら申し訳ないやら・・・。
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。